第24話縮地四天王第一の刺客――早歩きの雅夫(雅夫の異能は早歩きを行っている状況限定で――時間を止める))

俺『……うっ。ここは一体……どこだ? 砂浜……か? 何で海になんかいるんだ俺は……?』


俺『確か大学に行ってて……それから……うっ、頭がっ。思い出せない……』


俺『何も思い出せない……家族は? 住んでる場所は? 名前……そう名前を思い出せる。俺は――一ノ瀬辰巳』


辰巳『思い出せるのは……それだけか。ん? 誰か近づいてくるぞ』


???『むむっ、そこにいるのは誰でゲソ!』


辰巳『……え?』


???『こんな真夜中に砂浜にいるなんて……怪しい奴でゲソ!』


辰巳(真っ暗だった砂浜に、月明かりが差し込み彼女を照らした。スポットライトに照らされた彼女は愛らしく、それでいて美しい……)


辰巳『き、君は?』


???『私はイカ娘! 人類を侵略するためにやってきた海の使いでゲソ!』


 それが俺と彼女の出会いだった。

 そしてその日から、海の家れもんでの波乱万丈な生活が始まるのだが、この時の俺はまだ――





■■■



「――し、ら、な、い……と。うん、できたぞ。あとは投稿するだけだな」


 日曜日の昼前。俺はパソコンに向かってキーボードを打っていた。

 最初は講義で出たレポートを書いていたのだが、いつの間にか昔書いた俺×イカちゃんSSのリメイクを書いていたのだ。最新話では異世界に迷い込んだ俺とイカちゃんがいくつかクエストをこなし、新しく入ってきたパーティメンバー(ダークエルフ)に優しくする俺にイカちゃんが嫉妬する展開を連載中なんでよろしく。リメイクverは今連載しているのとちょっと展開を変えるつもりで……え? 興味ない? マジで?

 

「んんー……!」


 長時間座ってパソコンを見ていたからか、体を伸ばすとボキボキと骨が鳴った。気持ちいい。

 ふと、いい香りが部屋に漂っていることに気づいた。


 時計を見る。そろそろ昼時だ。


「エリザー」


 廊下にある台所に向かって声をかけた。

 調理中なのか体を仰け反るようにしてヒョコンと顔を出すエリザ。


「はいはーい。辰巳君なーに? もうすぐお昼ご飯できるよー」


「お、そうか。今日は何だ?」


「今日はねー、カツ丼だよー」


 メニューを聞いた途端、腹の虫がグーと鳴った。

 昼からカツ丼とか……最高じゃなイカ! 暑いからスタミナつけないといけないしな!

 

「あとお素麺もね」


 ここ1週間食べ続けているものの名前を聞き、ちょっとげんなりした。

 大家さんが大量にくれた素麺だが……実家の雪菜ちゃんからも送られてきたので、消費が追いつかない。

 美味いのは美味いんだが……流石に飽きる。

 実家にいた頃も夏は素麺ばっかりだったし、こればっかりは夏の風物詩として諦めるしかないのだろうか。

 まあ、かなり腹減ってるし、食卓に並んだら結局全部美味しく戴いちゃうんだろうけど。


「私がやるから座ってて」と止めるエリザを振り切り、皿を食卓に並べる。

 俺にできるのはこれくらいだ。ていうか少しは手伝わないと、申し訳が無い。ただ座って料理の準備ができるのを待つほど、まだ亭主関白になりきれない。


 そうこうしてる内に、食卓には昼食が並んだ。

 今日のメニューはカツ丼と素麺と卵焼きとソーセージ入りの野菜炒め。

 どの料理もかなり量が多いが……まあ問題ないだろう。

 最近俺はよく食べる。料理が美味いのは勿論だが、残さずに完食するとエリザが嬉しそうにするのだ。

 その期待に応えようと、食べているうちに気づけば全て完食できるようになっていた。胃のキャパシティが上がったのかもしれない。


 しかしカツ丼の食欲を煽るジューシーさもさることながら、錦糸卵にキュウリにさくらんぼと色々と盛り付けられた素麺も涼しげで美味そうだ。

 さっき飽きてきたって言ったけど撤回。素麺は飽きない。色々食べ方あるしな。キムチ乗せたり、納豆混ぜたりしても美味い。

 

