第9話 退職職員を送る会
1983年3月下旬 よつ葉園集会室にて
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養護施設では、年度末の3月ともなると、退職する職員が何人か出るものである。そこが「職場」であるということを考え合わせれば、そんなことは当然、どこの会社でも役所でもあることではある。年度末以外の段階で入退職が発生することも時にはあるが、それがある程度まとまって発生するのは、やはり年度末と年度初め。
さて、養護施設というところは、事情があって暮らす子どもたちの「家」という要素も兼ね備えている。職員だけの世界なら別に問題はないし、まあ、送別会の一つも居酒屋などで行えばよさそうなものだが、職員が日常不断に接する子どもたちが絡んでいるとなれば、学校以上に、きちんとした挨拶をお互いしなければならない。
この日よつ葉園では、昼過ぎから、「退職職員を送る会」が行われた。すでに春休みに入っているので、特に用事があって出席できない高校生を除き、中学生以下の子どもたちがすべて、その会に参加した。昨年春に園長に就任したばかりの大槻和男元児童指導員が園長として年度末に退職職員を送る会を迎えたのは、このときが、初めてであった。
この年度末には、3人の女性職員が退職することになっていた。1人は栄養士、もう2人は保母であった。3人とも、新卒で就職して長くて4年。うち2人は結婚のため、もう1人は結婚準備のためというのが、その理由であった。結婚準備に入る女性職員は栄養士だが、中学時代の同級生でよつ葉園の元児童である男性との結婚話がすでに進んでいる。
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その会は、よつ葉園の管理棟の2階にある集会室で、昼過ぎに始まり、1時間程度の予定で進められた。まずは大槻園長が退職する職員をそれぞれ紹介した。その後、退職する職員たちが各々、この職場、もといこの「家」で、数年来この地で経験したことを感慨深く述べていく。それぞれ、思うところはいろいろある。尽きることのない思いを抱えつつ、彼女たちは、子どもたちと同僚らに感謝の意を述べ、一人一人と握手を交わした。
「もう、この地に来ることは、一生、ないかもしれない」
そんな思いで、この集会を迎えている退職者もいた。この3人のうちには、実際、その後この養護施設よつ葉園という「元職場」を訪れていない人もいる。
朝昼晩と、単に仕事としてだけでなく、生活の場としても過ごしてきたこの地を去ることになる彼女たちは、そんなことを思いながら、集会室のこの場で最期の時を過ごしていた。大槻園長も、彼女たちに思うところは多々あった。まして、この行事としては園長就任後初のもの。全責任もって職員の退職を受理したのは、今回が初めてであった。
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会もたけなわ、大槻園長が、閉会の挨拶をしようとした。
そのとき、「事件」が起こった。
ある退職する保母が、ちょっとした「ヘマ」をしたのだ。
思わず、笑いが起こった。その笑いを起こした者の中には、いささか、嘲笑めいた笑い方をした者もいた。大槻園長は、その「笑い」を、心底から許せなかった。
「誰だ、こんな場で笑ったのは!」
突如として鬼のごとき形相になった大槻園長は、笑った子どもたちに挙手を求めた。
数人の中学生男子が手を挙げた。
「こらおまえは! 何を考えているのだ! 時と場所を考えろ!」
彼はそう言いながら、手を挙げた男子児童たちを怒鳴りつけながら、順番に蹴り、そして殴った。彼らは殴られ、相次いで、集会室の床へと叩きのめされた。
彼らはさすがに、神妙にしていた。せっかくの「お別れの会」は、思わぬ「汚点」を残してしまった。
特に笑ったわけではないが、その光景を見ていた中学生のZ少年は、何が起こったのかと、冷めた目で、殴る園長と殴られる同級生たちを横目に見ていた。
「どっちも、どっちや。アホらしゅうもない」
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大槻氏が園長を退任して後の2018年秋、Z氏は、久しぶりによつ葉園を訪れた。ちょうど、毎年恒例の「よつ葉園まつり」が行われている日だった。
あの時は、一体何が起こったのか、よくわかりませんでした。まあ、私自身は、ほほえましく笑うぐらいのことはしたかもしれませんが、あざ笑うような笑いは、確かに、あの場面では、問題だった。
大槻さんが彼らを殴ったという行為は、確かに褒められたものではないですが、あの時代はそれが普通だったと言えば、確かに、そうだった・・・。
既に園長職を退任し、理事長専任となっている元園長は、当時の自分よりすでに10歳以上年長になっている元児童のZ氏に、しんみりとした口調で答えた。
いやあ、Z君、あれは、若気の至りだった。
私が殴った子どもらの中には、すでに死んだ者や、行き倒れになった者もおる。
もちろん皆、あんたも知っとる子らじゃ。
もう時効ではあるが、あんな行為、今どきやったら、当然「アウト」だわな。新聞に叩かれて、行政が騒いで、もう、うやむやにする余地さえなくなった。
そんな時代じゃ。世の中、良くも悪くも、変わったなぁ・・・。
もっとも、私も年を取ったから、そういうことをしてくれと言われても無理。
子どもらに返り討ちにでも遭うのがオチじゃ・・・。
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