傾国の魔女と亡国の竜

著:フランジャス


 あなたは知っているだろうか。傾国の魔女のことを。

 傾国の魔女?傾国の美女ではなくて、魔女? と思うかも知れない。

 古今東西に美女の噂は絶えないものだが、本当に国を傾かせた女といえばそうはいない。


 魔女の名前はキャストラ・ヴァルナルド。

 出自は至って普通だった。ダフネス公国のよくある労働人の家に生まれた。家はそれなりに豊かだった。手先の器用な父は銀細工師のところで雇われ人として働いていた。満足に食えていたし、それなりの貯えもあった。たまに父が買ってくれる砂糖菓子がキャストラの好物だった。

 どこか他と違う点といえば、それはただ一つ。キャストラはあまりに可愛らしく、美しかったことだ。金の髪、青い目、柔らかな白い肌。吐息は薔薇色に色づいていたとさえ言われている。

 幼いキャストラが広場で子供たちと駆け回って遊んでいたところ「まるで天使が一人混じっているようだ」と誰かが言った。天使のように可愛らしい、ではなく。まさしく天使がいたのなら、こんなふうではないだろうかということだ。異論はひとつもなかった。


 幼き日のキャストラは惜しみなく注がれる愛を受け、よく笑う明るい少女に育った。遊び友達の少年たちは当然のように彼女のことが好きだった。彼女の潤む瞳で「お花が欲しい」と言われたら束にして贈ったし、形のいい唇が「甘いものが食べたいな」と紡げば小遣いをかき集めて露店に走った。友達を小間使いにするキャストラの返礼はいつもこれと決まっている。笑顔で「ありがとう。大好き!」と、それだけで少年たちを虜にした。我が物顔で男の子たちを使う小さなお姫様を見て、近所の女の子たちはいい気がしなかった。「いっつも笑ってにこにこして、人にして貰うばっかりで、あんなの子犬と同じだわ」

 つまるところやっかみだ。かわいい子ほど嫉妬される。


 とある日こういうことがあった。キャストラは人気のない場所で女の子たちに囲まれていた。よくある光景だ。気に食わない者を呼び出して物申すなり打ちのめすなり、そういうことだ。

 女の子たちのまとめ役らしい子がキャストラに言葉を突き付ける。

「あら、キャストラ。今日は一人でどうしたの? いつもの男の子たちはいないの?」

 白々しい台詞を投げかける。キャストラは綺麗な顔を凍らせて内心はしまった、と思った。なにも裏を考えずにのこのことやってきてしまったのだ。

「キャストラってさ、なんだか自分が一番偉いって思ってるみたいよね」

 キャストラは顔と同じくらい心がひきつっていくのが分かった。どうしてこんな……こんなこと……と、胸のあたりがざわざわした。あることないこと大勢の女の子たちに言われ、言い返せもせず茫然と立ち尽くす、今は仕方がない、今日は我慢していよう。喧嘩になったらこの人数だ。勝てっこないのだ。怪我でもしたら最悪だ。父と母がきっと心配するだろうし、痛いのも大嫌いだ。


 散々なじられてそろそろ涙が零れそうになった頃、キャストラの胸に広がっていくものがあった。ざわざわと広がる不快な気持ちとは別に、ぐつぐつと沸きあがるような熱いものがこみ上げてくる。

 どうしてこんな……。強く、そう思う。

「だいたいキャストラは自分で何にもしないじゃない。いっつも男の子にやらせてばかりで、もしかしてお姫様のつもりなの? 笑っちゃうわ」

 ぐつぐつ、ぐつぐつ、またひとつ温度が上がるのが分かった。

「愛想振りまいて馬鹿みたいに笑って、誇りはないのかしら? 」

 気付けば、心は十分に煮立っていた。怒りで煮込んだスープみたいにドロドロが体中を巡っている。

「そもそも、そもそもよ。キャストラって別にたいして可愛くないわ。わたしお城に行ったことあるの。舞踏会で踊ってる女の子に比べたら全然よ。みーんなキャストラよりずっと可愛かったわ。それにあんたって――」

 あんたって、言いかけて止まる。キャストラの形相に思わず言葉を飲み込んだ。

 矢で射抜かれるような鋭い視線が、キャストラの蒼玉のような目が射殺さんばかりに敵意をもって相手を睨みつけていた。


 「わたしより可愛い子なんて、いるわけないじゃない」


 傲慢の極致を口にする。キャストラは激怒していた。

 自分の態度や振る舞いをぐちぐち言われるのはまだいい。愛想をよくして優しくしてもらうのが気持ちいいのは事実だ。すり寄ってくる馬鹿犬みたいだと言われても、よしとしよう。だが、容姿を馬鹿にされるのだけは我慢ならない。


