11-2

 パーカー町長の赤い顔に若干青みが差し、気色悪い紫色になったが、青年を無視して町民に向かってわめいた。


「これはチャンスなのです!」


 パーカー町長はむっちりしたこぶしをぶんぶん振り回している。


「数年でこの町にも鉄道が敷かれる。気軽に遠くの町へ行き来できるようになるし、訪問客も増える。その時訪れた客に、何もないこの町にがっかりされるのは忍びないでしょう! 今こそ、町を発展させるべきです。この町には、国内有数の大人気観光地になる可能性が十分にある」


「この町には美しい海と、珍しい生き物がたくさんいる森林があるじゃないか! それを生かして人気観光地にすればいい! それが町長の仕事だろう!」


 キャップを被った若い漁師が声を上げた。そうだそうだと賛成の声があちこちから上がる。パーカー町長の眉がつり上がった。


「お言葉ですが、何をするにもお金がいるのですよ。町の税収は年々下がっているのを、皆さんごぞんじですかね? 昨今は赤字財政です。このままでは……そう……もしかしたら、漁協に毎年給付している助成金も無くさなければならないかもしれません」


 漁業関係者の放つ空気が一瞬にして激変した。若い漁師たちは「おどす気か!」「卑怯だぞ!」などと叫んでいるが、真っ黒に日焼けした年配の漁師たちは額を互いに突き合わせ、深刻な顔で何やら話している。


「町長さん、もしその計画で税収が増えたら、ノース地区にまで石畳を伸ばして下さるんですか?」


 子どもをいく人も引き連れた、困り顔の夫人が町長に訴えかける。


「ノース地区は道がでこぼこなせいで、毎日ミルクを市場まで運ぶのが一苦労ですよ……」


「それは間違いなく改善できます!」


 町長が必死の形相でその話に飛びついた。


「それだけじゃないですよ、今にも崩れそうな教会も、町の資金で建て替えられるかも知れませんぞ! 寄附金は中々集まらないそうですね?」


 ベールを被ったシスターたちが目を伏せた。


「漁師さんたちも、漁港の設備をもっと充実させて欲しいんですよね? 助成金も減るのは嫌でしょう?」


 漁師たちの目に宿っていた怒りの炎が一気に吹き飛び、たちまち困惑の色が浮かび上がる。町人たちは互いに自分たちの事情を話し始め、辺りが騒然となった。


 広場の雰囲気がはっきりと変わった。町人たちは、森林の開発に賛成か、反対か、どちらの立場を取れば自分たちに有利になるのか推し量っているようだ。


「カイコウラ町の森と緑を守る会」と、「パーカー町長は即刻辞任せよ」のハチマキをしている団体だけは、揺るぎない信念を持って町長を睨みつけたままだった。


 マトリはふと舞台脇にいるジャドソンが目に入った。不機嫌だったジャドソンは、今や薄気味悪いニヤニヤ笑いを浮かべ、舌舐めずりして町人たちを眺めている。


 まるで自分の利益ばかり求める利己的な人間の浅ましさ、卑しさを養分にして生きてますと言うかのように、鼻をヒクヒクさせ、明らかに町長が町民をあおる様子を楽しんでいた。


「うえー、嫌なやつ」


 マトリは胸が悪くなって呟いた。


「時は来たりだな」


 ヒックスはマトリの肩に手をかけて引き寄せた。


「マトリ、今だ。一発ぶっ放せ。町民たちの動揺を打ち消して、こっち側に引き戻すんだ」


「わかってるわ。わかってるけど……」


 マトリは「パーカー町長は即刻辞任せよ」のハチマキをしている団体と、たくましい筋肉を持つ血の気の多そうな漁業関係者たちをピリピリしながらチラリと見た。そこにはまさしく、一触即発の雰囲気が流れている。


「うーん……あの人たちいつまでいる気かしら。もしかして、住民説明会の後に町長の不正をあばいた方がいい気もするような……」


「マトリってば弱気になるなって」


 その時、木の陰に隠れていたラフィキがそっと近づいて来た。


「大丈夫だ、根回しはしてあるんだから。警察はもう俺たちのことは捕まえない。だけど、ジャドソンは俺たちの動きにおそらく気付いてる。これ以上ジャドソンに時間をやれば、隠蔽工作いんぺいこうさくされて逃げ道を作られるかも知れないぜ。おやじも解放できて、森林開発も中止に追い込めるチャンスだ。俺たちは両方手に入れたい。町民を味方につけろ。ちょっとした大混乱こそ……」


