彩瞳のギア・フィーネ 〜滲〜

古森きり@『不遇王子が冷酷復讐者』配信中

第1話 日常【1】

 


 ピピピ ピピピ。


 頭の上で端末が鳴る。

 午前四時。

 パン屋の朝は早いのだ。

 欠伸をしながら着替えて、手早く支度を整える。

 一階の厨房からはすでにいい匂い。


「おはよー」

「お早う、ラミレス。今日もかっこいいよ」

「おはよう、ラミレス! 今日も私に似てかっこいいわよ!」


 どういう事だよ。

 というツッコミはもうしない。

 なぜならこれがイオ家の朝の風景だからだ。


「ありがと! 二人もバッチリ決まってるよ! さすが俺の父さんと母さん!」


 親指を立ててからエプロンを着け、三角巾で頭を覆う。

 手をしっかり洗い消毒して、マスクを装着。

 出来上がった食パンをトレイに並べて店舗へと持っていく。

 イオ家はパン屋を営む。

 小さな個人営業の店。

 けれど、美味しいと評判で朝の分は通勤通学のお客さんですぐに売り切れてしまうのだ。


「ラミレス、そこ終わったらご飯食べちゃいなさいよ」

「はーい。今日はなにしようかなぁ」


 しかし、開店前の焼きたてを最初に食べるのはラミレス。

 パン屋なんだから、パン嫌いになったりしないか?

 そんな事をよく聞かれるのだが、そんな事はない。

 ラミレス自身が父と母の作るパンを大好きなのもあるけれど、父のパンは決して飽きがこないのだ。

 日々研究を重ね、ラミレスも自分が食べたよそのパン屋の情報を吟味して進化し続けている。

 材料を変えているわけでもないのに、これはもはや父の努力の賜物だと思う。

 タネの寝かし時間、こねる回数、分量は元より焼き時間まで。

 細々と調節し、今のこの材料で最高に美味しいパンを追求し続ける。

 要するに父もラミレスも凝り性なのだろう。

 とはいえ、最近ラミレスはお菓子作りにも興味が出てきた。

 初めはクッキー。

 最近はマカロンやケーキにも手を出している。

 そういうものは店が終わった後、残った材料を使って作っては家族で食べていた。

 しかしバイトの子たちに大好評の結果、少しずつ店舗に置いてもらうようになっできて……。


「そうそう、ラミレス〜。お試しで置いて置いたクッキー完売したわよ。かなり好評! 今度はマカロン置いてみたら? ラウトくんもマクナッドくんも貰った分、美味しかったって言ってたし」

「ほんと? おー、こりゃ新商品イケるかなー?」

「イケるんじゃないですかぁ?」


 にやり。

 親指を立ててグッジョブポーズ。

 なら、今日帰ってきたら明日売る分を作ろうかな。

 そう考えながら選んだのはチョココロネとクロワッサン。

 バターの配分を変えてみた、と言っていたので試してみよう。

 とはいえ、成長期……はほぼ終わってきたが……十九歳のまだ食べ盛りの男の子に、これは物足りない。

 一昨日の売れ残りのバケットがまだダイニングに残っていたはずなので、それを焼いてジャムでも塗って食べよう。

 一人頷いて、六時を過ぎた頃朝食を食べ始めた。

 厨房と隣接するダイニングから、両親が働く姿を眺めながら摂る食事は寂しいのに幸せでもある。

 自分が食べ終わったら両親と交代だ。

 父は一番忙しくなるので、まず学生の自分。

 次は父と母。

 二人が食べたら店は開店!

 あっという間に戦場と化す店舗を今からホクホクのパンを口に運びながら想像する。

 街の人が楽しみに通うこの店。

 駆け落ちした両親が、ラミレスを食べさせられるようにとパン屋を始めたのは二十年前。

 今ではすっかり定番の街のパン屋さん。

 この店を大切に思う。

 自分もここで生きていきたい、と。

 二十分で食べ終わり、両親と交代して開店準備を進める。

 役割分担は日常で決まっていった。

 平凡な生活はやっぱり幸せだ。


「そーだ! ラミレス、もうすぐ収穫祭りでしょう? 観光客も増えるし、バイトの子増やそうと思うのよ。一週間だけでいいから手伝ってくれる子、あんたの学校でいないかしら?」

「あー、そういえばそうだね。オッケー、当たってみるわ」


 朝食も終わり、開店した店には数人の開店待ちのお客が入ってきた。

 最初はこうだが通勤や通学の人が増えれば瞬く間に戦場のようになる。

 それを一通り手伝ってからラミレスも学校へ行く。

 駅前のビルに入っている調理専門学校。

 外国人留学生も多く受け入れる、その筋ではそこそこ人気のある学校だ。

 とはいえ、大学も就職もだるい、という若者も何人かいたが。


「見っけ。シャーオレーイ!」


 クラスに入るや否や、他のクラスメイトへの挨拶もそこそこにラミレスは中華圏留学生のミン・シャオレイの背中へとダイブする。

 調理雑誌を携帯で閲覧していた彼はラミレスに飛びつかれて携帯を放り投げた。


 ラミレスへ。


「あぶね!」

「しつこい! 朝からうぜえ!」

「もー、痛いな〜」


 まさか背中への攻撃に携帯をぶん投げて応戦してくるとは。


「俺じゃなかったらおでこ直撃間違いなしだぞ?」

「ふざけるな! 俺に構うなって言ってるだろ!」

「えー……。成績が万年二位だからって、そういう嫉妬に駆られて不動の首席と喧嘩腰で残り二年を過ごすなんて辛いだろ〜? 第一古臭いって、そーゆーの! そんな古臭い友情物語も嫌いじゃないけどさ! それならそれらしく拳で語り合う?」

