弑逆ノ王 -王を殺す王の物語-

槻白倫

第1話 日常の終わりは破滅と共に

 日常というのは得てして平凡なものだ。芸能人や、危険な仕事に携わってない限りは、平々凡々。同じ日々の焼き増しだ。


 けれど、それでも良いと思っているのが、中辻(なかつじ)冬夜(とうや)という少年だ。


 高校に入学してから約七ヶ月。高校生活にも慣れてきて、もう後少しもすれば冬休みに突入するといった季節。ダッフルコートを着て寒さを堪えながら、冬夜は帰路を歩く。


「冬夜~! おっつっかっれ……タックルー!」


 先を歩く冬夜に追いつき、冬夜の背中に体当たりをする少女。


「うっ……おい、急にタックルしてくんなよ。危ないだろうが」


「えへへ~。元気無いぞ~、冬夜~」


 不機嫌そうに言う冬夜に臆せず、少女はにへらと笑う。


 彼女の名前は藤崎(ふじさき)舞(まい)。冬夜とは、いわゆる幼馴染という奴で、なんの因果か|縁(えにし)か、幼稚園から始まり、小学校、中学校、果ては高校まで同じ始末。このままでは大学まで一緒になるのではと少しだけ危惧している。


 冬夜の隣に並び、舞はにへらと気の緩んだ笑みを浮かべながら、今日あった事を冬夜に話す。


 それに、冬夜は適当に相槌を打つ。


 別に、舞の事は嫌いではない。しかして、舞は学校では男女ともに人気がある。逆に、冬夜は人気どころか認知されているかも怪しい。友人がいない訳では無いけれど、それでも数えるほど。それに、皆目立ちたがり屋ではないため、積極的に騒がしい者の方へは関わろうとはしない。


 かく言う冬夜もその部類であり、とりわけ目立つ舞とは極力関わろうとは思っていない。もう一度言うけれど、冬夜は舞が嫌いな訳ではない。舞が来れば話をするし、スマホにメッセージが飛んでくれば返したりもする。


 けれど、積極的に関わろうとは思わない。学校では舞は冬夜とは別のグループにいるし、そこで楽しそうにお喋りをしている。そのグループには男子もいるから、いずれはその誰かと恋仲にでもなったりするのだろう。


 今でこそ舞は自分と話しているけれど、その内自分の事など忘れるに違いない。幼馴染とはいえ、その仲が一生続くわけでは無いのだから。


「それでね、杏奈ったら小テストの点数が悪かったから補習させられててね、可哀想だから一緒にいてあげようかなって思ったんだけ――――ぎぇっ?」


「は?」


 唐突に呻き声を上げ、舞が倒れる。


 その瞬間、何か生温かいものを浴びる。粘着質で、温かな何か……。


「舞……?」


 倒れた舞を見る。そこには、目を疑うような光景が広がっていた。


「――ひっ」


 思わず引き攣った声を上げてしまう冬夜。しかし、それも無理からぬ事だろう。何せ、見知った顔である舞の顔はそこには無く、顔の中央から棒を生やした舞だった者しかそこに居ないのだから。


 ぴくぴくと痙攣し、割れた後頭部から血と脳漿(のうしょう)が流れ出る。


 舞が死んだと遅まきながら理解した途端、胃がひっくり返ったような感覚を覚え、次の瞬間にはその場で吐き戻してしまっていた。


「……ぇ……ぇっ……」


 お腹を押さえ、その場に蹲(うずくま)る。その刹那、先程まで冬夜の頭があった場所を風切り音を上げて何かが通過する。カァンッと甲高い音を立ててアスファルトに突き刺さったそれを、冬夜は怯えた目で見る。


 それは、舞の顔に生えている棒と同じ形状をしていた。黒く、先端に数枚鳥の羽の付いた棒。いや、逆だ。そこは先端ではない。先端は、アスファルトに食い込んでいる方だ。


 混乱する頭でそれを理解した途端、冬夜の背筋に冷たい物が走る。


 それが飛んできた方を急いで見やれば、そこには何かが居た。


 十数軒離れた家の屋根の上。そこに、黒い衣装を着こんだ誰かが立っていた。いや、そこだけではない。そこ以外にも、他の家の屋根の上に何人も立っている。そして、皆一様に同じ格好をしており、皆同じような物を持っている。


