第5話 魔女に会いに行こう

 注文の受付が始まる前にもかかわらず、学食1階のテーブル席は既に結構な数の学生で埋まっていた。ここはいつでも無料でお茶が飲めるため、休憩所代わりに使う者が多いのだ。

 加えて、今の季節は冬。

 クソ寒い屋外や講義棟の廊下ではなく、エアコンが効いた学食内でゆっくりと次の講義までの時間を潰すという輩も多いのだろう。

 基本的に人間嫌いの俺はあまりここを訪れないので、こんなに早い時間から混雑するとは知らなかった。

 こうなれば仕方がない。俺は屋上のテラスに上がって粕谷かすがやを待つことにした。

 今日も今日とて空はどんよりと白く曇っている。

 天気予報では週末あたりに雪が降るとか降らないとか言っていた。

 気が重い。雪を無邪気に喜べなくなったのはいつからだろう。

 風がないので思っていたほど寒くはないのがせめてもの救いだったが、予想通り、粕谷は30分ほど遅れて到着した。


「オレ今日は自主休講の予定だったんですけどー」

「まあまあ、とりあえず飲みなよ。俺のおごりだから」

「え、いいの? やったー」


 俺が勧めた紙コップ入りのお茶を、粕谷は一息で飲み干した。

 こいつよく他人から出されたものを何の疑いもなく口にできるな……。


「キンキンに冷えてやがるんだけどこれ」

「おかわりもいいぞ……下の学食でいくらでも貰えるから」

「これ無料タダのやつかよ!」

「紙コップで気付け。そして冷めたのはお前が来るのが遅いからだぞ」

「それは悪かったけどさー、しょーがねーだろー、全身筋肉痛なんだから」

「俺も同じだわ。全身がありえないくらい痛い」


 まあ昨日は慣れない登山をしてからさんざん異界を歩き回った挙げ句、限界を超えた全力ダッシュをかましたのだ。そりゃ筋肉痛にもなる。

 粕谷は30分前の俺と同じように、いかにも尻が痛そうな滑稽こっけいな動きでプルプルしながら椅子に座った。なんか座る時めっちゃケツ痛いよね……よくわかるわ……。


「くそー、珍しく友紀ゆうきが優しいと思ったのに騙されたぜ……。そんで、今日はなんでオレ呼び出されたの?」

「それな……粕谷、ここに何か見えるか?」


 俺は今日の本題に入るべく、テーブルの上を指差して言った。


「んー? なんか……コインっぽいのが転がってる……?」

「やっぱ見えるか。そしてなぜかこいつはさわれない」


 ぼんやりとしたコインっぽいものを指でつまもうとするが、すり抜けてしまう。


「あっ、本当だ。すげえ。どうなってんの?」

「多分これ、異界の何かだと思う。粕谷はここに来るまでにわけわからんものを何か見なかったか? 小さいおっさんとか」

「小さいおっさんは見てないけど……ああ、そういや学食の中に入ったらなんかやけにカラフルなゴミっぽいものがやたらと落ちてるのは見たかも」


 粕谷が髪をくりくりいじりながら話している最中に、テーブルの上のコインっぽいものはよいしょと起き上がると、3本の足でどこかへ歩いていってしまった。


「カラフルなゴミってなんだよ」

「さー? パーティの飾り付けかなーとか思ってスルーしてたけど、生き物っぽく見えなくもなかったな。……つーかあいつ今、足生えてどっか歩いてった?」

「歩いてったなあ」

「……なんなん?」

「だから異界の何かじゃないかって。昨日の今日でいきなり見えるようになったってことは、絶対昨日のことと関係あるだろうと思ってさ」


 俺は半分ウソをついた。いきなり見えるようになった訳ではなく、今までもぼんやりとそれっぽいものは見えていたのだ。

 しかし、今朝になって急にそいつらの姿がハッキリと見えるようになった。いや、見えるどころか音まで聞こえるようになって、俺的にはそっちの方が大問題だった。

 まーとにかくうるせえったらないのだ。昨日の件で疲れ果ててたから昼まで寝てようと思ってたのに、騒がしくて寝てらんないくらいうるさい。

 しかし、粕谷が来てからは音は聞こえなくなった。蛇一の兄貴が言っていた通り、こいつが近くにいれば俺は異象への抵抗力をある程度高められるのだろう。

 まあ、だからといって四六時中こいつと一緒にいるわけにもいかないのだが。


「粕谷、ちょっと蛇一の兄貴に連絡取ってくんない?」

「え、オレ? 別に連絡取るのはいいけどさー、友紀が自分で電話すればよくね? 名刺貰ったじゃん?」

「うーん……スマホがちょっと……アレで。壊れちゃって」

「えっ壊れたん? そりゃヤバい」


 苦し紛れの口からでまかせを粕谷はあっさり信じてくれたようで、自分のスマホを取り出してくるくる操作しはじめた。

 なんてチョロ……いい奴なんだ。そもそもスマホが壊れてたら、まずお前を呼び出すことができないだろうに。

 俺が黒い笑みを浮かべていると、突然俺のポケットがヴーと振動した。

 スマホを取り出して見ると、それは意外なことに蛇一の兄貴からの着信だった。

 一応名刺を貰った日に番号だけ登録はしておいたのだが、兄貴は俺の番号をどうやって知ったのか……まあ、恐らく粕谷にでも聞いたのだろう。


「はい」

『おお、得間うるまか?』

「そうっす」

『俺だ。昨日はおつかれさんだったな』

「いえ……どうも」

『ちょっと異象いしょうを体験させてやるつもりが、まさか異界まで行っちまうとは思わなかった。危険な目に遭わせて悪かったな』

「いえ。むしろ粕谷のバカが先に無茶なお願いしたせいなんで……つーか異界に行ったのもこいつのせいなんで、むしろこいつが謝るべきっつーか……」


 そういえば、異界に行ったインパクトで忘れていたけれど、あの死体は結局どうなたのだろう。俺たちが放り出された異界には死体袋はついて来なかったから、無事に自分の故郷へと帰ったのだろうか。


