二 次なる手

「生きていたんだな……っ! ユーシュン!」


 以前会った際とはまるで違い、質素な服に身を包み、片手にパン籠を持ったフェリシア嬢はそれでもその美貌は翳ることなく、陽の下で輝いている。


「すまんな。我はユーシュンではない」


「は……?」


「悪い、フェリシア。こいつは若じゃない。よく似た他人だ」


「ちっ。ブラムド……。なぜ、ここが分かった」


「お前の実家、シノノグ家は王后派の重鎮だろう。以前、お前は実家を裏切ってまで、若のいる野営地に情報を届けに来た。その時点で実家を出るつもりだったのは明らかだ。後は若との会話を聞いていれば、鈍いやつでもピンとくる」


「相変わらず、異常なほどに察しのいいやつだ。あの王子と馬が合ったぐらいだからな」


「それはどうも」


「それで? こんな辺境くんだりまで来て、私に何の用だ? ……いや、それより今はとにかく、この場を離れた方がいい」


「なぜだ?」


「オートメルヒの竜騎士団に追われている。というか、監視されていると言った方が近いか。私の素性がバレたらしくてな。王都での動乱の話はここにも届いている。いつ、こちらに飛び火するか分からないから、騎士団長はピリピリしているらしい。私の身柄が、いざという時の交渉材料になるとでも思っているのだろう」


「分かった、安全な場所まで案内してくれるか」


「ついて来い」


 土を踏み固めただけの簡素な道が、着地場のあった丘から緩やかに伸びていた。のどかな麦畑の間の砂利道を通り、小さなレンガ造りの家に着く。見慣れた王都の景色からするとかなり質素だが、周囲の家々と比べると随分立派な造りをしている。三人は応接間に通された。


「リンディンゲンさん!」


「おや。これはこれはリャコさん。せっかくの晴れの舞台だったというのに、武統祭には行けずに申し訳ありません。それに、ブラムドさんも。どうやら、フェリカは大変な事態になっているようですね。それから、こちらの方は……初めてでございましょうか」


「ほう、貴様。我が王子などとは格の違う存在と見抜いたか」


「いえ。あなたがどなたかも存じませんし、格も知りませんが。殿下はあなたのように、美意識の欠けた振る舞いをなさる方ではありませんので」


「は?」


「何です、そのお召し物は。例え、殿下が身分を隠しながらここまでいらしたのだとしても、あのお方はお召し物をそのように着崩したりはなさいません。仮に、ブラムドさんが庶民の振る舞いを指導なさったのだとしましょう。それでも、この家に入ってからのあなたの行動はいただけません。ずかずかと足音をお立てになり、隣のリャコさんを押しのけるように歩いて……どれだけ隠そうとしても、品位というものは隠せないものです」


「ふ、ふん……ヒンイ? ビイシキだと? 文句ならこの女に言うんだな。この女が王子のビイシキとやらに気づいていなかったから、我はこう在るのだ」


「ちょ、わ、私のせいですか? ヒルイ、あなた服ぐらいちゃんと着てくださいっ。あなたのせいで、私が恥ずかしい思いをするじゃありませんか!」


 慌ててヒルイの服を整えていると、事情を知らないフェリシア達が当惑したような顔をした。


「まぁ、この男に関しては、まだ教育が行き届いていないが。それでも、この見た目は強力な武器になる。分かるだろ?」


「ええ。ブラムドさん。……わざわざ彼を連れてきたという事は、我らに、あなた方の陣営に加われとおっしゃりに来たのですね?」


「平たく言うと、そうなるな。こいつという切り札の存在は、今は一部の者しか知らん。使いようは、お前達ならいくらでも思いつくはずだ。どうだ、フェリシア。シノノグ家に戻るつもりはないか? 後ろ盾になってもらえると助かるんだが」


「待て。お前達は王子派ではないのか。シノノグ家は王后派だぞ。私が知っているのは、武統祭に乗じて王子派の蜂起があったという話までだ。シュエンの援軍を入れて、瞬く間に王都を占拠したと。そのさなかに傷を負い、王子は重体だとか」


