No,18
「現在奥様は副総理とお会いしていますので」
「どうも」
案内されたホテルの一室。
いつも通りフロアー借りをしたらしいので、余分な部屋で待機となる。
柊人は執事の手を借りて着替えを済ませ、亜子はメイドたちの手を借りて再度着直す。
あとは椅子に腰かけ時間が来るまで待つのみだ。
「今、副総理って聞こえたんですけど?」
「財務大臣を兼任しているからね」
「そうです、か」
納得出来なくてもするしかない。そう言い聞かせ亜子は紅茶に手を伸ばす。
芳醇な香りと渋みがくどくなくて一瞬で消える。初めて味わう紅茶の味に何度も味わってしまう。
柊人もカップに手を伸ばした。
「これって新作?」
「はい。各国でご好評いただいております」
「ん~。自宅で飲みたいんだけど、これほどの物だとプロが淹れないとこの味は出ないしね。母さんとの挨拶が終わって自由になったら存分に飲ませて」
「畏まりました」
執事の対応に亜子は何となく彼を見る。
リムジンに一緒に居たはずなのだが、車に乗った時とドレスを買いに行った時の乗降車時にドアを開いてくれただけでほとんど姿を見なかった。
運転をしていた訳ではないのだろうが……上級階級は良く分からないと亜子は悟った。
「それで兄さんは?」
「はい。現在ご依頼の手術を行うために福岡の方へと移動なさっています」
「移植?」
「いいえ。今回はご本職の心臓手術だというお話です」
「そっか」
軽く答えて柊人は紅茶を……ジッと自分を見つめて来る亜子の視線に気づいた。
「質問があるなら聞いても良いんだぞ?」
「プライベートなことですし」
「だからってそんな欲しそうな目で見られてもな」
「……」
少し頬を赤くし照れる亜子に、柊人は小さく息を吐く。
「言えないことは何となく誤魔化すから、質問がある時は遠慮しないでとりあえず聞きなさい」
「はい」
「で、たぶん兄さんのことだろうけど、あの人はグチャグチャだった俺の下半身と胴体を元に戻してくれた人だな。天才的な外科医で本職は心臓外科。
でも貪欲な人なんで外科の領分なら全てに手を出し、それこそ全身手術をこなせる世界に数人しかいない本物の天才だよ。ああ脳外科は勉強中か」
「先日脳外科の方もご手術をなさったとか」
「……本物の天才だな」
執事の言葉に柊人ですら呆れる。
「で、フリーの外科医なんで世界各国を飛び回って腕を振るってる。
日本にも定期的に来て大都市の病院で公開手術とかもやってる。確かGW明けに来るって聞いてたんだけど?」
柊人の視線に執事が応じる。
「今回は短期でお休みを取ってエリヘザート様の膝の治療を兼ねてロンドンに滞在するご予定でした。ですがエリヘザート様がこちらに来ることとなったので一緒に来ることにしたそうです」
「だそうです」
「……」
執事さんも日本語上手だな……と亜子は一瞬現実逃避し、ゆっくりと頭の中で整理した。
「柊人さんのご家族の中では一番普通ですね!」
「普通なもんかい。たぶんあれが一番の異常者だぞ?」
「ふぇ?」
「別に日本に来なくても引く手数多な医者なんだよ。だけどどうして来ると思う?俺の体以外の理由で?」
「依頼で……だったら他でも良いんですよね?」
「だな」
渋い表情を浮かべて柊人は息を吐いた。
「重度のアニメオタクなんだよ。だから秋葉原に行くために来る。秋葉原に近いホテルの一室をいつでも使えるように年間を通して借りてるくらいだ」
「……」
「プライベートジェットを買ったのもアニメを見る時の映像と音響設備を整える為だしな」
何故か遠い目をして柊人は息を吐いた。
「一度クリスにコスプレさせようとして、あれがマジギレして大変なことがあった」
「……命知らずですね」
「ああ。お蔭でクリスの前でアニメの話は禁句だ」
「あはは……」
乾いた笑いを浮かべる亜子に、何やら耳に手を当てた執事が近寄って来た。
「ご準備が整いましたので」
「分かった。さあ亜子……社交界に出向くか」
「ご遠慮します」
返事とは裏腹に差し出された彼の手を取り亜子は椅子から立ち上がった。
「初めまして」
柔らかな笑みを浮かべて出迎えてくれた初老の女性。
それがヨーロッパの財界を牛耳るエリヘザート・アンシュアインだ。
スッとリムジンで一緒だったメイドが亜子の横に付く。
『日本語は挨拶ぐらいしか出来ないのよ』とメイドが、微笑む彼女の言葉を通訳してくれた。
「初めまして。わたしは亜子と言います」
「初めまして。アコ」
どこかお祖母ちゃんな感じで暖かな空気を醸し出す彼女に優しくハグをされる。
促され椅子に腰を下ろすと……優しい表情が一転して、厳しい表情となり柊人を見た。
「報告が後回しになった理由は?」
「新婚なんでしばらくのんびりしたいなって」
「嘘でしょう? お蔭でわたくしも彼も急遽日本に来ることになったのよ?」
「別に嘘じゃ無いんですけどね。言っても言わなくても大騒ぎになるだろうし」
「当たり前でしょう! 貴方はわたくしたちの可愛い息子なのよ?」
「だったら息子の行動を信じて」
「信じて先に登れば下でサメに齧られていたでしょう!」
「サメって意外としぶといんだな。ビックリしました」
防戦一方の柊人にイライラとした様子のエリヘザート。何より伝えられている通訳が本当かと耳を疑いたくなる亜子だった。
と、2人の会話が途切れると……エリヘザートの厳しい目が亜子を貫く。
何となく『死んだかも……』と亜子が思うほど怖い物だった。
(C) 甲斐八雲
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