 エリザと向かい合って手を合わせる。


「いただきます」


「うん、召し上がれー」


 そして食す。今更言うまでもないが、その味は無類だった。箸が止まらない。

 カツ丼で胸焼けするのを感じたら、素麺を食べる。素麺の涼やかな喉越しを堪能したら、再びカツ丼へ。合間に卵焼きと野菜炒めを食べる。

 カツ丼、素麺、卵焼き、野菜炒め順番に食べたり、時には逆に食べてみたり。

 ともかく食べ続ける。ひらすら食べる。


「はいお茶どうぞ」


 ちょうど水分が欲しかったタイミングで、湯のみにお茶が満たされた。

 冷たい麦茶だ。夏はこれに限る。

 そして食べる。食べて食べて食べまくる。うおォン俺はまるで人間火力発電所だ。発電した電気は主に脳内妄想に活用されてます。


「えへへ」


 ふと顔を上げると、エリザが優しげな笑みを浮かべてこちらを見ていた。


「どうしたエリザ。俺の顔なんか見て」


「へ? あはは……辰巳君が美味しそうにご飯食べてくれるから嬉しくて……ずっと見てたいくらい」


「そうか。見とれるのもいいけど、エリザも食べないと」


「うん。食べるよー」


 お返しとばかりに、エリザが食べているのを見つめる。

 エリザが箸を取り、素麺を掴んだ。そのままツルツルと素麺を吸い上げるようにして食べた。

 音を立てない、上品な食べ方だ。

 前から思っていたが、エリザはところどころの所作に気品が漂っている。

 食事の時もそうだが、たまにふわふわ飛ばずに歩いているとき、その歩き方も綺麗に整っている。


 もしかしてエリザっていい所の出だったりするのかな? 

 うーん、今更だけど、エリザの出自について尋ねる機会を逃した気がする。

 まあ、そう慌てんでもいいか。その内聞けばいいし。


 ジッと見ている俺に気づいたのか、エリザが恥ずかしそうにはにかんだ。


「なーに辰巳君? も、もうそんなに見られたら恥ずかしいよぉ」


 食事姿見られるくらいで恥ずかしがってたら、本当に恥ずかしい所見せるときに困るよ、マドモワゼル?と紳士風に言おうとしたが、その台詞自体が紳士とは程遠かったので、自重することにした。


 食事を全てたいらげ、手を合わせる。


「ごちそうさま、今日も美味しかった」


「お粗末様ー。デザートにケーキも焼いてるからねー」


 通りで甘い匂いがすると思った。

 しかしケーキってウチにオーブンなんかないはず。

 それをエリザに聞いてみると、炊飯器でケーキを作っているとのこと。

 炊飯器でケーキ作るとか、VHSをPS3で見るくらい意味不明だったが、実際に作ったケーキを前にするとそんな些細な疑問はどこかへ吹き飛んでしまった。


「チョコケーキだよー。生クリームも作ったから、たっぷりかけて食べてね」


 もちもちふわふわしたケーキに生クリームをたっぷりつけて食べた。

 ほんのり苦くはあったが、生クリームの甘さとあわせって非常に美味かった。

 敢えて言うなら、エリザの顔に生クリームが付着するアクシデントを期待したが、そんなことは無かった。残念だ。仕方ないので妄想の中で補完する。え? おいおい舐めとってくれってエリザさん、大胆ですね……。


 しばし妄想(大家さんも乱入してきて百合要素マシマシ)に耽る。

 食後の妄想は非常に有意義なものだ。


「ふんふんふふーん。にゃんにゃかにゃんにゃーん」

 

 食器を洗うカチャカチャした音とそれにあわせるようなエリザの鼻歌。

 それを聞いていると、満腹感もあってか瞼が重くなってきた。

 そのまま睡魔に抗うことなく、眠りについた。



■■■



 目が覚めると、夕方になっていた。

 窓から夕日が差し込んで体を包んでいる。この眩しさで起きたらしい。

 体を見ると薄いタオルケットがかけられていた。

 タオルケットには1人分くらいの膨らみがある。

 

 そっとタオルを捲り上げると、俺の胴辺りに抱きついてるエリザがいた。

 穏やかな寝息を立てている。


「えへへぇ……待ってよ辰巳くーん……あはっ、つめたーい。もう、お返しだー……むにゃむにゃ」


 雪合戦の夢でも見てるのか?

