犬猫忍法書

影宮

第1話山犬の策に勘づく狼は

 とある忍の里には、一匹の犬がいた。

 山犬の忍が如し遠吠えは明くるこの日を掌に闇夜を払う一手となるか。

 ならなければならぬ。


 これは、猫を追い噛み殺さんとす山犬の記憶物語である。


 幼き頃より伝わる、伝説の忍虎太でさえもあの息の根を止める一手とならなかった伝説の忍。

 その名を片時も忘れたことはない。

 あれで互角、されどそれに本気になれば何枚も上手。

 そこに手を伸ばすには虎太をまず殺せる腕でなければならなかった。

 己があの忍に通用する腕なのか確かめようと何度も挑んだが、虎太は一切刃を交えようとはしなかった。

 ただ、目を細め姿を風に紛れさせてゆく。

 その何度目かの時、虎太は失せなかった。

 敵意も殺意もなく見据え、腕を組んでいた。

 刃を構えた己に、身構える様子もない。

「…何故。」

 無口な忍がやっと口を開き声を出したのは、有り得ぬ言葉を連れていた。

 虎太は初めて出会った時から、負けを認めていたそうな。

 まともにやれば殺される。

 だから風に紛れ逃れていたと。

「本気か?」

 頷く虎太を睨み付けたが、それ以上のことはもう語らない。

 代わりに武器を構え、今更に応えてやろうと殺気を取り出した。

 忍の一騎討ちほど、笑えないものはない。

 互いに血塗れになりながら、確信を得た。

 虎太を貫く一手と、己を掠める一手。

 引き抜けばその手は傷を抑え目を閉じる。

 倒れもせず、一歩前へ足を着いた瞬間に風が唸る。

 もうそこには血ばかりが残されているのだった。

 伝説と呼ばれし虎太の死に様を見ることはできなかったが、それと同時に標的が現れた。

 忍を殺し、忍の里を滅ぼした伝説の忍…夜影。

 無表情のまま漆黒の瞳で己を見据える。

 ただ片目のみを閉じて。

 虎太の血を片手で掬い上げ、赤い舌で舐める。

 それはまるで味を確かめるようであった。

 殺気もそれ以外の何かも感じさせてこない。

 ただ、虎太と戦った後では如何にしようとも不利であることが否めない。

「…お前が、夜影だな。」

 そう名を口にするとその血を掬い上げた汚れた片手を伸ばしてきた。

 それに違和感を感じ逃れることを選んだ。

 その場から走り去るも、追ってはこない。

 しかしこの背中へ迫る殺気だけはどうしようもなかった。

 どこまでも追いかけてくる殺気に、確かな恐怖を感じた。

 やがて失せた殺気に足を止め息を整える。

 あれでは、虎太が殺せぬというのもわかる。

 初めて本物に出会ったが、これは真っ向勝負では無理だろう。

 体の治療を行い、策をたてるとしよう。


「才造。」

「は。」

「こやつを忍隊に入れよ。」

 呼ばれた忍はその顔を上げ己を見た。

 そして、険しい顔のまま頷く。

 主から離れたところで才造という忍は振り返り己を睨み付けた。

「ご苦労なこったな。わざわざ主を通し入隊試験を避けたとなると、除かれることがわかってのことか。」

 確か、才造というのは武雷忍隊の副隊長だったか。

 そうともなれば流石に気付くか。

「実力も察する。一晩もすれば話は流れ込むもんだ。草然の伝説野郎と殺り合ったか。で、狙いは主でなく夜影の首か。」

 それがわかっていながら警戒心、殺意はないようだ。

 険しい顔は常のことと見ていい。

「何故わかっていて除かない。」

「わかっているからだ。そう慎重な手をとったということは、容易じゃなかったんだろうが。違うか?」

 溜め息をつき、背を向ける。

 現れた部下の忍から文を受けとると振り返りそれを開いた。

「すぐには殺そうとしない、しても殺せない。夜影のみを狙ってのことならワシは暫く目を瞑る。」

 文に目を落としつつもそう言った。

 そして文に火をつけ焼き捨てた。

 内容は知れないが、その場で読み捨てるとなればその程度か。

 才造は夜影の旦那だったはず。

 目を瞑っていいことなのか。

「入隊するからには働いてもらう。人手が足りん。それに…残念ながら暫く嫁は不在でな。」

