第22話しゅっくち!(縮地特有のくしゃみ。もう何かネタが尽きたんでこれで……)

――いち……せ…うはい……


「……ん?」


 授業が終わり大学構内を遠藤寺と歩いていると、ふと誰かに呼ばれた気がした。

 現在俺達が歩いているのは、大学の1号館と2号館を繋ぐ廊下だ。周囲を見渡すもあるのはリノリウムでできた床と外を眺めることができる窓、廊下にポツポツと配置されている休憩スペースの3人がけの小さなテーブルと椅子だけだ。

 

「おや、どうかしたのかい?」


 立ち止まり周囲を見渡す俺に、遠藤寺が首を傾げつつ聞いてきた。


「いや、なんか名前を呼ばれた気がしてさ」


「ふむ? だが辺りに人影はない様子だけど。そもそもこの大学内に君の本名を知っているような稀有かつ酔狂な人間がいるのかい?」


「お前は今かなり酷いことを言った」


 俺の名前を知ってるだけで酔狂とか……よくもまあそういうことを真顔で言えるよな遠藤寺って。多分悪意はなく、本気で言ってるだろうし。そこも性質が悪い。

 しかし、まあ……遠藤寺の言葉も一理ある。

 酔狂とまでは言わないが、この大学で俺の本名を把握している人間は珍しいだろう。

 顔を知っている知り合いと名前を知っている知り合いとでは大きく差がある。顔なんて1回見れば興味なくても頭の片隅には残るけど、名前は少しでも相手に興味を持たないと頭の片隅にも残らない。俺の名前を覚えるほど俺に興味を持つ奇特な人間なんて早々いないだろうし。


 ふと気づいたけど、遠藤寺って俺を名前で呼んだことないんだよな……。

 かれこれ3ヵ月近くの付き合いになるが、遠藤寺の口から『一之瀬』や『辰巳』、『たっちゃん』『たーくん』『たっつん』『たーたん』『たー』といった、俺の名前に関する言葉を聞いたことがない(ちなみに最後の方は恋人に呼んで欲しい呼び方)


 遠藤寺の顔を見る。


「ん? ボクの顔に何か付いてるかい?」


 何かってそりゃ一見すると睨まれているみたいで恐縮しちゃうけど慣れると見られるだけですんごい気持ちよくなっちゃうジト目やら、思わず口を使って収穫したくなるようなプルンプルンな唇がついてますけれど(しかも年中収穫できる!)


 名前の話だっけ。

 いつも遠藤寺が俺を呼ぶときは『君』や『親友』といった呼び方で、親からつけられたそこそこ気に入っている名前をその口から聞いたことがない。

 俺は血界の眷属とかじゃないので、名前を知られても痛くも痒くもない。というか普通に知ってて欲しい。友人である遠藤寺が名前を知らないなんてことがあったら超ショックだ。 

 俺は内心ちょっとドキドキしながら尋ねた。


「え、遠藤寺さ……俺の本名って知ってる?」


 俺の質問に遠藤寺は呆れたように肩をすくめた。


「また君は唐突に……いや、君が突拍子もないことを言うのは今に始まったことじゃないか。名前? ああ、もちろん知ってるとも。――一ノ瀬辰巳、だろう?」


 俺は遠藤寺にばれないようにこっそり安堵のため息を吐いた。


 ここで『君の名前かい? ああ、そうだった。君にも名前はあるんだったね。えっと、ヌケサク、だったかい?』みたいなこと言われたらショックのあまり石化して、鉱石と生物の中間存在となって考えるをやめたくなるところだ。


 それはそれとして遠藤寺に初めて名前を呼ばれたわけだけど、呼ばれた瞬間、胸がこう『トゥンク……』みたいな音を立てて波打った。普段名前を呼ばれない人から名前を呼ばれるのってこんなにドキっとするのね。

 アニメとかで普段苗字で呼ばれてるヒロインが主人公から初めて名前で呼ばれて『キュン』ってしちゃうのを見てチョロイン乙って思ってたけど……こりゃ乙るわ、恋に。

 余談だけどギャルゲーとかで主人公のことを『さん』とか『君』付けで呼ぶ丁寧形ヒロインが、ルートに入って主人公から呼び捨てを強要されて勇気を振り絞って名前を呼んだ瞬間に恥ずかしそうに照れる展開……好きかも。


「最初に会ったときに互いに自己紹介しただろう? まあ、君が自己紹介しようがしなかろうが、ボクが調べようと思えば名前から家族構成、世帯年収から両親の恋愛遍歴、中学生時代のあだ名、小学生の頃教師のことを何回「お母さん」と呼んでしまったか……それくらい調べるのは容易いけどね」