「上等だこの野郎……!」


「うわ、ラミレスまたミンくんに絡んでるよ……」

「マジかよ。あいつ何ヶ国語習得してるんだ? こないだ北欧の留学生とも普通に聞いた事ない言語で話してたよな?」

「喧嘩してるっぽいのは分かるけど、なに言ってるのかわかんねーな」


 いくつかの国の留学生は言語が通じなくて孤立する。

 そういう人間も、唯一ラミレスとは親しくなる。

 理由は彼の優秀さ。

 言葉の壁をあっさり飛び越える。

 クラスメイトの言葉をシャオレイは分からない。

 遠巻きにクスクス笑われているので、恐らく馬鹿にされている。


「あいつ、なんであんなに優秀なのにこんな学校に来たんだ?」

「知らねーの? ラミレスって商店街に近いところにあるパン屋の跡取りなんだって」

「あ、そうなの? でももったいなくね? あんなになんでも出来るくせにさ」

「なー?」


 クスクス、クスクス。

 なにがおかしいのかわからない。

 分からないから威嚇する。

 威嚇すれば人は近づかなくなる。

 友達などできるはずもなく、孤立して孤独になっていく。

 そういう人間は、見るに耐えない。

 一人が好きという人間もいるのは知っているけれど、一人で生きていける人間はいないのだ。

 そもそも、料理の専門学校に通う人間がその手の類の人種であるとは考えづらい。

 だって料理は食べて笑顔になる人がいて初めて「美味しく作りたい」と思うもののはずだから。

 一部から「ポジティブバカ」だの「コミュ力王子」だのと陰口を叩かれているのは知っているけれど、ラミレスはシャオレイも自分と同種の人間だと思っている。

 料理で人を喜ばせたい。

 そういう類の人種だと。


「あ、そーだ。シャオって今バイトとかしてる?」

「馴れ馴れしい呼び方するな!」

「ふはははは! シャオレイ呼びに戻して欲しければ来週からのお祭り期間中、うちのパン屋でバイトしろ!」

「やるわけあるか! ふざけるな!」

「ふざけてないよー。人手不足で困ってるのー。俺も手伝うけど、観光客も増えるから忙しくなるんですー。ね? いいでしょ? おねがーい」

「断る。人誑しが……!」

「いやぁ、シャオが俺をそんなに褒めてくれるなんて〜」

「褒めてねーよ!」


 勿論、シャオレイ以外の人間に頼めばみんな快く引き受けてくれる。

 そうなる自信はある。

 けれどラミレスはシャオレイがいい。


「なんで? いいじゃん。シャオはこの国に料理習いに来てるんでしょ? うちのパン屋の厨房で一週間だけでも働いてみたら新たな発見とかあるかもよ〜? この国はパン食文化だし〜」

「ぐっ……」


 言語の問題がなくても、シャオレイは真面目でストイックな人間だ。

 社会に出るのも大学で勉強するのも面倒だと、この専門学校に通っている奴らとは違う。

 この国に、この国の料理を真面目に習いに来ている。

 ラミレスが避けて、受け取った携帯の画面には料理雑誌。

 授業が始まる前にもこんな雑誌をチェックしている人間が、そんな適当な理由でここにいるはずがない。

 そんなシャオレイだから、ラミレスはこの国の文化の一つ。

 パンの文化も好きになってほしい。


「………………」

「待てテメェ!? なに人の携帯いじってやが……つーかどうやってロック外したぁ!?」

「日々の観察の賜物かな☆ 俺の『LINK』IDに友達申請しておいた! いっえーい、シャオとLINKで友達になっちゃった☆」

「ブロックすんに決まってんだろアホかテメェ!」

「んもう、そんな怒るなってばー。イケメンが台無しだぞ☆ 俺の次にだけど」

「コロス!」


 ぽーい、とシャオレイの携帯を持ち主に向かって放り投げる。

 ナイスキャッチ。

 彼が携帯を操作しようとした瞬間、教室のドアが開く。

 先生が入って来て、みんなが慌てて席に座り出す。

 勿論、シャオレイもそうせざる得ない。


「こら、イオ! お前別のクラスだろー」

「はーい。じゃーねー」


 最後まで威嚇全開のシャオレイに手を振って、ラミレスも自分の教室に帰っていった。


 一日中そんな感じのノリで過ごし、あっという間に帰宅の時間。

 居残りする人間も多いけれど、ラミレスは家路を急ぐ。

 帰って店を手伝わなければ。


「ラミレス、たまにはカラオケ行かねー?」

「あー、ごめん今日も無理〜。もうすぐ収穫祭だろ? 店で新メニュー考えてんだよね!」


 そして今日は特に忙しい金曜日だ。

 と、心の中で付け足す。

 明日から休みで遊び呆けられる学生とは違って、店は「金曜くらい楽したいのよ」的なお客さんが多い。

 つまり、忙しいわけだ。


「そっかー、お前意外と真面目だもんな。わかった、じゃーなー」

「うんまた来週〜」


 数人の友人グループに似たような誘いを、似たような理由でお断りをして帰宅する。

 店舗を覗くとすでに高校生と中学生のアルバイトが店に来ていた。


(あー、今日ラウトが来てるのか。こりゃ余計忙しいな)

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