「桜の宮」奇譚 碧落の果て

はな

壱 雨天より花を満たす

雨と少女

 外は雨が降り続いている。

 春、見事に咲き乱れた満開の桜の花が、雨の勢いに流されていく。咲き誇る無数の桜の花が美しいここ、桜の宮の今春は長雨ばかり。桜の花びらは散る間もなく流れ落ちる。

 その雨の音を聞きつつ、鈴鳴代赭すずなりたいしゃの一の姫・桃はひとつため息をついた。

 御簾を上げた部屋からうかがう外の景色は、満開の桜の花を隠すようにくすんで見える。それが、より一層、ため息を深くしているように思われた。

 赤地に金の花菱が施された美しい小袿こうちぎに長い黒髪が流れ、模様を作る。

 落ち着かない。特に代わり映えもない自室なのに視線が彷徨う。気がつくと手に持っている扇子を開いては閉じ、また開いては閉じ、開いては……をくり返している始末だ。

 ここにもし自分の夫がいれば、呆れて「姫、少しは落ち着いたらいかがです?」なんて言いそうだなどと考えてみたりもする。

 しかし、彼女の夫はもう二度とそんなことを言いはしない。「夫婦なのですし、名で呼ばれたらよろしいのに」そう言った思い出ももう遠い。

 夫である鈴鳴家の家主柑子こうしの息子・東雲しののめに嫁いだのは十五の時。その夫婦生活はあまりに短く、東雲は桃のことを名で呼ぶようになる間もなく去った。

 愛する暇もなかった。彼のことを深く知る暇もなかった。もう、二年も前のこと。

 子は成されなかった。世継ぎは生まれることはなかった。

 だから、こういうことに、なった……。

(養子、だなんて)

 鈴鳴家家主の世継ぎは、養子でまかなう。そういう決定が下されたのだ。

 東雲に兄弟はいない。ゆえに、道は養子しかない。

 養子は秋頃、吉日を選んで正式に桃の養子として迎え入れられるという。

 養子として迎え入れるのは、鈴鳴陵駕りょうが

 頭脳明晰との呼び声が高く、次期家主として役目を果たせるだろうと指名された人物だ。

 同じ一族で、同じ桜の宮に住んでいるのは確か。しかし、桜の宮自体がひとつの街かのように広く、陵駕を見かけたこともない。

 流れをさかのぼれば、桃の祖父と陵駕の父が兄弟だというが、実感はなかった。

(嫌よ、赤子ならともかく、養子がわたしより年上だなんて)

 桃の懸念はそこだった。陵駕は桃よりもずっと年上なのだ。自分より年上の男が義理とはいえ息子になるなんていい気分ではない。

 一族に子が少ないことを、これほど恨んだことはない。

「こんな時に限って、桜はいなんだから」

 鈴鳴代赭の二の姫・桜。桃の双子の妹だ。

 桜は自分の半身。そう思うほどにいつも一緒に過ごしている。だが、彼女は今日に限って、同じく桜の宮に住む瀬田家の姫のところへ行っている。

 彼女は一五で嫁いだ桃と違い、まだ未婚だ。

 はらりと扇子を広げる。そして脇息にもたれ、本日二回目のため息。

「会いたくなんてないわよ……」

 今朝一番の事件だった。桃姫の養子になられる陵駕殿が、本日こちらへご面会にいらっしゃるそうです。侍女によって運ばれてきた頭痛の種。

 いずれ会わなくてはならないのはわかっていたが、なにもこんな雨の日でなくてもいいのに。

 もっと、満開の桜を愛でることでなんとかしのげそうな、晴れの日だったら。

「ああぁぁぁ……」

 年上の養子と上手くやっていけるだろうか。

 もし気が合わなかったら、それが一生続くなんて拷問だ。

 元々身体は弱かったが、あんなに早く夫が先立つなんて思わなかった。自分に子があればこんなことにはならなかったのに。

(殿、うらむわよっ)

 桃が心の中で、今は亡き夫の東雲に恨み言を言って頭を抱えた、その時。

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