 サラッとプライバシー保護の原則(バリア)をぶち破る発言をしてくる。

 何が恐ろしいってこの遠藤寺、本気でそれができちゃうってこと。遠藤寺のタンテイ=ジツにかかれば国家機密すらちょちょいのチョイサーだろう。

 俺はもしかすると恐ろしい人間と友達になってしまったんじゃないだろうか……今更恐ろしくなってきたぞ。


 ていうか遠藤寺、もしかして俺の中学生時代のこととか知ってんのか? ……知ってたらイヤだなぁ。


「ま、しないけどね。仕事で知り合う相手のことは完膚なきまでに調べるのがボクの信条だが……プライベートは別だ。それに……君のことは調べたくない」


「なんだよ。俺にそこまで興味がないってことか?」


 調べて欲しい……。俺のエロ本購入履歴とか調べてそこから導き出された性癖を暴いて『こ、こういうのが好きなのか……ふ、ふーん』って感じで翌日にその性癖に合わせたファッションしてこられちゃたら、俺、速攻で遠藤寺に告白しちゃうよ……。え? 俺の性癖? 白いワンピースの下に白いスクール水着を着て頭にはイカの頭部に似た――(以下娘の描写が続く)


 俺の問いかけに遠藤寺はその鋭い視線で俺を真正面から捉えたまま答えた。


「いや違う、逆だよ。興味がある。大いにね。それこそ骨の髄まで君のことなら何でも知りたいと思っている。だがね、ボクはあくまで君自身の口から聞きたいのさ。君がどういう人間でどういう人生を送ってきたのか、何を見てどう感じるのか、どんな人間関係を経て……そしてどんな異性に心を奪われたのか。その全てを君自身の言葉で聞きたい。君の主観だけの、君の感情が篭った言葉で聞きたいのさ」


「……トゥンク」


 俺は思わず遠藤寺から顔を逸らした。遠藤寺からの視線を頬の辺りにジットリ感じてその部分が熱い。


 遠藤寺ってこういうこと真正面から真顔で言うんだよね。普通の人間ならストッパーがかかってまず言わないような誤解を招く発言。

 異性の思わせぶりに発言でバッキバキに痛い目を見た過去がある俺だから耐性があるし問題なけど、他の男だとまず間違いなく『あれ? コイツ俺のこと好きじゃね』って勘違いするわ。将来、遠藤寺がそういう厄介毎に巻き込まれないように、少し助言しておこう。


 俺は遠藤寺から顔を逸らしたまま言った。


「お前って凄いよな。そういう誤解を与えかねない台詞を平気で言えるし。でもな俺だからいいけど、他の奴にそんなこと言ったらさ、アレだぞ? 面倒くさいことになるぞ? 絶対勘違いされるだろうし、勘違いした奴が奴がストーカーになったり――」