 黒装束の者が持つのは、曲線を描(えが)く棒。飛来してきた物を理解した冬夜は、それが棒ではない事を悟る。


 それを理解した瞬間、冬夜は立ち上がって走り出す。


 一瞬、舞を置いてはいけないと思うけれど、舞はもう死んでいる。例え生きていたとしてもあれではもう助からないと自分に言い聞かせて逃げる。


 どこに逃げれば良いか分からずに、冬夜は無様に手足を動かして走る。


 風切り音が時折聞こえ、何かに当たったような音が聞こえてくる。


 硬質だったり、柔らかかったり、何かの(・・・)声だったり。


「なんなんだよ……!! なんだよ!!」


 混乱しながらも、冬夜は死にたくない一心で必死に逃げる。


 けれど、逃げた先が良くなかったのだろう。


「……え?」


 目の前を、大きな影が通る。地響きを鳴らして闊歩するそれは、優に二階建ての民家を超える程の身長を有しており、その姿は人と違わず二つの足で地面に立っていた。屋根に居た、黒装束と同じような服に身を包むそれを表す言葉を冬夜は一つしか知らない。


 巨人。


そう、巨人だ。巨人が目の前にいるのだ。服を着て、仮面を付けている巨人が手に大きな槍を持って町中を闊歩しているのだ。


「どうなってんだよ……」


 呆然とする冬夜は、巨人の槍の先に何かがある事に気付く。


その槍の先には、スーツ姿の男性が仰向けになってぶら下がっていた。――腹部を、貫かれた状態で。


 まだ息があったのか、スーツ姿の男性と、冬夜の目が合う。


「――っ」


 何事か口を動かして冬夜に訴えかけるけれど、次の瞬間、巨人が槍を一度地面に叩きつけ、その衝撃でスーツ姿の男性は腹から真っ二つになって地面へと落ちていく。


 まき散らされる|腸(はらわた)。飛び散る血液。落ちる、身体。


 思わず足が竦みそうになるけれど、この場から逃げなくてはいけない事を思い出し、冬夜は必死に走る。


 走って走って走って――冬夜は走り続ける。


 巨人は一体だけではなかったらしく、次々に姿を現しては槍を振るい、家を壊し、人を殺す。そして、何処からともなく耳に残る恐ろしい風切り音と共に矢が飛来する。


 必死に足を動かして、矢にも、巨人の槍にも当たらないように走る。


 向かう先は我が家。父親は会社に行っているためにどこにいるか分からないけれど、母親は家にいる。何が起こっているかは分からないけれど、母親を連れて逃げなければ。後は自衛隊が何とかしてくれる。それまで、何とか逃げ切らなければ。


 必死に、這(ほ)う這(ほ)うの体(てい)で逃げる。


 何かの|嘶(いなな)きが聞こえる。何かの叫び声が聞こえる。何かの怒号が聞こえる。何かの悲鳴が聞こえる。


 そのたびに身が竦む。恐怖心が顔を覗かせる。


 もう止まりたい。隠れてやり過ごしたい。息を潜めて身を隠して、誰かが何とかしてくれるまでじっとしていたい。誰か助けて。誰か、誰か誰か誰か。


 そう心中で願うけれど、誰も助けてくれない。


 恐怖と戦いながら、冬夜は走る。


 息を切らしながら走れば、ようやく見慣れた我が家が目に入る――――はずだった。


「…………え?」


 冬夜の家は一般的な二階建ての家だ。その二階建ての家の二階が崩れ、一階も半壊していた。半壊した一階の壁から家の中の様子が見え、一階に二階の壁やら床、家具などが落ちてきている事が分かる。


「母さん……母さん!!」


 二階にいても一階にいても、こんな事になっていて無事だとは思えない。


 冬夜は慌てて半壊し、壁の無くなった部分から家の中に入る。


「母さん!! 母さん!!」


 必死に母親の名前を呼びながら、瓦礫まみれになった家の中を歩く。


「母さん!! 母さ――っ!!」


 視界の端に、人の頭が見えた。


 慌ててそちらの方を向けば、そこには見知った母親の頭があった。


「母…………さん…………」


 より厳密に言うのであれば、頭部だけしかなかった。


 そこには、頭部だけが転がっていた。


 また胃がひっくり返るような感覚。家の中だけれど、冬夜は構わず嘔吐する。


 頭だけ。頭だけしかない。今朝話をして、笑顔で冬夜を見送ってくれた母親が、今では頭だけしかない。


 なんだそれ? なんだこれ?


 困惑と喪失感が胸中に広がる。そんな中、誰に向けて良いのかも分からない怒りの炎が微かに|燻(くす)ぶる。


 なんだ。なんなのだ。訳が分からない。


 朝は普通だった。さっきまで普通だった。いつもの日常だった。なのに……なんだこれは? 隣で幼馴染は死んで、命からがら帰ってきたら母親は頭だけになっていて……。


 困惑と混乱が脳内を埋め尽くす。


 もう、いい……もう、何も考えたくない……。


 良く分からない事の連続で、耐えられない現実の連続で、冬夜は考える事を放棄する。外にはまだあの巨人と黒装束がいるだろう。何かの怒号や泣き声が聞こえるから、それ以外もいるだろう。今この瞬間、自分はまだ危険なのだろう。


