撮鉄娘!

十六夜涼聖

撮鉄娘!

「一番ホームご注意ください、電車が通過します」

 列車の接近を知らせるアナウンスがホームに響いた。

 朝の小田急江ノ島線の善行駅。多くの人が利用するこの駅に二つあるホームはどちら側も通勤通学の人でごった返している。

 人々が足早に行き交う、そんな忙しい朝の時間に一番ホームとは反対側の二番ホームの先端でカメラを構えている制服姿の少女がいた。

 カメラ女子ブームや鉄女ブーム、親子鉄ブームなどを経て、鉄道写真を撮影する女性の姿はあまり珍しい姿ではなくなっていた。

 学校でも写真部で鉄道写真を撮る女子学生は珍しくないどころか、鉄道研究会にも女子学生の姿が多くなり、肩身を狭くした男子学生が部室の隅っこでおとなしくしているなんて話も聞かれるようになった。

「よし、来る」

 少女は慌ててファインダーを覗き込んだ。遠くに見える光の点が徐々に近づいてきている。

 ファインダーを覗きながら細かくカメラを上下左右に動かした。決めていた構図で撮影するために、ファインダーに映し出された景色を合わせている。

 ファインダーの左端から中央部に光の点が移っていくにつれて光の点が大きくなり、だんだんと列車の形に見えてくる。

「小田急8000形、来た」

 ファインダー内で車両の形式を確認し、少女は呟く。

 列車がファインダーの中央からファインダー内いっぱいに収まった時、少女は「今だっ」と心につぶやきながらシャッターを押した。

 カシャッとシャッターが下りる音と共に、カメラからシャッターが動作した振動が手に伝わってきた。

 少女はファインダーから目を上げると、撮影していた列車が少女の横を通過していった。

 撮影した列車を横目に見送ると、カメラのプレビューボタンを押し、撮影した列車を表示させた。

 拡大表示ボタンを押し、カーソルで車両前面を表示させて車両前面の撮影具合を確認する。

 満足できる写真が撮影できたらしく、少女の表情が緩んだ。

「うん、おっけ!」

 少女はつぶやきながら軽くうなずいた。


「結衣っちー。今日も善行駅で朝練してたのー?」

 放課後、写真部の部室で二人の少女が話している。

「そうね、8000形が来たらいいなと思って撮ってた」

 そう言いながら結衣っちと呼ばれた少女、腰越結衣はカバンの中からカメラを取り出した。

 カメラの電源を入れるとボタンを押し、今朝撮った写真を表示させてもう一人の少女に見せた。

「奈々だって早起きして撮ればいいじゃない」

 結衣はカメラを奈々と呼んだ少女に手渡した。

 彼女、石上奈々はカメラを受け取ると、カメラの操作ボタンを押しながら結衣の撮った写真を眺めている。

「この8000形、いい感じだよねー。でも光線が微妙かなー? どの画像も曇りだよねー」

 奈々はカメラ背面の液晶画面に映し出された写真を見ながら言った。カーソルを押すたびに映し出される写真が変わるが、どの写真も曇天で撮った画像だ。

「んーそうね。あそこって晴れだと側面は逆光だし、線路沿いの建物の影もかかっちゃって微妙のかなって。だから今日みたいな曇り空がいいのかなって」

「でもさー、順光でビシッとバランスよく収めて激Vって感じじゃない?」

 奈々はカメラの液晶画面に映し出された写真を指差しながら言う。映し出された写真は編成が画面の中で左側に寄っているようにも見える。

「それはトリミングでどうにでもなるかなって」

「えー、トリミングー?」

 奈々は結衣のトリミングという言葉に反応して嫌そうに声を上げた。

「こういう話になるといつも思うんだけども、奈々は撮影時にフレームいっぱいに編成を収める撮り方が好きだよね」

「んー、トリミングって何か負けた気がしないー?」

 カメラを操作して結衣の撮った写真を拡大や縮小させながら奈々は言う。

 本当は撮った写真をそのままプリントさせたいのだが、写真部の活動で提出する作品を用紙に合わせてトリミングするのが嫌だとよく言っている。

 奈々と同じような考えの人は一定数いるようで、インターネットのブログに掲載された写真を見ていると「トリミング済み」という文字が添えられているのをよく見かけたりする。

