始まりの章

一 警ら隊

「また一撃も入れられなかったんだって? あたしゃ、普通に殿下の妾になった方が楽だったろうと今でも思ってんだけどね」


 馬上に器用に腰かけながら、マールが話しかけてきた。最近ようやく、慣れた馬なら乗せてもらう事ぐらいは出来るようになったリャコは、溜め息交じりに答える。


「嫌ですよ。好きでもないのにお情けで結婚してもらうだなんて、情けないったら」


「だがねぇ、あんた。今は国王が病で臥せっておいでで、王妃は大貴族や役人共の言いなりだ。せめて、王子のお心を安んじさせてあげられるモンがお傍にいたらと思ってんだけど。あんたなら他の女達と違って、良さそうだと思ったんだけどねぇ」


「今も父が囚われている以上、そうもいきません」


「それもそうか。あんたも難儀な運命に巻き込まれたもんだねえ。


 腹案がある。王子にそう聞かされて、早半年。リャコは王子の命で、王国内を駆けずり回っていた。父娘どちらも助かる道があると諭された後では、自害を選ぶような意気地もくじけた。


 来るべき日の為、王子からは三つの指示を受けている。一つ、王子の私設警ら隊の隊長として働く事。この配属は、王子との連絡が密に取れるように、というのと、いつ王子の傍に付き従っていても不審に思われぬ配慮から……だそうだが、本当のところはどうだか。何となくだが、リャコにはあの王子は他人の人生を駒のように転がして楽しんでいるように思われる。


 もう一つは、強くなる事。少なくとも、王子を倒せる程度には。そして、もう一つ。


「こう言っちゃ不敬だが、陛下のお加減が悪い事が幸いしたねえ。なるべく罪のない市民を殉葬にする事は避けたいから、死刑囚も刑の執行を猶予されてる」


「ちょ、声が大きいですよ! マールさん」


 他国からは野蛮との誹りを受けがちな殉葬の風習だが、近隣最古の国家であるフェリカには依然として残っていた。もっとも、廃れてきているのは事実であり、昔は幼くして命を散らした王子へのはなむけに町一つを滅ぼした王などもいたそうだが、現在では長く治世の続いた王か太上王に対してのみ、しかも、殉葬に処されるのは原則として死刑囚に限るとされている。だが、陛下のお加減が悪くて助かった、はマズい。リャコが慌てていると、二人の会話に割り込む者があった。


「何をサボっている! 二匹、そっちへ行ったぞ! リャコ・トゥリッリ!」


 王子に言いつけられた指示、最後の一つが、父ゼルマリルとの関係を何があっても漏らしてはならない、という事だ。おかげでリャコは今『トゥリッリ』という慣れない姓を名乗っている。


「すみません、ティルヒムさん」


「今が任務の最中だと忘れたか! 王子のお気に入りだからって、いい気になるんじゃねえぞ。本来、貴様の地位はアレイザのものなんだからな!?」


 死神のようにほおのこけた、陰鬱な顔の男がリャコを見て怒鳴る。肩ほどまで伸びたざんばら髪や、壁とも思える長身ながら、ずいぶんと猫背なのも陰鬱な印象をより深めていた。王子私設の警ら隊、副隊長である。


「それは重々……っ!」


 ひらりと馬上から跳び下り、迫りくる不気味な魔物をきっと睨み据えた。王国では広く見られる魔物、ロックアントだ。その名の通り、硬い岩盤のような殻に覆われた、犬ほどもある巨大な蟻だ。群れを成して襲ってくると、いかに大きな村だろうと町だろうと飲み込まれてしまうが、堅い殻にはいくら打ち込んだところで、打撃も斬撃も通らない。一般人では対処が難しい為、たびたび軍による討伐隊が編成される厄介な魔物である。


「これは……花の巻、二章、玲瓏山の戦い!」


 ロックアントを一番簡単に無力化する方法は触角を捩じ切ってしまう事で、これにはリャコの武器である圏が適している。圏の穴に触角を通し、手首を返せば良い。


 そうは言っても、生半の戦士ではそれも難しい。よほどの大男でもなければ、突進する蟻に毛ほどでもかすっただけで吹き飛ばされてしまう。しかし、リャコは怯むどころか楽しげに構えを取った。


「やあやあ遠からん者は音にも聞け、近くば寄って目にも見よ! 我こそは戦場に逆巻く疾き風、この青き刃が目に入らぬか!」


 ちなみに、リャコの持つ〝圏〟という武器は打撃用の鉄製の輪っかであり、刃はついていない。


「……おい、マール。隊長のあれ、なんとかならねえのか」


「無理だね。都に残った仕事を片付けてたあんたは知らないだろうが、姫さん、隠れ宮じゃ毎朝毎晩あれをやってんだよ」


「毎朝毎晩って……あれをか?」


「あぁ。兵士も書士もみな朝一番に、宮の周りを二十周させられてね。兵士はいいとしても書士まで最近動きが軽やかになってきた。仕事の能率も上がったそうで王子もお喜びのご様子だったよ。で、宮の周りを回った後は毎日一巻ずつ、一人で総ざらいしてる。毎日だよ。おかげであたしも、雪の章半ばぐらいまでなら、そらんじられるようになっちまった」


「はあ?」


「あと発声練習だね」


「ちっ! ますます変なガキだ。なぜ王子はあんなへちゃむくれを気に入って、取り立てているのだ。まさか本当に、あいつに惚れたというわけでもあるまい」


「まぁ、あんたもよくご覧よ。彼女のお師匠、姫さんが説話本片手にまくし立てる筋書きに合わせて、あの演武を考えてくれたそうだ。田舎の領府に勤めさせとくにはもったいない御仁だよ。全巻通せばちゃあんと基礎の動きが網羅できるように計算されててね。なかなかどうして、見応えがある。王子が面白がるのも、分かる気がするねぇ」


「ハッ! 興味ないね」


「そうかい? おっと、姫さんの方もどうやら終わったみたいだ。あれが最後の二匹だったようだねえ。……しかし、ここいら辺りは方面軍の管轄のはずだが、あんな大きな巣が野放しとは。軍のやつらは一体何やってんだろうね」


「方面軍と言っても、ここらを仕切っているのは悪辣バルジエフだろう。まともに仕事なぞするかよ」


「ンま、王子もそう思ったからこそ、あたしらをここに寄越したんだろうが。バルジエフのやろうも、お父上は気持ちのいい好漢だったんだが、どうしてああなっちまったんだか」


「やつめ、最近じゃ父の呼ばれた王国七光芒を、勝手に名乗ってやがるそうだ」


「呆れた。やっこさん、将軍の中じゃ下から数えたほうが早い部類だろう」


 と、勝ち名乗りを終えたリャコが木陰で休んでいた二人に話しかけた。


「何を話してるんですか? お二人とも」


「なに、大したことじゃないさ。それより姫さん、暗くならないうちに他のモンと合流したほうが良くないかね。あたしゃ平気だが、お前さん方は闇ン中じゃ目が見えないだろう。日が暮れる前にマルドロ村に戻らないと、怪我人でも出たら事だ」


「それもそうですね。おおい、皆さん。こっちは終わりましたから、荷物をまとめてください! 誰か人をやって、他班の方々に連絡を」


 リャコが森の中に声をかけると、散開していた隊員たちが集まって来た。巣が駆除された事を告げれば、村長もきっと喜ぶだろう。リャコは汗をぬぐい、再び馬にまたがった。

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