「ボクはいつだって君に対しては本音しか言わないさ。それに君も勘違いしている。いくら僕でもこんな言葉平然と言えるわけないだろう?」


 そう言うと遠藤寺はいつも通り鋭い目つきのまま、俺の右手をとり自分の頬に持っていった。

 持って行かれた右手を視線が追ってしまう。そのまま遠藤寺の顔を正面から見つめる。

 よく見ればほんわずかに朱色が混じっている遠藤寺の頬は、見た目では考えられないほど熱を持っていた。


「なんなら胸にも触ってみるかい? 今いい具合に心臓が脈打ってるけど」


「あ、いや……いいです」


 チキンっぷりを発揮した俺を見て、遠藤寺が何やら勝ち誇ったような表情を浮かべた。


「どうした親友? 随分と顔が赤いよ?」


「……ぐっ」


「どうも君は直接的な好意の言葉に弱いらしいね、フフフ……」


 してやったりと言わんばかりの遠藤寺の顔に、俺は呻くことしかできなかった。


「犯人との駆け引きもいいけど、こんなむず痒い感情の駆け引きも実に面白いね」


 遠藤寺が俺の右手を離した。引っ込めた手に残った遠藤寺の熱がなかなか消えない。


「じゃ、今日の夜は楽しみにしてるよ。今日は色々と聞くよ……君を勘違いさせるようなことをね。――また後で、親友」


 そう言うと遠藤寺は、俺に背を向けヒラヒラと手を振りながら歩き去って行った。

 残されたのは所在なせげに佇む俺。

 ふと右手で自分の頬を触ってみた。右手から感じる熱はやはり熱く、遠藤寺の熱と混じり熱くなりすぎた俺の右手は最早感覚すら無くなっていた。


■■■


 遠藤寺が視界から消えた後、どこからか声が聞こえてきた。


「……うはい。……せ……こう……はい」


 やっぱりだ。誰かが俺を呼んでいる。

 周囲を見渡すも、やはり人影はない。


 もしかしてアレか。昔患った幻聴が再発したのか? もー勘弁して下さいよー。中学の時に『聞こえますかイチノセよ、今あなたの心に直接呼びかけてます』とか脳内ボイスに誘われて『そう。その水に飛び込んで下さい。世界がクリアを待っています……さあ!』って言われて異世界召喚キタコレとばかりに異世界への門と思わしき川に飛び込んだら、当然のようにただの濁った川で俺泳げないし、通りがかった人が助けてくれたのはいいけど、脂ぎったオッサンで大丈夫って言ってるのに人工呼吸されそうになるし……幻聴にはトラウマしかねーんだよ! あれ? あの時、本当に未遂で済んだんだっけ? うっ頭が……。


 声は徐々にハッキリと聞こえるようになってきた。


「……ククク……こちらですよ。さあ、こちらに来るのデス。そう……ワタシが発する闇の波動に導かれるのデス……」


 闇とか言ってるし、これ絶対やばいタイプの幻聴だわ。

 ホイホイ言葉に従ったら第二、第三ののトラウマ作るやつだわ。きっとあれだ。このまま幻聴に従って歩いて行った先がぼったくりバーで一しきりボラボラされた後でお酒注いでくれてたネーちゃんが実は隣に住んでる43歳の化粧しまくったババアで……何だかんだで知らないガキの認知を迫れるちゃうんだ。そうに違いない。


「さぁ来るのデス……我が波動を感じとるのデス……おじぎをするのだ……」


 波動とか言っちゃってる人にまともな奴はいねーよな。

 よし無視して帰ろう。帰ってエリザと一緒にホラー映画でも見よーっと。

 あの子幽霊の癖にホラー映画とか超怖がるから面白可愛いんだよなー。んで「きゃっ」とか可愛らしい悲鳴をあげつつ俺に抱き着いてくんの。ただ俺は俺でホラー映画とか超苦手で、ゾンビランドですらちょっとしんどいくらい。そんな俺は一体誰に抱き着けばいいの?


「さ、さぁ……早く、早くしてください……お願いデスから……こっちに来て下さい……」


 なんか幻聴さんの様子がおかしいな。何やら切羽詰っているような、若干苦しげな感じだ。

 まあ知らんけど。幻聴さんは幻聴さんで大変だと思うけど、俺は現実に生きている身だからね。幻聴は頭の中でじっとしていてくれ。




「こちらへ……こちらへ来るのデス、さあ……さあ――た、助けてぇ……一ノ瀬くぅん……」


「あ、この声もしかして先輩ですか!?」


 よくよく聞けば妙に聞き覚えのある声に、慌てて再度周囲を見渡す。しかし廊下にそれらしき人影は見えない。この声の主が俺の予想通りの人なら、すぐに見つかるはずだ。あの変わった格好してる先輩が見つけにくい状況とか、ハロウィンの時くらいだし。

 声に従い、遠藤寺と歩いてきた道を引き返しながら探していると……休憩スペースであるテーブルの一つ、そのテーブルの下に何やら黒い物体が蠢いていた。

 

「助けてぇ……出れないよぉ……」


 黒い物体は一見、たっぷりゴミの詰まったゴミ袋に見えた。どうやら声の主はこのゴミ袋らしい。ゴミ袋から靴らしき物体が二足生えている。

 ん? つまり先輩=このゴミ袋? 

 まさかな……俺の尊敬する先輩がゴミ袋のはずないし。


「い、一ノ瀬くーん……え? も、もしかしてもう行っちゃったの? ま、待って―! 私ここにいるよー!」


 沈黙していると、俺がいなくなったと誤解した先輩らしき物体が、慌てた様子でごそごそ体を揺らした。

 足の生えてる場所から考えるに、お尻辺りだろう部位がフリフリ揺れた。


 しかし見た目はアレだが、随分と可愛らしい声だ。もしこの声の持ち主がラジオ番組をしていたら、毎週かかさず聴くし人数限定の公開録音なら他の参加者をアレしてでも参加するだろう。

 例えるなら、そう……妖精の声。夢の中へと誘われたくなるような魅惑的な声だ。

 よし、このゴミ袋のことを『ダストフェアリー』と呼ぼう。……なんか自給230円くらいの喫茶店で働いてそうな名前だな(怖ろしく知名度の低い元ネタ)


「いちのせくぅーん……私ここにいるよー……うぅ」


 よくよく見るといつもの黒いローブを纏った先輩が、土下座をするような姿勢でテーブルの下に潜り込んでいるだけだった。状況から察するにどうやらテーブルの下から出られないらしい。