「トリミングの話は銀塩時代からある論争らしいから。善と悪の話になっちゃうと難しいのよね」

 結衣は以前に気になってトリミングについて調べたことがあるが、その論争が銀塩写真の時代から続いていると知って驚いたことがあった。善も悪もなく、本人の思うところに因るのだろう。

「そうだー。結衣っち。月例の課題、そろそろ準備しなくちゃだよねー」

 カメラを手渡しながら奈々は言った。どうやら今朝に結衣が撮った写真を一通り見終わったようだ。

 結衣と奈々が所属する花旗台学園女子高校の写真部では月末になると毎月月例の作品発表会がある。

「そうね、今月は何を撮りに行こうか」

「んー、たまには電車乗ってちょっと遠くまで行ってみたいなー。そう言えばひろみん来ないねー」

 カバンの中から時刻表を取り出すと、ページをめくりだした。

「そうね、今日は広海ちゃん遅いわね」

 奈々から渡されたカメラをカバンにしまいながら結衣は返した。

 広海と呼ばれた少女は同じ写真部の1年生の柳小路広海のこと。結衣や奈々と同じ写真部内の鉄道班に所属している。

「掃除当番があったとしても、そろそろ来ると思うんだけどなー。もしかして先生に呼び出されちゃってるのかなー?」

「広海ちゃんは奈々じゃないんだから」

 笑いながら言う奈々に対して結衣は呆れながら返した。

「すいませーん。遅くなりましたっ!」

「お、噂をすれば、だねー」

 一人の少女が慌てた様子で部室に入ってきた。

 結衣たちの前まで来ると頭を深々と下げた。

「広海ちゃん、今日は遅かったのね」

「はい。掃除当番だったんですけども、ゴミ箱のゴミ捨ての途中でゴミ箱をひっくり返してしまいまして……。ばら撒いてしまったゴミを掃除するのに時間がかかってしまいました……」