『ん、今そこに粕谷もいるのか?』

「はあ、まあ」

『ちょうどいい。今日電話したのは昨日のことと関係あるんだが……お前たち、何か変わったことはないか? 変なもんが見えるようになったとか』

「ありますねえ……今まさにそのことで連絡しようと思ってたんで……」

『やっぱりそうか。俺たちのような商売をしている人間でも、実際に異界に足を踏み入れた経験のある者はそう多くないんだが、一度でもそっちに行ったことがある奴は、多かれ少なかれ異象への親和性が増す。得間、お前は特に影響を強く受けるかと思ってな、念のため連絡してみたんだ。粕谷から番号を聞いたんだが、一緒にいるならその必要もなかったな』


 やはり番号を教えたのは粕谷だったか……いや、まあそれはいい。

 蛇一の兄貴がわざわざ俺の方に直接連絡をくれたということは、この状態を放置するのはやはりよろしくないのだろう。なんだか面倒臭いことになりそうな予感がするが、一生騒音トラブルを抱えて生きていくのはまっぴらごめんなので、俺は今の自分の状態をできるだけ詳しく話すことにした。


 しばらくてから通話を切ると、粕谷が頬杖をつきながらこちらを半目で見ていた。


「どうした、カマボコを逆さにしたみたいな目して」

「スマホ壊れてないじゃん」

「あー……なんか直ったわ」

「嘘つけ! なんで俺に電話させようとしたんだよー!」


 さすがに騙されてはくれないか。

 仕方ない、ごまかすのも面倒くさくなってきたので本当のことを話そう。


「昨日の今日で兄貴に頼ったらさー、なんか法外な対価とか要求されそうじゃん? だから粕谷からのお願いって形なら、俺は見逃してくれるかなーと思って」

「な、なんてクズな奴なんだ……」


 珍しく粕谷がドン引きしていた。

 しかし粕谷にクズ呼ばわりされるとは心外だな。合理的と言って欲しい。

 ……まあそもそも俺が電話が苦手というのもある。知らない人にいきなり電話かけるとかマジ無理。兄貴は知らない人じゃないけど、それでもキツい。なんかいつも黒くて怖いし。だから社交性のある粕谷に頼むのは適材適所だと思うんだよな、うん。


「まあいいじゃん。兄貴これから来てくれるらしいし」

「あ、今の電話やっぱ兄貴だったんだ。こっち電話中でつながらなかったし……え、なに、来てくれるって? なんで?」

「さあ?」

「えーこれさー、また山とかに連れてかれるパターンじゃないのー? オレもう登山したくねーよー」

「いや、山には行かないだろ……」


 たぶん行かないだろ。行かないと思う。行かないんじゃないかな。

 ……まあ一応覚悟だけはしておくか。


「なんか異象の専門家? 兄貴たちの親玉? みたいな人に会わせてくれるんだって。魔女とか言ってたけど」

「ほう……魔女ですと?」


 魔女という単語に粕谷が食い付いたのは、こいつが今ハマっているマンガのせいに違いない。

 昨日の経験で、フィクションの異世界とマジの異界は全然別物だって分かっただろうに……まだ剣と魔法のファンタジーを諦めきれずにいるらしい。

 まあ俺も、魔女とか名乗っちゃう奴がどんな人物なのかは少し気になるけど。


 それから10分も経たないうちに兄貴の車が迎えに来た。

 昨日も思ったけど、この人ヒマなのかな……。


 すっかりその乗り心地にも慣れた黒塗りの外車は、幸いなことに山道へと向かうことはなく、市街地のやや外れへと進んでいった。

 駅から伸びる大通りの裏側、いわゆる風俗街と呼んでいいのかどうか微妙なところだが、そこそこ治安の悪そうな一角にその古いビルは建っていた。

 焼肉、整体、歯医者、なんだか分からないピンクの看板、ヨガ、お好み焼き……

 雑多なテナントが詰め込まれたビルの目の前にあるコインパーキングに車を止めて、俺たちはそのビルのエレベーターに乗り込んだ。

 兄貴が丸い押しボタンの4を押すと、不安になる音を立てながらエレベーターが動き出す。見たこともない古いエレベーターはとても狭く、蛍光灯が切れかけていた。

 チン、と音がしてドアが開くと、目の前にすりガラスの扉があった。


『星野探偵事務所』


 兄貴に続いてその部屋に入っていくと、薬とカビの臭いと共に、ハスキーな声が俺たちを出迎えた。


「ようこそ、星野探偵事務所へ。あたしがここの所長であり、このあたり一帯の異象関連を取り仕切っている【融和の魔女】ことぉ、星野スターフィールドだ」


 向かい合ったソファの奥にある大きな木製の事務机の上に、マンガでよく描かれるような黒いローブと黒いとんがり帽子を見に付けた女性が、行儀悪く足を組んで座っていた。

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