 何やってんだこの人……。


 俺がいなくなったと思った先輩は、『しくしく』とオノマトペを織り込んだように悲しげに呟いた。


「うぅ……一ノ瀬君行っちゃったみたいだし、わ、私もしかしてずっとこのまま? い、嫌だよ……このまま死んじゃって明日の朝刊で『〇〇大学にて女性の変死体? 女性は何故か黒いローブを被ったまま死亡しており……』みたいなニュースになったらどうしよう……。そんなニュースが流れたら美咲ちゃんが学校で虐められちゃうよ……!」


 『やーい、お前のねーちゃんゴミ袋ー』とクソガキが喚く光景を幻視した。許せん! その呼び方していいのは俺だけなんだぞ!?


「こ、こんな所で死にたくないよぉ……。そ、それに、まだ一ノ瀬君ともお話ししたいことたくさんあるし。――えいっ。えいっ!」


 先輩がローブに包まれたお尻を揺らしながら体を揺らす。テーブルがガタガタ揺れるが、先輩が出てくる気配はない。

 ローブがテーブルの足に挟まっているからか、ローブの生地が突っ張って体のボディラインがはっきり出ている。

 前々から思っていたが、やはり先輩ってかなりのナイスバディに違いないよ。要チェックや!


「な、なんで出られないの? こ、このっ――あああっ!? 今なんかビリっていった!? 破ける音がした!?」


 それは大変だ!と先輩を凝視するが、残念ながらローブの裾の部分が少し裂けていただけだった。

 艦〇れの大破イラストみたいに、都合よくお尻の部分だけ破れて下着が見える展開を期待していたのに……。


 流石にこれ以上は見ていられない。俺は先輩(のお尻)に声をかけた。


「あの、先輩らしき人。大丈夫ですか?」


「へあっ!?」


 ガコンと音を立てて、テーブルが一瞬浮いた。

 頭をぶつけたらしい。


「い、痛ひ……。あっ、この声……一ノ瀬君!? よ、よかったぁ……てっきり気づかずに行っちゃったのかと……」


「そんな所で何してんすか?」


 テーブルに潜り込むのが趣味なのかな? 最近流行ってるらしいじゃん。机の下でキノコ育てたり、むぅりぃーとか言ったりハイライト消したりするの。何の話かって? 俺の大好きなアイドルの話に決まってんだろ! 元ネタ言わせんな恥ずかしい。


「じ、実はね、ちょっと困ったことになっちゃって……あ、いや――けふんけふん!」


 先輩はわざとらしく咳をした。

 先程の甘えた子供のような声から、いつもに無理やり作った低音の声に。


「フフフ……よくぞ聞いてくれましたね我が同志、一ノ瀬後輩よ。実はこのテーブルの下になんとカオスゲート――闇の世界の入り口があることをワタシの魔眼『ダークアイ』が看破したもので、思わず飛び込んでしまったのデスよ。おっと、既にゲートは閉じられていますよ。ワタシが接触した事で『アチラ側』にも気づかれたみたいデス。あっという間にゲートを閉じられてしまいました。中々に早い対応――もしかすると超級者以上の手練れが対応したのかもしれませんね。デスが収穫はありました。何と近いうちにアチラ側では準超越者級の魔人が集結し、会合を開くという情報が……」


「はい」


「フフフ……」


「……」


「フフ……」


「……」


「フ……」


 俺と先輩(のお尻)の間に静寂を表す『シーン』というオノマトペが通り過ぎた。


「で、本当は?」


「……あー、一之瀬後輩の後ろ姿が見えたので声をかけたのデスが、すぐに知らない人が隣に歩いているのに気づいたもので……ついとっさに隠れてしまいました」


「なんで隠れるんですか……」 


 と、呆れたように返した俺だが、先輩の気持ちは大いに理解できる。気軽に話しかけることができる仲のいい友達相手でも、友達の友達がいたら何故か話かけるのを戸惑ってしまう。

 コミュスキル高かったら「おっす〇〇。あれ? そっちの誰? ダチ? ○○のダチなら俺のダチみたいなもんだな! 俺□□、よろしくな!」みたいな『ズッ友の友達もズッ友だょ』みたいな感じで話しかけれるんだろうな。まあ、俺には一生縁のない話だけど。