 夢の中ではどうかは知らないが、現実の一ノ瀬辰巳は『赤い雪原』と二つ名で呼ばれるほど雪合戦において並ぶものがいない猛者だ。エリザよ……夢の中の俺を倒せ。そして現実で合間見えようぞ! あと俺を倒しても『氷雪魔女』ことウチの妹が控えているので、頑張ってね。


「つかまえたー……にへへ……ちゅー……」


 しかし今日は平凡な1日だった。

 朝からレポート書いて、イカちゃんのSS書いて飯食って、昼寝して……うん、平和だ。

 もっとやるべきことがあるだろうとか、下らない過ごし方だな……なんて思う人もいるかもしれないが、俺はこういうのんびりした過ごし方が好きだ。出きれば老後もこんな風に過ごしたい。問題は俺が老人になる頃までイカちゃんが連載されてるかってことだが……まあ大丈夫だろう。それまで人気は続くはず。俺の見立てでは近いうちの人気が再燃して再アニメ化。大手スポンサーがついて、昔のサザエさんみたく週2回放送される予定。

 

 とスマホを見ると、メールの着信を知らせる光が点灯していた。

 エリザを起こさないように手を伸ばし、スマホを取る。


 送り主は――せっちゃん。妹の雪菜ちゃんだ。

 一体何の用件だろうか。この間みたいに俺が中学生の時に書いたポエム『学校の廊下は人生のレール~俺は窓から飛び降りる~』を音声ファイル付きで送ってくるのは止めて頂きたい。

 どうやら画像や音声ファイルが添付されてはいない。ただのメールのようだ。


 内容は――


『こんにちは兄さん。明日が毎月恒例のアレの日ですが、お忘れではないでしょうか? 準備はしていますか? 限りなく鶏に近い脳をお持ちの兄さんのことですから、恐らく忘れているだろうと思って確認のメールを送りました』


 兄を鶏扱いする妹ってどうなの? コケにしてんの? 鶏だけに。

 まあATM扱いされるよりはずっといいけどさ。


 しかしアレ、だと? 月1回のアレとか……下ネタですか雪菜ちゃん! ちょっと兄ちゃんお前をそんな風に育てた覚えは無いぞ。

 いや……違うか。雪菜ちゃんは俺が下ネタを言おうものなら、何か(恐らく棒状の物)をチョキンと切るジェスチャーをするくらい下ネタが嫌いだからな。

 文面から察するに、俺もそのアレの対象みたいだ。俺って男だから月1回のアレはないしな……あったとしたら第2のシュワちゃんとして『ジュニア2』の主人公に抜擢されるわ。

 とすると……アレってアレか!


 俺はカレンダーを見た。明日の日付に赤丸がついていた。アレの日だ。


 そうか。もうそんな日か。すっかり忘れてた。


『では、明日の10時にメールを送りますので。くれぐれも寝ていた……なんてことはないように。返信が確認できなかったら、兄さんの部屋にあるお人形さんを10分ごとに焼却炉に突っ込みます』


 思考が完全にテロリストのそれだな……。

 俺の可愛いお人形ちゃんたちの為にも、明日はちゃんと起きないとな。



■■■



 その家独自のルールってのが、どこの家にもあると思う。

 例えば、日曜日の昼食は家族全員で鉄板焼きを食べるとか、休日は家族揃って買い物に出かけるとか、食事中はテレビをつけないとか、いくら暑くても扇風機は7月になるまでと出さないとか、カレーに大根を入れる……とか。