 「カボチャみたいな顔したあんた達に、可愛くないなんて言われたくない!」

 キャストラは続ける。

 「わたしみたいな子がお城にいっぱい居るって? 嘘よ! 絶対に嘘! わたしより可愛い子なんてこの国にいるはずないもん! ジョージもアスタもヴェルゴもピートもみんなわたしが一番可愛いって言ってるもん!」


 ピートの名を口にした時、まとめ役の女の子が少し嫌な顔をした。キャストラは口の端を釣り上げる。そうか、そういえばビスティはピートのことが好きだった。これで存分に仕返しできる。

「ねえビスティ。ピートの話してあげよっか? ピートってすごく優しいの。彼ってとっても器用でね。花冠を作るのが上手なの。いくつもいくつも作ってもらったの。それをわたしの頭に乗せてこう言うのよ。「キャストラは本物のお姫様みたいだねって」あぁ、ビスティ。でも安心して。ピートはいい人だけど、優しいだけの男なんて興味はないから。そのうちビスティにあげるから、良かったね、ビスティ」

 出来るだけ屈託のない笑顔でそう言った。まとめ役のビスティはみるみる顔を真っ赤にさせていく。

 ピートの話を浴びせるようにぶつけてやる。池で釣りをしたこと、お菓子を買ってもらったこと、歩き疲れたからおんぶしてもらったこと。そのどれもがビスティに突き刺さった。キャストラの仕返しはビスティにだけではなかった。取り巻きたちのそれぞれの好きな子がいかに自分に惚れているか説明してやる。既にこの頃から心を掴む技の片鱗をキャストラは見せていた。何人かの子が泣き出した頃、興奮と共に畳みかけるように言い放った。

「ざまあみろ不細工ども! あんたらの恋を邪魔してやる! あんた達がいくら頑張ったってわたしがニコって笑えばそれで終わりなのよ!……芋みたいな顔してよくも私を可愛くないなんて言ったわね。必ず後悔させてやる。許さない、絶対に、今日のこと、よく覚えていなさいよ。あんた達が好きになった人、一人も残さずわたしが奪ってあげる」

 勢いで言い出した前半に比べ、後半にはどすのきいた威圧感があった。

 反論はなかった。そんなこと出来っこないと誰も言えなかった。憤り、怒りで目を見開いた姿でさえ、キャストラは曇りなく美しい。一人残らずなんて悪魔のようなことを言うのに、どこまでも、いっそ魔的なまでに可愛らしい。指先でちょいとつまみとるように実現させてしまうのではないか。そう思ってしまう。


 「ふざけけるなよクソ女!!」

 もはや言葉で敵わないと見たビスティが詰め寄って頬を打った。乾いた音がパン、と鳴る。

 キャストラが今日一番の激高を見せた。顔をはたかれるなんてあっていいはずがない。天使とまで形容されるこの顔がはれ上がったらどうするつもりだ。すかさず平手をお返しする。それから二人は叩いて蹴って組み合ったまま転げまわった。周りの子たちは参加しなかった。鬼の形相で噛みつきあう二人に割って入る勇気は出なかった。

 息も絶え絶え、お互いの服も髪も存分に乱れたところで決着は着いた。

 ビスティがキャストラを組み伏せるように馬乗りになっている。これではよほど体格に差がないと挽回は厳しい。

 「あんたの負けよ。キャストラ」

 肩で息をして絞り出すような声だった。

 「どいてよ」

 対するキャストラの声も疲れ切っていた。

 「負けを、認めなよ」

 ビスティが見せつけるように腕を振りかぶる。負けましたと言わなければいくらでも打つ気だ。

 キャストラが奥歯をぎしりと噛みしめる。悔しさは言うまでもなくありありで。口が裂けても言いたくない様子だった。しばらくの沈黙の後、宙にあるビスティの手が動き出そうとした時、叫ぶような声が出た。

