4-3

 三人は倒木のそばに生えている茂みに隠れて、猛獣が過ぎ去るのを待った。しかし、カウリの大樹のそばに現れたのは猛獣ではなかった。


「嘘でしょ! あれって……」


 マトリは思わず声を上げそうになったが、ヒックスの手が飛んできてマトリの口をを塞いだ。


 カウリの樹の前までやって来たのは三人の男だった。三人のうち二人は、猟師が着るような動きやすそうな黄土色の服を着て、帽子を目深に被っている。


 残る一人は黒い服を着た大男だった。同じく帽子を被っていたが、マトリには誰なのかすぐにわかった。筋肉を感じさせる、角ばった印象の体型、そして帽子でも隠し切れていない右頬の傷……。


「フェリータ警部補よ!」


 マトリは可能な限り小さな声で言ったつもりだったが、ヒックスはレモンを飲み込んだように酸っぱい顔をした。そして指を立てて黙るよう合図した。


「あの背に背負っているのは……ライフルだな。タイミングを見てここを離れなければ……」


 ヒックスの合図を見ていなかったラフィキが言った。ヒックスはラフィキに向かって、今まで見た中で一番眉を釣り上げた。何も言わなかったが、その表情ははっきり「そんなことは分かってるから黙れ」と言っていた。


「この場所は……初めて来たな」


 フェリータ警部補が、聞き覚えのある、腹に響いてくるような低音の声で言った。


「これほど立派なカウリの樹が密集している場所は珍しいですね。やりましたね、フェリータさん。これだけでも収穫じゃないですか」


 黄土色の服を着た、フェリータの部下らしき人が言った。


「ああ……。だがモアを見つけなければ、ジャドソンは金を払わないと言っている。カウリの樹の近くに、モアの巣もあるはずだ」


「もう少し奥まで探してみますか?」


 部下の一人が言った。フェリータ警部補はポケットから懐中時計を取り出した。


「もうすぐ日没だ。少し当たりを探ってみて、何もなければそのまま引き揚げよう。八時には『プロバドール』に行かなければ。ジャドソンと町長がそこで話した後、引き続き我々と打ち合わせすることになっている」


 フェリータ警部補たちは歩き回ってカウリの樹を調べると、モアの巣を探すため森の奥へと消えてしまった。



* * *



 辺りに人気がないことを確認してから、三人は来た道を戻った。どこかに隠れていたらしいメーティが再び現れ、三人の前をモフモフの胸を張って歩いた。三人をモアに引き合わせたことが誇らしくてしょうがないらしい。「すごかったでしょ」と言わんばかりに、頻繁に振り向いて三人の表情を確認するので、もう少しで丸いがたくさん浮いている池に落ちるところだった。


「ちゃんと前見て歩けよ!」


 ヒックスがメーティの頭を無理やり前に戻した。

 

 歩きがてら、マトリはモアの声が聞こえたことを二人に話した。しかし、ヒックスが期待を裏切らない、予想通りの反応をしたのでマトリはがっかりしてしまった。


「ギャハハハ! マトリ、おやじがパクられたから頭おかしくなっちゃったんじゃないの? 動物が話せるわけないじゃん。今まで飼った動物の声が一度でも聞こえたことがあるか? あ、でも俺もしかしたら動物の声を聞いたことあるかも」


 ヒックスはわざと気味が悪いほどの真顔になって、目を閉じ、思索にふけっているふりをした。マトリはヒックスの横っ面をピシャッとぶってやりたい衝動を、手が動きそうになる寸前で抑えた。


「うむ……たしかに全滅したカエルの子たちは苦悶くもんの叫び声を上げてたように思う。それに、以前マトリが海岸で拾ってきたのに家出した恩知らずな猫は確かにこう言ってたね。『こんな家はもうたくさんよ』って。でもあれは俺も同情したんだ、おやじが猫にまで稽古をつけようとしてたからな。それにあの時飼ったヤモリは……」


「ラフィキは」


 マトリはわざと声を大きくしてヒックスの声を遮った。


「モアの声聞こえた? ねえ、信じてくれる? 私たしかに聞いたんだから! こう、頭の中に響いてくる感じで……」


 ラフィキはマトリの問いに答えなかった。微かに、ほんの少しだけ眉間にしわができたように見えるだけだった。しかし、何につけても優しいラフィキの頭の中で、マトリに同意してあげたい気持ちと、動物の声が一度も聞こえたことがないという事実、この二つが戦いを繰り広げているのが容易に想像できた。


「でも本当に聞こえたんだもの」


 自信をなくしたマトリは、小さい声でボソボソとそう言った。


「私なにか変になったのかしら……。でも確かに、あのキャラメルみたいな色のモアと目が合った後で頭に響いたんだもの。本当だもの……」


「頭の中に響いたというのは……己の意思と関係ない思念が割り込んできたということか?」


 ラフィキが難しい言い方をしたので、マトリは余計にわけが分からなくなってしまった。


「何かの本で読んだことがある……稀にだが、生まれながらに超感覚的知覚ちょうかんかくてきちかくを持っている人がいるらしい」


「ちょうか……何?」


 ヒックスが胡散臭いですという表情を隠そうともせず聞いた。


「つまりテレパシーだ」


 ラフィキは真顔のまま大真面目に答えた。


 マトリの頭の中で、まるで石けんの大きな泡がパチンとはじけたかのようにいくつもの思いが噴出した。


「それよ!」


 マトリが大声を出したので、脇を歩いていたヒックスがつまずきそうになり、あやうくイラクサがびっしり生えている茂みに突っ込むところだった。


「もしかしたら……もしかしたら私の本当の両親は超能力が使えたのよ! 私、ひょっとしたら動物と話せる超能力があるのかも!」


 そうだ、そのような稀有な特質は、遺伝でしか伝わらないものに違いない。マトリはその思いつきに夢中になり、ヒックスがはっきり聞こえる音で鼻を鳴らしたことも気にならないほどだった。


「ありえるかもしれない」


 ラフィキが無表情で、しかし真剣に言った。


「師匠を解放できたら、調べられるだろう」


「親探しはしないんじゃなかったのかよ」


 ヒックスはシャツにへばりついた刺だらけの種子をむしり取りながら言った。


「あら、もちろん知りたいとは思ってるわよ!」


 マトリは鼻息を荒くしてヒックスに抗議した。


「でもお父さんを解放するための証拠探しと一緒で、何の手がかりもないのに探せないじゃない。町の人たちはみんな知らないし、外から町に来る人を全員捕まえて、逐一ちくいち聞いて回れっていうの? それに見つかったからといって、私は道場を出るつもりはなかったし……。それでも」


 マトリはくるりと後ろを向くと、ヒックスの真向かいに立った。


「自分の親が私と同じ目の色をしてるのか気になるじゃない?」


 ヒックスの鳶色とびいろの目に、自分の顔が写るのが見えた。


「実の両親について思いを巡らすことがあるのは当然だ」


 ラフィキが二人を抜いてメーティの後ろを歩きながら言った。


「ヒックスもそうだろう」


「俺は……別にそんなことないよ」


 ヒックスはなぜか仏頂面になって、今しがたむしり取った種子をラフィキの背中にこっそり投げつけたので、ラフィキが狩で使う緑色の上着に茶色い点々がいくつも連なった。





 道場が近づいてきた。辺りはマトリもよく知っている見慣れた景色になった。


「ああ、やっと帰ったよ。俺疲れたからちょっと一眠りしようかな」


 ヒックスが大あくびをして伸びた。しかしマトリは眠気など微塵も感じていなかった。やることは決まっていた。

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