 他人からすると『え、なにそれ? おかしくね?』と思われるようなルールも、その家庭で育ったなら常識として刷り込まれている。そんなルールだ。


 そしてウチにも変わったルールがあった。

 それが月の1度のアレの日だ。

 

 アレ――身体測定だ。


 ウチ、正確に言えば俺と雪菜ちゃんの間には月に1度身体測定を行って互いに確認をするってルールがある。

 身長と体重を測って、お互いに確認するのだ。


 家の柱で背比べをしてどれだけ成長したかを確認するってイベントがあるだろ。それに近い。

 そのイベントが今も継続しているのだ。

 どうして今でもとか、何でそんなことを……なんて聞かれても困る。

 何となく止めときが分からなかったし、子供の頃からやってたから理由なんてない。

 成人しても親と風呂に入ってる子供とかいる。アレと一緒のようなもんだ。


 そのイベントは俺が1人暮らしを始めてからも続いていた。

 月に1度、自分の体を写メって送りあう。

 

 今日はそのイベントの日だ。


 朝食後、半そでと短パンに履き変える。準備は完璧だ。

 10時きっかりにスマホが振動して、雪菜ちゃんからのメールが届いた。写真つきだ。


 写真を開くと、学校の水着だろうか、競泳水着を着た雪菜ちゃんが鏡に映っていた。

 ほぼ直立不動で、面白みもない写真だ。

 何より顔がこちらを見下すような冷たい表情で、スクール水着を着た雪菜ちゃんにそんな顔で見下ろされたら変な趣味に目覚めてしまいそう。


 しかし相変わらずスレンダーな体型だ。

 全体的にシュッとしている。腰にはモデルが羨むような美しいくびれがある。

 足とかも外人モデルかよって言いたくなるくらいすげー長い。

 肌のケアも怠っていないからか、シミなんて全く見られない。映像でもその滑らかな肌を感じ取れるほどだ。

 中学に入った頃から常に腰までの長さに保っている髪も、丹念に手入れをしているのが分かる艶が光り輝いている。


 誰が見ても完璧だと羨む体だ。――胸を除いてだが。

 恐らくこれ以上、雪菜ちゃんの胸は大きくならないだろう。中学生の頃に止まってしまった成長。

 本人は『ただの脂肪でしょう? それくらいで一喜一憂する人が哀れに思えますね』と気にしてはいない様子。

 だが俺は知っている。彼女が夜な夜な密かに豊胸マッサージをしていることを……! 


 自分の体の一部の成長を気にしている――彼女がそんな俗っぽい悩みを持っているのは俺が完璧な彼女に感じる数少ない親近感だ。

 もし、これが無ければ俺は彼女に対して距離を置き、こうやってメールをすることなんて無かったかもしれない。胸が小さいことが、俺と彼女を繋いでいる絆のようなものだ。その絆に感謝したい。

 ありがとう、胸が小さくて。本当に……本当にありがとう……。それしか言う言葉が見つからない。


『体型に変化はありません。体重は0.3kgほど増加しましたが、身長が0.5cmほど伸びていたからでしょう。報告は以上です。早く兄さんも送ってください。こんな面倒くさいこと、早々に終わらせたいので』

 

 また、身長が伸びたのか……。このままだと追い抜かされるかもしれないぞ……。


 そういえば俺が1人暮らしを始める際、いい機会だしこのイベントを終わらせてもいいのではと雪菜ちゃんに言ったことがある。

 だが答えはノー。理由を聞くと、俺の測定結果を見ることで、俺がちゃんと生活できているかを把握するためとか。

「仮に体型が大幅に変わるほど不養生をしていたなら、即刻家に帰ってもらいます。兄さんが孤独死したとして、迷惑がかかるのは妹の私なので」とのこと。

 エリザのお陰もあってか、俺は健康そのものだし、今まで雪菜ちゃんに生活の問題点を指摘されたことはない。

 今回も大丈夫だろう。


 よし、後でパソコンのほうに写真を移すとして、俺もさっさと写真を撮ろう。 


「エリザー。すまんけど、いつもの写真撮ってくれ」


「オッケーだよー。えへへっ、わたしもこれ楽しみなんだー。写真撮るのって楽しいよねっ」


 自分で自分の全身像を撮ることはできないので、毎回エリザに撮影してもらっている。

 エリザと遭遇する前? 何とか頑張って撮ろうとしてたけど失敗しまくってたら、いつの間にか撮影できていた。 後で聞いたら、エリザがこっそり撮影を手伝ってくれていたらしい。


