第1話 花嫁の島

 船上から見たその島は、まさに純白のドレスを纏った「乙女ヴィエルジェ」だった。

 青年は船の甲板に一人佇み、長めの前髪を潮風に散らす。


(なるほど。確かに『王国の娘』だ)


 薄い唇から、ふ、と溜息のような笑みが漏れた。自嘲めいたその表情を見咎める者はない。彼の周りには、不自然なほど人気が無いからだ。

 船首に程近い特等席を悠々と独占し、青年は物思いに耽る。

 凍てつくような視線の先には、麗しき水上の乙女。


(……これが花嫁、ね)


 寒い冬を過ごすのならば、悪い場所ではないだろう。主の細君となる人物については、主の目を信じている。けれど、この「乙女」自体に、果たして主の花嫁となるほどの価値があるのかどうか。彼には分からない――まあ、自分などに理解される必要もないのだろうけれど。

 人々の思惑など知りもせず、海鳥はのんびりと青空を羽ばたいて往く。


 麗らかな春の日差しの中、青年を乗せた船は、順調に目的地へと向かっていた。



◆◇◆



 サン・ローラン街を埋め尽くす、色とりどりの花々。

 大陸南方のノワリー伯領、王国の美しき娘とも称えられる城下町・ヴィエルジェ島は、年に一度の大祭を前に華やいでいた。


 祭りの主役は街の娘たちだ。

 花の妖精に扮して町中を練り歩き、四つの広場で踊った後は、伯爵城での舞踏会に招かれる。夢のような一時に期待と希望を膨らませ、往来を往く少女たちは今日も、花飾りやレース編みの襟を手に頬を紅潮させていた。


 そんな様子をショーウィンドウ越しに眺めながら、ジョゼは顔半分を手で覆って呻く。


「……ルネ。頼むから店に生花は持ち込まないで、って去年も言ったよね?」

「何よぉ、わざわざ差し入れ持ってきた麗しの幼馴染にその反応は」


 可愛らしく唇を尖らすと、対面に座った「麗しの幼馴染」は悪びれもせず、顎をツンと反らした。その拍子に、きれいにカールされた金髪が、白く滑らかな肌の上を滑り落ちる。

 喉を覆う細かなレースはルネの自作で、今日も惚れ惚れするほどの出来だ。淡い色で薔薇の刺繍が施された襟は、華奢な身体を包む白いブラウスにも、ふんわり広がる桃色のオーバースカートにも、勿論ルネ本人にも恐ろしく似合っている。

 潤んだ藤色の瞳でジョゼをじっと見つめるこの幼馴染は、確かに大層美しい。

 ジョゼはルネ以上に美しい人間というものを他に知らなかったし、そんなルネが花祭りの大役、四人の「花冠の乙女」の内一人に選ばれたことを誇らしくも思っていた。――が、同時に居た堪れないものを感じてもいる。

 それというのも。


「わざわざ? どうせ今年も旅の人からの求婚攻撃に耐えかねて出てきたんでしょ、あんたね、そっちの気がないんだったらいい加減に誤解を受けるような言動は」

「それは違うよジョゼ、ぼくはね、生きとし生ける者全てを愛してる……ただ、可愛い自分を一番に愛してるから女装が止められないだけで……ああこの美しさゆえの悲劇! きみにはこの辛さが分かる? そうね分かってくれるわよね流石は心の友!」

「男言葉と女言葉混ぜて喋るのやめろっつってんのよ、あんたは! ねえ結局どっちなの? あんたが男だろうと女だろうと、そりゃあたしは構わないけど、正直どっちで扱えばいいのか時々悩むのよ!」

「やーん、ジョゼってホント良い子よね大好き! チューしてあげる!」

「要らんわ答えろ!」

「大丈夫だよ、ぼく自分以外に興味ないから!」

「それはそれでどうかと思うし返事になってないからね!」


 がみがみと言ってやったところで暖簾に腕押し、糠に釘。ルネとはそういう生き物である。がっくり肩を落として珈琲豆の入った瓶を開けると、ジョゼは肺いっぱいに豆のにおいを吸い込んだ。生花と差し入れの食べ物と「商品」でごちゃついた鼻をスッキリさせるためだ。


「今ちょっと忙しいの、差し入れは嬉しいけどまた後で……」

「だーめ。結局そう言っていつも食べないでしょ。マダムが亡くなってから、きみってば働きづめだし、母さん心配してるんだよ。もちろんぼくもね」

「でも、おばあちゃんにはできてたのよ? あたしの方が若いんだから、このくらい」

「確かにきみはマダムよりうんと若いけど、マダムほど経験がないじゃないか」

「……それはそうだけど」


 ぐうの音も出ずに口をへの字に曲げたジョゼを見て、困ったものだとルネが肩を竦める。張っていた気持ちが緩めば、ルネが持参した「差し入れ」の籠から香ばしいパンの匂いが漂っていることに心惹かれた。そう言えば、朝も小さなりんごを齧ったきりだったか。

 芳醇なバターに甘い蜂蜜が絡み合う、嗅ぎ慣れた香り。三軒隣の老舗のパン屋に並ぶ蜂蜜パンは、サン・ローラン街を代表する「香り」の一つだ。忙しい日の軽食にもよし、子供たちのおやつにもよし。片手で食べやすく安価なそれは、幼い頃から「おばあちゃん」――ジョゼの育ての親、調香師マダム・ルブランがよく買い与えてくれていた、ジョゼの好物でもある。

 ひくん、と鼻をうごめかして目を輝かせたジョゼに、ルネは満足げに笑って籠を差し出した。


「やっとその気になったね。ほら見て、今年もスミレの砂糖漬けが乗ってるんだよ。冷めないうちに召し上がれ、ルール・ブルーの”魔女の弟子”さん!」

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