 そういうことか。

 安全が確定している間のみ、泳がせるというわけか。

 ならばその間に整えておくとしよう。

「お前から見て、己を如何に評価する。」

「…そうだな。紙一重…といったところか。」

「紙一重?」

 才造は霧となって失せた。

 人手不足といったように、忙しいのだろうが。

 その言葉の意味を理解することはできそうになかった。

 蔵に入れば忍が壺を布で磨いていた。

「山犬が、何のようだ?」

「…何をしている。」

 壺を置き、立ち上がると床板を強く踏む。

 すると床板はその拍子にぐるりと回りその下に広がる闇に梯子が伸びていた。

「用がなければ他へ行け。夜影に頼まれた品を作っているだけだ。」

 そう言い残し床板の下へと降りていった。

 覗くと、様々な高価な品が棚に並べられている。

 武雷家の物とは思えないが。

 降りてみれば棚の空きを数えていた忍の背中が見える。

 盗み此処に保管しているのか?

 触れようとした瞬間、腕を掴まれた。

「やめておけ。此処にある品には全て呪術がかかっている。下手に触れるな。」

「呪術?」

「触れた者は逃れられない。此処から持ち出せば苦しみ此処に戻すまでは一生血を吐くことになる…らしい。」

 その言い方は、この忍が呪術をかけたわけではなさそうだ。

 管理をしているようだが。

「今は金が入り用でな。偽物と本物を摩り替え、本物を此処に保管し金を出す輩に売っている。」

「あの壺も、盗んだものか。」

「いや、あれは偽物だ。」

 掴んでいた手を離すと上へと上がっていった。

 もう一度目の前の品を見つめる。

 神経を集中させ睨むように見つめていると、薄く気体の様な何かが品を覆うように漂っている。

 これが、呪術…。

「上がれ。閉めるぞ。」

 その声に振り返り梯子に足をかけた。

 この忍は伊鶴というらしい。

 伊鶴は壺などの品以外にも、武器も作ることができるようだ。

 蔵を出、次は何処を見ようかと池の傍を通った。

 そして気配を感じ池に目を向ける。

「誰だ。」

 水飛沫を高らかに上げ現れたのは忍だ。

「水の中に引きずり込んでやろうか、なーんて思ったんだけどなぁ。」

 その言葉に殺気をたてると、忍は苦笑を浮かべた。

 水面に立ったまま、背を向ける。

「まぁたえげつない奴拾ってきたなぁ、主はぁ。」

「また?」

「長も、武雷の主に拾われたんだってよぉ。猫の次は犬ってか。」

 そう言うと水飛沫をたて姿を消した。

 そこには気配はなく、潜まず失せたらしかった。

 夜影は、拾われた…のか。

 あの忍が拾われるというのも違和感がある。

 わざと入ったわけではないのか?

 いや、あの伝説がある。

 どちらにせよ可笑しい。

 足元に矢が刺さる。

 放った主を睨み上げると木の上にまたもや忍がいるのだ。

「その目、嫌い。獲物、狙ってる。もしかして、長?」

 猫目が睨み返してくる。

 この忍にも読まれた。

 そんなにわかりやすいものなのだろうか。

「長、きっと嫌い。その目、警戒する。もう、してるかも。」

 欠伸をしてそこから失せた。

 一度出会った後だ。

 今更、警戒なぞ。

 目、と言われてもどんな目になっているのかはわからない。

 ただ、殺気があったのかもしれない。

 忍屋敷に入れば、才造が腕を組み立っていた。

「お前の部屋は彼処だ。破壊さえしなければいい。好きに使え。」

 目線で示される先の扉に向かう。

「夜影は?」

「少し殺気だっている。迂闊に踏み込めば掠めそうだ。」

「伝説野郎は?」

「しぶとく生きている。」

 振り返れば白い長髪の忍が才造の前に立っていた。

 あれは…不殺の盗賊の生き残りだったか。

 部屋に入り腰を降ろす。

 夜影の部屋は、奥か。

 確定すれば寝込みを刺せる。

 溜め息をつき、目を閉じた。

 夜影が此処にいても居らずともまだ手を出せないことは変わらない。

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