 カメラを構えるエリザの前に立つ。俺はカメラを前にすると変顔をしてしまうタイプだが、流石に雪菜ちゃんに送る写真で変顔をする勇気はない。

『兄さん。ふざけないで下さい。今送られてきた写真の顔に整形させますよ?』とか言われそうだからな。

  

「よし。じゃあ頼む」


「うん。いくよー……ハイチーズ!」


 スマートフォンから某有名ネズミの『ハハッ』という甲高い笑い声が響いた。

 現在設定しているシャッター音だ。特に意味は無い。


「あははははっ」


 シャッター音を聞いたエリザが笑う。よく分からんが、このシャッター音が相当にツボらしい。


「あははっ、あはっ、あはははっ……ふぅ。ご、ごめんね?」


 一しきり笑った後、目の端の涙を拭うエリザ。

 箸が転がってもおかしい年頃なのだ。シャッター音で爆笑してもいいだろう。


 カメラを真面目な表情でジッと見るエリザ。その顔が笑顔に変わった。


「うん。上手くとれたよっ」


「いい感じか?」


「うん! 辰巳君かっこいいよー!」


 ちょっと照れながらスマホの画面を覘く。エリザの言う通り、ブレや逆光もなくしっかり撮影できていた。

 画面の端に透明がかったゴ〇ブリや魚、大根が写りこんでいるが、まあいつものことだ。どうやらエリザが撮影すると、この部屋でお亡くなりになったものが写りこんでしまうらしい。いわゆる心霊写真だ。

 最初こそビビりまくったが、今は慣れた。それどころか大根の幽霊なんてレアリティ高いもの見れてラッキーと思っている。この特性を利用して有名なミステリースポットで心霊写真をとって出版社に送りつけて一儲けすることを考えたけど、俺もエリザもお互いにホラーは苦手なので、その計画は頓挫した。


「兄さんは元気です。警察のお世話になることもなく、穏やかに過ごしています……と」

 

 軽く現在の近況を文章にして、先程の写真を添付。送信した。

 すぐに携帯が振動した。

 メールかと思ったら……電話らしい。

 相手は勿論雪菜ちゃんだ。

 メールは来るが、電話がかかってくるのは久しぶりだ。あれかな? 久しぶりに兄ちゃまの姿を見て、寂しくて声を聞きたくなったのかな? 俺も俺で久しぶりに雪菜ちゃんの声を聞けるので、百年ぶりの世紀末が来たとばかりに胸がドキ☆ドキ。そのドキ☆ドキを悟られないように、普段の調子で電話に出た。


「はいもしもし一ノ瀬です。雪菜ちゃん、どしたの?」


『――糞豚野郎』


 開口一番、電話口から聞こえたのはそんな言葉だった。

 無防備な心に言葉の刃(氷属性)が突き刺さり、数字にして13くらいのダメージを受けた。

 もしかしてドM専用窓口と間違ったのかしらと思ってスマホを見るが、やっぱり電話の相手は雪菜ちゃんだった。


 なおも電話口からの攻撃(精神)は続く。


『ファットユー』


『オークの下っ端』


『ドーナツばかり食べているアメリカの警官』


『カロリーモンスター』


『死因は脂肪による溺死』


『肉纏い達磨』


『太ってるタイプのニート』


 新雪にツララを落としたような、冷たくそれでいて殺傷性のある声が俺の耳を侵す。

 俺は罵声を気持ちよくする機関(マゾヒズムエンジン)が搭載されているから大丈夫だけど、一般人なら間違いなく舌を噛み切って自害するだろう攻撃力の高さ。い、いかん……! エンジンが許容量を超えた罵声のせいでオーバーヒートを……! 泣きそう……!