 広海は申し訳なさそうに言う。結衣と奈々はかける言葉が見つからず、顔を見合わせた。

 今回のような話はたびたび聞かされていたし、結衣や奈々もいろいろとばら撒いて慌ててかき集めている広海の姿を見たことがあった。

 そのような広海の姿を見るたびに「マンガのようなドジッ娘って本当にいるんだ」と結衣は素直な感想をふと思っていた。

「ひろみん来たし、今月の月例課題をどうするか決めようかー」

 奈々は部の備品置き場から白紙を一枚持ってきて、机の上に置いた。

 ペンを持つと奈々は白紙の上部に「今月の月例活動」と書いた。

「えーと、どうしましょうか……」

 奈々の書いた題目を見ながら広海は唸る。

「結衣っちは何かあるー?」

 急に意見を求められた結衣は何かを喋ろうとしたが、口を半開きにしながら声にならないような声を出している。

「んー、その感じだと結衣っちもすぐに出るようなアイデアはないってことでいいよね?」

「えっ、そうね……」

 二人がすぐに出る意見がないのを確認した奈々はスマートフォンを取り出して操作を始めた。

「えっとね、ここに行ってみたいなーって思っていてねー」

 奈々はそういいながらスマートフォンを操作を続ける。

「どこか有名な撮影地とか?」

「うん、そんな感じかなー? あったー」

 奈々はスマートフォンの画面を指しながら二人に見せた。

 ネットの画像検索の結果のようで、画面には田園風景と小田急の車両が写った写真が沢山映し出されている。

「これはどこかしら?」

 小田急の車両が映っているので小田急沿線ってことまでは分かるが、画面を見て具体的な場所が分からなかった結衣は奈々に聞いた。

「開成駅の近くだって。これだけの田んぼが広がっているところって一度は行ってみたいなーって思って。どう?」

 奈々は楽しそうに言うが、画像検索の結果で表示されているものの多くは秋口の撮影したのか、色づいた稲穂が一緒に写った写真ばかりだ。

 それ以外のものだと田植え前の水鏡の写真がほとんどなので、今日現在の六月中旬ではどういう風景がるのか結衣はイメージできなかった。

「奈々、今の時期だとどういう写真になるの? 見てると田植え前か実ったころの写真が多いように見えるけど?」

「えっ? あー……、ちょっと待って?」

 結衣の指摘に奈々は慌ててスマートフォンを操作し始めた。

 結衣もなんとなく写真で見たことがある場所だったので、有名な場所だろうというのはすぐに分かった。

 だからこそ奈々は行きたいと言ったんだろうと思ったが、この時期にはどのような状況なのかという所までは考えていなかったようだ。

「んー、こんな感じなのかなー」

 そういいながら奈々は二人にスマートフォン画面を見せた。

「稲が順調に育っていれば青々とした雰囲気なのかもー。ただ、このあたりは田植えが遅いみたいだから、ここまでの青さになるかは微妙みたいでー」

 画像を何枚か拡大して奈々は二人に画像を見せる。稲が大きく育って葉がふさふさとしているもののあれば、田植えからそんなに育っておらず田んぼに張った水が見える写真もあったりしている。

「そうね……、六月も真ん中ぐらいでしょ? 田植え当時よりも多少は育ってるでしょうし、これはこれでいいのかもね。広海ちゃんはどう思う?」

 結衣に意見を求められ、広海は大きくうなずいた。

「こういう田んぼの風景っていいと思いますよ。このあたりの電車に乗ってもこういう風景って見たことないですし」

 田んぼの風景が気に入ったのか広海は目を大きくして嬉しそうに答えた。

 広海は鉄道そのものには二人ほど興味はないが、風景がきれいな場所には惹かれるようだ。

「じゃあ決まりね。ここまではどうやって行こうかしら?」

「ちょっと待ってー」

 手に持っていた時刻表を奈々はパラパラとめくり始めた。こういう話の流れになることを見通して時刻表を手にしていたのかと

「三五〇四列車から一二二九列車でー」

「ちょっと奈々、それじゃ分からない」

 列車番号で待ち合わせ列車を指定する奈々を慌てて結衣は止めた。広海もよく分からずポカーンとしている。

「えー、ちょっと待ってー。ひろみんは本鵠沼で結衣っちは湘南台だっけー?」

 最寄り駅を聞かれ、結衣と広海はうなずいた。

「ひろみんは本鵠沼を八時〇四分の各駅停車に乗って藤沢で快速急行に乗り換え。結衣っちは湘南台を八時一九分ねー。あーそうそう、一番前で待ち合わせねー。その方がわかりやすいと思うからー」

