第13話 研修
俺は、彩夏の告白を寝たふりをして聞いていた。
彩夏が、後ろから心地いい感触を伝えながら話してくれる言葉を聞きながら、俺の中の、もう一人の俺が、その感触に耐え切れず暴れそうなのを、理性で押さえ付けながら聞いていた。
そんな彩夏の気持ちは、最近になって、薄々感じていたが、思い過ごしである事を願って普通に生活していた最近であった。
そして次の日からも、あの日の告白は、眠っていて聞いていないのを装って、今まで通り生活をしていた。それでも、毎日の密着タイムは健在と言うか、以前にも増して密着時間と密着面積が増えた様に思えた。その時間帯は、最初の頃は俺の身体だけが反応していたが、今では身体より、心の反応の方が多くなって来たのが自分でも判る。もう少し時間が欲しい気分だ。
巷の決算シーズンである年度末が終わった四月、史絵は大学生、彩夏は高校三年生になった。
今日俺は、年賀状に添え書きが書いてあった、齋藤税理事務所を、先日アポを取って訪ねた。齋藤さんの話はこうである。
今、夫婦と繁忙期のアルバイトで運営している事務所だが、夫婦も高齢に成って来て、事務所を閉鎖しようと考えているそうだ。けど、顧客に迷惑をかける訳にはいかないので、俺に顧客を受け継いでもらいたい。俺なら国家資格も持っていて、以前勤めていた会社での、俺の真面目な勤務内容を知っているのと、そして今、無職と言うので頼み易く、俺に白羽の矢を当てたそうだ。今すぐでは無いけど、それを俺に考えて欲しい。と言われた。手短に言えば、そんな話だ。
俺は今、無職だが、生活費に関しては、両親が残してくれた遺産、紗枝への加害者からの保証金、結婚した時に、紗枝が御守り代わりにと言って、夫婦で加入した生命保険などで、贅沢をしなければ俺が百歳まで生きても半分も消費出来ない位の蓄えは有る。自分で蓄えた訳でも無いけど。
しかし、働き盛りの今の年代、どんな仕事でも良いからそろそろ働き始めようとは思っていた。そんな俺のタイミングと重なり、その有難い話を言ってくれた齋藤さんに、前向きに考える事を告げた。
彩夏への心を決めるのは、まだだが。新しい仕事の心は決まったので、今、彩夏と二人で住んでいる家をリフォームして事務所を開設する事にした。そして、渡り廊下でつながっている両親の家を新居に建て替える計画を立てた。新居は、何があるか分からない将来を見据えて、今より少し大きめな仕様になるだろう。そして、所持しているマンションの部屋は、とりあえず、賃貸で貸し出すことにした。
後日、齋藤さんに申し出て、引き受ける旨を伝えて、解体、新築、リフォームの工事が雪解けを待たずに順に始まった。
工事関係の人達の来訪が多かったので、当然の様にその理由を彩夏に聞かれた。
隠すつもりは無かったが、例の密着タイムに、決めた事を順を追って全て話した。蓄えの額を除いて。
俺の話を、頷きながら真剣に聞いてういた彩夏だったが、次の日の密着タイムに言われた。
彩夏は「私、決めたの」
「何を」
彩夏は続けて捲くし立てた。
「進路の事だよ。地元の〇〇大学の経済学部に入る」
「勿論、パパの家から通うわ」
「在学中に、パパと同じ国家資格取るの」
「そして、パパの会社に就職するから、今から内定下さい」
続けて凄く小さい声で言ったのを、俺は聞き洩らさなかった。
「出来たら、永久就職の内定も…………」
俺は、「まだ、これから始まる会社だから、今から内定は無理だけど、彩夏が資格取って、パパの会社が順調ならその時に内定をあげるよ。それでいい?」
「うん、彩夏頑張る」
今日の密着タイムはそんな話で終わった。
それから間もなく、俺は、齋藤さんの事務所に勤め始めた。仕事を引き継ぐ為だ。各顧客の実情や書式法とか、それぞれの顧客の経営実態や、仕事のノウハウを学ぶ為だ。一年位は掛かりそうだ。我が家の工事もそれに近い位かかるので、丁度良かった。
そして六月のある日、研修の為札幌に行き、家を四日間空ける事になった。彩夏は半臍(べそ)を描いて寂しがっていた。
出発の朝、彩夏は一枚のCD-ROMを俺に渡してこう言った
「これ、私のお父さんからの手紙、私の生い立ちが書いてあるの。時間があったら、宿で読んで。パパには私の事全部知って欲しいから。パスワード、付箋付けてあるから」
それを受け取って俺は、
「分かった。是非読んでみるよ」
「それと、戸締り確実にね、あと物騒だから、居間の電気は夜も点けっぱなしにね、あと車は家の前に置いてJRで行くよ。その方がパパがいる様に見えて安心だから」
と言って家を出た。
今、俺は札幌の宿に居る。今日は昼前に着いて、史絵と待ち合わせしてランチを食べた。もう一人のすぐるには遠慮して貰った。するとやはり、史絵から彩夏の事で攻められた。夜は、札幌の友達二人と再会して居酒屋でプチ同窓会を開いた。昔話で盛り上がった。そんな行動に、自分でも、おじさんの生態に近づいてきたみたいだと思った。
宿へ帰ると、もう一人の俺が、早くすすきのへ行こうと催促するが、俺は彩夏の渡してくれた、彩夏のお父さんからの手紙を読んで、感涙に更けた。もう一人の俺は居なくなってしまった。
そして、明日から、三日間の研修が始まるので、彩夏に、『おやすみ』と活字を打って床に就いた。寝付く前に、いや正確には送信後一秒で返信が来た。『おやすみなさいパパ。明日から頑張れパパ』
そして、研修は明日が最終日だ。明日の夜には彩夏の待つ地元へ帰れる。俺は、彩夏のいない生活を、たった少し体験しただけなのに、寂しくて、空しい気持ちに襲われた。何故だか答えは解っている。そして俺はパソコンに向かった。
彩夏への手紙をキーボードに託し始めた。
キーボードが霞むのは何故だろう
書き終えると手紙に鍵を掛けた。
パスワードは、彩夏のお父さんと同じ言葉。
言葉は同じだが、思いの種類が違う
daisukinaayakahe
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