「あれが王子派の蜂起かどうか……もしかすると、若にも確認を取らずに行われた、独断専行だった可能性もあるが。いいか、若はあの日、王妃自らの手によって脇腹を刺されて重体だ。……いや、重体だった、とまでしか分からねえ。若の安否に関してはまだ情報が掴めていない」


「何だと? お前ら、王子の安否すら分からない癖に、どうしてこんなところにいる。さっさと決死隊でも組んで、王子を助けに迎え。この愚か者共」


「その案は、俺が止めさせてもらった。若の身柄が今どこにあるかも分からない状況で、数少ない手勢を減らすわけにはいかん」


「腑抜けた事よ。……で、本当に王妃自ら、王子を刺したと?」


「そっ、そうです! 私、見ました! 私とお師様が試合をしているさなか、刺された王子が観覧席から落下なさったのを。その直後、ジェナス様が試合会場にやって来て、シュエンの軍勢が攻めてきたと仰ったのです」


「ふん。お前、リャコとか言ったか。今の話、確かだろうな」


「は、はい」


 また、あの場面が脳裏をよぎる。試合会場に広がっていく鮮血。何も状況が分からぬまま、闇に閉ざされ、姿さえ見えなくなってしまった、かの人。リャコは知らず、ヒルイの服の裾をぎゅっと掴んでいた。……ふと気づいて、手を放す。


「ふむ。王子派の蜂起というなら、タイミングが妙だな。王后派が、王妃による王子殺害と示し合わせて動いたと見た方が筋が通る」


「あぁ。俺もそう思った。……だが、実際には乱のあった後の触れには、王子派によって王妃は位を廃されたとあった」


「情報が錯綜してはいるが、王妃が王子を手にかけた事だけは、こやつが見ているんだろう? ならばこの件、王妃が裏で糸を引いていると見るべきだと思うが」


「確かに、これまでにもトルティンボル家に怪しい動きがあった。王子派の独断専行というよりは、王后派が偽情報を流している公算の方が高い。もしくは、シュエンと仲間割れでもしたのか。だが、今はまだ何とも言えん」


「ふん。安易な結論に飛びつかないのはお前の美点だがな。お前は頭が良すぎるあまり、多くの可能性を考えすぎる。よくそれで、盗賊ギルドの頭など務まるものだな」


「頭を使って、悪徳貴族から大きく稼ぐのが得意だったものでな。だがまぁ、お前の言う通りだ。蜂起したのが王子派なのか、王后派なのか、それは今はどうだっていい。……ただ、シュエンが王都に居座っている状況だけは看過できん。やつらには速やかに、出ていってもらわなければならない」


「それは私も同意見だ。だが、シノノグが手を貸さずとも、やつらを追い出すのは国内の貴族共がやるだろう。貴族共も、自分らの食い扶持が侵されるのは捨て置けぬだろうからな」


「……やはり、詳しい情報はまだ届いていないようだな。王都の警備は万全だった。それでも、王都は突如、二万の軍隊に包囲されたんだ。その二万は、まるで煙のように現れた。これが何を意味するか、お前なら分かるだろう」


「そうか、三十七戯曲か」


「三十七戯曲があちらの手にある。少なくとも、その可能性を捨てきれない以上、書の存在を知るような大貴族達は迂闊に動いたりしない。自分の手勢を無駄に消耗する事になるからな。シュエンを追い払うには、国内の貴族達が団結しなければならない。だが、勝てる見込みのある戦いにしか、やつらは兵を出さない」


「なるほど。シュエンはうまく、膠着状態を作ったな」


「あぁ。王都にいる連中は王子派なのか、王后派なのか。やつらは本当に三十七戯曲の一つを持っているのか――。そうやって貴族達が尻込みしている間に、フェリカはシュエンに乗っ取られる」


