No,38

「初めまして。亜子です」

「ふむ。案ずるな。あれから君のことは説明を受けている」

「……そうですか」


 そう言われると言葉が続かない。


『助けて~』と内心で思いながら辺りを見渡すと、物陰に隠れてこちらを伺う

筋肉の背後に隠れている夫を見つけた。

 視線で『何してるんですか!』と念じたら、彼は笑いながらやって来た。


「叔父さん久しぶり」

「久しいな。柊人よ」

「今日は英国紳士風か?」

「一応甥の伴侶に逢うのだ。正装するのが親族の務めであろう?」

「だったら普通にスーツでも着て来い」

「それでは面白くないであろう」


 椅子から立ち上がった明人は、両手を広げて力説する。


「その他大勢の格好にどんな意味がある! 人とは常に個人の色を出し悠然と時の流れを楽しむべきである!」

「とりあえず落ち着け」

「ふむ」


 甥のツッコミで落ち着いたらしい叔父がベンチに戻る。

 ようやく亜子は悟った。自分ではどうしようも出来ない相手だと。


「それで私に逢いに来たのはその小さなお嬢さんの紹介だけかな?」

「じゃなくて……大統領からの御指名だ」

「遠慮しよう。ではっ」


 立ち上がり逃走を模索した明人であったが、それを逃すほど彼の甥も甘くはない。

 何より自分には常に護衛が付いている。それも妻の分を合わせると2人分の編成でだ。


「図ったな柊人よ」

「騙される方が悪いな。何より初日に捕まえられたことが大きい」


 退路を断っているCIAの工作員に命じ、英国紳士風の日本人男性を拘束する。


「そのまま大統領の宿泊ホテルに。俺も観光が終わったら合流するから」


 軽く手を振り連行されて行く叔父を柊人は見送った。


「今回は簡単に捕まえられて助かったな」

「柊人さん?」

「いつもならもう少し退路を確保しているんだけど、流石にあの人も甥の嫁に逢うことを避けられなかったか」


 笑いながら買って来たお菓子を差し出し柊人は軽く肩を竦める。


「それか亜子への結婚祝いで大人しく掴まったかだな」

「……そっちな気がします」


 お菓子を受け取り亜子も素直にそれを認めた。


「それであの叔父さんってどうして捕まえたんですか?」

「あ~。うん」


 軽く頭を掻いて柊人は覚悟を決めた。


「次のノーベル平和賞候補と陰で言われている人なんだよ」

「はい?」


 また変な単語が亜子の耳に届いた。


「地球環境で一番厄介な存在って知ってる?」

「っ!」


 全力で亜子は顔を背けた。

 難しい単語や説明や方程式の類は聞きたくもない。


「温暖化で温室効果ガスって言われている。つまり大気中の二酸化炭素とメタンなどだ」


 それぐらいなら何となく理解出来た。


「簡単な解決方法とし、二酸化炭素を減らすなら植林を進めれば良い。でも森林伐採が続く現状それは難しい。ならどうする? 他の方法で二酸化炭素を減らせば良い」

「……」

「で、叔父さんが知り合いの科学者に出資して作らせているのが二酸化炭素を吸収して酸素や水などを吐き出す外壁材なのよ」


 頭の中に戸建ての家を思い浮かべ亜子は理解した。


「えっと……家の外に張る奴ですよね?」

「それ」


 ベンチに座り柊人は何となく空を見る。


「全ての家……は無理としても、公共施設や有名企業のビルや工場でも良いか。それに使えば大気中の二酸化炭素量は年を追うごとに減っていく訳だ」

「凄いですね」

「だろう? で、その権利を全て持っているのがあの人な訳よ」

「……」


 何となく亜子は理解出来た。これは凄いを通り越して絶対に危ない話だ。


「各国が競うように叔父さんの権利を欲している訳。作った科学者さんは高齢で完成してから研究資料を叔父さんに譲り渡してからボケちゃってね……現在唯一その方法を知る人なのよ」

「そうですか」


 ニコッと笑って亜子は夫の顔を見た。


「唯一じゃ無いですよね?」

「……さてと。エッフェル塔を昇ってパリの景色でも見るか」

「柊人さん?」

「……」


 早足で逃走を開始した相手を追って、亜子は彼の腕に抱き付いて捕まえた。


「どうしてそんな嘘を!」

「あ~。何も知りませ~ん」

「それは私のセリフです!」


 プリプリと怒って……それでも亜子はエッフェル塔からの景色を見て、嫌なことを全て忘れることにした。

 誰にも知られなければ全ての何かは彼の叔父さんに向くはずだと理解したからだ。




 結果としてレウカント大統領との交渉は上手く纏まらず、柊人が説得に乗り出したが……それでも決裂した。明人が言うには『もう少し人類は頑張るべきだと思うのだがどうだろうか?』とのことだった。




「自分が死んだらオープンフリーで公表する気なんだろう?」


 フランスから飛行機で次の目的地ドイツへと移動する。

 その飛行機内で交渉が決裂したと聞いた亜子が彼にした質問の答えがそれだった。


「そうすれば全人類が自由に使える」

「だったら持ってる権利を」


 譲ったらそれで争うことになると気付いて亜子は口を閉じた。


「つまり俺は叔父さんより長生きしなけりゃいけないわけだ」

「大変ですね」

「早死にしたら後は頼んだぞ亜子」

「……」


 夫婦である以上そう言うことだ。


 理解したが納得するとは限らない。

 亜子は頬を膨らませて夫の顔を正面から覗き込んだ。


「長生きをする努力はしてください」

「頑張るけどね」

「生きていればわたしがちゃんと面倒を見ますから」

「それもどうかと思うけどね」

「良いんです。それがわたしの決めたことです」

「そうですか」


 座席に座り直すと、そっと彼が顔を寄せて来た。

 頬に何かが触れた感じがして……見る見る顔が熱くなる。


「頑張るための第一歩。まずは膝の治療だ」


 可愛らしく真っ赤になった亜子の耳元でそう囁いて柊人は自分の足を軽く叩いた。




(C) 甲斐八雲

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