#08 愛と欲望の三題噺

おにしま詩乃しのに、あなたはまだ合格ではないと言いわたされ、僕はひどく面食らった。


「オーディションはまだ、半分も終わっていないわよ。


勘違いしちゃ困るわ、モブさん」


オーディション? そういや伯母さんもそんなこと言ってたけど、あれはマジネタだったってこと?


「今まではほんの小手調べ。これからが本番よ。心しなさい」


ドヤ顔で、詩乃はそう宣告した。その威圧感たるやハンパない。


だが、ここでひるんでは男がすたる。なめられる。


僕は反撃に出た。


「勘違いはきみのほうだ。さっき僕が言ったのはちょっとした言葉のアヤに決まってるだろ。


これできみの審査が終わりだなんて安心するほど、僕も甘ちゃんじゃない。


後半戦、受けて立とうじゃないか」


こうなったら乗り掛かった船、最後まで乗っからせていただくぜ。矢でも鉄砲でも持って来い!


そう思うと、僕はみょうにテンションが上がってきた。


詩乃は少しの間沈黙していたが、やがて口を開いた。


「じゃあ、始めさせてもらうわ。わたしの家庭教師役を希望するひとには必ずやってもらうことになっているのがこれ、三題ばなしよ」


どこから取り出したのか、詩乃はノートぐらいのサイズの、小ぶりのホワイトボードを手に持っていた。


それにマーカーを使って三つの単語を書き上げ、僕に見せた。


そこには、こう書いてあった。


「浴場 翼上 欲情」


なんかひとつ不穏な要素が混じっている気がするんですが気のせいですか。はぁそうですか、すみません。


「これはわたしがたった今考えついたばかりのホットワードよ。


この三つをすべて使って、五分以内に百字以内の三題噺を書くのが課題。


わたしも横で自分の回答を書くわ。もちろん、模範回答としてあなたに見せるために」


「たった今考えついたばかりの」は果たして本当だか怪しい話で、おそらく答えもあらかじめ用意したものだろうが、僕だけでなく彼女自身も答えを書くというのは悪くないやり方だと思った。


僕が書いた回答だけ、あれこれダメ出しされたのでは腹立たしいだけだが、彼女自身がお手本を見せてくれるというのなら、まあ納得がいく。


お手並み拝見と、いこうじゃないか。


文系学部生の僕は、わりと作文が得意なほうだから、そうそう並みのJKには負けないぞという自負はあった。


詩乃はよくキッチンに置いてあるようなタイマーまで用意して、時間をきっかり五分にセットした。


タイマー・スタート。


それぞれが二百字詰めの原稿用紙を持ち、対戦が始まった。


対戦相手が書いている回答を、覗き見するゆとりなどない。


ふたりともせわしなく鉛筆を動かして、マスの中に文字を埋める作業に没頭した。


ピピピピ……。タイマーが終了時間を告げた。


五分は、あっという間に過ぎ去った。


「はい、タイムアップよ。最後まで書き終えたかしら、モブさん?」


「ああ、何とかな」


「じゃあ、読み上げてちょうだい」


「はいはい」


自分の文章を読み上げるって、なんだか恥ずかしい気もするが、詩乃に促されるまま、僕は自分の原稿を声に出して読んだ。


【モブ原稿】


「自宅の風呂釜が壊れたので、僕はいま近所の公衆浴場に来ている。番台の親父は十年一日で今日も女性客をチラ見しては欲情してやがる。夕方には成田から発って翼上の客となる前に身を浄めておこうと来たのだがな」



これを聞いて、詩乃はこう反応した。


「ふぅん、なかなかこぎれいにまとめてきたじゃないの。


でも負けないわよ。わたしのは、これ」


そうして、自分の原稿を読み上げたのだった。


【詩乃原稿】


「知ってた? 公衆浴場って普通公衆浴場とその他の公衆浴場の二種あるのよ。後者は欲情の浴場とも呼ばれていて、鶴女房みたいに綺麗なお姐さんの翼上で男は昇天するらしいわ、知らんけど。そうよ苦情は受け付けないわ」


もう、ほぼほぼ下ネタ。

スレスレ、ギリギリのところを攻めてキター!


