6-4


「それはつまり……町長が町税を横領してるかもしれないってことか?」


 ヒックスは努めて平静に話そうとしているようだったが、その表情は興奮を隠し切れてはいなかった。


 しかしハリス副町長は気がつかない。うつろな目は下を向いたまま、どこともつかない場所をじっと見ている。くすんだ茶色の髪の毛に、所々丸い禿げがあるのがチラリと見えた。


「でも、そこまで自分で調べられたならもう一息だろ。証拠をつかんで町長の不正を暴いてやればいい」


「さっきも言っただろう。私は窓際族だったし、それで満足もしていた。微妙な駆け引きだったり、誰かを蹴落としたり、そういうことが極端に苦手だった。今回のことも、おそらく町長の味方についている会計課の誰かが私の行動に気がついて、町長に密告したようなんだ。

 町長の私に対する態度ははっきり厳しいものとなった。私を全ての重要な会議から締め出した。経費の報告書や伝票も町長室で保管するようになった。今日も町長から辛辣しんらつな言葉を聞かされると思うと……」


 ハリス副町長は再び胃を抑えた。そんな様子を見たマトリは、パーカー町長に対して腹の底から怒りが込み上げてくるのを感じた。


 自分の都合で副町長にしておきながら、弱みを握られそうになると態度を急変する。プロックトンを陥れたことといい、なんて自分本位な人なんだろう。


 パーカー町長は森林を更地にして森の動物たちが死んでしまったとしても、強盗被害にあって頭を抱えている町民がいたとしても、きっと何とも思わないのだ。


 マトリは打ちひしがれているハリス副町長を心底気の毒に思った。マトリは仲の良い町民たちから、働くことがいかに辛いかをよく聞かされていた。自分もスミス家に行けば少なからずこのようなことを経験するのかと思うと、マトリまで池の色と同じようにどんよりとした気持ちになった。


 ただ一人、プロックトンだけは意見が違った。プロックトンは「働くのは楽しい」といつも言っていたし、「仕事に手をつければ心が燃え上がる」とよく言ったが、マトリにはこの意味が未だに理解できないでいる。


「あの、思い切って退職して新しい仕事を探そうとは思わないんですか?」


 マトリはハリス副町長に聞いた。マトリにはそうまでして今の仕事を続けなければいけない理由がわからなかった。


「そんな状況なら退職して、チュロスフォード市で新しい仕事を探した方がよくありません? 副町長さん、今のままだと身体壊しちゃいますよ」


「確かにそうかもな」


 ヒックスも同意した。


「察するところ、おっさん副町長でいることにこだわりなんかないだろ?」


「それはできない! 私には子どもが五人いるんだ。今仕事をやめたら、子どもたちを養えなくなる。いい歳だし、次の仕事をいつ見つけられるかもわからないんだ」


「ひょえー! おっさん子どもが五人もいるの?」


 ヒックスは心底驚いたようだった。


「あー、つまりあれなの? 職場では窮屈な思いをして耐えてる分、家では精力旺盛になるとか……」


「ヒックスったら! いい加減にして!」


 マトリはハラハラしながらハリス副町長を見たがやはり気にしている様子はなかった。ハリス副町長は懐中時計を取り出してチラッと時間を見ると、慌てて立ち上がった。


「行かなければ。君たち、今話したことはくれぐれも内密に頼むよ。すまなかったね」


「とっくに始業開始時間過ぎてるだろ? 大丈夫なのかよ?」


 ヒックスが去ろうとするハリス副町長の背中に声をかける。


「大丈夫さ。みんな、私が出勤したことに気がつきもしないだろうよ」


 ハリス副町長は微笑し、寂しそうにそう言った。そして行ってしまった。



* * *



 道場に帰ったマトリは、昨晩三人で要点をまとめた紙を取り出し、一人であれこれ考えた。ヒックスはまだ外で情報収集している。


 先ほど出会ったハリス副町長の件も書き加えた。様々な情報から察するに、パーカー町長の集金と権力欲が全ての根源であることは間違いなかった。


 しかしそこで不可解なのが、ジャドソンの行動の目的だった。ジャドソンはモアとカウリのを欲しがっているが、パーカー町長はそうではない。その理由をシミのついた紙の前でウンウン唸って考えたが、新しい考えは何も浮かんでこなかった。


 自分もヒックスみたいに、せめて中等学校までは出ておくべきだっただろうか。マトリはヒックスのような頭の回転の速さが自分にはないことを、ここにきて初めて悔やんだ。


 もっとも、初等学校しか出ていない女性はこの国では珍しくなかった。特に農村部では、繁忙期になると、子どもに学校を休ませて家の手伝いをさせる親までいるくらいである。


 プロックトンはマトリにも進学を勧めてくれていた。だがマトリは自分からその申し出を辞退してしまった。この州では、初等学校までは無料で通うことができたが、中等学校からは学費がかかる。家計事情をよく理解していたマトリは、もう若くないプロックトンにそこまで無理をさせたくなかった。





 そうこうしているうちに、あっという間に日暮れ前になった。


 ラフィキは菜園からまだ育ちきっていない新ジャガがいくつか収穫していた。そしてどうやったのか、どこからかウサギを捕まえてきていた。


 裏庭でラフィキがウサギをさばいている間、マトリはドギマギして台所の中を行ったり来たりした。昨日フェツの大森林で見た、耳の折れたウサギたちが目の前にチラついた。


 生きていくためには命あるものを殺さないといけない時もある。そのことはとっくの昔に自分の気持ちに折り合いをつけたはずだったが、それでも動物がこと切れる瞬間を見るのは耐えられなかった。


 そんな動物たちが住むフェツの大森林も更地になる運命にあるかもしれないのだ。




 ちょうど日が暮れた頃、ヒックスがカンカンに怒って表から帰ってきた。


「あのババアめ! あのイカれたケバいやつ!」


 ヒックスは手に持っていた新聞をバーンとテーブルに叩きつけた。

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