 この黒いローブを纏った、テーブルの下から抜け出せない不審者丸出しの人物は――デス子先輩。

 俺が所属しているサークル『闇探求セシ骸』の会長だ。

 先輩は一言でいうと……オカルトマニアだ。日々、非日常的なオカルトを求めており、このサークルもそういったオカルトに纏わる情報や事件などを集めるサークル……らしい。

 らしいというのは、実際活動している姿を見たことがなく、いつも拉致られて部室で駄弁ったり居酒屋で飲み会をしているだけだからだ。

 言動は中二病丸出しの痛い人だが、テストの過去問を渡してくれたりよく生徒を当ててくる教授から当てられにくくする方法などを教えてくれる優しい先輩的な面がある。

 ローブの下の素顔を見たことはないが、この可愛らしい声だ。きっと中の人も可愛いに違いない。だからってみんなは可愛い声の声優さんを無闇に画像検索するんじゃないぞ? ショックを受けたくないならな。一之瀬お兄さんとの約束だ。


「一之瀬後輩。その、できれば……このテーブルから出るのを助けて頂けると……」


「ダークなんとかで何とかしたらどうですか?」


「い、いや魔眼『ダークアイ』は……その……せ、精神に作用したり隠されている物を見破るメンタル属性のアレなので、その物理的なアレはちょっとアレで……」


 い、いかん……先輩の中二設定に早くもボロが出てきたぞ!

 このままガバガバになった中二設定を後で何とか持ち直そうと頑張る先輩は見ていて微笑ましいのだが、同時に心が痛くなる。かつての自分と重ねてしまうからだろうか。

 自分の傷が開く前にさっさと助けよう。


「分かりました。ちょっと待っててください」


 先輩が潜り込んでいるテーブルに近づく。予想通り、テーブルの足にローブが挟まっていた。恐らく慌ててテーブルに潜った際にテーブルが浮き、その時に挟まってしまったのだろう。

 

「先輩。俺がテーブル持ち上げるんで、その隙に出て下さい」


「わ、分かりました! では合図を決めるとましょう。一之瀬後輩が『Verderb(破滅の)』、それに合わせてワタシが『Windhose(竜巻)』と詠唱するのでその隙に――」


「せーの!」


「あ、はい!」


 俺がテーブルを持ち上げた隙に、先輩がカサカサとテーブルから這い出してきた。

 普段の先輩が見せない滑稽な動きに思わず軽く噴出してしまった。


「……ふ、ふぅ。やっと出られました……よいしょ」


 四つんばいの態勢だった先輩が、疲れたような動きで椅子を支えに立ち上がった。

 お尻しか見えていなかった姿の全体像が目に入る。と言っても全身ローブなので、特筆すべきことはないのだが。いや、這い出てた時に床と擦れたのか、ローブが捲くり上がって普段は見えない足が膝上くらいまで見えている……! 肌白いっ……いや、白すぎるぞこれは……! 違う、素肌じゃない、これは……白タイツ! ローブの下、まさかの白タイツ……! 


「はぁ、はぁ……長く辛い戦いでした……」


 ただテーブルに服を挟んで出られなくなっただけなのだが、モンスターと一戦やらかした後のように疲れている先輩。

 ローブから露出している肌に、うっすら汗が浮かんでいてエロい。


 息を整えた先輩は、俺に向き直った。


「ところで一ノ瀬後輩の隣を歩いていた、とても奇抜な格好をした女性は誰デスか? ……どうしました一之瀬後輩? 何やら理解し難いものを見る目でワタシを見て」


 黒いローブ来てる先輩が奇抜な格好って言っても説得力がないデース。

 

 しかし遠藤寺と俺の関係か。まあ、親友だよな。かけがえのない唯一の親友。俺あいつとだったら『俺たちずっと親友でいような』みたいなギャルゲーのバッドエンド迎えてもいいと思ってるし。


 ここで『友達ですよ』と本当のことを言ってもいいが、そろそろ先輩との仲も深まっただろうし、冗談の一つも許されるだろう。

 女と仲良くなりたいなら、冗談を磨きなって昔近所に住んでた『ほら吹きの銀二』ってオッサンが言ってたし。銀二さん最後に会ったとき『俺な。お星さまになるんだぜ? 誰よりも早く落ちる、一番綺麗なお星さまにな』って冗談いってたけど、今思えば銀二さん完全にヤの付く人だったし、完全に『鉄砲玉』になるって意味にしか聞こえないんだよな……。


 さて、冗談ね。どうせ冗談を言うんだから、先輩をめいっぱい驚かせたい。そう思ったらスルリと言葉はでてきた。


「彼女ですね」


「ほほう、なるほどなるほど――って彼女!? ほ、ほーう……なるほど。か、彼女デスか……へー、そうデスか……はー。あ、いや待って下さい。この間、一ノ瀬君後輩に彼女はいなかったって言ってたじゃない! ……言ってたデスよね?」


