第2話

 その青年に会うのは実は初めてではない。

 幸内の屋敷の庭に生えている椛が赤くなるかならないかのころ、鷹松は幸内に呼び出しを受けた。

 だだっぴろい畳の部屋に和服を着た幸内がどっかりと座り、庭を見ていた。

 開け放たれた障子の向こうでは、獅子脅しが高い音を奏でている。部屋に入ってくる心地よい風に鷹松も目を細めた。

「鷹松」

「はい」

 鷹松は幸内の前に正座をし、腿の上に手を置いた。

「今度の日曜、少し付き合ってくれねえか」

「はい、構いませんが」

 いつもであれば付き合えというだけなのに、今日の幸内はずいぶんとかしこまっていた。何かに悩んでいるのか気弱になっているのか。胸中を察することはできなかったが、何かがあるのだと鷹松は察した。

「できればお前と二人だけで」

「……二人で、ですか?」

「ああ、そうだ。行ってくれねえか」

 組長ともあろう人が護衛の一人もつけないのはいただけない。鷹松は返答に困った。かといって用事もないのに、前言を翻していけません、というのもない。

「黙ってちゃわからねえだろ。どうだ、行ってくれるか?」

「口の堅いやつをつけるんで二人というのはちょっと……何かと物騒ですし万が一親父に何かあれば」

「ふむ」

 幸内は腕を組みしばし思案後、緩く頭を左右に振った。

「護衛につくやつで堅気に見えるやつ等はいるか?」

「……」

 鷹松も該当しそうな舎弟の顔を思い浮かべたが、チンピラかホスト崩れが関の山だった。本当だったらしっかりしたやつらをつけたいが、どうみても一般人には思えない。

 渋い顔をしていると、「そういうことだからあきらめろ」と幸内に言われた。

「お前の車でいけば、俺が乗っているとは誰も思わねえだろうよ」

 スモークガラスの黒塗りとは違うが、外から丸見えではないか。幸内の突拍子もない申し出に頭痛がした。

「俺だって堅気にゃ見えないですよ」

「そんなことはねえだろ。まあ、お前には一緒に来てもらいてえんだ。四の五の言わずついてこい」

 ぼやけば一蹴され鷹松はこれ以上にない渋面になった。

 鷹松は律儀に小ぶりの自家用車で乗り付け幸内を乗せた。

 若頭がこんな小さな吹けば飛ぶような車に乗るなんてとは言われたが、小回りが利いて燃費がいいこの車を鷹松は気に入っていた。一応ガラスは防弾仕様となっており、体裁はまあ最低限は整っている。

 他の組員からは怖がられている幸内だが、長年世話になっている鷹松としては気を遣いはすれど怖いと思ったことはなかった。少し頑固な昔ながらの父親とはこういうもんじゃないかと思っていた。そのくらいガキの頃から世話になっている。

 親子の盃を交わし、組長と若頭という立場になると特に強く感じた。

 幸内には本妻との間に子がなく、本妻もだいぶ前に亡くなった。そのあと妻を娶ることなく幸内は独り身を貫いていた。だから幸内の後は誰かと跡目を争うことなく若頭である鷹松が継ぐ可能性が高かった。

 もっとも小さな組だからほかの組のつまりは母体である神林会系直系の横やりがはいらないわけではないが、それはその時のことだろうと思う。隙を見せないように立ち回れば後継としての確度も高くなる。

 かつて後を継ぎたいかと問われたときに是と答えると幸内はうれしそうにしたものだった。

「お前が継いでくれればこの本条組も安泰だな」

 と相好を崩す幸内を今でもまぶたの裏に思い出す。

「で、今日はどこに」

 後部シートに座る幸内をミラー越しに眺める。

 今日の幸内は一応目立たないようにスーツを着ていた。でっぷりとした腹がつきでていてボタンが閉めきれていない。着慣れないいでたちに余計に目立つんじゃないかと気が気ではなかった。

