#32 やはり僕の家庭教師稼業はまちがっている。

おにしま詩乃しのの口から突如「俺ガイル」の話題が出てきたのには、少なからず驚いた僕、茂部もぶ凡人よしとだった。


「けど、きみって少年マンガだけじゃなくて、男子向けのライトノベルも読むんだな。


ちょっと意外だな」


「そうかしら。いまどきフツーよ。


こう見えても、わたしはバリバリのラノベ読みなんだから」


ドヤ顔で返す詩乃。


「でもさ、そういうラノベって女子が読んでもまるで共感出来ないんじゃないの?


たとえば、ハーレムラブコメとか」


「そうね、たしかにそのジャンルには作者の脳内妄想垂れ流しの、すごーく気持ち悪い作品が多いのも事実ね。


特にウェブで無料公開の小説サイトには、その手のばっかり」


相変わらず、物言いが辛辣しんらつな詩乃だった。


まぁ、言ってることはおおよそ間違っていないけどさ。


「でも、ちゃんとした商業作品の中には、オタクじゃない一般女性が読んでもまったく違和感のない良作があるのよ。


『俺ガイル』は、その代表と言えるわ」


「というと、どんなところが他と違うと思う?」


「男子の願望だけでなく、ちゃんと女子の考え方、価値観を踏まえた上で書いているところかしら。


たとえば、雪乃ゆきのたち女子が材木座ざいもくざのことを正直に気持ち悪いと思い、彼の書いた小説を理解出来ないとストレートに突き放してしまうようなところね。


作者のわたりさんはラノベ作家を目指す材木座に極めて近い立場でありながら、彼のことを決して擁護しない。身びいきしない。


それは、作者が自分という存在を、きちんと客観視出来ているからこそなんだと思うわ。


その一方で、海老名えびなさんの腐女子ふじょしっぷりを、若干茶化しながらもいちおう容認しているところもいいと思うわ。


男性視点に片寄らず、女性視点、女性の気持ちも大事にしている。


そんなところが女性読者にもちゃんと伝わっているから、ハンパなく売れるのよ。


「『キメ◯』がいい例だけど、大ヒットするような作品は、本来男子向けでもたいがい何割か、そう3割は女子の読者がいるものよ。


いえ、女子ウケの悪い作品はヒット出来ないとまで言えるわ」


いつになく目を輝かせて、熱く力説する詩乃だった。


「それにしても、小説以上にイラストのぽんかん⑧さんはマジで『神』よね。


渡さんも当初からぽんかん⑧さんのことをそうあがたてまつっていたけど、あれって絵師えしさんをおだてていい絵を書いてもらうためのただのお世辞とかじゃなくて、マジなリスペクトだったんだと思うわ。


ぽんかん⑧さんのスゴいのは、ただ上手いってだけじゃなくて、ストーリーが進み、深まっていくのにつれて、絵柄もどんどん変化していって、ヒロインたちを開始時よりも何倍も魅力的に書いているところね。


最初はわりと抽象画みたいなタッチだったのが、彼女たちが八幡の目に魅力的に見えてくるのにつれ、それに見事にシンクロして、巻を追うごとに絵柄もよりリアルに可愛らしく進化している。


そんな神絵師、ほかにいるかしら?


原作最後の13巻、14巻の引き出し口絵とか、もう見ていて鳥肌が立っちゃったわ。


当然、読書用・永久保存用と、2冊ずつ買ったわ。


もうゆきのん、可愛すぎ!


最後に八幡とゆきのんがデートした場面の『デレのん』には、わたしも尊死とうとししたクチよ。


最初の頃のねたような感じから想像もつかないくらい、可愛くなっちゃって」


もう、止めようがないくらいの怒涛の勢いで語りまくる詩乃。


尊死とかどこで覚えたんだよ、そんなスラング。


ヤバいスイッチ、押しちまったな。


と、ふいにその勢いが止まった。


にわかに口をつぐんだ、詩乃。


どうしたのかと彼女の顔を見やると、ほんの少し紅潮しているものの、いつものクールで落ち着いた表情に戻っていた。


そして、再び口を開いた。


「本当のこと言うと、わたしも『俺ガイル』のSSとか書いてみたいと思っているの」


ここで説明しておくとSSとはショートストーリー、すなわち短編小説で、著名作品を模した、いわゆる2次創作に多いスタイルだ。


「あの作品は、あれがもちろんベストな終わり方だったとは思うのだけれど、それは八幡はちまんとゆきのんに限った話であって、他の魅力的な人たちについてのフォローがまったく足りていないと思うわ。


たとえば、平塚ひらつか先生。


わたしは『俺ガイル』の真のヒロインは、彼女だと思っているの。


だって、八幡のひどい作文を読んで、彼の将来を真剣に心配して、彼をなんとか更生させようと思ったからこそ、このストーリーが始まったわけじゃない?


