第15話 へへ、来ちゃった~~

 一時間目は、数学だった。

 

 席について授業が始まってからようやく、自分がA組の授業の用意をしてこなかったことに気がついた。


 でも、鞄を開ければそこにはちゃんと今日の時間割がそろえてある。


 お姉ちゃんは、ご丁寧に、鞄まで入れ替えておいたようだった。


 ますます、何を考えているのか分からなくなってしまう。


 とはいっても、ノートはあっても、今日の予習なんて全然してないから、指されたらどうしようってビクビクしながら一時間目が終わった。


 それからあたしはすぐにC組に走った。

 

 でも、お姉ちゃんはいなかった。


 ミサちゃんを捕まえて聞いてみても、分からないって言っていた。


 その次の時間も、その次も、お姉ちゃんはギリギリまでそこら中をほっつき歩いているようだった。


 ……あたしを避けている?

 

        @

  

 そして昼休み。


「優紀ちゃん」


 お姉ちゃんをとっ捕まえて、すぐにでもトレマを入れ替えさせようと思って、C組に向かおうとしたあたしの前に、


先輩が現れた。


 一応、あたしは先輩の彼女ってことになってるから、無視してどこかに行ってしまうなんてできなかった。


トイレだって言う手もあったけど、お姉ちゃんが見つかるまでどれくらいかかるかも分からないから、それはちょっと冒険だと思う。


「こんにちは、鹿島さん」


 丁寧に、ゆっくりとお辞儀をする。


 多分、このくらい他人行儀で大丈夫。


 だって、まだ、新婚ホヤホヤでぎこちなさの残るカップルのはずだから。


「うん。優紀ちゃん。今日も昼練が休みになったから来ちゃったよ。迷惑だった?」


 あたしは、顔をうつむかせて首を横に振った。恥ずかしいけど嬉しいという意思表示。


 そんなやりとりをするあたしたちを中心に、なんだか教室全体に言いしれぬ空気が漂いだしていた。


 何かを探っているレーダーのような視線。


 品定めをするひそひそ声。


 ショックを隠しきれないというような、地味な男の子たちの溜息。


 やっぱり、お姉ちゃんが誰かとつきあうとなったら大事なのだ。


 だって、お姉ちゃんは男子の間で結構人気があるから。


 告白されたことだって、一度や二度じゃないから。



 一方あたしは……。


 と考えて空しくなったからそれ以上考えるのはやめにした。


 それにしても……。顔を上げて先輩を見る。


 先輩って意外と大胆。


 つきあってる後輩のクラスなんて、普通は気まずくて入れないと思う。


 ちょいちょい、と、肩に感触を感じて振り返ると、健吾だった。


「……優紀さん。コレ、どういうこと?」

 

 そんなの、あたしにも分からなかった。


 健吾はあたしの肩に手を置いたまま先輩を思いっきり睨みつけていた。


 でも、先輩は、健吾に睨まれてもニコニコと人の良さそうな笑顔を崩さない。


 あたしはとりあえず事実だけを軽く伝えようとして、


「ああ、あのね。昨日からわたしと、鹿島さん……」


 つきあうことになったの。

 そう続くはずの言葉は、喉でつかえたまま外には出てこようとはしなかった。


 だって、つきあうことになったのは、お姉ちゃんであって、あたしじゃないのだから。


 そんなあたしの様子に、健吾はますます不機嫌そうな顔をして、でも、あたしの言葉は先輩が引き継いでくれた。


「昨日、僕が優紀ちゃんに告白したんだよ」

 

 冗談めかすわけでもなく平然と、先輩はそう言ってのけた。


 独りっ子はただでさえ風当たりが強いのに、こんなこと言ってて大丈夫なのかと心配になった。


 教室中に溜息が広がっていく。今度はほとんど女子の溜息。


 多分、先輩のことを好きだったのは、あたしだけじゃないのだ。

 その中には同じテニス部の茉莉ちゃんもいた。


 かわいそうに、茉莉ちゃん。


 溜息をつかせた憎き恋敵が『自分』だということも忘れて、そう思った。


「じゃあ、そういうことで。優紀ちゃん。お昼一緒に食べない? 天気も良いし、屋上にでも行って」


 あたしはどうしようか迷った。


 お昼休みこそはお姉ちゃんを捕まえて何とか入れ替わろうって思ってたから。


 でも、せっかく来てくれた先輩をむげに追い返すっていうのも、なんだか気が引ける。


 さんざん迷った末に、あたしは『ごめんなさい』という言葉を用意して息を吸い込んで、


 ――吐き出せなかった。


 だって、とんでもない邪魔が入ったから。


 その邪魔者は、勢いよく教室のドアを開けると、


スキップするみたいに軽やかに行進してこっちにやって来た。


 赤いリボンの二つのテールをなびかせて、


 大きく手をふって満面の笑みを浮かべて、

そいつはあたしに向かってこう言った。


 「おねぇ~ちゃんっ。……へへ、来ちゃった~~」

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