 奈々は時刻表を指でなぞりながら二人の乗る列車の時刻を読み上げた。二人は各々のスマートフォンを取り出すと操作して乗車時間をメモをした。

「じゃあ決まりねー。藤沢先輩と鎌倉先輩に月例の活動予定を報告してくるー」

 そういうと奈々は写真部の部長と副部長である藤沢先輩と鎌倉先輩の方へと小走りで向かっていった。


「結衣っち、おっはよー」

 湘南台駅八時一九分の二番ホーム、結衣はやってきた列車に乗ると奈々と広海が運転士の背後を陣取っていた。いわゆる「かぶりつき」をしている。

「おはよう。一番前って聞いた時点で薄々気づいていたけど、やっぱりそういうことなのね」

 結衣の言葉に奈々は「いひひー」と歯を出して笑った。

「広海ちゃん、眠いの?」

 広海が浮かない表情をしているに気づき結衣は声をかけた。広海は結衣の顔をじっと見つめると、ため息を吐いてがっくしと肩を落とした。

「藤沢が始発だから座席空いてるのに、奈々先輩ここでかぶりつくって聞かないんです……」

 広海の言葉に結衣は思わず「あー」と声を漏らした。

「これから写真を撮り行くんだから、沿線の状況とか分かっておきたいなーって。お、ワイドドア1000形の各停だー」

 二人の会話を聞いていた奈々が前を向いたまま言った。会話をちゃんと聞いていてその会話に入り込んでも、かぶりつきは止めないようだ。

「そうね、まぁ……」

 結衣は奈々に何かを言いたかったが言葉が見つからずごもごもとしている。

「快速急行だから長後駅も通過なんですね」

 広海が声を上げる。窓の外に視線を向けると列車は長後駅を通過していた。

「これなら相模大野まであっという間ね」

 長後を通過した列車はそのまま高座渋谷、桜ヶ丘も通過していった。

「そういえば、今日の天気は良くないみたいたけど大丈夫?」

 結衣はそういいながらスマートフォンを操作し、天気予報のサイトを開いた。

 午前中は曇りの予報だが、午後は一時雨の予報になっている。

「大丈夫だと思いたいよねー。雨雲レーダーのアプリ入れてきたから時々は見てみようと思うけどもー」

 奈々はスマホを指差しながら言うが、視線は運転席から見える車窓を見つめたままだ。

「へぇ、そんな便利なアプリがあるのね」

「腰越先輩、私も雨雲レーダーのアプリ入れてますよ」

 広海はスマートフォンを操作して、雨雲レーダーアプリを立ち上げて結衣に画面を見せた。

「今は雨雲はなさそうですね」

 関東地方の地図が表示されているが、特に雨を示すような表示は画面上にはなかった。

「このまま天気が持つことを祈りたいものね」

 窓の外に目をやると空は分厚い雲に覆われているが、それほど暗くはないのですぐには雨が降るということはなさそうに見える。

 三人の乗った列車は大和、中央林間と停車して相模大野に止まった。

「ここで小田原方面の列車に乗り換えるよー」

 列車のドアが開くと奈々はホームに下りた。結衣と広海は奈々の後に続いて降りた。

「小田原方面って反対側のホームなんですよね。こうやって乗り換えるのは初めてかもしれないです。あ、相模大野で列車から降りること自体が始めてかもです」

 物珍しそうにあちこちを見ながら広海が楽しそうに言う。

「そういえば途中で思ったんだけども、大和で相鉄線に乗り換えれば早かったんじゃないの?」

 階段の上りながら結衣は思い出したかのように奈々に聞いた。

 何度か家族に連れられて大和で乗り換えて海老名へ行った記憶があったので、大和に到着したあたりから結衣の中でずっと引っかかっていた。

「んー、あたしもそう思って調べたんだけども、あんまり変わらないみたいなんだよねー。料金的には相模大野経由の方がが安いからここで乗りかってわけ。確かにショートカットするように見えるんだけどもねー」

