第2話:数学のお話②

 数学なんて嫌いだ


 私は何回、この言葉を言ってきただろう。

 多分、親に言ったありがとうの数よりは多いだろう。


「……こら。1話目の冒頭を使い回さない。紛らわしいでしょ」


 わたくしの所有者様……否、御主人様は、この小棚に収まったに申しつけました。中学一年生。大した適応力です。


「数学、嫌いですか?」


 わたくしは御主人様に聞きました。

 風呂上がりの御主人様は、それはそれは可愛らしいピンクのパジャマを着ていました。


「嫌い。こないだは、何か良い話っぽく纏められて騙されたけど、私の数学嫌いは全然治ってないからね!」

「ツンデレですね」


「デレてないよ!」

「毎晩、ベッドでわたくしの頬にキスしてるじゃありませんか」


「!!」

「……御主人様イジリはこれくらいにして。今日は、数学の補習授業にしますか?」


「補習とかいらないから。この問題の答え教えてよ。提出明日なんだ」


 御主人様は、私に問題集を見せてきました。

 図形の問題でした。内角にAとかBとか名前が付いていて、垂直とか、平行とか、補助線とか、そういうのを駆使して解くアレです。


「わたくしはもぅ老眼で……」

「3年前に買い替えたよね!」


 実は、わたくしの体は5代目なのです。

 初代から先代までは、真空パックに包まれて物置に安置されています。


「……答えは教えられませんが、その代わりに数学の小話をしましょう」


 わたくしは咳払いをしました。


「……古代ギリシアに、ユークリッドという数学者がいました。彼は『ストイケイア』という数学についての本を書きました。彼はその本で、数学は5つのから成り立っていると言いました」

「私が今まで覚えた公式とかって、軽く5つとか超えてると思うけど?」


「御主人様が勉強している公式や定理といったものは、“命題”という概念です。今わたくしが言っているは、“公理”または“公準”という概念です。①2点を結ぶ線分は一つ。②線分は直線にいくらでも延長することができる。③任意の点を中心とした任意の半径の円を描くことが出来る。④直角は全て互いに等しい。⑤2直線と交わる1つの直線が同じ側に作る内角の和が180度より小さいとき、その方向に2直線を延長すれば、2直線はどこかで交わる。の5つが公準です。特に、⑤は19世紀まで熱い論争が戦わされた興味深い公準なのですが……」

「……さてはラビちゃん。また私に催眠術をかけるつもりだね? このこの、……」


 御主人様はわたくしの頭を人差し指でつつきました。


「こほん……話を戻します。何はともあれ、ユークリッドはこの5つの性質を組み合わせることで、他のあらゆる数学的な定理を導くことができると考えたのです」

「それって本当なの?」


「大変面倒な話なので、割愛します。……でも、数学が“組み合わせ”を大事にしているのは本当です。例えば、四則計算を思い出してください」

「足す。引く。掛ける。割るの4つだよね」


「『2』と『3』を組み合わせたら『5』ですよね。これが『2+3=5』です」

「ぅん」


「『2』と『-3』を組み合わせたら『-1』ですよね。これが『2-3=-1』です」

「ぅん。負の数だよね」


「『2』を『3回』組み合わせたら『6』ですよね。これが『2×3=6』です」

「ぅん」


「『6』は『2』が『3個』組み合わさってますよね。これが『6÷2=3』です」

「なるほど……」


「図形は点の組み合わせ。公式は記号の組み合わせです。数学は、組み合わせ無しには語れないんです」

「んん……」


「何か、質問はありますか?」

「……納得はできたけど、別に、数学が好きにはならないかなぁ……って」


「そうですか? ……」

「もう寝よっかな……」


 御主人様は問題集を放り出すと、わたくしを持ち上げました。


「御主人様?」

「今日も一緒に寝るよ」


 御主人様は、ふかふかのベッドに背中を沈めました。


「……ラビちゃんを買い替えるときにさ、何日か、ラビちゃん無しで寝たんだけどさ、怖い夢とかいっぱい見て、他のぬいぐるみとか抱きまくらも試したんだけど、全然ダメで。……ラビちゃんと一緒に寝ると、怖い夢とか見ないし。……だから」


 御主人様は、柔らかい腕と胸でわたくしを抱き締めました。


「組み合わせって大事だなって。……」

「御主人様……」


「それだけ! じゃあ、お休み」

「お休みです」


 わたくしも、御主人様と一緒にいると落ち着きます。

 数学も安眠も、組み合わせが大事ということですね。



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