 さすが先輩。キャラがブレブレだ。


「あー、彼女……遠藤寺、俺はえんどりんって呼んでるんですけどね。あいつ、ああ見えてすげぇ恥ずかしがり屋で自分が彼女だってこと内緒にしてくれって言うんですよ。でも、俺と先輩の仲ですから明かしちゃいました。これ禁則事項ですよ?」


 俺の冗談は効果てきめんで、先輩は戸惑いを隠せない様子でギュッと自分のローブの胸元を握った。

 口元はひくひくと微動している。


「へ、ヘェー……はー……そ、そうデスか。よ、よく秘密を明かしてくれました、う、う……嬉しい、デス、よ。……はぁ」


 分かりやすく戸惑っていた先輩だが、深くため息を吐くと何故か回れ右をして先程まで自分が挟まっていたテーブルに潜り込み始めた。


「え、どうしたんです先輩? な、なんで出てきたばっかりのテーブルにまた戻ろうと……」


「ちょっとその……アレです……カオスゲートに用事が」


 そういうと先輩は完全にテーブルの下に潜り込んでしまった。


 テーブルの下に潜り込んだまま、もそもそと体を動かす先輩。次いで携帯の呼び出し音が聞こえた。


「……あ、三咲ちゃん? ……い、今大丈夫? ううん? 泣いてないよ……ぐすっ。あのね、お姉ちゃんがこの間言ってた後輩の子ね……うん、そう。な、なんかね……恋人いたんだって……ぅん。うんうん……ふぐっ。ご、ごめんねっ、今度家に連れて行くって約束してたのに……っ、だめなお姉ちゃんでごめん。……ありがとね。三咲ちゃん優しいね。うん、うん……え? えっと……よく分からないけど……あんまり鍛えてるようには見えない、うん。最近ちょっとポチャッとしてきて……うん。え? 真夜中に背後から襲われて対応できるタイプか? ど、どうかな? 分かんないけど……え? た、たぶん背後から頭を思い切り鈍器で殴られたら普通に死んじゃうタイプだと思う……。えっと美咲ちゃん、何かブンブン振る音が聞こえるけど……え? 素振り? 部屋の中で?」 


 どうやら例の妹ちゃんに電話をしているようだ。テーブルの下で聞き取れない部分が多いが、このままだと不味い気がする。このままじゃ、バッドエンドに直行しそうな気がする。しかもタイプムーンのゲームとかのバッドエンドに。


 慌ててテーブルの下にいる先輩に呼び掛けた。


「せ、先輩! ストップ! 嘘ですから!」


「……え、嘘?」


「はい嘘です! 彼女じゃなくて普通に友達です!」


「お友達? 普通の?」


 普通かと聞かれると、明らかに普通じゃないタイプの友人だが、ここで先輩を刺激する必要はないだろう。


「はい普通です。普通の友達です」


「限りなく彼女に近い友達とかじゃなくて?」


「限りなく友達に近い友達です。つーか俺、彼女いない歴生まれてからずっと更新中なんで……」


「そ、そうなの? へー……そうなんだぁ」


 俺の彼女いない暦年齢を聞いた先輩の声は何故か嬉しそうだった。

 人がモテないのを聞いて悦ぶのって人としてどーなの? 先輩愉悦サークルも掛け持ちしてんの?


 先輩が再びもそもそと這い出してくる。

 ローブで隠れてよく見えないが、目元が若干赤い気がした。


「ただの友達……なの?」


「ただの友達です。それ以上でもそれイカでもない」


 俺は念押しするように言った。アルフォース○イドラモンはカッコいいね。

 だが、俺の言葉に先輩の口元は「むむぅ」と曖昧な形で歪んでいる。納得していない様子だ。


「本当にただの友達? あ、あのね。三咲ちゃん――妹から聞いたんだけど、最近友達って言いながら、その……キスしたり、一緒に寝たりする友達関係もあるんだって……だから、その……」


「はぁ? 何すかその得体の知れない友人関係は? どうせ口裂け女みたいに都市伝説の類でしょ」


 全く妹にそんなことを吹き込まれて信じちゃうとか先輩ってばチョロイのな。

 そんな俺の理解を超越した友人関係なんて存在するわけないじゃん。

 

 俺はスマホで『キス 友達』と入力して検索してみた。


 ――そしたら出るわ出るわ……。


 あくまで遊びの感覚で異性とキスする『キス友』、一緒の布団で寝る『寝る友』。そんな情報がネット上に乱舞していた。

 どうやら俺が知らない間に『友達』という概念は随分進化していたらしい。


 つーか何これ!? 俺が高校通ってたときこんな羨ましい友達関係なんてなかったぞ!

