ジェットコースター。

9月の終わり。待ちに待った夫の演奏会の日。


まるでジェットコースターみたいだったなと思う。

天国へ昇って、あっと言う間に地獄へ落ちる。

……というのを、泊りがけで夫の住む街へ行った一日半の間、何度も繰り返した。


今ならわかる。

当日朝からのリハーサル、夜には本番、そのあとは打ち上げ。

アマオケなので、合間には準備やなんかも団員が手伝ったりする。同じパート同士で打ち合わせもあるだろう。

私には事前に、「翌日の昼にランチくらいなら時間が取れるかも」と言ってあるのだから、夫にとっては最低限の連絡は「済み」の状態だったのだと思う。


だから、私がジェットコースターに乗ってるなんて思ってもなかったんだろう。

私の勝手な独り相撲だったってことだ。


でも、普通は「〇〇時△△分の電車に乗る」とか「これから出る」とか連絡したら、「気をつけて」とか一言だけでも返してくれるもんだと私は思っていた。

こっちはウキウキなんだもの。そういうやり取りも含めての、(演奏会にかこつけた)デートなんだから。泊りがけの。


出発するウキウキ。メールを送るワクワク。返事を待つドキドキ。

こっちはいちいちうれしくて、楽しいのだ。


それなのに、ウンともスンとも言ってこない。

やっぱり私が行くのは迷惑だったのかな、面倒くさいって思ってるのかな。

沈黙する携帯電話を確認するたび、疑心暗鬼になって落ち込む。


ジェットコースターが、ガコンガコンと細かくアップダウンを繰り返すみたいに。


方向音痴の私は、携帯電話の地図アプリを頼りにやっと会場に行き着く。

受付に差し入れを預けて、あとは演奏を拝聴するだけ。というか、夫の晴れ姿を初めてと言った方がいいかもしれなくて、普通ならこれほどワクワクすることもないはずなのに、本番前までの段階で何の音沙汰もなかったということで、何もかもが不安で、そこにいることが場違いな気さえしてしまう。


開幕。

団員がステージに入ってくる。

タキシードを着た夫の姿は、そこだけ輝いて見えた。

かっこいい!!


でも、パートの定位置に座ったら、ほとんど見えなくなってしまった。

時々、曲に合わせて、夫の姿を遮ってる団員が体を揺らしたりすると、チラチラと見える。その隙きを見逃すまいと目を凝らす。


アマオケにしては実力がある方だと言っていたとおり、演奏会は素晴らしかった。

本来なら、手放しで余韻——帰り道もずっと高揚感が続くような——に浸れるはずだった。


だけど、身も心も一人ぼっちの私には、カーテンコールに湧くステージ上の光景がきらびやかに映れば映るほど、惨めな気持ちが増すばかりだった。


夫の晴れ姿を見るのは、もしかするとこれが最初で最後になるかもしれない。

うん、きっとそうなんだね。なんか、夢を見ていたのかもね。

諦めろ、諦めろ、諦めろ。

心の中で、夫の後ろ姿が遠ざかっていく。


それでも性懲りもなく、ベッドに入るような時間までにはメールが来るかもしれないって、またちょっと期待してしまうバカな私。

だって、もう本番も終わって、何時間かすれば打ち上げも終わるんだから。そしたら、私への気も回るかもしれないから。


無事に演奏会場からホテルに帰れたのか確認するとか、

これまでのメールに返信できなかったお詫びとか、

差し入れを受け取ったお礼とか、

明日の予定の確認とか……。


でも、やっぱり何の連絡もないままに、眠れない夜が深まっていくばかりだった。


これが答えだ。

私が勝手に浮かれ過ぎていただけなんだ。

夫はただ普通に演奏会に出て、知り合いが見に来ただけ、ってことなんだ。

遠路はるばる聴きに行ったからって、私を特別なお客とは思ってないってことだ。



朝方やっと眠りについて、目覚めると9時近くになっていた。

携帯電話には相変わらず何の着信も入ってなかった。



朝食を取って部屋に戻り、帰りの荷造りをしていると、携帯電話が音を立てた。

そのころには、すっかり失恋モードのど真ん中にいた私は、どうでもいいメルマガでも届いたんだろうって思いながら、おざなりに画面を開いて一瞥をくれた。


なんと、メールは夫からだった。

私は携帯をちゃんと持ち直して、画面をぐっと近づけて注意深く読んだ。

私の都合がよければ、帰りの電車の時間まで会えますが……って書いてある。


私の都合がよければ!?

私が何のためにここまで来てると思ってるんだろう??


まったく、夫は未知の人種すぎる。

でも、そんなことはいい。とにかく会える。あと2時間くらいしかないけど。


はちきれそうな歓喜を乗せて、ジェットコースターは再びグングン上昇した。


私の方は朝ごはんからそんなに時間が経ってなかったので、軽くお茶することになった。

夫がホテルまで迎えに来てくれ、大きな窓があって庭が見えるカフェへ。


演奏会の感想を話し合ったり、演奏会に出る側のいろんな事情を質問したり、そんな話ばかりでどんどん時間が過ぎる。


ちょっとずつ下降するジェットコースター。


本当は、次いつ会えるのかを訊きたい。約束がほしい。

もっと言うと、私のことどう思ってるの? ちゃんと付き合ってるのか、ただ会ってるだけなのか、はっきりさせたい。

いや、フラれる心配がないなら、「私はあなたが好きなんです」って言ってしまいたい。


婚活サイトで出会ってる私たちにとって、それはつまり、あなたと結婚したいと思ってるって意味だ。


だけど、こんなふうに、ちょっと時間が空いたから……程度でぶっきらぼうに会うみたいな扱いにされて、ようやっと辿り着けたこの場で、そんなこと言えるわけもなく、あっという間にタイムアウト。


このままでは、この先どうしたらいいか、ますますわからない。

帰ればまた遠い存在になってしまう悲しさを抱えつつ、どうにかしなくてはと心の中はパニックになっている。


そんなこと全然知らない夫が、駅まで送ってくれようとして私を車に乗せた時、ジェットコースターは最後の急降下のスタンバイに入った。

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