第4話

 四月初め。

 世の中は年度初めで街中ではいかにも新しい環境に胸を膨らませる輩があふれていた。

 本条組にも一人新しい顔が増えた。

「俺の息子の諒太だ。皆よろしく頼む」

「よろしくお願いします」

 下げられた金髪頭に鷹松以外の組員は案の定ざわついた。

 幸内に聞こえない様ひそひそと背後でしゃべくっているやつもいた。橋本もその一人で、隣に座る堀越に話しかけている。

「頭はどうするんだ?」

 その言葉には次の組長についての示唆が含まれている。いままで誰しもが鷹松が幸内の後を継ぐのだと疑いもしなかった。そこに実の息子が現れ組に入るという。誰だってこの先どうするのだと言いたくもなる。

 鷹松自身もどうするのだとぼやきたい気持ちでいっぱいだった。

 でもここで自分のせいで組に亀裂を作るわけにはいかなかった。

「おいてめえら、坊に挨拶せぇ!」

 ひそひそとやりあっている後ろを振り返り一喝する。

「坊、躾のなってねえ奴らばかりで申し訳ありません。今後、こいつらともどもどうぞよろしくお願い申し上げます」

 そして鷹松は我先にと加州に向かって畳に手をつき頭を下げた。

「いえ、こちらこそどうぞよろしくお願いします」

 加州も同じように頭を下げる。

 二人の様子を見て、ざわついていた組員も慌てて頭を下げた。ここで後継になるかもしれない加州ににらまれるわけにはいかない。特に下っ端としては上がどうなろうとよほど、どちらかに偏らない限り待遇は変わらない。

 変わるとしたら鷹松と親しかった幹部連中だ。

 兄弟の盃を交わした橋本が頭を下げた後で口を開いた。

「若頭はどうなるんですか? 親父はずっと頭に後を継がせたいって言ってたじゃないですか」

「橋本っ」

 橋本の気持ちはありがたかったが、叱らないわけにはいかない。橋本は鷹松の激しい叱責に下唇を悔しそうに噛み立ち上がった。

「あ、おい!」

「少し頭を冷やしてくる」

 橋本はそのまま組員がいる間を縫って部屋から出て行った。

「あいつ……」

 鷹松は橋本の態度に苦い表情を見せた。自分を思ってのことだというのがわかっているから余計にだ。幸内はゆるく一同を見渡し堀越に視線を止めた。

「他には異論があるものはいるか? 堀越、お前はどうだ」

 幸内に名指しされると堀越のほうへと一斉に視線が向けられた。加州もそして鷹松も、だ。たくさんの視線にさらされ堀越はゆっくりと口を開く。

「俺は……親父と頭がそうしたほうがいいというならそれに従うまでです」

 そう言いながら堀越の表情は煮え切らない。何かを不平をこぼしたいが、周りを気にして口を閉ざしている、と長年の付き合いの鷹松は察した。

 組頭補佐として、そして長年の友人としては面白くないだろう。

 それは幸内にも伝わったようだった。

「おめえの面をみればおもしろくねえってことはわかっている。今更そのくらいで腹を立てたりはしねえよ」

 幸内は横に置いてあった脇息に寄りかかり息をついた。

「こいつが使えねーことも考えて当面の間鷹松の下につけて学ばせる。そのうえでこの先どうするかは決める。鷹松より優秀だったら跡継ぎとする。鷹松のほうが優秀なら鷹松を跡継ぎとする。——これで文句はねえな?」

 幸内の視線は堀越に向けられる。鷹松は堀越のほうを振り返りじっと見つめた。

 どうか、頷いてくれ、と。

 堀越はゆっくりと頷き、組長と若頭補佐を見つめていた組員もほっとした空気を漂わせた。組員に甘い幸内とはいえ、メンツはある。そのために家族同然の人間が切られるのは見ていていいものではない。