「まずいな」


「貴族達が出方を伺っている間に、シュエンは王都の支配を盤石なものとするだろう。俺がシュエンの首魁なら、国内の立場の弱い貴族に離反を促す。恭順すれば、より良い領地を与えようとな。やつらの手勢はますます増え、どんどん手出しできなくなる。やつらが若の名前を出しているのも、騙されて――もしくは騙されたふりをして――寝返るやつを、増やす狙いもあるんだろう」


「それで、この男か」


「そうだ。こいつこそが本物の王子だと宣言してしまえば、王子の号令一下、国内の貴族をまとめて動かす事が出来る。シュエンによって奪われた王都を取り戻すという、大義が出来るからな。国内の全軍をもってすれば、二万程度、相手にもならん。貴族達が今動けないのは、全員が一度に動くか確信が持てないからだ。自分だけ突っ込んでも敗色は濃厚。ただし、王子の御旗の下に集えるのなら、喜んで勝ち馬に乗る」


「シュエンが大貴族と渡りをつけ、領土を安堵すると言ったらどうする。小規模領主達ならまだしも、シノノグに匹敵するような大貴族が離反すれば、勝ち馬かどうか怪しくなる。むしろ、三十七戯曲があるのなら、シュエンについた方が勝ちの目が大きいと見る貴族も大勢いるだろう」


「だからこうして、お前達に頭を下げに来たんだ。シノノグが反シュエンがたにつくとなれば、他の貴族達も……」


 と、ブラムドの言葉に、リャコが割って入った。


「ちょ、ちょっと待ってください! 今はヒルイの事を公にするわけにはいかないと、ブラムドさんがおっしゃったんじゃないですか!? もし、王子がシュエンに囚われていたら、シュエンは王子の身を害そうとするはず! そんな危険な事……」


「むろん、若の無事を確認し、助け出すのが最善ではある。だが今、シュエン討つべしの流れを作らなきゃ、どんどん流れは敵方に有利に傾いていくぞ。何の情報もねえ以上、今出来る最善を尽くすしかない」


「ぶ、ブラムドさんは王子の無事はどうでもいいんですか!?」


「何も今すぐ公にするわけじゃない。俺だって、若を助けたい。だからこうして、本来なら隠し玉として最後まで取っておくべきヒルイを連れてきたんだろう。フェリシア達なら、ヒルイの事を今すぐ公に出来ねえ事情も察してくれる。ヒルイの事を明かさずとも、シノノグが動く姿勢さえ見せてくれたら、他の貴族達も『何か勝算があるのか』と考えるはず。そうやって時間を作り、その間に若を助ける事が出来れば、こいつは影のままで事が済む」


「う……」


 感情がまだ追いつかないが、ブラムドの話はリャコにとっても納得のいくものだった。しばしの逡巡の末、リャコは頭を下げた。


「ごめんなさい。確かに、ブラムドさんの言う通りです」


 ブラムドはひらひら手を振って応えた。


「よぉ、フェリシア。こいつが俺達の今見せられる〝勝てる見込み〟ってやつだ。こいつが王子にどれほど似ているかは、さっき自分で確認しただろう」


「気に食わんがな」


「頼む。実家に戻り、シノノグの親を説得してくれねぇか」


「はぁ……。お前達は知らないだろうが、私が実家を出たのは、何も王子派と王后派で意見が割れたからではない。他に理由があるんだ。王子の事は気の毒に思うが、今さら戻れと言われても」


 と、フェリシアが言いさしたその時――、魂を鷲掴みにするかのような低く重い咆哮が、フェリシアのレンガ造りの家を揺らした。


「な、なんです?!」


「マチカネリュウの咆哮でしょう。お嬢様、私の後ろへ」


 ついで、やや太い女の声が轟く。


「我が名はオートメルヒ竜騎士団、巡邏隊長ザサラキなり! シノノグ家のフェリシアよ! 貴様がフェリカ古王国の重要人物を拉致したという密告があった。大人しく投降し、〝男〟の身柄を引き渡せ! さもなくば、我が愛竜トヨタマの刀角が貴様を千に切り裂く!」

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