第5話:理科と社会科のお話


 理科なんて嫌いだ。社会科も嫌いだ。


 私は何回、これらの言葉を言ってきただろう。

 多分、給食で2個目のプリンをジャンケンもせずに諦めた数よりは多いだろう。


「……ぃや、普通ジャンケンくらいするでしょ。友達はみんな笑うけど。……ってだから、心の中を見るな!」


 わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まったに申しつけました。中学一年生。食い意地が可愛い年頃です。


「理科と社会科、どっちも嫌いですか?」


 わたくしは御主人様に聞きました。


「大嫌い。宿題が2つ被るとか意味分かんない」

「提出、間に合いそうですか?」


「無理。絶対無理。もうぃい。宿題やめた。漫画読む」


 どうせ読むならカクヨムにしてあげたらどうですか? と、わたくしは心の中で繰り返し呟いてあげます。


「……しかし御主人様。理科と社会が両方苦手となると、学校の結構な割合が退屈になりませんか?」

「退屈だよ。だから給食のプリンに人生賭けてるんだよ?」


「……人生、賭けてるんですか?」

「ぅん。……ちょっとだけ盛った」


 さんざん悩んだ末に、根が良い子な御主人様は、暗記帳のページをめくりました。


「ぁうー!」


 そして突っ伏しました。


 歴史上の偉人や、出来事とその年号。理科の公式や、物質の名前。プリン並みにユルユルな御主人様の脳味噌は、とっくにキャパオーバーでした。


「……ゲロゲロ吐くよ遣唐使。りかちゃん あせって げろはいた。……社会も理科もゲロ大好きかよ!」

「中学生にはそのくらいがちょうど良いんですよ」


 894年は、菅原道真が遣唐使を廃止した年。りかちゃん~のやつは、流紋岩、花崗岩、安山岩、閃緑岩、玄武岩、斑糲岩を覚える呪文です。


「ぅがー!! もぅやってられるか!!」

「ちなみに、高校地理ではケッペンの気候区分が、高校化学では、イオン化傾向と元素周期表が待ち構えていますよ」


「ぅあう。結局どっちも暗記科目なんじゃない!」

「暗記は便利ですよ。覚えれば何でもできますから。……でも、そういう勉強ってつまらないですよね」


 わたくしは咳払いをしました。


「実は暗記以外にも、学問に共通する学び方があります。今回は、そのことについて小話をしましょう」

「……ん。暗記しないで済む勉強法があるなら、ちょっと聞きたいかも」


 珍しく、御主人様が興味を示しました。


「暗記の対極に、という考え方があります」

「ひはん……?」


「平たく言えば、教科書を疑ってかかるということです」

「……それじゃあ、授業が成り立たないんじゃないの?」


「そうです。だから、批判を使った勉強は小中高ではほとんど行われません。これは仕方のないことであり、反面、残念なことでもあります。批判を使った勉強は、大学に行って“研究”というものをやり始めるようになると、重要になってきます」

「随分と気の長い話だね。大学とか、行くかどうかも分からないのに……」


「他人事だと思って気楽に聞いてみてください。……本来、勉強や教科の親分である学問と、この批判という考え方は、切っても切れない関係にあります。それは、理科や社会も例外ではありません」

「……例えば?」


「理科で言えば、昔、天動説という理論がありました。これは、地球を中心に太陽や他の惑星が回っているという考え方です。」

「……それを言った人って、ひょっとして私よりバカなんじゃないの? 私でも、地球が太陽の周りをグルグルしてることくらい知ってるよ?」


「これが驚くなかれ。人類は、天動説を1500年以上もの間信じていたんです」

「1500年!」


「他にも、似たような例はけっこうあります。空間はエーテルという媒質で満たされているという理論は、古代ギリシアの哲学者アリストテレスが唱えて以来、2000年以上もの間、姿形を変えて生き残り、最終的にアインシュタインが否定するまで残存しました」

「ひげもじゃのおじさんからあっかんべーのおじさんまで……」


「このように、通説や常識を疑うことが、しばしば科学を発達させてきたのです」

「なるほど。それは分かったよ」


「歴史の場合はもう少し厄介です。歴史学の場合、細かい内容はかなり頻繁に見直されます。これは、歴史家が二重の批判を試みているからです。分かりやすく説明するために、御主人様の日記を引き合いに出してみましょう」

「……私の日記?」


「例えば、御主人様が夏休みに書いた日記を、1000年後の歴史家が見つけたとします」

「それってどういう状況!?」


「歴史家は、御主人様の汚い文字で書かれた日記を史料として検討します。例えば、御主人様は夏休みの日記にどんなことを書きますか?」

「……スイカ食べたとか、花火見たとか。海に行ったとか。そんな感じ?」


「夏休みの日記は全部で40日ぶんあります。ネタが尽きた御主人様は、テキトウな内容も混ぜながら書いたはずです」

「ぅん……まぁ、確かに。おやつのガリ●リ君をハー●ンダッツって書いて特別感を出したり、金魚すくいで1匹も取れなかったのに、デメキン4匹すくったって書いたり……。だいたい、日記なんて夏休みが終わるギリギリの頃に纏めて書いてるから、日付とか天気とか、かなりいい加減になってるよね……」


「歴史家は、まず史料を疑ってかかります。人間は自然に比べてテキトウで、嘘つきですから、そもそも史料が本物なのか、本当のことを言っているのか、批判しなくちゃいけないんです」

「大変そうだね……」


「さて。歴史家は御主人様の日記を元に、21世紀の日本で暮らしていた女子中学生の全体像を推測します。例えばその結果『21世紀の日本で暮らしていた女子中学生はみんな遊んでばかりで、ぐぅたらで、勉強ができない人々だった』と結論づけたとします。31世紀の人々はこれを受け入れ、世間には“21世紀の女子中学生はみんなぐぅたら説”が流布します」

「さすがに心外だよ! 私を全JCの代表にするな!」


「他の歴史家も、御主人様と同じように考えます。これが二重の批判です。歴史家は反論の根拠を探すべく、別の女子中学生の日記を調べたり、御主人様が例外的にぐぅたらな子であった痕跡を見つけたりします」

「ちょっと納得がいかない……けど、これも現代日本に生きる全JCの名誉のため……」


「ある新史料には、勉強ができて、真面目で、規則正しい生活を送った女子中学生の姿が書いてあり、他にも、似たような女子中学生の史料が発見されたとします。この時、最初の歴史家が唱えた“21世紀の女子中学生はみんなぐぅたら説”は否定されます」

「良かった……」


「こんな風に、二重の批判を通じて、歴史というものは語られていきます」

「ぃやー、今日の小話は心臓に悪かったよ……」


 御主人様は机に突っ伏して、伸びてしまいました。


「未来に誤ったJCのイメージを残さないように、御主人様も今から勉強に励んでみたらどうですか?」

「ぇえー……。……。……私はね、勉強しなきゃいけないっていう常識を批判的に考えているんだよ。ぅん。そうなんだよ」


 御主人様は、単語帳を鞄の中に放り込みました。


「であれば、そのぐぅたらな日常にも疑問を抱いてみたらどうですか?」

「ぅうー……。何から何まで疑ってたら、神経擦り切れちゃうよぅ……」


 御主人様の言葉には、一理ありました。


 批判に囚われ、疑問に取り憑かれた学者先生の方々は、世間から偏屈に見られがちです。

 それは学者先生の宿命であり、ある種の勲章であり、同時に避け難い課題でもあります。


 程良い塩梅。適度なバランス。

 言うは易く行うは難しですね。



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