第4話 誰でも食べやすいサイズに!




「ハイ! すいません私はダメです! ダメな男です!」


 夕食後。

 夜勤に出ようとすると、親父がスマホに向かって土下座しているのが目に入った。相手は多分本部の偉い人。


 俺が見ているのに気付くと、親父は赤い目をカッと開いて威圧してきた。

 肩をすくめ、散らばった請求書を踏みながら玄関を目指す。


 家を出ると強雨。

 傘を差す前に俺のスマホが震えた。



レイネ:【悲報】明日



 ?


 ああ、明日で付き合ってからちょうど一月じゃないか?


 ロックを解いて何か送ろうとすると、先に次が来る。



レイネ:【悲報】明日からハードモード







 翌朝、教室に来たシミズは誰に対しても口をかなかった。


「ベロ消えた?」


 彼女の友達が聞いても首を横に振るだけ。

 普段なら何か話しに俺のとこに来るが、今日は自席に鎮座ちんざ

 だから、クラスの連中は俺の背中を押してシミズの前に立たせた。


「よ」


 無言、眉一つ動かさない仏頂面。


「体調悪い?」


 首を横。

 しげしげ全身を眺めてから俺は結論を出した。


「つまり。すごく機嫌悪い?」


 縦。


「そう、今日からの僕は愛想ゼロ。誰のどんな言葉にも気さくに笑ったり、下手を打ってもフォローしたりしない。感情を無くしたの」


「え……」


 と、シミズの友達、他には誰も喋らない。

 クラスの連中はお互い目配せして、自分の席に戻って行こうとした。


 俺は息を吸う。


「じゃあ、後は誰が笑わすかだな!」


「う」


 シミズの反応に連中はハッと振り向いた。

 教室に活気が戻る。


「一番、人間ポンプやります!」


 お調子者が騒ぎ出し、大喜利の始まり。

 シミズは毎回ピクピク反応していて、確かにハードそうだった。






 

 その日以来俺は自分からシミズに絡みに行くようになる。



くまできてるぞ」



「今日頭スゴいな、鳥の巣じゃん」



「朝からニンニクかよ、歯磨けば」



 返事はいつも素っ気ない。



「今日からは三時間しか寝れないから」



「アイロンかけ無きゃこんなもんだから」



「もう気にしないから」



 誰に対してもそんな感じ。

 シミズの周りは急速に静かになっていく。

 六時のサイレンが鳴ったかのように皆彼女の元を去り、そのまま戻らない。

 そして俺一人になった頃、シミズは背が高いだけのどこにでもいる女子になっていた。







「いらっしゃいませー、あ」


 夜闇よやみから入店したシミズはマスク越しに息が荒く、上下するスウェットの肩が雨でびしょ濡れだった。


「大丈夫か、この辺治安良くないだろ?」


「……や、夜間徘徊やかんはいかいするようになったから」


「危ないよ」


 息を整えると、彼女は誰もいない店内をぐるっと巡り出す。


「何か用」


「買い物に決まってるじゃん」


「わざわざうちに?」


 返事は無くて、レジの前に来ても手ぶら。


「シミズ、聞いていい? 前から思ってたんだけど……」


「一つ」


 彼女の白くて長い人差し指が天に向かって突き立てられる。


「聞きにくいこと教えてくれたらいいよ」


「何?」


「サパタくん、いつも平気な顔してるよね。クラスのみんなからバカにされても、僕と無理矢理付き合うことになっても、僕が嫌な奴になっても、泣きボクロが飛んでいくのを見ても、いつも同じ顔。どうして?」


 レジを隔ててシミズの真顔からはどんな表情も読み取れない。


「大人だから」


「いつ大人になったの?」


 俺は足元を見ながら言葉を考える。


「うちの親父は悪い奴じゃないけど怒ると必ず手を上げるんだ。母さんでも、俺相手でも。十一の時、うんこ漏らして早退した日の晩、妹が俺をからかった。『おい、うんころ餅』、頭に来て俺は妹を殴った」


「それで?」


「母さんが妹を連れて家を出てった。俺は思わず『親父はいいのに俺はダメなのかよ』って聞いた。母さんは『お前の中に父さんがいるのに耐えられない』と。それから俺は少しもカッとしたり泣いたりしなくなった」


「……」


 シミズは黙りこくり、しばらくしてから口を開いた。


「なんだ、ビニ弁彼女に暴力彼氏か。お似合いだったんだ、私達」


「俺はもう誰も殴らない」


 そう言って顔を上げると、彼女はもういない。







「やあ」


 その三日後の練習中、シミズはフラッと現れた。

 顔は青ざめて足取りは覚束おぼつかない。


 俺はギターを放り、彼女に駆け寄る。


「今日で最後なのか?」


 俺に抱えられて胸元から「そう」とか細い声。


「前の、教えてくれ、シミズのこと。何が好きで何が嫌いで、何が辛くて、何におびやかされ――」


「違うよサパタくん」


 彼女はわずかに首を振る。


「美味しくなって新登場。ステルス値上げ。シュリンクフレーション。これはみんなが望んだことなの」


 視界の隅でVo.が手を大きく振った。

 俺を置いて練習が再開。


「そのまま値上げしたら誰もが他の商品を買う。だから容量を減らしても同じだと言い張るしかない」


 カウントが終わり、Ba.が弓を引くと馬頭琴Batoukinから重厚な旋律。

 激しく打ち鳴らされる銅鑼Doraのビート。


 この曲は。


「いや。容量が多いと、カロリーが多いから食べきれないから、と避けられてさえしまうかも」


 『テゴンドルジ将軍』、モンゴルでは誰もが知ってる名曲。


「シミズ……」


 将軍は遠くカザフの営地えいちから漢人の寵姫ちょうきを想うが、戦乱に引き裂かれ、二人は別々に果てた。


 Vo.が深く息を吸い、その哀切を喉歌ホーミーで奏でる。


「変わらないままだったらもっと早く倒れていた。その時はサパタくんも『ふーん』と伏した僕を通り過ぎていたことでしょう」



 ンン゛ユ゛エ゛ェェェェェェェェェェェェェェェェーーーーー




「わかる? 全部必要性があってこうなったんだよ」



 オ゛ヨ゛エ゛ア゛ァァァァァァァーーーー

 イ゛ヨ゛ョョョン゛ァァーーーー



「俺と付き合うことも必要だったのか?」



 ア゛ア゛ァァァア゛ア゛ァァア゛ーーーー 

 ヤェリヤェリヤェリヤェリヤェリヤェリヤーーーー



「ごめんね」


 俺はシミズがどこにも行かないよう強く抱き締めた。



 ウ゛ユ゛ュュイ゛ィイ゛ィイ゛ィィイ゛ィイ゛ィィィィィィーーーー




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