 「やめて!」

 頬に当たる寸前で手が止まる。

 「もう叩かないで。わたしの負けよ。……負けました」

 それを聞いてビスティは満足げに鼻を鳴らした。ゆっくりとキャストラから降りて、もう用はないと取り巻きを引き連れこの場を去ろうとした時、

 「今日はわたしの負けでいい。こんなの、喧嘩なんて、男の子がするものよ。どうだっていい」

 「へえ、それで?」

 「……明日、覚悟してなさい」

 ビスティは「あっそ」と言い、去っていく。所詮負け犬が吠えているだけ。キャストラの口から「負けました」と言わせてみせたのだ。それがどれだけ気持ちいいか。明日になったらキャストラはなにをしてくるだろうか。喧嘩になったらまた自分が勝つだろう。口でなんと言われようがまた平手打ちを見舞ってやればいい、そう、思っていた。


 翌朝、ビスティは家の手伝いで日課の水くみに出ていた。

 汲み終わって家に帰ろうとした時に、誰かが自分を呼んでいることに気づいた。この声はピートだ。心臓がとんっと少し跳ねた。キャストラに構ってばかりの彼が自分からやって来るのは珍しい。

 「どうしたのピート?」

 なにかおかしなところはないだろうか。水くみの瓶を降ろして手櫛で髪を整える。父に買ってもらった髪留めをしておけばよかった。褒めてくれたかも知れないのに、そんなことまで考えていたら思わぬ事を言われた。

 「なあビスティ。お前キャストラをいじめただろ!」

 えっ、と戸惑うだけの声が出て、固まる。

 ピートの声色は疑いようもなく怒りを含んでいた。

 「嘘つきとか泥棒とか、火をつけて遊んでたって言いがかりつけてさ、勝手なこと言うのやめろよな!」

 頭が真っ白になる。なにそれ、わたしはそんなこと言ってな――。そう言おうとして気付く。

 ピートの後ろに誰か居る。彼の肩越しに顔を覗かせるその女の顔は。

 「ねえピート。ビスティってひどいの。わたしそんなことしてないのに……」

 目一杯、いじらしく、可愛らしく、庇護欲を掻き立てさせるように弱弱しく、蒼玉のような目に溢れんばかりの涙を貯めて、キャストラはピートのそばに立っていた。

「まってピート!わたしそんなこと――」

「聞いてピート。ビスティってひどいの。私はビスティのこと大好きなのに、わたしに意地悪ばっかりするの。わたしは、仲良くしたいのに……」


 ピートにすり寄って、顔を近づけて、ねだる子犬のように彼へ身を寄せて。

 「離れろ!くそ女!」

 思わずかっとなってキャストラへ掴みかかる。あと三歩あればこのくそったれの髪をひっつかんで平手をかましてやれるというところで、寸前でキャストラが笑った。

 弾かれるようにビスティが後ろへ倒れた。ピートが横から突き飛ばしたのだ。してやられた。ピートはビスティの話を真面目に聞く気はないだろう。恋は盲目、キャストラが言うことにうんうん頷いて、ご機嫌をとることしか頭にないのだ。まさかこんな仕返しだとは、夢にも思わなかった。


 「やめろよビスティ! なんだってキャストラを嫌うんだよ! こんなにいい子をさ。仲良くすりゃいいだろ。女同士で喧嘩なんてするなよ」

 こんな悔しいことがあるだろうか。好きな男の子に突き飛ばされ、その男は泣き真似をするクソ女の頭を撫でて、泣きやまそうと必死だった。この女の心中もなにも知らないくせに、昨日のことを言ってやりたい。衝動に駆られるがそれは出来ない。何をいっても自分の心象を下げるだけだ。頭ではわかっている。だからこそやり切れない。突き飛ばされて水くみの瓶がひっくり返ってびしょびしょだ。だからこれは涙じゃない。今ここで、絶対に泣いてなんかやるものか。ビスティの限界が近い。

 キャストラが泣き真似をやめて、ピートと二人でどこかへ歩きだそうとした時、ふと彼女は思いついたように踵を返す、ビスティの目の前まで来て彼女に耳打ちする。


「これからピートとお花畑に行って彼に花冠を作ってもらうの。わたしはいらないから、ビスティにあげるよ。嬉しいでしょ?」

 ビスティの限界がぶち切れる。ふざけるなと叫んで大振りで思いっきり、ほとんど殴るように打った。

 この頃のキャストラは人の心の限界というものを知らなかった。

 まだ幼き彼女の若き経験だ。

 傾国の魔女と言われるその力の一角こそ見えているものの、子供の喧嘩で済む可愛らしい時期もあったのだった。

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