 くっそ……あと数年遅く生まれていれば……俺にもこんなキス友ができて恋人でもない女の子達と朝のHRちゅっちゅ、お昼休みちゅっちゅ、帰りのHRちゅっちゅ、俺と一緒に帰りたくて下駄箱で待ってた後輩とちゅっちゅ、家で妹とお帰りちゅっちゅ、モニターの中の利根ちゃんと夜戦ちゅっちゅ……そんな素敵なキスマイライフが待ち受けてたのに! あ、最後のは普通にやってたわ。


 ……い、いや、待てよ。今からでも遅くないんじゃ……?

 そう、例えばだ。遠藤寺はかなり常識に欠けているところがある。普通に生きてたら絶対知りっこないレアな情報とか知ってたりするけど、反対に子供でも知ってるような当たり前の常識を知らないことが結構ある。

 友達に関してもそうだ。遠藤寺は俺と知り合うまで友達がいなくて、友達関係というものに疎いらしい。たまに友達としてはちょっと刺激ある行為が見られるし。

 そんな遠藤寺に今得たばかりのキス友やら寝る友などの情報を友達の常識と吹き込んだら――これワンチャンあるで!


 俺は今しがた思いついた恐ろしい作戦を胸の内に秘めた。もう少し練り込んだ方がいい。今夜の脳内議会はこれだな。


 妹ちゃんに吹き込まれた情報に踊らされ落ち着かない様子でそわそわしてる先輩に言った。


「何回も言いますけど、普通に友達です。一緒に授業受けたり、昼飯食ったりする普通の友達ですよ」


 天才が集められた孤島に連れて行かれて殺人事件に巻き込まれたりもするけどな。


「ほ、ほんとに?」


「ええ、本当です」


「……そっかぁ」


 先輩が非常に分かりやすい安堵のため息を吐いた。

 ため息とともにローブの胸元をギュっと握っていた先輩の手が、ゆっくりと開かれた。


「もぅ、本当にびっくりしたよぉ……はぁ、本当によかったぁ」


 『よかった』を繰り返す先輩。

 そんな先輩をジッと見ていたら、俺の視線に気が付いたのか先輩が「んっん!」と咳払いをした。

 ローブについた埃を叩き落とし、いつもの如く「フッフッフ……」と黒魔術系の笑みを浮かべた。


「――まあ、一ノ瀬後輩に恋人がいるなどというのは嘘だと最初から気づいていたのデスが。一ノ瀬後輩のように深い『闇』を抱いた存在が放つ波動に、常人が恋人なんて近い距離にいて正気を保てるはずがありませんからね」


「人をワキガみたいに言うのやめてくれません?」


「しかし……フム、先ほどの女性、なかなかに興味深い……」


 お? こんな所にキマシタワーが生える兆しあり? キマシタワーに百合の花が乱舞しちゃう?

 俺花粉症だけど百合の花だけは大好き! 見るもよし! 嗅ぐもよし! 撮るもよし! 


「一ノ瀬後輩の友人となると相当な変人なのでは?」


「先輩。話したこともない人間をディスるのやめた方がいいよ」


 俺は正論を以って先輩を諭した。


「まあ変わってるっちゃあ変わってますけど」


「やはり! 一之瀬後輩ほどではないとはいえ、彼女からもかなりの波動を感じました……! 恐らく只者ではないのでしょう……!」


 先輩は手に汗握るといった面持ちで口元に笑みを浮かべた。


「ワタシの推測では彼女は――代々竜脈を守りし破邪の霊力を生まれ持った巫女」


「じゃないですね」


「ではこの街に巣食っている魔の物を刈る為にバチカンから派遣されたシスター?」


「ノー」


「ふーむ。この街に古来より住み着いてる吸血鬼の一族……」


「ナイ」


「ならば、そう――かつて存在した人外を狩る一族の生き残りで、人間社会に紛れる人外に出会ってはその本性を剥き出しにしてハンティングに耽る殺人鬼……!」


 ある意味近い。殺人鬼とかを相手取る方だけど。


「いや、SOA(そんなオカルトありえない)ですから。アレですよ。アイツ探偵なんですよ」


「ほう探偵デスか! ……へー、そうデスか、なら別にどうでもいいデスー」


 自分の分野じゃないと知るやいなや、先程まであった熱意はどこに行ったか興味を放り出す先輩。これは友達できませんわ。興味なくてもあるふりをするコミュニケーション術って人間関係ではかなり重要なんだぜ? 俺もそれに気づいたの最近だけど。

 

