EP - 01  助走

 今は17時23分。退屈たいくつだった学校が終わってやっと”バイト”の時間。


 今日はこの後に埼玉の長瀞ながとろ町まで行かなきゃいけないから、時間がない。愛用のオレンジのリュックサックに筆箱ふでばこ水筒すいとうを突っ込み、髪の毛を後ろでくくる。


 新しく近所にできたカフェの話で盛り上がっている友達に手短に別れを告げると、駐輪場ちゅうりんじょうへの階段かいだんりる。

 右ターン、その次はジャンピングスポット、軽く着地しすぐ姿勢のリカバリーからのカーブ!なんてつぶやきながら放課後のゆるい空気の中をける。


 紙パックの紅茶を片手に談笑だんしょうする男女のグループを一回転しながら素早くよけると、駐輪場に止めてある愛機あいきのママチャリにウォッチをかざして解錠かいじょうする。最近洗車してないな、なんてことを考えつつパンツが見えないよう気を使いながらそこそこ勢いよくサドルにまたがる。まあ下に短パンをはいてるから見えることなんてないんだけどね。


 校門を出たところで、今日出されている宿題を一応もう一度思い返す。大丈夫、宿題は授業中に片してしまったので全部なはず。とりあえずこれで心置こころおきなく仕事に取り組めるってわけ。


 学校からママチャリを本気で飛ばして大体17分。周りの建物とくらべるとかなりこじんまりした3階建ての建物、これが私の家。1階がガレージになってて、そこでパパが機械整備きかいせいびの仕事をしてる。

 こんなこと言っちゃあれだけど、個人経営の、あんまり繁盛はんじょうしてなさそうな年季ねんきの入った...そんな感じのショップ。基本的には機械のことなら何でもやってる。なんなら、出張で大型トレーラーの整備とか、近所の家の空調修理くうちょうしゅうりまでとにかくなんでも。


 ママチャリをガレージのはしに止めると、奥のコンピュータールームでパパがスクーターのコンピューターユニットをいじっているところだった。

 

「パパー!ただいまー!!飛脚ひきゃく!!長瀞の田部たべさんとこまでいってくるー!!」

 

「おお、お帰りレイナ。晩飯ばんめしはどうする?準備はできてるが」


「あ、わすれてた...いただきます」


 パパは調整用ちょうせいようシステムをいったんスリープさせると、手袋てぶくろを外してそのままガレージの奥、家のリビングの方に消えていった。私も急いで後を追う。

 リビングのダイニングテーブルの上には、パパの得意料理、オムライスが用意されていた。


「おおっ!オムライス...あれ、一昨日おとといもオムライスじゃなかったっけ?」


「文句があるなら自分で作ればいいんじゃないか?」


「や、文句なんてそんな。パパのオムライスだーい好き!」


 私はパパの料理のレパートリーがカレーかオムライス、ラーメンくらいしかないのを知っている。


「そんなことよりパパ、とりあえず顔洗ってきたら?すすまみれだよ」


 仕事場とリビングがつながっているので、パパはしばしそのまま食事の席に着こうとする。頑張って掃除はしてるはずなんだけど、床がすぐ黒くなるのはそのせい。私の靴下もすぐ汚れるから本当はもう少し気を使ってほしいんだけど。


「おお、そうだな。じゃ、先食べててくれ」


「はーい。いただきまーす」


 相変わらず、ケチャップライスの玉ねぎが生焼けで若干辛じゃっかんからい。まあわたしもそんなに料理が得意な方ではないから、作ってもらえるだけでありがたい。もう少し玉ねぎは炒めてほしいけれど。

 パパが洗面所から戻ってきて向かいの席に着く。いただきます、と口にすると、そのままスプーンで豪快ごうかいに一口。うん...うまいな。なんてつぶやいてるので本人的にはこれでOKなんだろう。


