第9話 理念の愛から生身の愛へ2 ~ ワッフル

 この記事は、××ラジオ代表大宮太郎氏と妻でアナウンサーのたまき氏が取材した記事を基に作成したものです。


 そうですね、あの年(1977年)の秋、キャンディーズが来年で解散だ、なんて騒がれ出した頃から、私たちの間も、いろいろ、起こり始めました。私はまだ中3でしたけど、そりゃあ、私だって、男ですから、女性に興味がなかったわけじゃない。でも、愛子先生に何か特別な感情を抱いたわけではなかったですよ。なんか最近、ぼくに良くしてくれているなあと思ったことはありましたけど、かといって、好きでしょうがないとか、ましてや、性的な欲求が湧いて出てなんてことはなかった。私は、そこに過ごす「児童」じゃないですか。大体相手は、養護施設の職員ですよ、それも、8歳も年上の大人の女性でしょう。仮に私が愛子先生のことを好きになったとしても、どんなに迫ってみたところで、上手くあしらわれて相手にされないのがオチじゃないですか、そんなの。そりゃあ、たまきさんと太郎さんのように、1歳かそこらの差なら、普通に受入れられたでしょうけどね。

 くすのき学園でも、同じ岡山市内の養護施設のよつ葉園でも、女性職員が卒園生の男性と出会って結婚したという例はいくつも聞きました。でもそれは、あくまでも大人同士の関係に過ぎないし、第三者がとやかく言えるものでもない。職員同士にしても、基本的には一緒です。ただ、一緒に勤めていて恋愛に発展して、というパターンもないわけではなかったが、さすがにそれは、いささか問題であるような気がしますけどね。


 「そうですね。ぼくら、よつ葉園を取材に行って、大槻元園長に取材をしましたけど、その折に、御自身が最初に結婚されたときのエピソードを語ってくれましてね、職場恋愛がばれて、けじめをつける意味もあって結婚したことをおっしゃっていました。実はその問題で、森川先生という元園長先生が、嘱託医をしていたぼくの祖父を通して知っていた父に、相談してきたことがありました。職場恋愛はいかがなものか、ってね。そのとき父は森川先生に、一概に悪いとは思わないが、少なくとも養護施設において、職員同士が恋愛となったら、子どもたちに示しがつかないでしょうと答えたそうです。職員同士でそうなのですから。まして、職員と子ども、特に、女性職員と男子児童ということにもなれば、スキャンダル以外の何物でもない。今なら大問題ですね。実際、ネットで見ていると、女性職員が男子児童と性的関係ができて問題になった事例もあるようですから・・・」

 「あの年の10月頃だったかな。中間テスト対策の勉強していたときだった。その日愛子先生が宿直で、私に冬物のセーターを持ってきてくれました。叔母が買ってくれたという話だったけど、実は、愛子先生が買ってくれたものだった。キューピットがハートに矢を打込む絵柄が描かれていたのよ。さすがに恥ずかしくて、その年は着なかった。もっとも、翌年からは堂々と着て、愛ちゃんと一緒に街中を歩いていましたけどね」

 義男さんの言葉を受けて、少し顔を赤らめつつも、愛子さんが当時の真相を語る。


 確かにあの時、私は義男君にセーターを買ってあげました。叔母さんから言付かったということにして渡したのですが、そんな嘘は、すぐにばれました。いつも私に対しては好意的に接してくれていた先輩保母の各務先生ですが、あまりに呆れて、こればかりは、園長に報告したようです。

 それでもそのときは、園長から、

 

 「特定の児童にのみ、正当な理由なく私的に物を買い与えないように」


と、事務室の連絡箱にメッセージを入れられていただけでした。

 これが各務さんじゃなかったら、もっと厳しく言われたかもしれません。

 

 養護施設は、社会主義国のようなところがありましてね、とにもかくにも、みんなが平等でなければいけないと。

 その平等が侵された時、いろいろな問題が起きるのです。何であの子だけ、あいつだけ、ってね。中学生や高校生にもなれば、そうでもなくなるものですが、特に小学生の頃なんて、どうしても、そうなりがちです。

 ですから、どこかでお菓子をもらったとしても、原則として学園で預かって、それをみんなで分けて食べましょう、なんて規則があったほどです。


 中3のときの義男君への私の対応に関しては、今思えば、批判を浴びても仕方ないです。これが外部からのものであればまだしも、担当でもない職員が、特定の児童に対して「ひいき」程度の言葉ではすまないことをしたわけですからね。

