七 お師様

「……えーっと、それで? そのラガクシャって人は、どうなったんだっけ?」


「おっ、お師様! 私の渾身の一撃をいなしながら、平然と世間話をなさらないでくださいっ」


 ラガクシャを捕らえたリャコは宿営地に戻ってきていた。


 アジトに潜入するという当初の目的こそ達せられなかったものの、会話の断片から、〝山一つ向こう〟〝蛇鱗門〟〝真文の神〟などの手がかりを得られた。じきに国軍による一大捜索隊が組まれ、山狩りが行われる事となるだろう。


「あははー。ならもう少し、難しい一撃を入れてくれないと……あ、そうだそうだ、今ブラムドが拷問にあたっているんだっけ。災難だねぇ、その人も」


「はっ! やぁっ!」


「そうそう。ブラムドに聞いたよ。何でも圏を弾く妙な特技があるらしいね。後でちょっと見せてよ」


「いっ、今はっ、私の動きの方をっ、み、見て欲しいんですけどっ!」


 息一つ切らさず、リャコの攻撃をしのぎ切る金髪の男。リャコの師、パーセル・クネヒトである。背は高く、かなり大柄なのだが、垂れ目で女顔なせいか、不思議と威圧感を感じさせない。今も稽古のさなかにも関わらず、リャコは師を怖いとは感じない。むしろ、師の存在を時々希薄に感じる事さえある。霞に映った影でも相手にしているかのように。


「ん~。いいんじゃない? 大分動きは良くなってきてる。と、思うよ」


「あの、そんな事言って、まだ一撃も、入れられた事ないんですけど!」


「そりゃ仕方がないよ。何たって僕、君が野山で駆け回って遊んでいるような時分から、ずぅっと、剣の稽古に明け暮れていたんだもの」


 師は小さい子供の頃という意味で言ったのだろうが、つい最近まで野山で駆け回って遊んでいたリャコには少し耳が痛い。


「でもさ、文句を言うその口。以前なら息が切れていたんじゃない? 無駄な動きが無くなってきたという事だよ」


「あっ、そういえば……」


「はい。手を休めないでー」


「きゃっ!」


「いいね、その調子、その調子。今のにも反応できた。僕の言い分も、あながち間違ってはいないんじゃない」


「どうだか!」


「よし。今のはいい打ち込み。ちょっとヒヤッとしたよ。あ、嘘じゃないからね。僕は頭を通して喋ってないから。嘘がつけないんだよね。つけないというか、つこうとしてもすぐ見破られるから、やめたんだ」


 つい、ノセられそうになる。口がうまい。リャコは知っている。師の言い分は半分本当で、半分は欺瞞だと。確かに、あの、何でもお見通しといった面持ちでいつも超然としている王子の傍に何年も仕えていれば、嘘をつかなくなるというのも頷ける気もするが。師の言葉はいつも大体が、嘘ではないが本心でもない。嘘という言葉の定義の問題になる。


「君はおだてにはノって来ないねぇ。慎重なのはいいけど、時には自分で自分を調子づかせて、流れを作っていった方がいい場合もあるんだよ?」


「お褒めに預かり、光栄ですっ!」


 今日こそ一撃。師の剣をかいくぐり、顎下を狙う。


「いいトコ突いてくる。狙いは悪くない」


「だったら躱さないでくださいっ!」


「あっはっは。それはほら、だって遅いから」


「くーっ!」


 軽やかに、舞うように……踏み込む時でさえ一切の力みを感じさせないこの男の動きを見ていると、とても〝首打ち鋏〟の二つ名で知られる、王国一の剣の使い手とは思えない。国内で売られている似姿も、もう少し勇猛そうな表情をさせられているし、会う前にリャコがイメージしていた恐ろしげな姿とはかけ離れている。


「で、でも、ラガクシャさん、ちょっと可哀そうです。あ、あの、お師様も王家の人間じゃないけど、〝書〟の存在をご存知じゃないですか」


「君は知らないかも知れないけど、クネヒトの家は代々王家に仕える重鎮だからね」


「貴族なら、〝書〟の存在を知っていても罪には問われないのでしょう?」


「一部の、ね。ブラムドもああ見えて王家と繋がりのある大貴族の出だし。地方の小貴族ぐらいでは、知らずに一生を終える者の方が多いんじゃないかな。王家でも無視できないような大貴族と、その庇護下にある従者に関しては〝黙認〟されている、といった辺りだろうね」