「ところでレイナ、今日はどのくらいの荷物があるんだ?」


「あ、えーっとね、密林みつりんボックスSが2つとー、コーラ2Lが2本、レトルトセット3セットくらいに、あとは手紙類が10通弱くらい?」


「そんなに多くもないな。軽いとその分記録が出やすいだろうけど、あんまり飛ばしすぎるなよ」


「パパがそれ言うー?」


 パパは昔の話題を振ると、ハチロクとかいう車でとうげめてたとかいう話ばかりする。

 いろは坂って知ってるか?とんでもないつづら折りが続く峠で、父さん一回崖に落ちそうになって、その時は死んだと思ったね、なんて。


「峠を飛ばしてたのなんてずいぶん若いころの話だ。今になってやっと、当時の親の気持ちがわかったよ」


「わかった、ほどほどにするよ」


「うん。それで、ルートはどうするつもりだ?」


「今日は直線をぶっ飛ばしたい気分!....だからR17のバイパス通っていこうかな」


「じゃあ、ギアのパワーマッピングは高速寄りでいいか?」


「うーん、この前試したときは高速寄りだとローに入れてもトルク薄くて、案外加速が伸びきらないんだよね。バイパスはまだいいんだけど、そのあとの山道でカーブから立ち上がらなくて。だから、エンジンは8000回転くらいでもうある程度パワー出てると嬉しいかな。あとはキャパシタ多め、バッテリー少なめで立ち上がり、加速の伸び重視じゅうしのトルクチューンで」


「サスはどうする?」


前後ぜんごかためかなあ。やわらかいとどうしても速度伸びてきたらあばれて大変だから」


「了解。今度バッテリーチェックとコンピュータの交換はした方がいいかも。あと、ショックもちょっとオイルにじんできてるからパッキンの交換も。エンジン回りはオイルとフィルターは早めに変えとけよ。途中で止まっても急いでは行けんからな」


「わかってるって。はい、ごちそうさまー。シャワー浴びてくるからその間にお願い、ね?」


「...わかった、やっておくよ。」


「よろしくー!んじゃ、風呂ってきます」


「はいはい」


 私はさっさと食器を流しに運ぶと、そのままお風呂に直行。ギアの調整自体はほぼコンピューターユニットでセッティングをいじるだけなのでそんなに時間のかかる作業ではない。けど、私より現役整備士のパパの方が詳しいのでその辺はまかせっきりだ。もちろん自分でも少しづつ勉強はしてるんだけど、使えるものは使わないとね。


 ささっとシャワーを済ませ、髪の毛を乾かしている間にギアの調整が終わっていた。

エンジンの吹け上がりも上々で、荷物の少なさもあいまって今日は”記録が出そう”な予感に頭がえていくのがわかる。

 走行用の服を着こんで、髪の毛をいつものリボンで頭の高い位置に一つ結びにする。ポニーテールってやつだ。これは飛脚を始めてからの習慣で、一種の安全祈願あんぜんきがんみたいなもん。


 一通り荷物を確認して、ギアを身に着ける。エンジンを始動しどうさせ、各パラメーターをさらっとチェック。問題なし。ふっとパパを振り返ってグーサイン。


「んじゃーいってきまっす!準備ありがとー!!」


「気を付けていってきなさい」


 こうして18時35分、自宅を出発。もうすでに日は沈みきっている。2月というのもあって、着こんでも少し肌寒い。でも、動けばちょうどよくなるか!!なんて考えながら首元のマフラーを少し上げる。目指すは埼玉グリッド1304番田部さんち!




 私のバイトというのは、世の中では飛脚と呼ばれている。ざっくりいうと人口減少と都市部への急激な人口集中の波に取り残された山間部などの家に荷物を届けるという仕事。なんで郵便屋さんとかじゃなくて飛脚と呼ばれているかというと、そのスタイルに起因きいんしている。私たち飛脚は、車じゃなくてギアと呼ばれる身に着けるタイプの一人用小型モビリティで荷物を運ぶ。


 昔はもう少し道も整備されてて、途中にコンビニなんかもそこそこ残ってたんだけど、今は都市部を出ると一気に何もなくなる。今の車はほとんどが電気で走ってる。でも電気は今や貴重きちょうな資源。たった数軒すうけんしかない家の人たちのために大きな輸送用車両ゆそうようしゃりょうを動かすのは無駄むだ使いだし、なにより家と家の距離が半端はんぱじゃなく遠い。さらに配達先は山の中がほとんど。道の状況もハッキリ言ってあんまりよくない。そんなアップダウン込み500㎞以上という距離を無給電むきゅうでんで走ることのできる車を大量に用意するには国のお金が足りないし、企業はもうからないからやらない。そこで私たち飛脚の登場ってわけ。

  

