四 夜の淵で

 王子は生きている! フェリシアが語ったのは、少なくとも王子の生存を期待させるに足る内容だった。


「はぁっ、はぁっ。ま、待って。ヒルイ。ちょっと」


「何だ、疲れたのか。――なら、そこでは目立つ。来い」


「ちょっ、物みたいに持つのをやめなさい! こら!」


「黙れ、見つかるぞ。ここで頭を低くしていろ」


「はぁ、はぁ……。むぅ。何で訓練もしていないのに、あなたはそう、平然としていられるんですか」


「知るか。お前にとっての王子が、そうだったのだろう」


「確かに……。王子が息を切らしたところなんて、見た事はありませんけど」


「ならそういう事だ。……いいから黙ってじっとしていろ」


 ぐいと茂みに頭を押しつけられた。そろそろ、陽が落ちようという頃合だ。さっき、追っ手を振り切ったが、ブラムド達ともはぐれてしまった。


「ねぇ、ヒルイ。さっきの話、どう思います?」


 西の空に、星が輝いている。じき、このあたりは闇に飲まれるはずだ。月はなく、時折、通り過ぎる風が草木を揺らす音だけがする。


「貴様が我に意見を求めるなど、珍しいではないか」


「そ、それは、あなたがいつもおかしな事ばかり言うからでしょう!?」


「忘れるなよ? 貴様が望んだから、我はここにいるのだという事を」


「もう……。それより、さっきの話についてです」


「ふん。あの女も言っていただろう。王子が無事だという保証はないと。ただ、王子とやらの騎獣が見つかったと。それだけではないのか」


「でも、そのオピニクスはどうやら怪我人を守っているようだという話ですよ? 王子に違いありません。きっと……」


「はぁ。お前の中で結論が決まっているなら、我に聞く事などないだろうに」


「で、でも! 客観的な意見を知りたいんです!」


「野生かも知れんぞ。怪我人を守っているという話も、餌として獲ってきた人間を、逃げぬよう見張っているだけかも知れん」


「お、オピニクスは人工的な交配種です。野生はいません」


「だとしても、餌である可能性は残っているな」


「ど、どうしてそんな酷い事を言うんですかっ」


「貴様が〝客観的な〟意見を欲しいというから、言ってやったまでではないか。全く、我が主ながら面倒な女だ」


「……生きているかも知れないんですよ。王子が。あなたはそりゃ、会った事はないでしょうけれど」


「ふん。客観的な意見を答えるならば、今はこの島から出る事が第一だろう。ここを抜けたら、王都にでもどこにでも、王子とやらを探しに行けばいい」


「お、王子がいるのは獅吼山ですよ? 王都へ寄っていたら、遠回りになってしまいます」


「お前こそ、ちゃんと話を聞いていなかったのか? 道のない山中だから、地元の者でないと詳しい場所が分からないと言っていただろうが。案内もつけずに山へと分け入るつもりか。遭難しても知らんぞ」


「そ、そうでした……それに、フェリシア様の情報提供者も見つけないといけませんものね。王都から出られないでいるそうですから、救助いたしませんと」


「鳩なぞで、よく射ち落とされずにやり取りが出来ているものだ」


「王都を封鎖している兵士達の間でも、手紙の配達といえばオムシュエット、という固定観念があるんでしょう。私だって驚きましたもの、鳩が手紙を運ぶと聞いて。もっとも、いつかは気づかれてしまうでしょうから、あまり長くはこの方法は取れないでしょうけど」


「王都を封鎖しているのはバルジエフとかいう奴の軍なのだろう? あまり出来の良い将軍ではないというし、しばらくは大丈夫ではないか」


「あまり楽観視は出来ません」


「ふん」


 ヒルイがつまらなそうに鼻を鳴らす。辺りはすっかり暗くなってしまった。もはや、目の前にいるはずのヒルイの顔さえ見えない。


「……ねぇ、ヒルイ」


「なんだ」


「本当に、王子なのでしょうか。王子は、生きていらっしゃるのでしょうか。もし、ヒルイの言う通り、オピニクスのところにいる方は哀れな被害者で、王子は本当は……亡くなっていたら」


「また、〝客観的〟意見を言ってほしいのか?」


「クルーグだって、餌は要ります。世話をする人がいないなら、飢えのあまり人を襲う事だってあり得るかも知れません。クルーグが野生に放たれているという事は、今頃王子は……」


 ヒルイは少し抑え気味にため息をついた。


「なるほど、不安なのだな。降って湧いた一縷の希望を、信じて裏切られるのが怖いのだろう」


「そう、かも知れません……」


「今はもう休む事だ。どちらにせよ、まずはこの島を出なければならぬ。少し寄れ。夜は冷えるぞ。どれ、我が腕に抱かれて眠るが良い。存分に、暖めてやろ……」


「ちょ、ヒルイ! シッ! 見てください、あれ!」


「むっ、貴様。我がせっかく……」


「シッ! いいから、見て。あの灯りを持っているの、もしかして」


「ふん……先程、フェリシアとかいう女の住居を襲った女だな。名は確か、ザサラキとか言ったか。なかなか堂に入った体格をしておる。あれなら、立派な子が産めるのではないか」


「確かに、かなり上背も横幅もありますね。もしかしたら、お師様より大きいかも。肉弾戦になったら勝ち目はなさそうかな。うまく攻撃をすり抜けて、擒拿きんなの技に持ち込めれば、可能性はありますが……あまり体格差がありすぎると、筋力だけで、技を強引に振りほどかれてしまうんですよね」


「貴様は細いからな。もう少し、肉をつけた方が良いのではないか?」


「んもうっ! 私の事はどうでもいいでしょうっ。それより、彼女今一人みたいですよ。あの恐ろしい竜も連れてはいないみたいですし」


「どこかへ向かっているようだな。町とはまた別の方向だ。向こうに篝火がいくつか見える。おそらく、あの施設へ向かうのではないか」


「巡邏隊の営舎でしょうか。行ってみましょう。はぐれてしまったブラムドさん達の情報が得られるやもしれません。あの方々の事だから、簡単に捕まってやしないとは思いますが」


「あいつ自身が言っていただろう。やつの事は構わず、自分が逃げる事だけに集中しろと」


「で、でも」


「まぁしかし、営舎なら地図があるはず。うまくすれば、この島を出る手がかりくらいは見つかるかもな。朝になって、本島から増援が来ても厄介だ。ここでこうしていても埒が明かぬし、行ってみるのも悪くはないだろう」


「でしょう!? じゃ、行きましょう。ヒルイ!」


「……やれやれ。何にせよ、貴様が元気になったのなら、何よりだ」


 面倒そうにボヤくヒルイを連れ、リャコは勇ましく歩き始めた。

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