 確かに、職員としてはよくない対応でした。

 でも、個人としては必ずしも間違ってはいなかったと、今も思っています。

 

 12月の始め頃でした。M中学校の中3生の期末テストが近づいていました。義男君は職業訓練校を受験することになっていました。その年は他に2人の中3の女子児童がいました。期末テストの2日前だったと思います。その日私は、各務先生と一緒に、宿直に入りました。毎日作業着のような服ばかり着ていたので、この日私は、着物を着て帯を締めて、宿直に入りました。寒いので、上にもう一枚羽織りました。 

 ちょっとおめかしでもしてみようと思い立ったのです。

 それで、夜の10時過ぎ、義男君のところに行って、給食で作ってくれていたおにぎりとお茶の他に、お皿に乗せたワッフルも、一緒に届けました。

 

 「義男君、がんばっている?」

 「何とかなりそうじゃ」

 「がんばってね」

 「うん」

 

 簡単な会話をして、私は義男君が勉強している部屋を出ていきました。彼は特に、私の着物姿に興味を示した様子もありませんでした。その後、他の二人の女子児童の部屋に、給食で作ってもらっていた夜食を届けました。

 その間、各務先生は別の部屋と、外回りの見回りに出ていました。

 

 見回りから帰ってきたら、各務先生はすでに宿直室に帰って来ていました。

 「合田先生、今日はどうしてまた、浴衣なんかを着ているの?」

 「ちょっと、気分転換をしたくなって・・・」

 「そう。似合っているわね」

 「そうですか・・・」

 「毎日毎日、いかにも保母さんみたいな服ばかり着ていたら、気持ちが滅入るわね」

 「確かに・・・」

 そのときは、それだけで終りました。

 

 しかし翌日、他の保母から、昨日のことで稲田園長に報告がされていました。

報告者は、1学年上の脇田保母でした。

 「合田先生は、義男君だけに、夜食にワッフルをあげていました。しかも、着物まで来て宿直をしていて、まるで、お殿様に仕える腰元みたいでした」

 随分悪意のある報告だと思いました。

 稲田園長は、大正生まれの生真面目な人物で、女子は貞操を守らなければならない、結婚前に性行為に及ぶなどとんでもない、そういう考えの持ち主でした。

 義男君の上の伯父さんは、そういうヘッポコ儒教に洗脳された低能偽善者の与太考えが、悲惨な状況下に陥ったときに人を無駄に傷つけるのだ、くだらんと、吐き捨てるように言っていたことがありますが、私は何も、そこまで言うつもりはありません。

 しかし、稲田園長のような人物が、「殿様に仕える腰元」という報告を受けたら、どんな反応をされるでしょうか。


 「合田先生、ちょっと」

 私は、園長室に呼ばれました。

 「あなたは、昨晩、着物を着て当直に入られたそうですね」

 「はい」

 「そんな恰好をされたのには、何か理由があったのですか?」

 「いえ、特にはありません。ちょっとした、気分転換のつもりでした」

 「まあ確かに、くすのき学園では、当直時に着物を着てはいけないという服務規定はありませんけど・・・、ちょっと、いかがなものですかね」

 「・・・」

 「実は、それよりはるかに問題のある行動が、報告されています」

 「何でしょうか?」

 「昨夜の当直の見回りの折、義男君は勉強していましたね」

 「はい」

 「彼に、夜食としてワッフルを届けたという話が入っています。それは、事実ですか」

 「事実です」

 「なぜ、彼に? 」

 「はい。勉強している義男君に、頑張って欲しかったからです」

 「彼にだけですか?」

 「は、はい」

 「そもそも、給食室で、その日の夜食を用意しているでしょう。それを届ければ、十分ではないですか。まあ、おにぎり程度の夜食では、味気がないのもわかりますけど、だからと言って、ワッフルをわざわざあなたが買ってきて、特定の男子児童だけに与えるというのは、いかがなものでしょうか?」

 「ワッフルぐらい、いいのではないですか。たまにはおいしいものを食べないと、勉強もはかどらないでしょう」

 「よろしい。この際、あなた以外の職員の宿直時のことは問いません。あなたが宿直のときだけでも、何かおいしいものを夜食でもらえるとなれば、子どもたちもそれ目当てに勉強し始めるかもしれない。しかし、特定の児童だけという点については、やはり、問題があります。他の二人の女子児童に対しても、出してあげればいいのでは?」

 「そこまでは、私にはできません・・・」

 「そうですか。ともあれ、今後、このような特別扱いを、義男君に限らず、誰に対しても、しないようにしてください」

 その日は、それで終わりました。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る