 というのは表向きの話で、実際には飛脚は競技性の高い公道レース用マシンとしての色が強い。エンジンを積んだ車を製造できなくなって十数年。長距離を無給電で走るためという建前たてまえのもと政府に認可にんかされ、自由にエンジンを搭載できる飛脚は、その走行スタイルからスピードフリーク達から一気に注目を集めるようになった。ある程度制約はあるものの、公道を速度無制限で走れるというのも後押しして、今や日本のモビリティレーストップカテゴリー、それがこの飛脚という職業の正体。


 そして、そんなスピードフリークな全国の飛脚たちが目指すあこがれの舞台、全日本飛脚選手権ぜんにほんひきゃくせんしゅけんを改め、<SPEEDSTAR>。ギアのレギュレーションもほぼない、ただ荷物を”遠くに速く運ぶ”それだけを競い合う日本中を舞台にした圧倒的あっとうてきなスピードの世界。それに出場することが今の私の目標。今夜挑戦するトップスピードアタックも、そのSPEEDSTAR本戦に出るための予選みたいなものだ。



 家を出てしばらく走ると我がホームロード、R17バイパスに合流した。この時間にR17を走る車両はほぼ皆無かいむ。ましてや都心部から離れていく方向は完全な”滑走路かっそうろ”状態。風はわずかな追い風。荷物は少なくギアも好調。今日は記録が出る...そんな予感に足がわずかにふるえている気がする。


 息を整え記録測定用のオービスシステムをコール。


「R17バイパス下り、オールクリア。こちら登録ナンバー66 五十嵐レイナよりSPEEDSTARRECORDSへ。”トップスピードアタック”計測を申請しんせいします」


 数秒ののちにオペレーターより返答。


「R17バイパス下り、クリアを確認。ナンバー66の申請を承諾しょうだく。周囲を一時的に封鎖ふうさします。ナンバー66はトップスピードアタックを開始してください。計測地点は3㎞、5㎞、7㎞の3地点です。Good Luck,Challenger」


 これで申請は完了。このバイパスに接続せつぞくする道路は私が通り過ぎるまで一時的に閉鎖へいさされ、公道での速度制限の一切がこの区間においてのみ解除かいじょされる。

 ほかの車両が後ろから来ないのを確認して、ゆっくりと3車線ある道の真ん中に移動する。街灯が省電力モードを解除し、道が煌々こうこうと照らし出される。今、この道の上には私しかいない。


「...さてと。今日もよろしくね、相棒あいぼう


 緊張きんちょう高揚感こうようかんで手袋の中が湿しめるのを感じながら、レンジエクステンダーであるV型2気筒Vツイン水冷エンジンのギアをローに組み替える。これでエンジンからの出力を最大限電力に変えることができる。


「キャパシタ蓄電ちくでん最大確認。バッテリー保護回路動作確認。システム電圧、電流ともに安定、ブレーキ動作正常、ショックアブソーバーはオイルれ影響なし。緊急時きんきゅうじエアバック正常確認。よし。そんじゃいきますか...ね!!」


 ふっと風が吹いた。弱い追い風。背中を押されるようで、もう一度周囲を確認してからバイザーを下ろし、バッテリーを回路からカットする。

 そして、加速を始める。まずは40㎞/hまでの加速だ。スピードスケートのスケーティングの要領ようりょうで少しづつ速度を上げつつモーターに電気を流していく。

 40㎞/hに達したらクラウチングの姿勢に移行いこう。ここから爆発的ばくはつてきな加速をしていく、最高の瞬間だ。


「42キロ確認。キャパシタ放電!」


 キャパシタは短時間で大電流を放電できる特性がある。バッテリーを切り離したのは要求される電力にバッテリーが耐えきれず発火するのを防ぐため。キャパシタを解放するとモーターがうなりをあげて回り始める。私のギアは前輪駆動フロントドライブだから荷重かじゅうけて滑るのを防ぐために思いっきり姿勢を低くしつつ前に荷重する。


「うおおおおおおおらああああああああ!!!!!」


 キャパシタが切れたタイミングで回路から切り離し、エンジンと”直結ちょっけつ”する。エンジンを一気に12000回転まで吹かし、キャパシタをバッテリーで充電しつつあとはひたすら速度が少しでも伸びるように、ただ姿勢を低くして、その時を待つ。