「うちの兄弟狼は結束が強すぎていけねえ。兄貴を重んじて親の言葉なんぞ聞きやしねえ。おい、鷹松。橋本にもいっておけ」

「はい」

 幸内は苦笑交じりにぼやく。そこに苛立ちやら怒りやらは感じない。

 中座した橋本もおとがめなしだ。

「諒太、鷹松についてちゃんと学んで来い。この三人の間に割り込むのはしんどいかもしれねえが、いつかお前の右腕になってくれる奴らだ」

「わかった」

 加州は鷹松をじっとみながら頷いた。

「鷹松、そういうわけだから面倒をたのむ。俺の正真正銘の息子だが特別扱いをする必要はねえ。あくまで新米として扱え」

「……本当に特別扱いしなくていいんですか?」

「おう。了見の狭えことは言わねえよ」

「拳固も?」

「ああ」

「蹴りも?」

「ああ」

「じゃあ……」

「おい、ちょっとまて、お前こいつに何するつもりだ」

「いや、新米扱いしていいってことだったんで」

 拳固も蹴りも、それ以上のことも、と連ねる鷹松に思わず幸内は問い返す。鷹松はにやり、と笑いしれっと言い返す。

「おめえ……」

 幸内は鷹松の表情を見ると呆れたような顔をした。

 もうこうなれば張りつめていた空気などどこかにいってしまった。ギスギスしぃ気持ちなど後には残せない。こうやってこじれそうな雰囲気を何度もほぐしてきたのだ。

「諒太、おめえもそれでいいな」

「急に今まで知らなかった人にちやほやされるの気持ち悪いし、いいよ、それで。親父にはふつーに接するけど」

 加州は他人事のようにいうと腰を上げた。

「強面ばっかりみてると肩が凝るから、そろそろ部屋に戻るわ」

 そういうとさっさと加州は部屋を出て行った。

「すっげー度胸」

 その場にわだかまりを平気で残していく、あまりのマイペースぷりに、鷹松は思わず呟いた。自分がどう思われようが気にしないその態度はふてぶてしく豪胆だ。

「こりゃ苦労するな」

 そういいながらも鷹松は面白がっていた。




「おはようデス」

 朝、事務所に行くと金髪頭のイケメンがソファに腰を落ち着かせていた。目の前には茶の入った湯飲みがおかれていた。

「おいっ」

 鷹松は傍にいたヤス、と呼ばれている若い舎弟に声をかける。

「は、はい、頭」

「なんでこいつに茶を出してるんだ。おい、加州、お前もそこから立て」

 舎弟の頭を殴り、鷹松は湯飲みを片付けさせた。

 加州は不服な顔をせずソファから腰を上げる。

「組長は一人の新米と同じように扱えとおっしゃった。他は知らねえが、ここではこいつを特別扱いするのはゆるさねえ」

 鷹松はスーツの上着を脱ぎながら加州にむかって顎をしゃくる。

「なんすか」

「スーツ、かけろや」

「はい」

 脱いだスーツを加州が受け取り、ハンガーにかける。鷹松は自分のあつらえのいいソファに腰を下ろした。胸ポケットに手を入れてタバコのパッケージを取り出す。

「お前昨日と全然ちげえのな」

 笑いながら鷹松はタバコを一本咥えた。加州が間髪いれずライターを取り出し鷹松のタバコに火を点す。

「そりゃあ相手が違うから。俺、鷹松さんはシンパシー感じるんですよねえ。お気に入りになりそうっていうか」

「お気に入り?」

 ふーと煙を吐き出しながら鷹松は加州を見上げる。

「んー……ああ。好き?」

 瞬間、ガシャンと瀬戸物が割れる音がした。

「す、スイヤセン」

 鷹松の湯のみを割ったヤスが青い顔をして立っていた。

「あ、お前。バカヤロウ! 俺の茶碗割りやがって」

「ほんとスミマセン」

 あわあわとしながら片付け始めるヤスに舌打ちをする。加州はまあまあ、と鷹松をなだめながら雑巾をとりにいった。

「手、傷つけちゃうっスよ」

 そういいながら加州は自分からぬれた床を拭き始めた。

「坊ちゃん……」

「加州、もしくは諒太でいいっスよ」

「あ、ありがとうございます、諒太さん」

 にこりと加州は笑うと一緒に茶碗を片付ける。

 鷹松はソレを眺めながらやれやれ、と溜息をついた。さすがに加州を新米扱いにはできないか、と紫煙をくゆらせながら思う。街に出れば恐れられるチンピラも、親の実子となれば首輪をつけた犬のようになる。

 正直なところある程度の奴らならさっさと上に上ってくるだろう。下であればあるほど、立場が逆転するのも早い。あらかじめ立場が違うと自覚してしまったら態度も下になるんだろう。諦めといったところか。

 飼いならされた犬、といったらかわいそうだろうか。

「加州、片づけが終わったら外でるぞ。運転できるか?」

「ええ」

 加州は雑巾で床をぬぐう手を止めて鷹松を見上げる。

 本当、雑巾とか掃除とか似合わない男だ。表でも裏の世界でも顔一つで大層稼いだだろうに。

「ヤス、他の奴らに今日は戻らねえって言っとけ」

「はいっス。あ、諒太さんもう大丈夫です、ありがとうございます」

「そうですか? じゃあ雑巾さげてきますね。細かいの落ちてると思うから、乾いたら箒ではいてください」

 加州は笑顔でそういうとヤスの雑巾もとりあげ、給湯室へと消えた。ヤスは一瞬加州の顔に見とれていたが、鷹松の煙を吐き出す音に、は、と我に返り掃除用具をとりにばたばたと音を立てて部屋の外へと出て行った。



 加州を運転手にして鷹松が向かったのは同系の三次団体である赤崎組母体の闇金の事務所だった。赤崎金融、といういかにもな看板を掲げている。建物の前に強面の顔が立っているが、鷹松は気にせず入っていく。加州もしれっとした顔で鷹松の後ろに続いた。おびえたような顔をみせない加州に、鷹松は肝が据わっているなと再度感心した。

