第7話

 なんだー、帰れってか。ああ、このドアの向こうにロコさまが……。え、お前素直にここで帰っちゃうの? ちょっと待てよ、少し粘ってみようぜ。


「今すぐ帰れませんよー」

「……何言ってるの、早く帰って。あっ、あぅん」


 うほほー、何だか変な声が漏れてきた!


「帰りの電車賃が無いんですー」

「いやーん」

「ここで待ってますっ」

「だめだめ、あはーっ」


「何か困ってるんですか? 声が変ですよ、ロコさま」

「もー、このビルのっ」

「1階でっ」

「待ってて頂だい」

「……啓太さん、お願い」


 なんか手で口を押えながらしゃべってるぞ、でもあんまりしつこいと嫌われちゃうかな? ここは言われた通りにしようっと。


「わかりました、下で待ってまーす」

「ありがと、ふーぅ」


 カバンを持ってあの古いエレベータに乗り、1階に降りて一旦外に出る。喫茶店『ダルマチア』の入り口はちょっと奥まって、壁と窓枠がレンガで設えてあった。


 木枠に2X5枚のガラス板がはめてあるドアを開けると、汚れた白いしっくいの壁に焦げ茶色の柱、古い木でできたテーブルと椅子が置いてある。


 店の中央のカウンターの向かえに、骨董品の壁時計が掛けられている。僕はそのすぐそばの席に座った。


「いらっしゃいませ」


 高校を出たばかりの年頃の、女の子が声を掛けてきた。


「お客様申し訳ありません、そこのお席は常連さま専用のお席ですので移動して頂けないですか?」


「え、常連さんの専用席?」


「はい、後ろの柱に名前が彫ってありますよ」


 振り向いて後ろの柱を見る。あらら、『ROKO』と彫ってあるじゃないか! ロコさまの席だ。すると、カウンターの中にいてコーヒーを抽出してた40才位のマスターも声を掛けて来た。


「お客さま、そこの常連さんは大変気難しい方でして、大変申し訳ありませんが席をお譲りください。友美ちゃん、お客さまを窓際の席に案内して」


「はいマスター」


 女の子はいきなり僕の腕をつかんだ。おい、おい、何するんだよ。


「ぼ、僕はロコさまにここで待つように言われたんですよ」

「あら、ロコ姉さんとお知り合い?」

「おや、この店に来るのは初めてですよね、あなた」

「今日からコンソルロコ社で働くことになったんですよ」


 マスターと女の子は顔を見合わせてあきれた顔をしている。なんでだろう?


「まあ長続きしないだろうね、あなたも」

「え、どういう事ですか?」

「4,5人若い人が来たけど、みんな1週間も持たなかったんだよ」


 なんだそれ、ロコさまって人使いが荒いのか? 心配になって来た。


 女の子が水の入ったガラスコップを持って来た。「うふふっ」なんか僕の顔を品定めするように見ていたと思ったら、振り向いてカウンターのマスターとひそひそ話を始めたぞ。


「3日にするわ、私」

「俺は2日、じゃあ千円出して」


 何やってんだこの2人? 千円を出し合ってクッキーの缶の中にしまってるぞ。僕が辞める日数の賭けごとかよ!


「お客さま、何を召し上がります?」


 マスターがカウンター越しに注文を取って来た、変な店だなあ。


「苦めがお好きならラ〇ッツア、まろやか好きならダル〇イヤーがお勧めですよ」

「……じゃあ、ダル〇イヤーにします。良くわかんないけど」

「ラ〇ッツアはイタリアンコーヒーで、ダル〇イヤーは300年の歴史を誇るドイツのコーヒーですよ」


「ところでお店の名前の『ダルマチア』って何ですか?」

「アドリア海東岸のクロアチア地方の名前です、ダルメシアンっていう犬はそこが原産地なんです」


 アドリア海かあ、行ってみたいなあ。確かクロアチアのドゥブロブニクって街はジブリの映画に出て来る街だったなあ。


 ――ギギギー。





 おや、ロコさまが来た! なんかぐったりしてるな。

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