「SSRよりナンバー66へ。第一ポイント通過暫定速度つうかざんていそくどは147㎞/hです」


 この時点でエンジンの出力はほぼ頭打あたまうちになっている。もともとそこまで回すエンジンでもないので馬力は出ていて55馬力といった感じか。


「SSRよりナンバー66へ。第二ポイント通過暫定速度は172㎞/hです」


 第一ポイントからほんの数十秒で次のポイントを通過する。速度はこれでもかなり伸びている。すさまじい走行風に吹き飛ばされそうになるのを何とかこらえ、最後に充電したキャパシタを放電する。


「これで...どうだあぁああああ!!!」


「SSRよりナンバー66へ。第三ポイント通過暫定速度は191㎞/hです。これにて計測を終了します。速やかに速度を落としてください。Good Job,Challenger」


「はぁー...191キロ...最高記録じゃん...」


 体感たった一瞬。でも、この世界は私を魅了してやまない。

 エンジンの打撃感だげきかん、モーターの駆動音くどうおん、目にもとまらぬ速さで流れる景色、まるで鋭利えいりな刃物のようにまされる感覚、エンジンの回転数と同調どうちょうするように加速する思考。そのすべてが、私をスピードの世界へ駆り立てる。


「ナンバー66よりSSRへ。ランキングをお願いします」


 しばらく流しながら返答を待つ。加熱したモーターからは煙が上がり、3000回転まで落としたエンジンの力強い鼓動こどうは、V型2気筒だったことを思い出させる。この瞬間が、たまらなく好きだ。


「SSRよりナンバー66へ。お待たせしました。第一ポイントでは57位、第二ポイントでは24位、第三ポイントでは12位です。お疲れさまでした。このあとも安全走行で」


「12位⁉SPEEDSTAR出場まであと2位じゃん!!ぃやったああああああ!!!!」


 SPEEDSTARは北海道・東北・関東・中部・近畿・中国・四国・九州沖縄の各ブロックごとに二種目以上で10位以内に入ることができれば、そのシーズンの参戦資格を得ることができる。

 私はすでにダウンヒルで今のところギリギリ9位に滑り込んでるから、参戦資格申請さんせんしかくしんせいめ切りの3月までの残り一か月で、このトップスピードアタックの順位を2位分あげれば、今期のSPEEDSTARに参戦できるということだ。

 一気いっきに夢が現実味を帯びてきて、つい自分がレースに参戦している姿を想像してしまう。ついにここまでやってきた。いや、とうとうここまでやってきてしまった。


 忘れもしない8歳の時、母親に連れられて観たSPEEDSTAR 2069シーズンの第3戦、中部縦断ちゅうぶじゅうだんサンセットラリー、その中盤ちゅうばん安房峠あぼうとうげアタックが脳裏のうりによみがえる。

 チームスワローテイルのサラ・アニーラがカーブを立ち上がったところでエンジンブローし、ストップ。第3戦優勝が見えていた中でしくも僅差きんさに詰めていた後続こうぞくに次々抜かれていく中、サラからバトンをたくされた黒髪のチームメイト、メカニカルフレームが驚異きょういの走りで次々と失った順位を取り戻していく様はまるで鬼のようだった。

 頂上付近にいた私は、最後のカーブで先行せんこうする選手を外側からほぼノンブレーキで曲がり切ってのテイクアウトを目の前で見ていた。たった一瞬の出来事だったけれど、黒髪の大胆無謀だいたんふてきさと、それでも曲がり切ってしまう圧倒的技術力あっとうてきテクニックに心をかれ、気が付いたら泣きながらがんばれとさけんでいたことを思い出す。


 あれ以来私は、SPEEDSTARの、そして飛脚のとりこだ。

 

 冷却が済んだモーターにバッテリーをつなぎ、70キロくらいで気持ちよくがらがらのバイパスを流す。人の住む地域が縮小しゅくしょうしたおかげで、星がきれいに見える。


「今日はいい日ね。」


 興奮こうふんで少し視界がにじむ。

 そんな私のほほを夜風がで、汗を乾かしていく。夜景は寂しくなってしまったけれど、エンジンの鼓動こどうが支配するこの空間、この時間がたまらない。さあ、さっさと帰って報告しなきゃ!なんて思いながら、すこしアクセルを開けた。


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