 その幸内が胸元から一通の封筒を取り出し、運転席と助手席の間から差し出した。

「送り先を見てみろ」

 鷹松はそれを受け取り、裏返しし送り先を確認した。

 神奈川県川崎市某区。送り主は加州なんたらという女性の名前だった。

「新しく迎える姐さんですか……?」

 本妻がなくなって十三回忌をこの間したばかりだった。そろそろ新しい女がいてもいい。だから鷹松は当然のように迎えるのかと尋ねた。

 しかし答えは違った。

「十五年以上も前に物別れになった妾だ。この手紙が着たのはだいぶ前だが引っ越していなければまだ住んでいるだろう、息子が」

 息子、と聞いて運転が乱れた。

「危ねえじゃねえか、気をつけろ、馬鹿野郎!」

 幸内の罵声に、運転を立て直した鷹松は「だって」と口を開く。

「そういうのは運転する前か後に言ってくださいよ」

 一応そういう話題は鷹松でさえ心の準備がいるのだ。いまのいままで子供がいたなんて話は聞いていない。よその女を孕ますことは望ましいことではないとは思うが、ありえないことじゃない。囲いの女がいれば子供がいる可能性を考えなかったのは鷹松の落ち度ではあるのだが。

「で、親父が俺だけを連れてきた理由はなんです?」

 今度は動揺して運転を乱さぬよう心して尋ねる。鷹松はミラー越しに幸内の顔を見つめた。

「息子の母親は先々月に死んだらしい。葬式の後に俺ン所に連絡がきた。葬式には来るな、ということなんだろう。なにぶん長い間ほったらかしだったからな」

 息子の最後の意地だったんだろう。幸内は窓の外を眺めながら過去を振り返るようにあさっての方向を眺めていた。

 女はやくざの男と付き合うことがどういうことなのかわかっていただろう。でも子供にしてみれば父親はよその女と結婚をしておりこちらを振り返りもしない。金銭の援助もなかったんだろう。せいぜい一般人と違うのは妾に対して不倫の慰謝料の請求がなかったくらいなものかもしれない。それでも生活はよほどでなければ潤うものでもない。

「今月末、アパートの更新月だそうだ」

「はあ」

 それだけでは理由は弱い。というかゼロだ。そんなの勝手に罪滅ぼしに金を送ってやればいい。受け取るかは別だが。

 自分を連れて行く意味はない。

 先があるということだ。

 鷹松はハンドルを強く握り、道路に視線を注意深く戻した。アクセルを若干緩めスピードを落とす。

「息子に罪滅ぼしをしてぇと思っている」

「はあ」

「……はあ、ってお前な。気のねえ返事をしやがる」

「俺に察しろってことじゃないんですよね。俺は馬鹿だからそういうの親父の口からちゃんと聞きてえです」

 背後から盛大なため息が聞こえ、鷹松はまたちらりとミラーを見た。眉間にしわを寄せ、それを指で押しつぶすようにして揉む幸内。言いづらそうにしているのはわかっていた。

 鷹松はそれでもあえて幸内の口からききたいと思った。まだ自分は察しの悪い人間でいたいと思った。

「お前を連れてきたのは、息子に会う前に聞きてえことがあったからだ。息子なんてもんがいなけりゃお前を俺の跡目に指定するつもりだった。息子がやくざの世界に入ることを望んできているわけじゃねえ。でも俺が尋ねたら人生の選択肢として考えるやもしれん。その前にお前に聞いておきたかった。お前はどうしたい?」

 鷹松は自分の眉間にしわがよりそうになっているのに気付いた。

 なぜそれを俺に聞くんだ、という気分だ。気を使ってのことだろうが、そんなものは親父が決めればいい。自分はただ従うだけだというのに。

「息子さん……坊が望めば跡目は坊のものですよね。俺が仮にいやだといったらどうするんです?」

「そうしたらお前の意見を汲むだけだ」

 鷹松の胸が大きく鳴った。わずかに視線を伏せる鷹松の背中に幸内の声が降ってくる。

「お前は私利私欲で物事を言うやつじゃねえよ」

 組のため、親父である自分のため、物を言う。幸内の言葉には鷹松に対する絶対の信頼があった。

「それに器でなけりゃ組長の座は譲れねえ。実の子であってもな。お前か息子か、それはおいおい考える」

 組長にとってはすでに答えは決まっているような気がした。

 鷹松はアクセルを強く踏み込み車のスピードを上げた。ギアが切り替わるわずかな感触がシート裏から感じられた。自分の気持ちもギアが切り替わるように変わった感覚を受けた。