 

 一通り言いたいことを言ったのか、間を置くように吐息が聞こえた。


『兄さん、久しぶりですね。お元気でしたか?』


 人をディスるだけディスったあとに普通に挨拶をしてくるウチの妹は頭おかしいと思う。


「あのさ。久しぶりの電話なのにさ。何なの? 人ことを肉とか何とか……」


『ごめんなさい兄さん。兄さんから送られてきた写真を見て、気が動転してしまって』


 気が動転って、雪菜ちゃんには似合わな過ぎる言葉だ。

 どんなときだって冷静沈着な彼女が珍しい。

 初めてブラを買いにいった時も、戸惑うどころかいつもの調子で店員さんに質問して逆に困らせたくらいだぞ?(この件は番外編『雪菜ちゃんが初めてブラを買って、何だかんだで俺が原付に轢かれる話』に収録してるぞ)


 そんな雪菜ちゃんを驚かせるなんて、さっきの写真に何か問題でもあったのか? 

 それともやっぱり久しぶりに見た兄さんがあまりにもカッコメンでキュンってきちゃったとか? いかんいかん、ヨスガはいかんぞ? 


『ですか私の気持ちも察してください。兄さん、この1ヶ月に何があったんですか?』


「え、何がって……何が?」


『体型の話です。先月先々月と送られてきた写真は健康そのものの写真でした。突然メガネをかけていたことには少々驚きましたが、生意気にもお洒落をし始めたのだと、そう思いました』


 それもこれもエリザのおかげだ。

 あと、兄のことを生意気に思わないで。


『正直、兄さんのことを侮っていました。生活力皆無の兄さんのことですから実家を出て1週間ほどで私に泣き付いてくると思っていたのに、もう3ヵ月。1人暮らしが兄さんを真人間に変えたのかと納得する一方で、兄さんが私の手から離れたようで若干の寂寥感を感じていました』


 その言い方だと俺が真人間じゃなかったように聞こえるんですけど。


『でも、どうして今月に入ってこんなに……太っているんですか? この1ヶ月の間に何があったんですか?』


 困惑したような雪菜ちゃんの声。

 困惑しているのは俺もだ。雪菜ちゃんが驚くほど、体重が増加しているなんて自分では全く感じない。確かに食べる量は増えたけども。


『写真から見るに、おおよそ3.2……いえ、3.1㎏でしょう。先月から増えているはずです』


 写真を見ただけでハッキリと数字を出されてしまった。

 だがいくら、雪菜ちゃんでも写真だけでそこまで分かるはず無いだろう。

 きっとアレだ。1月ぶりに俺の姿を見たから、勘違いしているんだ。そうに違いない。

 だが、念のために確認しておこう。


 ニコニコしながらこちらを見ているエリザに言う。


「エリザ。体重計ってある?」


「体重計? ん、ちょっと待ってねー」


 エリザが持って来た体重計に乗ってみる。

 体重計に表示された数字を見るも、自分の体重なんて把握していないから正直分からん。


 一緒に体重計を見ていたエリザが笑った。


「あははっ。先月よりちょっと増えてるねー」


「え、先月よりって……記録してるのか?」


「うん。あ、一応身長も記録してるけど……そっちは……」


 伸びてない、と。まあいいんだけど。

 エリザが持って来たノートには俺の体重やら、食べた食事の量、その時の感想などエリザが書いたイラスト付きで記されていた。


『オムライス……美味しそうに食べてくれた!』


『ゴーヤチャンプル……苦手みたい。凄く苦そうな顔で食べてた。でも全部食べてくれた!』


『ビーフストロガノフ……3回もお代わりしてくれた! 「このビーストガノンドロフ美味しいな」って言ってくれた! 違うけど別にいっか』


『野菜炒め……わたしが人参を除けてると「好き嫌いはダメだぞ」って怒られた。でもそう言いながらわたしの人参食べてくれた! 代わりに辰巳君が残してたピーマン食べてあげた!』


