第3話 余計なことは考えず、やってみろ!

 翌朝、修平はジャージ姿で「丸本商店」にやってきた。

 午前8時ギリギリの到着で、既に店のシャッターは開き、沢山の自転車が店頭に並んでいた。ヤバい、ギリギリ遅刻かな?と思いつつ、とりあえず挨拶しなきゃと、修平は大声で店主の『チャリじい』を呼んだ。


「おはようございまーす!昨日、ここでアルバイトをする約束をした藤村と言います!」


 すると、スパナとドライバーを持ったチャリじいが、颯爽と店の奥から出てきた。


「遅い!もう8時を10分も過ぎてるじゃねえかよ」


 しかし、修平の腕時計の針は、8時1分か2分の所を指していた。


「あのお、まだ、8時になったばかりですよ。見て下さい、この時計の針を」

「うるさい!この店の時間は、そこの壁に架かってる時計がすべてなんだ!あの時計を見ろ!8時10分だろ?」


 修平は、沢山のポスターやカレンダーで覆われた壁に目を見遣ると、古い木製の時計があり、その針は確かに8時10分を指していた。

 おそらく、この時計が進みすぎているんだろうが、そのことを指摘しても、逆切れされるだけなので、反論はせず、そっとチャリじいの言うことに従った。


「遅れてすみませんでした」

「よし、じゃあ早速、俺の隣でパンク修理を手伝え!バケツに水を汲んで来い。それから、俺がタイヤからチューブを取り出す時、後ろで機体を押さえてろ!」


 修平は、チャリじいの言うがままに水を汲み、自転車の本体を後ろから支えた。

 チャリじいは、汗まみれになりながらも、タイヤからチューブを引き抜き、チューブを水に浸して、早速空気漏れの場所を見つけ出した。

 応急措置を施し、あっという間にパンクの修繕は完了。

 その手際の良さとスピードに、修平はただ驚かされた。

 この日は気温が高く、室内の温度計は30度を指していたが、チャリじいは弱音一つ吐かず、ひたすら黙々と作業を続けた。

 そして、昼までの間に5台もの自転車の修理を完了させた。


「よし、昼飯の時間だ。お前、今日は自分の弁当を持ってきたのか?」

「いいえ……これから、近くのコンビニで何か買ってこようと思いまして」

「おにぎりでよければ、あるぞ。ちょっと待ってろ」


 そう言うと、チャリじいは台所に行き、炊飯器からご飯を取り出すと、大きなおにぎりを2つ作って、皿に載せ、修平の目の前に差し出した。


「もうカミさんがいねえから、こんなのしか出せないけどさ」


 そのサイズは、手のひらよりも大きく、コンビニエンスストアで売っているおにぎりの2倍は優に超えていた。


 おにぎりをむさぼりながら店内を見渡すと、修平は、真っ黒に日焼けした髪の長い男が、自転車にまたがって満面の笑みを浮かべている写真が目にとまった。

 写真はかなり年季が入っており、色合いがぼやけ、紙はだいぶ焼けただれていた。


「すみません、この人、誰ですか?」

「ああ、これは、俺だよ。もう50年くらい前に撮った写真かなあ?」

「ええ!?若い頃、こんなにカッコよかったんですか?」

「馬鹿野郎!今の俺は老いぼれだけど、当時はモテたんだぞ」

「それに、後ろに映ってる風景には、外国の人が沢山映っているし、どこで撮ったんですか?」

「ばーか。これはアメリカで撮ったんだよ。外国人がいっぱい居るのはあたりまえだろうが!」

「アメリカ!?」


 店主は、咳ばらいをして、椅子に座り、お茶をすすりながら訥々と語りだした。


「俺が子どもだったころ、アメリカからの進駐軍を街中で見かけてな、彼らのふるまいや身のこなしが、とにかくカッコよかったんだよね。だから俺、いつかアメリカに行って、こんな風にカッコいい男になってやる!ってずっと思ってたんだ。でも、飛行機に乗れるほど金持ちじゃなかったからさ。自分の自転車に、ありったけの生活道具を積んで、貨物船で乗組員をしながら渡航したんだ。アメリカに渡ったのはいいものの、あっという間に有り金が無くなって、そのたびに現地のレストランとかで皿洗いの仕事をやって、旅の金を稼いだんだよ。何だかんだで、2年かかってアメリカを横断したけど、楽しかったなあ……」


 修平は、当時の思い出を語るチャリじいの目が、どことなく輝いていたように感じた。

 白髪や煤でまみれた、自己中心的な頑固おやじにしか思えなかったが、この時初めて、修平はチャリじいを羨望の眼差しで見つめていた。


「どうした?お前もやってみるか?自転車旅行を」

「だ、だって、こんなママチャリじゃ無理ですよ。ましてやアメリカだなんて。

 現実を考えたら、とても僕には……」

「現実?寝言言ってんじゃねえよ!確かに自転車は、長距離走行に耐えられる車種じゃないと無理だけど、がんばって稼げば、買えなくはない。それと、言葉やお金なんて、その気になりゃいくらでも何とかなるんだ!余計なことは考えず、まずはやってみろ!わかったな!?」


 そういうと、チャリじいは椅子から立ち上がり、そそくさと午後の作業の準備を始めた。


「何をしてる?もうとっくに1時を過ぎたんだ。仕事を始めるぞ!」


 修平の腕時計の針はまだ12時50分なのだが……まあ、この店ではチャリじいと店の時計が絶対的存在だから、逆らわず従うことにした。


 修平は、授業がない水曜日と、週末の土日の週3日、「丸本商店」でアルバイトに励んだ。

 修平は毎回、何かしらヘマをして、チャリじいに雷を落とされた。

 でも、一度怒鳴りつけると、その後はもう何も言わず、黙々と仕事をしていた。

 修平は、そんなチャリじいの姿を見続けるうちに、心が次第に惹き付けられていった。


 ある日、アルバイトの時間が終わると、チャリじいは修平にお金の入った封筒を手渡した。


「ほらよ、今月の給料だ。パンクの修理代は抜いてあるからな。短い間だったけど、よく頑張ったな。今どきの若者にしちゃ、タフだよお前は。今度修理をお願いする時は、きちんと払えるだけ稼いでこいよ」


 すると、修平は封筒を受け取り、大きく頭を下げ、そのまま顔を上げると、にこやかな表情で語り掛けた。


「あの、僕、もう少しこのお店で働かせてもらえないでしょうか?」

「はあ?何だって!?」


 修平の言葉に驚いた店主は、目を大きく見開き、修平の顔を覗き込んだ。


「僕……チャリじいのお話を聞いて、アメリカに行ってみたくなったんです。そのためには、自転車を買うお金と、旅行に必要なお金を稼ぐ必要があると思ったんです」

「お、お前、何を馬鹿なことを」

「僕はもう心に決めたんです。邪魔じゃなければ、ここでもう少しお世話になりたいんです」

「……ああ、いいよ。お前が死ぬまでずっとここに居たっていいんだよ。その代わり、今度はもっと厳しくやるからな」


 チャリじいはそう言うと、ニヤッと笑って、スパナを修平の顔に近づけた。


「いいですよ。どんどん厳しくしてください!」

「おう、いい度胸だ!」


 チャリじいはもう片方の手を伸ばすと、白い歯を出して笑いながら、修平の手を強く握りしめた。

 その顔は、これまで1度も見せたことも無いような、爽やかで突き抜けるような笑顔だった。


 やがて修平は、丸本商店でアルバイトをしながら貯金を続け、1年後、ついに念願の長距離ツーリング用の自転車を手に入れることが出来た。



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