 意外な答えに結衣は「へー」と声を上げた。

 結衣たちは二番ホームに下りると八時五二分発の急行小田原行きを待った。

 もちろん奈々に言われるがまま、列車の一番前になる部分で待っている。

「そういえば、ホームに下りた時に小田原行きがいましたよね。急げばさっきのに乗れたんですか?」

 乗車位置に並んで待ちながら広海が訊いた。

 三人が小田原方面の二番ホームに降り立った時に急行の小田原行きが止まっていたが「次ので行くから」という奈々の一言で特に急がずに列車を見送っていた。

「んー、急げば間に合ったかなー。でも一番前に乗ってて慌てたくなかったし、ここからも一番前に乗りたかったから予定通りだよー」

「まぁ、そういうことだと思っていたけど……」

 予想通りの奈々の答えに結衣はそれ以上の言葉が出なかった。

「あー、電車来ましたね」

 ホームに列車の接近を知らせるアナウンスが流れると小田原行きの急行がホームに止まった。

「3000形の一〇両編成だねー」

 列車を見るなり奈々が言った。

「奈々先輩、何で分かるんですか?」

 先頭車両しか見ていないのになぜ3000形の一〇両編成と分かったのか不思議に思い、広海は訊いた。

「それは乗ってからねー」

 列車のドアが開き、降りる人を待ってから三人は小田原行きの急行に乗り込んだ。

 もちろん奈々は運転士の真後ろに立ってかぶりつきを始めた。

「ひろみん、さっきの質問だけども、そこに車号板が付いてるの分かるー?」

 奈々は運転台の上の部分を指差した。「3493」と書かれたプレートが付いている。

「はい、3493と書かれたプレートですね」

 広海はうなずきながら答えた。

「この車両の前面にもあの数字が書いてあるんだけどー、3000形の中でも3093とか先頭の車両に90番台の数字が付く車両は3000形の一〇両固定の車両なんだよー」

「へー、奈々先輩はそういうのを全部覚えてるんですか?」

 広海は驚いた素振りをするが何のことだか良く分かっていないようで、目をぱちぱちさせながら声を上げた。

 列車は大野総合車両所の横を走りに抜けて小田急相模原駅、相武台前駅を通過していった。

「もうちょっと行った所なんだけど、左側に並木があるの分かるー?」

 相武台駅を過ぎて少し経ったところで奈々が左前方を指差した。

 奈々が言うとおり線路際に葉をつけた木が何本も並んでいる。

「あそこは小田急の撮影地でも有名な場所の一つでねー。右側にフェンスがあるでしょー。あそこに並んでみんなで撮るみたいでー。えーと、ちょっと待ってねー」

 奈々はそう言いながらスマートフォンを取り出して操作し、表示された一枚の写真を二人に見せた。

 満開の桜の木を背景に編成が丸ごと収まったロマンスカーが映し出されていた。

「これはさっきの場所かしら? 確かに見たことあるような写真ね」

 結衣の言葉に広海もうなづいている。広海も見たことがある写真のようだ。

「うん、そうー。撮り鉄の人が季節になると沢山集まるし、小田急の広報用写真としても時々使われてたと思うー」

「桜の季節に来てみたいですね」

「そうね、ちょっと先の話だけども、ここは来てみたいわね」

 結衣と広海は写真を眺めながら言った。

 列車は座間駅を通過して海老名に停車。相模川を渡って本厚木、愛甲石田、伊勢原と停車した。

「ここの田んぼはどんな感じかなー?」

 伊勢原を発車してしばらく行くと、線路の両側に田んぼが広がった場所に出た。

「両脇とも田んぼでいい感じに見えるけど、ここも有名な撮影地だったりするのかしら?」

 伊勢原の手前にも田んぼが広がる一帯があったが、そこよりも撮影しやすそうに奈々は感じた。

「開成や栢山ほどではないけど、ここも撮影者は多いみたいだよー。今年のロマンスカーカレンダーの入賞作品もここで撮影したものが入ってたしー」

「そうなのね。って言ってるうちに通り過ぎたね」

 列車は鶴巻温泉、東海大学前と止まり、秦野盆地に入っていく。

 このあたりの区間は急行列車でも各駅に止まっていく。しかし、駅間が長いからか藤沢近辺で各駅停車に乗るような煩わしさはあまり感じなかった。

 秦野、渋沢と停車して列車はトンネルを抜けた。