「ふ、不公平です。そんなのっ」


 リャコの父はただ、書の研究をしたというだけで、死罪を課されたというのに。


「君がそう感じる事こそが、〝書〟が未だに禁忌である所以だろうね。〝書〟は一人の農夫を、千の兵にも勝る戦力へと変えうる力がある。そんなものが出回ってしまえば、貴族はこれまでの地位を脅かされかねない。畢竟、僕らは平民に、同じ権利を与えたくないのさ。……ほら、集中集中」


「す、すみません」


 と、パーセルがリャコの攻撃をいなしながら空いた手で頬をかく。


「まぁ、正直これだけやれれば、今の君でも並の兵士達相手なら単騎で蹂躙できるだろうけどね」


「えっ、そうなんですか?」


「僕が半年間訓練してるんだよ? そのぐらい、してもらわなきゃ困る」


「うわっ、重い、一撃が重いです! ちょっ」


 苛烈な打ち込みはそのままに、パーセルの顔が少しだけ真剣になった。


「いいかい。そもそも、普通の兵士達は、ろくなものを食べてない。肉だって、春と秋の社日の振る舞い肉で、ようやく食べられるって場合がほとんど。そうそう毎日家畜を潰すわけにもいかないからね。僕ら武家の出の男達は子供の頃からいいものを食べさせてもらっているから、体つきからして全然違う。人は僕を一騎当千の雄なんて褒めそやすけど、勝てて当然の戦いに勝ってきただけだ」


「おっ、お師様? ちょ、ちょっと手を……緩め……」


「君もブラムドに胸やら腰やらの発育が悪いとか言われて悩んでたみたいだけど、骨格はしっかりしてる。健やかで丈夫なのは、君の取り柄だよ? 大事に育ててもらってきたんだろう」


「ちょ、まっ、わわっ」


 父ゼルマリルの勤めていた領府は小高い山の中腹にあり、そこだけで一つの村といった態を為していた。子供の世界は狭い。リャコの遊び相手は専ら、領府勤めの役人の子供であったし、野山を駆け回っていたと言っても、領府のあった山の安全なごくわずかな範囲までしか足を伸ばした事はない。麓の里の子達と、役人の子である友人達との体格の差など知る由もない。


「それを当然の特権と考えるか、彼らから託された責と考えるか。君はどっちだい?」


 マズい。リャコは思った。パーセルの目が光を失い、どこを見てるとも知れない……まるで全てを見ているかのような目になった。この状態のパーセルはいつも少々、


 全神経を彼の一挙手一投足に集中させ、どんな変則的な攻撃にも対応出来るよう膝を柔らかく保つ。刺突、斬撃、逆袈裟、回し蹴り、肘打ち、からの突進。辛うじてガードしたものの、弾かれたリャコの体は紙のように舞った。


 着地と同時、来る。そう直感した。


「ふっ!」


 肘を強引に曲げて、圏を剣の正面へ。


 ぎゃりぎゃりぎゃり!


 凄まじい音がして、金属同士が擦れあう。パーセルの突き込んだ剣を、リャコは圏の穴で絡めとった――瞬間、パーセルの顔が笑みに歪む。


 その後の事は、リャコには何が起きたか良く分からない。唐突な浮遊感。先程とは比べ物にならぬ速さで自分が後方に吹き飛ばされている事を自覚。薄目で見た師の姿から、顔面に肩を喰らったのだと気がつく。追撃の掌底がたたらを踏んだリャコの顎に迫り、


「ごめんごめん」


 師の動きが止まった。


「けどほら、僕の剣を絡め取ったところで安心して、気を緩めちゃったのはちょっといただけないね。むしろそういう時こそ、相手もマズいと思って必死になるんだし」


「……うぅ」


「ほらほら。泣かないで」


「違います。鼻の奥がつんとして、どうしても出ちゃうんです。涙」


「鼻血が出てるからね。アレイザに手当してもらおう」


 気が抜けて座り込んだリャコの横に、パーセルが音もなく腰を下ろす。


「桃」


「ん?」


「もう少しして、実がなったら、桃買ってください」


「僕に一撃入れられたら、ね」


 頭をくしゃくしゃ撫でられた。

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