3章 『意地悪な姉は…』
No,23
椿家には暗黙のルール的な決まりごとがいくつかある。
お風呂に入る時は必ず声をかける決まりだ。
ただ……ぼんやりと浴室のドアを見ていた亜子は思った。曇りガラス状の向こう側に誰か来ればはっきりと分かるし、音がすればちゃんと聞こえる。
つまり世のラブコメは演出重視で現実では無い。脱衣所だって鍵があるから施錠すれば外から誰も入って来ないのだ。
お風呂を済ませて髪を拭きながらリビングに向かうと、彼が普段通り映画を見ていた。ゲームなどは好きではないらしく、暇潰しは基本映画だ。
テレビを見るのはニュースぐらいで、下手をすると海外のニュース番組を見始める。
「柊人さん」
「ん?」
「趣味とかって無いんですか?」
「君も定年退職したお父さんに現実を知らしめるような毒を吐くようになったね」
「普段からゴロゴロしてるのを見たらそう言いたくもなります」
いつも通りソファー近くの床に座って亜子は彼を見る。
別に彼の隣に座るのでも良いのだが、それをしたら自分の中の何かを抑えきれそうにないので警戒の為に床に座る。
「趣味と言われてもな……亜子はどうなの?」
「わたしは家事がありますから」
「家事は趣味じゃないぞ?」
「……勉強もありますし」
「宿題するぐらいだろう?」
「ですね」
そう言われると彼が宿題の類をしている姿を見たことが無い。
何より普段から授業を受けているのかも怪しい。
「柊人さん」
「はい?」
「ノートを見せて下さい」
「断固拒否します」
やはりだ。それに気づいた亜子は立ち上がると、キッチンに向かう振りをして直角に曲り柊人の部屋に突撃した。
普段から掃除などで入るから入室することに抵抗はない。
それに彼のベッドの上で転がっているのは気付かれていないはずだ。
鞄を掴み中身を……教科書すら入ってなかった。
「み~た~な~」
ゾンビチックな動きで近づいて来る相手に、亜子は空っぽの鞄の中身を晒す。
「柊人さん。これはどういうことですか?」
「……だって教科書って重いでしょ? 老人には毎日の持ち運びが辛いのよ」
「だからって空なのはダメでしょう?」
「必要だったら亜子のを借りれば良いんだし……何より自宅で教科書って開くことあるの?」
「宿題は? さっき自分で言いましたよね?」
「あ~。やったこと無いわ~」
流石にプチッと来た亜子が鞄を彼の机の上に戻すと、入り口に立つ彼を押してリビングへ戻る。
腕を組んで睨みつけて来る妻の様子に、柊人はいそいそとソファーに座った。
「学生の本分は勉強ですよ? 分かってますか?」
「はい」
「それなのに宿題をしないとか……どういうつもりなんですか?」
「だから要らないでしょう? そもそも宿題とかいつの時代かと」
「ん?」
増々睨んで来る彼女に柊人は息を吐いた。
「宿題って出してるだけで何の評価もされないのよ。やってもやらなくても変わらないなら、中間と期末だけ真面目に勉強すれば良いと私は思っております」
「って普段から勉強してないじゃないですか!」
「する必要を感じないし」
「……」
増々怒る亜子に柊人はその目を向けた。
「なら次の中間でどっちが点数が良いか勝負しよう。俺が勝ったら亜子は今後文句を言わない。亜子が勝ったらちゃんと宿題をする」
「良いですよ」
挑まれると引かない亜子の性格を理解し、柊人はついでにもう1つの条件を口にする。
「ならそれとは別に勝った方が負けた方に対して1つだけ命令を出せるってどう?」
「命令ですか?」
「そう。ただし10個に増やすとかは無しで、無理なお願いも禁止で」
「良いですよ。受けて立ちます」
「なら成立で」
普段から勉強をしていない柊人に負けないと亜子は思っていた。
だからこそそんな賭けに乗ったのだが……この後で亜子は迂闊に乗ってしまった自分の行いを心底恨むことになる。
つまりは負けたのだ。圧倒的大差で。完膚なきまでに。
「どうして……」
リビングの机の上に並んだ答案用紙を前に亜子は崩れ去っていた。
圧倒的だ。圧倒的に負けたのだ。
敗因は相手の答案に100点を含む数字が並んでいることだ。
「言い忘れてたけど、俺って治療とリハビリの時に暇だからずっと勉強してて、高校程度の修学は終わってるのよね」
「ズルい……騙しましたね……」
「騙される方が悪いのだよ亜子君?」
「ぐっ」
完膚なきまでに叩きのめされ亜子は床に両手両膝を付いて悔しさを漂わせる。
しかし負けは負けだ。相手のスタイルは尊重する。
何より彼はそんな酷いことはしないはずだと、
「お風呂で体を洗って貰うとかってアウト?」
「ダメですっ! エッチなのは禁止ですっ!」
「裸エプロンは?」
「無理ですっ! だからエッチなのは禁止ですって!」
「ならメイド服を着せてR18なご奉仕までとかは?」
「……ダメです。エッチな奴じゃないですか!」
一瞬良いかもと思ったのは亜子だけの内緒だ。ただクスクスと笑っている相手の様子から本気ではないらしい。だけに余計に腹が立つ。
「R18とかエッチなのはダメです。着替えくらいなら良いですけど、エッチなコスプレもダメです。というかエッチなのダメです」
「本当に?」
「ダメです!」
「それ以外なら?」
「エッチくないなら良いです」
これはこれで辱めを受けている気がしてくる。
と、四つん這いから上半身を起こして騒いでいた亜子を柊人は立たせる。
「なら質問を1つするからそれに答えてくれるかな?」
「それだったら良いですよ」
「そう」
何故か両肩に手を置かれ真正面から瞳を覗かれた。
「俺のことをどう思っているか正直に言いなさい」
「……」
ストレートな言葉に亜子の顔が見る見る赤くなる。相手の視線から逃れようとするが肩を掴まれていてそれも出来ない。
しばらく抵抗をし、諦めて俯いた亜子は小さく口を開いた。
「……好きです。憧れとかじゃなくて恋愛の対象として」
「ありがとう」
そっと額に何かが触れ顔を上げると、彼は両手を離し逃げ出していた。
増々顔を紅くして亜子はその場で床を何度か踏みつけた。
(C) 甲斐八雲
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