「ここからがすごいよー?」

 奈々が声を上げる。

 今までの区間とは奈々のテンションが違うことを察し、結衣と広海も乗務員室越しに車窓を眺めた。

 進行方向の左側には山がすぐ近くまで迫っている。今までにはない風景だ。

「すごいですね。これも小田急線なんですね……」

 あまり遠出をしたことない広海は小田急というと街中を走るイメージしかないようで、小田急線が山の中のような場所を走ることに驚いている。

「おー、撮影者がいるねー。あそこの踏切のところー」

 奈々が指差す先には踏切があり、そのすぐ脇にカメラを構えた人が立っているのが見える。

 列車は撮影者がいる踏切を過ぎると木々に囲まれた区間へと入っていく。

「そこの踏切が二つあるんだけど、どうやって行くのかネットを見ても良く分からないのよねー」

 木々に囲まれた中に踏切が一つ、二つと突然現れる。

 その周りを見ても特に何があるわけでもなく、どこからどのように行き来できるのか走る列車の中からは分からなかった。

 短いトンネルを抜けると列車は河原のような場所を縫うように通り抜ける。

 川と何度も交差し、いくつもの鉄橋を渡っていく。

 徐々に建物が増えていき、街中に入ったなと思った頃には「まもなく新松田」という放送が流れた。

「ここで乗り換えるよー」

 列車がホームの停車位置に止まり、ドアが開くと奈々は列車から降りた。

「乗り換えの列車までちょっと歩くのね」

 ホームに下りて、乗り換えの列車が少し離れたところに止まっているの見て結衣が言った。

「乗り換えの電車は急行よりも短いんですね」

 早歩きで歩きながら広海は言った。

 三人と同じように一両目や二両目からの乗り換えの人がまばらながらいて、小走りで乗り換えの列車に向かっている。

 乗ってきた急行列車はドアが閉まると、ホームから終点の小田原に向かって動きだした。

「とりあえず乗っちゃえば大丈夫だよー」

 三人は乗り換えの列車の一両目までたどり着いた。

 乗り換えの列車の前面には「各停」「小田原」と表示されている。

 三人が乗ってからあまり経たずにドアが閉まると、各停列車は動き出した。

「次の駅で降りるよー」

 奈々はまたまたかぶりつきをしながら言った。

 列車は新松田駅を出ると酒匂川に架かった鉄橋を渡った。

 沿線には田んぼがあるが住宅もそれなりに存在していて、少し前まで走っていた区間が特異だったということに気付かせられる。

 「まもなく開成」と放送が流れると列車は開成駅に到着し、ドアが開いた。

「ここが開成ですか」

 広海は目をパチクリとさせながら遠くを見ている。広海の見つめる先には田んぼが広がっている。

「じゃあ撮影地に行きましょー」

 奈々がそういうと三人は階段を上がって改札を出た。

「ここからはどれくらいかかるの?」

 改札を出てすぐの場所に駅の周辺の地図があったので、結衣はその前に立って奈々に聞いた。

「えーっと、このあたり。駅から歩いて5分か10分くらいらしいよー」

 奈々はそう言いながら撮影地の場所を指差した。

「じゃあすぐって感じなのね」

 三人は地図上で場所を確認すると階段を降りて駅前のロータリーに出た。

「先輩、向こうの山の方、何か雲が厚くないですか?」

 広海が遠くに見える山の方向を指差した。

 山のふもとは見えるが、頂上付近は雲に隠れている。その雲の色も濃い目の色で、その雲がここまで流れてくると雨が降りそうな雰囲気に見える。

「あー、これはよくないかもー」

 スマートフォンを操作して雨雲レーダーで雨の様子を確認していた奈々が声を上げる。

 二人は画面を覗き込むと水色や青色の塊が山の方角に存在していることを表示していた。

「ここまではすぐには来ないと思うけど、一時間かよくて二時間ぐらいしかいられないかもー?」

「じゃあ、すぐに行きましょ」

 結衣の言葉に二人はうなづき、三人は撮影地に向かって歩き始めた。


「ここ……、ですか?」

 線路端に田んぼが広がる風景を前に三人は立っていた。

 目の前の農道の先には踏切が立っている。

「そう、ここー。このあたりから上り列車、反対を向けば下り列車が編成で撮れるよー」

 奈々はそれぞれの方向を指しながら言った。