 どこからその度胸を見つけたのだか。

「邪魔すんよ」

 鷹松が扉を開けると、中にいた人間たちの視線が一斉に向けられる。どいつもこいつも強面のいかにもという輩ばかりだ。

「おやおや鷹松さん」

 一番奥に偉そうにふんぞり返っているのは宇都宮という男だった。一見すれば優男風の顔だが、食わせ物だ。赤崎組の舎弟頭という役職も担っている。性格わりぃ、が鷹松の印象だ。

「今日はどのような御用です?」

 顔に笑顔が張り付いているが、目は冷ややかだ。二次団体の若頭と三次団体の舎弟頭という立場の違いがあるが、宇都宮はいつか取って代わってやるという野心を時々目にちらつかせる。それを隠しもしないし悪びれもしない。蛇のような目が時折こちらを値踏みするように向けられる。

「ああ、新人に一人持たせようと思ってな。何人かまたこちらで面倒見させてもらうわ」

 鷹松がいっている意味は闇金に金を借りに来た女を数人、本条組で面倒見るということだ。女をデリヘルなり風呂なりに沈め、借金を早く返させる代わりにマージンを受け取る。金の回収が通常よりも早くできるため、水商売に幅を利かせている組に、闇金業者が融通を効かせるのはままあることだった。

「ああそりゃかまいませんけど……新人って彼ですか?」

 宇都宮が鷹松がつれてきた新顔に興味を示した。

「ああ」

「彼がねえ」

 じろじろと値踏みするように不躾に宇都宮は加州をみた。加州は感情をにじませずただ淡々とした視線で見返す。やくざとしての垢のついていない男がうまく出来るのか、と宇都宮は嘲りを隠しもしない。

「どーも。よろしくお願いします。」

 それでも加州は気のよいような笑みを浮かべやり返す。

 うつけなのか切れ者なのか、付き合いのない宇都宮には判断はつかない。

「どーも。まあいいでしょう。人選はこちらでいいですかね」

「ああかまわねえよ」

 鷹松達のフォローもあるだろうし、闇金にも取立て屋がいる。支払いが滞れば闇金業者自体で取り立てられるという保険もあることから、宇都宮は少々癖がある女を選んだ。もちろん新米に預けるのは意気地が悪いというものだ。宇都宮は宇都宮で加州の実力を測ろうとしていたのかもしれないが、それは分からなかった。

「じゃあこの女を。連絡はこちらから本条さんにさせますね」

 宇都宮は女の写真と詳細に記載された資料をクリップで留めて加州に差し出した。

「どうも」

 加州はページをめくりぺらぺらと中を確認した。

「借金は二百万、取立ての満了が一年後……」

「ちょっとハードじゃねえかな、宇都宮」

「いやいや、顔もいいしスタイルもいい。風呂に沈めることが可能であれば、回収は不可能じゃないはずですよ」

「沈めることが可能であれば、か」

「ええ」

 にやりと宇都宮は笑い、鷹松は宇都宮の思惑の一端に気づいた。小さく舌打ちをしながら狸、と呟いた。

「どうだ加州、この女で問題ないか?」

「んー……やってみないとわからないですけど。あとでいろんな手続き教えてください」

「そうか。お前がいいならそれでいい。まああとはいつもの通り書面でやり取りさせてもらう」

「はい、お待ちしていますよ」

 椅子にふんぞり返っている宇都宮は鷹松の言葉に頷く。

「加州」

「はい」

「帰るぞ」

「あ、はい。じゃあまた」

 鷹松の声に、加州は見ていたファイルから顔をあげる。

 鷹松はさっさと踵を返し、出口に向かう。加州はへこり、と宇都宮に頭を下げ鷹松を追いかけた。

 出口付近にいた赤崎の組員が鷹松のために扉を開ける。

「どーも」

 鷹松はさも当たり前という態度で扉をくぐり、加州は鷹松の代わりとばかりに頭を下げて外に出た。

 ドアが閉まるのを振り返りもせず、鷹松は照明の切れかけた簡素なコンクリートの建物の廊下を降りていった。

 建物からでると駐車場に止めてあった車に向かう。

「明日やり方を教えてやる。とりあえず板橋に向かってくれ」

 鷹松は後部座席に乗り込むと、運転席に乗り込んだ加州に指示を出す。

「はい」

 加州は資料を助手席に置くとシートベルトを締めた。

「板橋の何処ですって?」

「高島平だ」

「高島平……」

 加州は復唱しながらカーナビに目的地を設定した。

「駅前についたら起こしてくれ」

「はいーっス」

 鷹松は腕を組み後部シートに寄りかかる。頭を前に倒して目を閉じた。

 加州はエンジンをかけ、アクセルを踏む。時間制の駐車場を出ると表通りへと向かった。



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