 けれど、普通の高校生である彼が耐えるには、現状はあまりにも過酷過ぎた。


 その場で崩れ落ち、疲れに任せて目を瞑る。


 もう、疲れた……。


 冬夜はそこで諦めた。


 だからという訳では無いけれど、目を瞑る冬夜を観察する視線に気付く事は無かった。


 冬夜の家から遠く遠く離れたビルの屋上。そこに立つ一人の女性。


 黒い喪服のような衣服に身を包み、綺麗な金糸の髪を風にたなびかせる少女。


「これは驚きました。まさか、異界で『王の器』に出会えるとは……」


 言って、冬夜ではなく周囲を見渡す少女。


「この近辺の……いえ、この世界の魂が彼の元へ集っている。この世界は、彼を王と定めているのですね。この世界の他の王は軒並み死んでいる様子ですし……」


 少し思案し、少女は一つ頷く。


「そうしましょう。ええ、それが良いです。前の(・・)は期待以下の働きしかしませんでしたし、ちょうど新しいのが欲しかったところですし」


 言いながら、少女はビルの端から軽やかに身を投げる。まるでそうするのが自然とでも言いたげな程、何の葛藤も無く飛び降りた少女は、重力のままに地面へと落下する。


 このままでは地面に頭を打ち付けて死んでしまうと、見た者は思うだろう。けれど、落下している少女は地面より少し離れた場所から急激に速度を落とし、軽やかに着地してみせた。


「さて。では行きましょう」


 いつの間にか取り出した黒の日傘を開き、まるでお散歩でもするかのように荒れ果てた町を歩く。向かう先は、言うまでもないだろう。





「もし、もし、そこのお方」


 誰かの声が耳に届く。聞いた事のない、女の人の声。


「もし、もし。起きてください」


 誰かに身体をゆすぶられる。


 眠りが浅かったのか、それだけで冬夜の意識は覚醒していく。


 数度瞬きを繰り返してから周囲を見渡してみれば、そこは瓦礫まみれの我が家。それを見た瞬間、意識を失う前に何があったのかを思い出し、即座に起き上がり周囲を見渡す。


「――っ、だ、誰!?」


 そして、自分の傍に座る少女が視界に入る。


 美しい、まるで人形めいた顔の少女は、冬夜と眼が合うとぺこりとお辞儀をした。


「初めまして」


「は、初めまして……」


 律義に挨拶をしてきた少女に、冬夜も混乱しながらも挨拶を返す。


「じゃなくて! 君、誰? なんで此処にいるの?」


 冬夜の問いに、少女は静かに答える。


「私の名前はアリスでございます。|巷(ちまた)では、魔女と呼ばれております」


「魔女……?」


「ええ」


 にこりと微笑む少女――アリス。冬夜のイメージする魔女とはとても程遠い見た目だし、この科学技術の発展した現代社会で魔女と言われてもいまいち理解できない。


 こんな状況であることも相まって、からかわれているのかと少しだけ苛立つ冬夜だけれど、冬夜が何かを言い出す前にアリスは続ける。


「それで、貴方様のお名前は?」


「……中辻冬夜……」


「トウヤ様ですね。はい、憶えました」


 そう言って、可憐に微笑むアリス。通常時であれば、これだけ可愛い子に微笑まれれば心が傾きそうなものだけれど、今の冬夜にそんな心の余裕はない。


「……で、人ん家に勝手に入ってきて何の用?」


「ああ、そうですね。まずは、非礼をお詫びします。トウヤ様の御宅に許可無く上がり込んでしまい申し訳ございません」


 冷たい冬夜の言葉に、アリスは気を悪くした様子も無く頭を下げて、素直に謝罪をする。


 こうも素直に謝罪をされてしまうと、冬夜もこれ以上無碍には出来ない。そもそも、今は緊急事態だ。外から冬夜が見えて慌てて中に入ってきて助けてくれたのかもしれないというの可能性を考え、少女に対して申し訳なく感じる。


「あ、いや……」


 申し訳なく思い咄嗟に言い繕おうとしたけれど、冬夜が何かを言う前にアリスが次の言葉を口にする。


「しかし、私にもトウヤ様にも時間がございません。どうか、平にご容赦を」


「時間が、無い……?」


「はい」


 時間が無いとはいったいどういう事なのだろうか? 避難する時間だろうか? それとも、此処が爆撃でもされるのだろうか? 


 冬夜が考えを巡らせていると、アリスは言葉を続ける。


「トウヤ様。貴方様には『王の器』がございます」


「『王の器』?」


「はい。ですので、トウヤ様」


 しっかりとアリスは冬夜を見据え、薄く笑みを浮かべて冬夜に言い放つ。


「私の王になってください」





『中辻冬夜』

地球の王の器の所有者。日常を奪われた哀れな少年。

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