詩乃はこの一文を、まったく顔色を赤らめることなく堂々と読み上げたのだった。


そしてこうのたまった。


「じゃあ、講評してあげるわ。


モブさんのはお題は三つとも入っているし、字数も守っているし、文意も通らないところはないから、とりあえず及第点の70点は差し上げていいでしょう。


でも、綺麗に整っているだけという気がするの。


そう、ハートにアピるものがないのよ。


当たり障りなく、ソツなくやることに終始つとめてきたモブさんの、これまでの生き方をそのまま映し出しているような感じがするわ」


何気にキツいこと言っているよな、この子。


でもけっこうその通りの行き方をしてきた僕だから、「違うよ」とは反論しづらい。


「まず気になるのは、『ヨゴレ』の役目を自分でなく他人、つまり銭湯の親父さんに押し付けていることね。


たしかに、そういうエロい親父は銭湯に大勢いそうではあるけど、いい笑いの基本は、まず自分がヨゴレ役を潔く引き受けることにあるわ。


他人をおとしめて笑いにつなげるのでなく、自分を落として笑いを取る。


そうすれば、イヤミで後味の悪い笑いにならずに済むでしょ。


ここはできれば、モブさん自身がヨゴレをやって欲しかった。浴場で欲情するべきだった。


まずそこで減点。マイナス5点ね。


次に『翼上』を、飛行機の上と解釈して来たのはなかなかスマートなやりかただと思うけれど、この一文の中での使い方って単なる『辻褄合わせ』っぽい感じよね?


つまり、他の二つのお題とのつながりがゆるくて、そこに出さないといけない必然性が低いわ。そう思わない?」


そう言われて、書いている時もその欠点を意識していた僕は反論はできず、「まあ、そうかもな」と頭をかいたのだった。


「つまり、三つのお題にはたいていひとつ、他と異質なものが入ってくる、というか、意図的に入れるのがお約束。


この場合はもちろん、『翼上』がそれね。


どう工夫しても、あとのふたつとは木に竹を継ぐような感じでしかつなげられないわけだけど、モブさんの場合は限られた字数の中で、このあと飛行機で旅立つという主人公の置かれたシチュエーションを端的に説明しているわ。


とても綺麗で、無難な処理法だと思います。


さっきの減点分、こちらでは5点を加点してチャラにしてあげる。


でも、ただそれだけ。

 