 ヒックスは主導権を取り戻し満足そうにしているパーカー町長を見て言った。


「まさに、親愛なる町長殿にふさわしい」


「マトリ、大丈夫だ。みんなマトリの味方だ」


 ラフィキも一緒になってマトリの肩に手をかけた。三人はマトリを中心に身を寄せ合った。二人の体温を感じる。


 森林の開発に住民たちが納得して、開発が始まってからでは、町長の横領の不正などを暴けたとしても中止に追い込むのは難しいかもしれない。お父さんも助けて、大森林も守りたい。その思いが、マトリを奮い立たせた。


「それとも、大きな口叩いてたくせにやっぱり度胸なかったのかな〜、マトリは」


 程よく気持ちが高まって来たときにヒックスに余計な茶々を入れられ、マトリはカチンときてしまった。


「何言ってるのよ! ただ町長を怒らせるだけでしょ? それに、女の方が度胸はあるものよ!」


 マトリはそう言うと、あごをツンとそびやかし、町長が立っている木の台に向かってズンズン歩き始めた。


 町人たちは芝生の上に座り込んでまだ互いに相談し合っている。


 マトリは舞台に取り付けられた簡易的な階段を登ると、説明会の担当者を押しのけて町長の真横に立った。ヒックスが注目を集めるためにクラッカーをポンポンといくつか鳴らす。担当者は弱々しい悲鳴を上げて後退りし、舞台から転がり落ちて池に突っ込んだ。


「な、何だね、君は!!」


 マトリは大仰天して固まっているパーカー町長の手からメガホンを奪い取ると、聴衆に向き合った。


 町民たちは突然現れた娘に動揺を隠さなかった。婦人たちは寄り集まり、マトリを指差してひそひそと話している。それでも多くの町民は、何が始まるのかと首を伸ばし、好奇心き出しの目でマトリと町長を交互に見た。


 チラと舞台の脇にいるジャドソンを見ると、頭を棍棒で殴られたかのような表情をしている。マトリの心に炎が燃え上がった。あいつの思い通りにさせてなるものか。


 ジャドソンは最初のショックを乗り越えると、憎しみのこもったみにくい表情に早変わりした。そして町長へ合図し、屈んだ町長の耳元で何やらひそひそと耳打ちした。赤カブのようだった町長の顔が突然蒼白になった。


「皆さん! この開発計画は中止すべきです! そうすべき理由があります!」


 マトリはよく通る声で聴衆に呼びかけた。この日のために、パントフィ先生の家で発生練習までしていたのだ。


「あの町長はこの町の未来なんて考えていません! なぜならば——」


 マトリはもう一度大きく息を吸い込み、お腹から声を出す。


「あの人は次の州知事選挙に立候補するつもりでいます。本当にこの町の行末を案じて行動しているのではありません! 事業の成果が現れるのを見届ける前に、この町を出て行ってしまうつもりでいます! 本当にこの町を愛しているなら、森林を更地にするなんてことができますか? あの森は、この町の財産です! それなのにこの男は、あの森林に群生している貴重なカウリの樹まで売り払い、買取業者から賄賂を受け取ろうとしているのです!」


 驚きと動揺が、一瞬で広場中に広がった。パーマの男性がピューと口笛を鳴らし、「嬢ちゃんいいぞ!!」と怒鳴っている。


 パーカー町長は自制心を総動員して余裕の表情を取りつくろっているように見える。しかし蒼白な顔に赤いぶつぶつが浮かび、ジャムを混ぜかけのヨーグルトのような気味の悪い効果を上げていた。


 「パーカー町長は即刻辞任せよ」の団体が何人か立ち上がり、ヤジを飛ばし始めた。


「皆さん、皆さんお静かに! 今の話は全くのデタラメです。事実無根です! 私は今のところ州知事選挙に出る予定などございませんし、この事業を最後まで見届けるつもりですよ。もちろんでしょう! それに賄賂など、この私は清廉潔白せいれんけっぱく品行方正ひんこうほうせいで通っています! どこの娘さんか知りませんが、言いがかりをつけるのは止めていただきたいものですな」


 舞台のすぐ脇で控えていたヒックスがフンと鼻を鳴らす。


「騙されたらいけないざんすよ!」


 赤いコートを着た女性が、町長の近くで立ち上がった。クロユリはあの時と同じ真っ赤な爪をマトリに向けて、キンキン声で叫んだ。


「あの小娘は、イカれた格闘家、プロックトン・グレイビアードの娘ざんすよ! グレイビアードは強盗罪で先日逮捕された罪人ざんす! 罪人の娘の言うことなんか信用に足らないざんすよ!」


「あなたにそれを問う権利があるのですか!?」


 マトリはメガホンでクロユリを指し、大声で叫んだ。クロユリはどうにか底意地の悪い表情を保っていたが、一瞬怯んだようにも見えた。


「いいですか! この事件に関しては私たちは既に証拠を掴んでいます。そしてパーカー町長、あなたがジャドソン町長補佐と協力して父を犯人に仕立て上げたこともわかっています!」

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