 結衣はカバンからカメラを取り出してスイッチを入れると、ファインダーを覗きながらピントを合わせてみた。

「そうなのね。列車の長さとかはどうなのかしら」

 結衣はズームリングを回したりカメラを細かく上下左右に動かして、どのような構図がいいのかを確かめていた。

 すると目の前の踏切の警報音が鳴り始め、遮断機が下りた。

 踏切を見ると下り方向の矢印が点灯していた。

「電車来たねー」

 慌ててかばんからカメラを取り出すと、奈々も結衣の横でカメラを構えた。

 開成駅を通過する列車だったようで、前照灯がファインダー内で見えたと思ったらすぐに手前まで近づいてきた。

 二人は同じようなタイミングでシャッターボタンを押す。

 シャッター音が何度か鳴ったところでシャッターボタンから指を離すと、すぐにファインダーから目を離してカメラの操作ボタンを押した。

「んー、もうちょっとズームで良かったのかなー?」

 奈々は表示された写真があまり気に入らなかったようで、首を傾げている。

「結衣っちはどうだったー」

 奈々に聞かれ結衣はカメラを操作して、撮影したばかりの写真を表示させた。

「こんな感じかな?」

 何枚か見比べて、その内の一枚を奈々に見せた。

 左右のバランスが取れた位置に車両が写っており、その手前には青々とした稲が一つのアクセントとして添えられていた。

「腰越先輩、一発でよく決めましたね。すごいです」

「一発ですごいなー」

 結衣のカメラに映し出された写真を見て奈々は感嘆の声を上げた。

 広海も奈々の言葉に何度もうなづいている。

「私もカメラを用意しなくちゃ」

 広海はカバンの中からカメラとレンズを取り出し、キャップを外してボディにレンズを装着をさせている。

 ボディにレンズを装着させ準備が整うと、広海は中腰になってカメラを構えた。どうやら稲を入れた構図にしたいようだ。

 再び踏切の警報音が鳴り始め、遮断機が下りた。今度は上り方面の列車が来るようだ。

 三人は小田原方面にレンズを向け、ファインダー越しに列車がやってくるのを待った。

「おー、ロマンスカー」

 遠くに通勤車両とは違う色の車両が見え、奈々は声を上げた。

 近づくにつれてブロンズ色の車体だということが分かる。30000形ロマンスカーEXEだ。

 三人はそれぞれの構図のタイミングでシャッターを押した。ロマンスカーはあっという間に通り過ぎていく。

 ファインダーから目を離しカメラを操作して今撮影した写真を表示させるが、結衣は納得いかずに唸っていた。

「結衣っち、なんか上手くいってないのー?」

 結衣が画面を見ながら唸る様子に気付き、奈々は訊いた。奈々は嬉しそうな顔をしているので今のロマンスカーは納得できるものが撮れたのだろう。

「そうね、悪くはないんだけどなんか違う取り方がしたいと思って」

 首を傾げながら結衣は言った。

 かといって別の撮り方が思いついているわけでもなく、何かヒントはないかと周りを見渡した。

「こっちからはどうなんだろ」

 線路の方向と平行の農道があったので、結衣はその農道を歩いてみた。

「腰越先輩、どこへ行くんですか?」

 二人から離れていく結衣に気付き、広海は声をかけた。

「ちょっとね、撮影のポイントを変えてみようかと思って」

 そういうと結衣はさらに先に進んだ。

 二人がいる地点から五〇メートルほど離れた地点でファインダーを覗いてみた。

「そうか……、こうしてみようかな」

 結衣は肩から提げていたカバンから望遠域のズームレンズを取り出すと、すでにボディに取り付けられていた標準域のズームレンズと交換した。

 再びファインダーを覗き、ズームリングを回して構図を確かめる。

「うん、これでやってみようかな」

 そう言うと結衣はカメラの露出の設定を変えた。

 ISO感度を下げてシャッタースピードを遅めにし、流し撮りができる設定にした。

 カメラを左右に振りながら流し撮りのイメージを描いていると踏切の警報音が鳴り始めた。

「いけるかな」

 結衣は大きく息を吸うとカメラを構えた。

 開成駅の方向から真っ白の車両が近づいてくる。50000形ロマンスカーVSEだ。

「先端部を一点に固定するように……」