『すき焼き……わたしがお肉を取ろうとしたら「それまだだから」って怖い顔で言われた。わたしがジッとしてたら、無言でお肉とかお野菜をお皿に乗せてくれた。ちょっと怖かったけど……何かかっこよかった』


『お鍋……やっぱり怖い顔でジッとお鍋を睨んでた。よくわかんないけど……たまにはいいかも』


 パラパラと捲ると、そんな感じでエリザの一言コメントが書いてあった。

 俺が販売担当なら、長期的な展開も見込んで上司に出版を打診しちゃうくらい、エリザの想いが篭もった本だ。

 流石に自分が書いたものを見られるのが恥ずかしいのか、エリザは照れくさそうに笑っていた。

 つーか俺も恥ずかしいんですけど……俺の恥ずかしい勘違いも載ってるし……。


 いや、今は体重だ。

 体重は雪菜ちゃんの指摘通り、3.1㎏増えていた。


「本当だ。太ってる」


『……兄さん? もしかしてですけど……誰か部屋にいるんですか?』


 雪菜ちゃんの声に殺気がエンチャントされた。

 いかん、いつもの癖でエリザに話しかけてしまったが……これはまずいぞ。

 雪菜ちゃんのことだ。俺が美少女と同棲しているなんてことを知ったら『ついに監禁してしまいましたか。いつかはやると思っていましたが……残念です。では兄さん、警察にお世話になってその無様な醜態をお茶の間に晒す前に命じます――自害しなさい』って具合に積極的に死ぬことを勧めてくるはず……!


 ここは誤魔化すしかない。


「え、誰もいないけど?」


『ですが今、誰かに話かけていたようですが?』


「いや、それは……その……あれだ。独り言をね」


『何やらエリザ、と。名前も呼んでいたようですが?』


「あのね、一人暮らしが長く続くとね、独り言の相手にも愛着が湧くんだよ。そりゃ名前も付けるよ」


『……』


 電話口から、何かを探るような気配を感じた。


『……兄さん以外の息遣いや気配は感じない、と。本当にただの独り言のようですね。兄さん、独り言の相手に名前を付けようが人格を作ろうが勝手ですが……手遅れになる前に病院に行った方がいいかと』


 おっと、これはかなり引かれたな。

 まあ、エリザの存在がバレて自害を強要されるよりかはマシか。


『――ともかく。体型の変化から見て、兄さんがまともに生活できているか、という面に非常に疑問を抱きました。兄さんには即刻そのアパートを引き払ってもらい、実家に帰って頂きます』


「はぁ?」


急すぎる展開に思わず抗議の言葉をあげた。


「何でそうなるんだよ」


『初めに言ったでしょう。兄さんが1人暮らしをする上での条件として、自己管理は徹底する、と』


 言ったような気がする。


『ですので兄さんには実家に帰ってきて頂きます。そして私の支配――もとい管理のもと健全な肉体を取り戻してもらいます』


 俺の脳裏に雪菜ちゃんの管理のもと、受験勉強に挑んだあの日々が浮かんだ。

 確かに雪菜ちゃんが人を管理する手腕は素晴らしい。最早人を管理することが運命付けられたかのような天才的な采配。こんな俺ですら自分よりそこそこレベルの高い今の大学に入学できたくらいだ。

 だが、雪菜ちゃんが俺に行った教育は恐ろしいものだった。


『フィギュア爆破式教育』

『オカズ画像クラスの男子顔に加工式教育』

『恥ずかしい過去インターネット流出式教育』

『痛々しい写真辛うじて知り合いには分かる程度に加工してインターネットに流出式教育』


 と、思い出すだけで鳥肌が立つ恐ろしい教育の数々。というかネットに流出しすぎ。

 そんな恐ろしい過去を思い出して「じゃあお願いしまーす」と雪菜ちゃんに身を委ねるほど俺はバカじゃない。

 