「俺は……」

 口内が乾いて粘ついていた。一度ゆっくりと唾液を飲み込む。

「俺は、親父がされたいようにされるのが一番だと思います」

「後悔はねえか?」

 幸内の声は低く鷹松の中にはいってくる。ぴりっとした緊張感が背筋を伸ばさずにいられなかった。少しだらしない狸親父のような中年男性でもやはり腐っても一つの組を持つ組長だ。メリハリははっきりとしていた。

 鷹松はゆっくりと頷いた。

「俺は先ほどの言葉で十分すから」

「そうか」

 ほっとしたような幸内の声に鷹松は小さく笑った。

 血を分けた息子を大事に思い、血のつながらない息子のような男に気を使う。もう少しだけ後部座席に座る男の息子でいたかったが卒業する時期なのかもしれない。それはすこしさびしい心持ちにさせた。



 封筒の裏に書かれていた住所に到着するとアパートの周りを一巡してから、アパートの数メートル先の路肩に車を寄せた。

「見えますか?」

 鷹松は自分でも窓から見えるアパートを確認しながら幸内に問うた。問うよりも前に幸内は後部シートに寄りかかりながら窓の外を眺めていた。

「鷹松」

「はい」

「今日はすまなかったな。お前にはこれから先も苦労を掛けるだろう。もし息子がこっちに来ることになったら頼む」

「はい」

 若頭と坊が対立していたら組は割れる。橋本や堀越、他の舎弟の何人かはおそらく不満の声をあげるだろう。自分を担ぎ上げて内部抗争を仕掛ける馬鹿な輩が出るとも限らない。其れよりも前に率先して若頭である鷹松が親しい関係を作らなければならないだろうと思った。

 そうこうしているうちにアパートの二階の一室から長身の青年が外に出てきた。金色に染めた髪が目にまぶしい。

「親父、坊ですかね」

 そう鷹松が訪ねたのは理由があった。

 幸内とどこも似たところのない顔立ちで、なんとも女が放っておかないような美貌の持ち主だった。自分の妻がこんな息子を持っていたら、DNA鑑定したくなる。そのくらい血のつながりなどみじんも感じさせなかった。

 幸内も若干戸惑った様子を見せ、腕を組み押し黙ってしまった。

「別嬪さんですねえ」

 どことなく昭和の親父のようなにおいを漂わせつつ、鷹松がつぶやく。

 その別嬪さんは階段を軽やかに下りて道を歩き始めた。車がある方向とは逆の方向にずんずんと進んでいく。

「親父、追いかけますか?」

 どんどんと小さくなる影に、鷹松は焦れたようだった。シートベルトを外すと車のドアを開け外に出ようとした。

「待て、鷹松」

 鷹松の右足がアスファルトを踏んだところで幸内の制止がかかった。

「今日はいい」

 鷹松はゆっくりと足を車内に戻しドアを締めた。

「今日はもういい」

 幸内がもう一度いうと鷹松はシートベルトを締め直した。

「わかりました」

「すまねえな」

「いや、大丈夫ですよ。……ああ、そうだ。親父、いつものところでスーツ仕立てませんか。スーツ出来上がるまでに俺が裏とりますんで」

 スーツが仕立てあがる間に幸内も心の整理ができるだろう。本当の親子かどうかなんて母親が死んでしまった今、DNA鑑定もできず百パーセントの保証はない。案外種は違うかもしれない。長い間誰と付き合ってたのか、男の出入りがあったのか。男の影がなければ幸内も腹を決めやすくなるだろう。

 スーツの仕立て代は鷹松が払おうと思っていた。今までの礼を含め、子として、なんとなく親のために最後に何かを贈りたかった。

 極道で生きるには甘い幸内のことだ。きっと迎え入れたら跡継ぎにするのは目に見えていた。

 これからはきっと子ではなく子の部下として接することになるのだろうし、と思ったらそうするのが孝行のように鷹松には思えた。



 ここ数か月鷹松は幸内に言った通り裏を取っていた。残念というべきかよかったというべきか判断がつかないが、加州親子は慎ましく堅実に生きてきたらしく男の出入りが激しい等の事実は出てこなかった。

 加州が望むなら幸内が受け入れるのはほぼ確定だろう。

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