雪月花マスドライバー


 湿った雪を踏む。ぎゅっと締まったわりと好きな音がする。


 乾いた雪を踏む。きゅっとふわついた軽く嫌いな音がする。


 仰ぎ見れば廃ビルに囲まれた灰色の空はますます重たそうに垂れ込めてわたしの頭上を覆い隠す。壁みたいにそそり立つ廃墟群は真っ白く凍てついて空よりも眩しい。


 ひとすじの青いラインが灰色を引き裂いて白い光をこぼしている。天使のはしご。雪はそこから舞い落ちていた。雪はしんしんと音もなく積もり、光は割れガラスに跳ね返り降り注ぐ。


 今日の雪はぎゅきゅっと鳴った。湿って乾いて固まる音。好きな音。


「今じゃあ月面の方が技術は進んどる言っちょるが」先輩回収人のじいさんが毒を吐く。「座標ぐらい正確に射てや」


 灰色の空の青い亀裂を睨め付ける。憎くはないが恨めしい。本来ならば回収しやすい関東平野へ墜とすはずが座標設定の何をどう間違ったのか大事な物資は長野県の雪深い市街地へ墜ちた。今や誰も住んでいない長野県はもはや雪と氷に閉ざされた秘境だ。


「向こうも人材不足なんすよ。たぶん」


 わたしの軽口にじいさんは肩をすくめるだけ。


 火山灰が成層圏を埋め尽くして何年になるだろう。未だに雪と灰が混じって湿って乾いた灰色の粉雪が降る。


 火山灰が地球を宇宙から断絶してしまい月に残された人類は絶望した。でもそれはすぐ希望に変わる。エネルギー資源が豊富な月の方がはるかに発展して寒冷化した地球は人が住むのに適さなくなったのだ。かつての長野県県庁所在地すら真っ白い無人の荒野だ。


 たった一発の破局的噴火のせいで地球と月のパワーバランスはすっかり逆転された。月面マスドライバーから射出される救援物資のみが地球に残された僅かな人類を救う蜘蛛の糸だ。


「あったぞ」


 寡黙なじいさんがトゲの鋭いストックで前方を指す。目的座標から大きな誤差で誤爆された救援物資カプセル。灰色の成層圏を切り裂いて地表に太陽の光と物資を届けてくれた。


 もうだいぶ前に小さなクレーターを作った大気圏突入カプセルはすっかり冷えて氷の塊のようだった。ちゃんと座標通り射ち込んでくれればわたしたち回収人がこんな苦労しないで済むのに。


 何とかこじ開けて中身を見たじいさんが一言漏らす。


「あんこも醤油もねえっちゅうに。どうせいっちゅうんだ」


 救援物資のエネルギー資源に混じって雪のように白いぺたっとした物体が真空パックで包まれていた。そのパックにはこう書かれていた。


『回収人さんへ。お勤めご苦労様です。月でついたお餅です。どうぞ召し上がってください』


 お餅って何だ?


「ねえっ! これ食べちゃっても大丈夫なの!」


 空に向かって叫んでみた。自慢のわたしの大声でも成層圏の火山灰に吸われて月まで届かないだろう。

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