 ファインダー内に見えるロマンスカーの先端部分に意識を集中させながら結衣はカメラを動かす。

 列車が徐々に近づき、カメラを動かす速度がだんだんと速くなる。結衣はとにかく車両の先端部が一点に固定することにだけ意識を集中させる。

「いまだっ」

 列車が結衣が思っていた構図の地点に到達した時、シャッターボタンを押し込んだ。

 カシャッとシャッター音が何度も鳴り、ミラーアップでファインダー内がブラックアウトする。

 ファインダーから目を離すと、真っ白の車体のロマンスカーが目の前を通り過ぎていた。

 ロマンスカーが通り過ぎるのを見送り、結衣はカメラを操作して撮った写真を表示させた。

 操作ボタンを押して表示される写真を変えると一枚の写真で指が止まった。

 結衣は画像の拡大ボタンを押して車両の先端部分を表示させる。

「えっ、これは……」

 ボタンを押して拡大したり縮小したりして見え方を変えてみるが、連射して撮った写真のうちの一枚はしっかりと止まった状態で写っていた。

 改心の出来に結衣は満面の笑みで大きくうなづいた。

「結衣っちー。VSE、上手く撮れたー?」

 ちょっと離れた所にいる奈々が大きな声で言う。

 結衣は笑顔で手を振った。


 週が明けての月曜日の放課後、鉄道班の三人は写真部の部室に集まっていた。

 ロマンスカーVSEを撮った後三〇分くらい撮影をしていたが、雨が降り出したので改正の駅前のスーパーに避難。休憩コーナーで昼食にしながら天候の回復を待ったが、回復の兆しがなかったため早々に撤収となった。

 今日はコンビニなどのプリントサービスで印刷した写真を持ち寄って月例活動で発表する写真を決めていた。

「結衣っちのVSE流し撮り、凄いよねー。でもここまで成功したのはこの一枚だけってのが何かもったいないなー」

 奈々は結衣が撮ったVSEの写真を手に取りながら言った。

 前面がきれいに止まって写ったのはVSEの一枚だけで、RAWファイルを編集してなんとなく見られそうな写真を四枚選んで一緒にプリントしてきた。

「あたしのは編成としては上手く入ったけど、やっぱり稲刈り前の季節に行ってみたいなー」

 そう言いながら奈々も五枚の写真を指差した。

 どの写真も同じような構図に見えるのはご愛嬌としても、ピントや露出、配置のバランスはセオリーをしっかり押さえていてちゃんと見られる写真ばかりだ。

「私のはどうでしょうか?」

 広海の写真は広角域で列車は控えめ。青々とした稲を前面に出し、カメラのピクチャーコントロールで青みが強かったりセピア色だったりと印象的な写真が並ぶ。

「こういう写真も面白いよね。私のカメラでもできるのかしら」

 そういいながら結衣はカバンからカメラを取り出し、電源を入れるとボタンを操作してメニュー項目を表示させた。

「んー、個人的に思っている鉄道写真とは違う部分はあるけど、純粋に写真としてみるならいい雰囲気出てるよねー」

 そういいながら奈々は並んだ写真のうちの一枚を手に取った。

「石上さんは鉄道以外のモチーフだったらこういう写真も取れるんじゃないかな?」

 奈々の背後で声がした。

 振り返ると部長の藤沢が立っていた。

「藤沢先輩。やっぱり鉄道の写真が撮りたいなーって思ったりしましてー。鉄道班ですし……」

 縮こまりながら答える奈々に藤沢はにっこりと表情を返した。

「別に鉄道班だからって鉄道以外撮っては駄目ってことはないわよ? 車両に拘るとどうしてもセオリーどおりの写真になってしまうでしょ?」

 藤沢の言葉に広海が頷いている。

「技法や構図の引き出しを増やすって意味では鉄道から離れてみるのもありだと思います。江ノ島とか鎌倉とかどうですか?」

 広海の言葉に「んー」と言いながら奈々は机に打っ伏した。

「奈々は本当に鉄道が撮りたいのね」

 結衣の言葉に奈々は頭を少しだけ動かした。打っ伏してるので頭が動かしづらいのだろう。

「まぁ、今月の月例活動もお疲れ様でした。来月は変化を持たしつつこの調子でがんばってね」

 藤沢の言葉に三人は「はいっ」と答えた。

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