 完全に興味を失ったのか、それ以上遠藤寺に対する追求はなかった。


 先輩は何かを思い出したのか、ポンと手を打った。


「そうだ、一ノ瀬後輩。今からお暇デスか?」


 夜に遠藤寺と飲みに行くから、それまでは暇だな。


「ええ、まあ」


「では部室に行きましょう。少々、一ノ瀬後輩と共有したい情報がありましてね」


 特に拒否する理由もないので、歩き出した先輩についていった。

 先輩の後ろについたことで、先程破けたローブが広がってチャイナ服のスリットみたく太ももが露わになっていることに気づいた。だが俺は指摘することをしなかった。何故かって? それはその……普段露出しない先輩の太ももがじっくり視姦できるいいチャンスだからですが何か? 白タイツに覆われた先輩の太もも……んー、グッド!

 

「ワタシのネットワークに入ってきた情報なんデスが。どうもこの街に人魚の肉を食した少女がいるとか」


「人魚の肉? それってアレですよね。不老不死の……」


「ほほう、一之瀬後輩、知ってましたか。流石ワタシの見込んだ同志だけありますね」


 まあ、高橋留美子の漫画で知ったんですけどね。


 しかし人魚の肉か。そんなん手に入ったら、まず近所の麦わら小学生に食わせるね。永遠にロリ、素晴らしいじゃん。ロリは期間限定だから価値があるって意見には同意するけど、永遠のロリも人の夢の一つじゃん? 叶えたくなるじゃん? え、金朋? あれはまた別……。

 

 廊下を歩いていると、向こうから男子生徒が歩いてきた。俺は先輩の後ろからすぐ真横に並んだ。


「見た目は和服を着た少女なんデスが、どうもこの街にある昔の写真にちらほらとその姿が確認されており、その頃と今で全く見た目が変わっていないとか……」


「へー。写真が残ってるんですか。それは結構信憑性ありますね」


「……ところで一ノ瀬後輩。いつの間にか、随分とその……近くはないデスか? 距離が」


「そうですか?」


 俺は露出した先輩の太ももを隠すような位置にいる。

 言われてみれば少し近すぎる気がしないでもない。

 実際俺の腕に先輩の肩とか当たってるし。でもしょうがない。こうでもしないと他の人間に先輩の大切な部分が見られてしまうからだ。

 

「……まあ、別に構わないのデスが。……いや、一気に距離が近づいて戸惑いはあるけど、むしろウェルカムなんだよね……」


「先輩何か言いました?」


「いや何も言ってないよ! あ、じゃなかった。……何でもないデスよ。さて、今日はこれからその人魚の肉を食べた少女が生息するらしい場所を訪ねるつもりなんデスが……一ノ瀬後輩も一緒にどうデス?」


 先輩とフィールドワークかー。

 先輩の格好を見る。真っ黒なローブを頭まですっぽり被った格好。


「ちなみにですけど。その格好で行くんですか?」


「えっ? あ……ダメ、デスか?」


 先輩の声に不安が混じった。

 考えてみる。先輩と並んで外を歩く光景を。

 恐らくは間違いなく周囲の視線に晒されるだろう。先輩は顔を隠しているからいい。だが俺は完全にメンを晒さなければならない。色々な意味で苦しい。


 けど……まあいいか。先輩がこの格好にこだわるのには何か意味があるんだろうし、それを尊重したい。

 そもそも、ゴスロリファッションが私服の遠藤寺としょっちゅう街中を歩いている。奇異の視線に晒されるのは慣れたものだ。


「いいですよ。行きましょうか」


「……本当に? この格好デスよ?」


「だからいいですって。先輩はその格好で行きたいんでしょ?」


「……」


 先輩はジッと俺の顔を見た。ローブで見えない筈の先輩の目から、今まで感じたことのない感情が伝わってきた気がした。


「ありがとうね」


 先輩の口から、作った声ではない幼さを残した少女の声が発せられた。


 先輩が咳払いをする。


「フフフ……! では行きましょうか一ノ瀬後輩! 目的の場所に行く前に、部室に行きますよ」


「え、なんでですか?」


「何を言っているのデスか。まさか一ノ瀬後輩はその格好で外に出る気デスか? 忘れているかもしれないデスが、我々は闇に生きる者、その正体を知られてはならないのデス」


「つまり?」


「今日この日の為に、ワタシが自ら魔力を込めて……『闇探求セシ骸』の正式装備、この『闇の衣』を作っていたのデス! 一ノ瀬後輩の分を!」


「え」


 妙にウキウキモードに入った先輩にノーとは言えず、俺は部室へと連行された。


 この日、この街に存在する変態番付が更新されたのだが、俺がその番付の存在を知るのはまだ先の話だ。

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