そこにあるのは、先生の八幡への限りない『愛』だと思うの。


一般的な『恋』とはちょっと違って、『愛』ね。


『俺ガイル』とは、平塚先生から八幡への愛を描いた物語なの。


彼女抜きの『俺ガイル』なんて、ありえないのよ。


その愛を八幡は先生に返すのではなく、ゆきのんにトスしていくことになるのだけれど。


でも、13・14巻にまたがった引き出し口絵で、八幡が花束を差し出した相手が平塚先生だったのは、よかったと思う。


あれは去り行く先生への謝意をあらわしているのでしょうけど、それだけでなく彼女からの愛へのささやかなお返しでもあったと思うわ。


それを神絵師は見事に表現している。GJ《グッジョブ》よ。


あと、終盤、バッティングセンターの片隅で八幡と先生が並んで話す場面があるじゃない。


あそこでいろいろ八幡への文句を紙ナプキンにゴチャゴチャ書いては消し、最後に『スキ』の白抜き文字だけが残ったところで、わたしは失神しそうになったわ。


と、とうとすぎる……。


それに対して、八幡は何もお返しが出来なかった。


わたしは思わず、『八幡、そこをどけ、わたしが代わりに先生にキスしてやるから!!』と、ツッコミを入れたものよ。


まったく、ニブチンで不甲斐ないヤツなんだから、八幡は。


でも、先生はそんな不器用な彼のことが好きで、ほっとけないんでしょうね。


わたしは、そんな報われない平塚先生のために、一編のSSを書くの。


時空を超えてめぐりあった比企谷ひきがや八幡と平塚しずかが結ばれる『バック・トゥ・ザ・フューチャー』ばりのロマンス・ストーリーを!」


うっとりとした表情の、詩乃。


「いやそれだと、ジャンル違いのファンタジーになってますけど!」というツッコミを、辛うじて飲み込んだ僕だった。


「あとはやはり、『隠れヒロイン』とも言うべき戸塚とつか彩加さいかね。


さいちゃんが、実はどのヒロインよりも一番可愛い。


これって衆目の一致するところだと思うの。


サウナのシーンとか、他の男どもに混じってひとりだけ、最後までバスタオルで胸まで隠してたでしょ。平たい胸なのに。


何あれ、チョー可愛い。


本当は『さいちゃんルートで決定!』でもよかったんだけど、それだと海老名さんしか喜ばないから、本編的には無理なのよね。


だから、代わりにファンがガチBLのSSを書いて、薄い本を作るしかないの」


「ガチBLとか薄い本とかいう単語、きみの口から出てくるとは思わなかったな。


頭がクラクラしてきた」


「このくらい、もはや一般常識の部類よ、モブ先生。


これしきで体調不良になっていたら、身体がいくつあっても足りないわよ」


それには返す言葉もない僕だった。


「最後は、表ヒロインや真ヒロインに対抗出来る唯一の存在、さしずめ『ラスボス』比企谷小町こまちちゃんよね。


新入生のくせして、しっかり奉仕部部長の座に収まっちゃうなんて、末恐ろしい子。


そんなアンファン・テリブル小町ちゃんが主役のSS、『お兄ちゃんは、わたしが全権掌握した!』をぜひ書いてみたいわね」


「それはそれで、一部のお兄ちゃん達には熱烈歓迎されそうな話だな」


「そう? じゃあ、ぜひそれも薄い本にするわね」


うーん、いよいよ頭の頭痛が痛くなってきたぜ。


「でもね、書く方はいいのだけど、ひとつだけ大きな問題があるのよ」


急に沈んだ表情になった詩乃に、僕は尋ねた。


「なんだい、問題って?」


「それこそ、作中で八幡が材木座に対して言っていたセリフでもあるんだけど、ラノベでは小説本編以上に重要なのは、誰がイラストを担当するかだと思うの。


絵師さんのイラストあっての、ラノベだと思うの」


たしかにそれは、間違いない。経験的にも知っている。


僕は黙って、それにうなずいた。


「実はひとり、わたしが少し前から注目しているアマチュアの絵師さんがいるの。


もう、わたしのストライクゾーンど真ん中な絵を描く人で、出来たらそのひとの絵でわたしのSSも飾りたいと思っていたんだけど……。


けれど、最近めきめきと腕前を上げて来て、ネットで大人気になったばかりか、大手出版社にも声をかけられてメジャーデビューすることになったらしいの。


そこでさらに人気が出たら、わたしのようなただのワナビーがイラストをお願いするとか、夢のまた夢になるんじゃないかと気が気じゃなくて……」


「そういうことか。どういう問題か、分かったよ。


たしかに、絵師さんがいっぱしのプロになってしまったら、われわれ素人には手が届かなくなる。


そう思うのも無理はないけどね。


でも、ネットのSNSとかよく観察していると、いわゆるプロの絵師さんでも気持ち的にはまだ半分くらいアマチュアみたいなもので、もちろんギャラとかは払う必要があるけど、作品内容に共鳴したら絵を描いてくれるケースが少なからずあるし、さらにはファンアートといって、特に気に入った作品には無償で絵を描いてくれる場合まである。


だから、あまり悲観することはないさ。


まずは、いい作品を書く、これに尽きるんじゃないかな」


「そう、なのかしら。


だったらいいけど。


それにしてもモブ先生、こういう事に妙にお詳しいですね。


経験がおありなのかしら?」


しまった。調子に乗って、あれこれ喋り過ぎたか?


「えっ、そ、そんなことないよ。


これぐらい、一般常識ってものだよ」


「そうかしら。フフフ」


いつのまにか「悪だくみモード」の冷ややかな笑顔に戻っていた詩乃だった。


そして、こう言った。


「そうだ。よく考えてみたら、どのみちいまのわたしには、創作をしている時間はとれそうにないわね。


まずは、受験勉強に集中しないと。


あー、残念」


「ハ、ハハ。そりゃ、そうだな。


そのこと、僕もすっかり忘れていたよ。


ハハハ」


苦笑いで答える僕だった。


しかし、『受験勉強に集中しないと』と言っている割りには、いっこうに始めようとしないな、この子は。


詩乃はやはり、僕を相手に好きなラノベやマンガの話をしているときが、一番生き生きとしている気がする。


だが、家庭教師として雇われた以上、僕はこんなことばかりしていて許されるのだろうか。


惑いは尽きない僕であった。(続く)

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