3-2

 マトリは目の前に立つプロックトンのつむじを見た。プロックトンの表情は見えない。プロックトンは相当な歳のはずなのに、つむじのてっぺんまで白い毛が一部の隙もなく生えていて、髪は流れるように腰までとどいている。


「ゴールド夫人、この男で間違いないですね」


 傷の男が、一歩左に動いた。男の後ろから、あのうわさ好きのクロユリが出てきた。いつも通り赤いコートを着て、化粧は抜かりなく、角縁つのぶちメガネをかけている。しかしいつものような派手な宝石の指輪をはめておらず、代わりに右手には包帯を巻いていた。


「はい、フェリータ警部補。この男で間違いないざんす! この男は昨晩、家のものが寝ている間にうちに押し入って、うちにある金目のものは全て持って行ったざんす! 我が家にあったダイヤモンドも、そのほかの宝石類も、毛皮のコートも、ワニ皮のバックも、それに……それにその男は」


 クロユリは真っ赤に塗られた長い爪を震わせながらプロックトンを指差した。


「その男は、わたくしの家に代々受け継がれてきた金の懐中時計かいちゅうどけいも持ち出したざんす。純金製で、ふたに青いリンドウの花が染めつけてある逸品いっぴんざんすよ! 他のものはともかく、あれだけは返してよこすざんす! でないとわたしくは……」



 クロユリは両手に顔をうずめると、声を上げて泣き出した。興奮した馬の泣き声のような、耳障りな音だった。マトリには、クロユリが自分の両手の中で笑っているように思えてならなかった。


「あなたに関してはゴールド夫人の証言以外にも、この度の窃盗、強盗事件に関して多数の目撃情報が寄せられている」


 フェリータ警部補が、バスドラムのように空気を振動させるような低音の声で言った。


「ミスター・グレイビアード、今からあなたの家をゴールド夫人の証言に基づき家宅捜索します。すぐ済みますので、ご協力いただきたい。お前たち、塵ひとつ見落とすな」


 フェリータ警部補を始め、警官たちは土足のまま土間から道場に上がってきた。


「おい! 何しやがる! 汚い靴で歩き回るな!」


 ヒックスは泥のついた靴で歩き回る警官に向かって怒鳴った。警官たちは磨かれた道場に足跡をつけ、道場、台所のテーブルやまきストーブ、鍋やフライパンが入っている木の棚、水瓶の中、野菜を入れた大きなかごなどを全てひっくり返した。どう考えても盗んだお宝を隠せそうにない、蜂蜜や酢漬けの玉ねぎの瓶まで開けて中身を出した。


 二階の寝室からはガタガタ、バタンという音が聞こえてくる。ベットや衣類の棚がひっくり返されているに違いない。


「やめてください! やめてください!! お父さんは強盗なんかしません! 聞いてください、お願いします! お父さんが何かを盗んだことなんて一度もありません! 誰かに危害を加えたことなんて一度もありません!」


 マトリは道場で腕を組み、直立不動で立って部下たちの動きを監視しているフェリータ警部補にぶら下がった。マトリにぶら下がれても、フェリータ警部補はものの一ミリも動きはしなかった。固い一枚の岩のようだ。いかつい表情は道場に来たときから一切変わらず、太い眉毛の下にある黒い目だけが部下の動きを追っている。


 マトリはプロックトンの元にかけよった。プロックトンといえば、なんとこの大変なときに目を閉じて瞑想している。


「お父さん! あの人たち追い出してよ! お父さんってば、どうして何も言わないの? 私たち何も悪いことをしてないのに、私たちどうしたら……」


「マトリよ! 静かにするのじゃ」


 プロックトンは目をつぶったまま言った。


「忘れたのか、マトリよ。このようなときこそ平常心じゃ。あやつらがかき回しているのは所詮は物じゃ。物はいずれ朽ちていく。よいか、あやつらに手を出してはならぬぞ。このようなことで己を傷つけるようなことをしてはならぬ」


「お父さん……」


 マトリはうなだれた。ラフィキが、マトリの肩にそっと手を置く。


「大丈夫だ……何も悪いことはしていないのだから」


「クソ……! あいつら、今に見てろよ」


 ヒックスは顔を真っ赤にして小刻みに震えながら道場が荒らされるのを見ていた。そんな一家の様子を、ジャドソンはしたなめずりしながら、悦に入った表情で見ている。


「警部補! 証拠を見つけました! これを見てください」


 警官のひとりが二階から転がるように降りてきた。どうも枕や掛け布団の中まで探していたらしく、鳥の羽を撒き散らしながらこちらにやってくる。手には何やら金色の鎖のようなものをぶら下げている。


 土間まで下りてきた警官が握っていたのは、純金の懐中時計だった。とても高価な物のようで、全体に葉や波模様のレリーフがあり、蓋に青いリンドウの花の装飾がある。


「ひょほー! ついに出ましたか! これで終わりですね、グレイビアード」


 ジャドソンは勝ち誇った表情で飛び出してきた。


 ジャドソンの小躍りでもしそうな勢いで体を揺らした。マトリは今ほどジャドソンの横っ面を張ってやりたいと思ったことはなかった。マトリは節が白くなるほどぎゅっとこぶしを握りしめた。


「ま、間違いないざんす! その懐中時計はわたくしの家の物ざんすよ! やっぱりお前が盗人だったざんすね! 捕まえろ! その男を捕まえるざんす!」


 クロユリが叫んだ。プロックトンはまだ瞑想していて、一切反応を示さない。


「その懐中時計は誰かがうちに仕込んだものだ!」


 ヒックスがプロックトンの前に立った。マトリもヒックスの隣に立って、プロックトンの前で二人は壁を作った。


「俺たちはそんな懐中時計見たこともない! 盗む理由もない! それにそこにいるケバいおばさんは……」


 ヒックスはクロユリはを指差した。クロユリの顔が引きつった。


「宝石や毛皮のバックも盗まれたって言った。それも昨日の話だ。都合よく俺らの家から懐中時計だけが見つかるのはおかしいだろ!」


 ヒックスが叫んだ。マトリはプロックトンを隠すようにヒックスにぴったりくっついた。しかし警官たちはジリジリとマトリたちに近づいてくる。

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