「待った待った! ちょっと体重が増えただけだろ? それくらいで実家に帰るとか……」


『1月で3kgですよ? このまま増えていけば1年で36kg、10年で360kg増える計算になります』


「ねーよ」


 どんだけ頑固な棒グラフなんだよ。山も谷もないじゃん。


 雪菜ちゃんたまーにこういう発言するんだよな。真面目な顔と口調で言うから、本気で言ってのかふざけてんのか分かりづらい。


 ともかく、実家に帰ることは避けたい。


「分かった。じゃあ、元の体重に戻せばいいんだろ? そうすれば文句はないよな?」


『……ええ。できればの話ですが』


「やってやるよ」


『分かりました。そこまで言うのなら――1週間。1週間以内に3kg減量してください。それができなければ、実家に帰っていただきます』


 妹である雪菜ちゃんの言うことを何故素直に聞く必要があるのか。そう思うかもしれない。

 だが、雪菜ちゃんには俺が1人暮らしをする時に大きな借りを作ってしまったのだ。だからしょうがない。


『では1週間後を楽しみにしています。私は今から兄さんの部屋を片付けておきますので』


 既に失敗する気でいやがる……。


「じゃあ1週間後に。あ、あとアレだ。……久しぶりに声聞けてすげえ嬉しかったよ」


 短い会話だったが、メールではない、生の声を聞けたので楽しかった。

 色々問題はある妹だが、両親以外の唯一の肉親だ。誰よりも大切に思っている……恥ずかしいから言わないけども。


『……』


 電話の向こうから戸惑うような感情が伝わってきた。


「どうかした?」


『……いえ。兄さんが少し変わったような気がして。前はそんなこと言わなかったのに』


「そんなことって?」


『私の声が聞けて嬉しいなんて……いえ、まあ……いいです。……悪い気はしませんから』


 雪菜ちゃんはそう言って電話を切った。

 電話を切る直前、かすかに笑う声が聞こえたが……気のせいだろう。 


 ふぅ……しかし厄介なことになったな。

 1週間中に3kg痩せなかったら実家に送還か。


「たーつみくんっ。何の電話だったの?」


 電話が終わるまで待っていたのだろう。エリザが背中から手を回して抱きついてきた。

 ほぼ全体重をかけられているが、重さは殆ど感じない。リンゴで例えると3個分くらいか?


 そうだ。エリザにも言っておかないと。


「何かダイエットすることになった」


 俺の発言に首を傾げるエリザ。まあ、当然の反応か。


「3kg太ってただろ。だからダイエットしないと」


「えぇー? 大丈夫だと思うよ? だって、ほらお腹だってそんなに……あははっ、ぷにぷにー」


「摘まむな摘まむな」


「絶対これくらいの方がいいよ! 今くらいが一番健康的な体型だと思うし! ……そ、それに今の辰巳君ギューってした時気持ちいいし」


 もじもじと頬を染めながらそんなことを言うエリザ。

 エリザがデブ専の可能性が浮上してきたが、今は重要なことじゃない。

 

 とりあえずダイエットをする以上、料理を作るエリザにも協力してもらわなければならない。

 ダイエットできなければ実家に帰らないといけないということを告げると、流石のエリザも顔を強張らせた。


「え!? わ、分かった! じゃあわたしも協力する! 辰巳君がいなくなっちゃうなんて絶対イヤだもん!」


「ああ頼むよ」


「うん。頑張ってヘルシーなご飯作るね! ……あ」


 エリザが何かに気づいたような声をあげた。

 台所から漂ってくる甘い匂い。


「チ、チーズケーキ作ったんだけど……ど、どうしよう?」


 エリザには悪いが、ダイエットをする上でケーキなんてカロリーの高いものは間違いなく敵だろう。

 俺は確固たる意思を持ってエリザに告げた。


「――ダイエットは明日から始めよう」


 と。

 明日って今さ!とか言った人がいるらしいが、明日は明日だろう。明日できることは明日やればいい。

 明日からダイエット生活のスタートだ。


 

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