つまり、その流れには想定外のオチ、意外な伏線回収はないから、それ以上の加点は出来ないの。


ということで、モブさんの回答は、総合的にはギリギリの及第点、70点というところかしら。


さて、わたしの回答についてだけど、もうわたしの持てる限りのスキルが散りばめられた、珠玉の文章よ。


そうね、志賀直哉か鬼ヶ島詩乃かというぐらい。


まず、最初の文からしてツカミが強烈でしょ。


いきなり『知ってる?』って問いかけから入るなんて、常人の為せる技じゃないって感じよね。

もう、明石家さんま師匠の、妖怪知っとるケも真っ青でしょ。


次の文はちょっと長くて説明調なのがやや玉にきずだけど、そのかわり見てみて(と言って詩乃は自分の原稿を見せびらかす)。


『浴場』というお題が三度も使われているのよ。スゴくない?」


ズコー(僕の心が転倒した音)。


「ちなみにわたしの三題噺ルールでは、お題を繰り返し使うとポイントが二倍、三倍になるの。次の文も合わせれば四回『浴場』を使ってるから、ポイント四倍よ。

よって20点加算ね」


どんなローカル・ルールだよ、それ。


「それから、『欲情の浴場』ってのも最高に語呂がいいでしょ。しかも意味も通っている。


やっぱりこの二語は重ねて韻を踏んでこそ生きて来るのよね。

モブさんみたいに別々に使ってちゃまだまだね。


そういえば、『インをふむ』ってちょっといやらしい響きがあるわね、メモメモっと。後でどこかで使うわ」


そんなん知らんわ。


「それから、鶴女房以下のくだりはなかなか文学的でしょ。


ことに鶴を選んだあたりに、わたしの高いセンスを嗅ぎとってほしいわ。


なぜなら、鶴といえばJ✖︎Lのマークでしょ。

飛行機の翼と、鶴の翼というダブルイメージが、読む者には浮かんでくるわよね。


『翼上』というお題も、『浴場』というお題とうまくつながっているでしょ。


つまり、ともに『場所』として重なりあっているの。


これはモブさんより技あり、じゃないかしら。

ここでも5点加算よ。


あと、『昇天』という表現も空を駆ける鳥のイメージに通じているの。見事でしょ。


これぞまさに、連歌や俳諧にも通じる文学上のテクニック。

わかるひとにはわかるはずよ」


いないと思うがな。


「でも、そこまで書いて来て、ちょっと年頃の乙女としては過激な表現をしちゃったかなー、これじゃあお嫁に行けないかなーという思いも一方ではあったので」


あったんだ、多少の恥じらいは。


「そこで関西人ノリで、軽いオチをつけてみました。それが『知らんけど。』ね。


そして最後の一文。これは、われながら秀逸だと思うわ。


つまりお題がもう一回、隠し味のように入っているのよ。


『そうよ苦情』、『そうヨクジョウ』って」


ドッカーーーン!!


やられました。完膚なきまでにやられました。


「もうこれは、ボーナスポイントをあげていいところだと思うの。


というか、あげます。今、わたしが決めました。


10点加算ね」


もう、ボーナスポイントだろうがなんだろうが、好きにしてくれい!


「ということで、この対戦は技術点テクニカルポイントが圧倒的に多かったということで、わたしの完全勝利です」


ドヤ顔で、宣言されてしまった。


この一方的というべき勝利判定にいろいろ申し上げたいことはあるものの、僕は何から言ったものか決めかねていた。


そんな様子の僕を見て、詩乃は言った。


「んーん、なにかご不満の様子ですね。どうやら」


そりゃどう考えても、詩乃に有利過ぎるに決まっているじゃないか。


詩乃が考えたお題で噺を作らされ、しかも講評するのも詩乃自身。


勝ちようがない。


そのことを、彼女はわかっているのだろうか。


僕は思いを特に口に出すでもなく、彼女の目を凝視した。


詩乃から先ほどのドヤ顔は消え、もとのフラットな表情に戻っていた。


「わかってますよ。このまま対戦を終わりにしてしまうほど、わたしもアンフェアな人間ではないつもりです。


わたしが決めたお題、わたしの判定だけでは、モブさんも納得がいかないでしょう。


そこでですが、公平を期すために、今度はモブさんに出題権を差し上げたいと思います。


講評も、モブさんにやっていただきます。


そうすれば、モブさんも不利な戦いを強いられることなく実力を発揮できるでしょ。


まぁ、どんな出題をされてもわたしのほうは大丈夫ですけどね。


再戦でも、わたしの実力のほどをわかっていただけると思いますよ」


いたってまともな提案だった。


ふぅーむ、詩乃は彼女なりに「公平さ」というものについてちゃんと考えていたのだな。


そして、僕にリベンジの機会を提供したいといってくれた。


ただの身勝手なわがまま娘ではないってことか。


僕は少しホッとして、ようやく口を開いた。


「望むところだ。リトライといこう」


それを聞いて、詩乃は軽くうなずいた。


「了解しました。では、五分差し上げますので、お題をさっさと決めてください」


え、たった五分しかくれないの?


相変わらず、自分のペースで事を進める詩乃だった。


遠慮のかけらも、ありゃしない。


が、めげている場合ではない。


今度こそは彼女をへこましてやろうと、僕はさっそくお題の作成に取りかかっのだった。(続く)

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