No,16
「ようやく落ち着けます」
「そうだな」
義姉という名の台風が去り、2人は本当の意味で平穏を得た。
特に相手することが多かった亜子の疲労は酷い。ベッドからソファーに戻しそれに寄りかかるようにして座るほどに。
「今夜はレストランで良いかな?」
「あはは……。なら少し寝ても良いですか?」
「良いよ」
亜子はどうにか立ち上がり、使わせて貰っている寝室のベッドに向かう。
昨夜はクリスとずっと話し合って、時折叩き合ったりもした。
それでも自分がどうして柊人を頼ったのかは納得してくれた。自分の家族のことを話した時は、黙って抱きしめて頭を撫でてくれた。
優しい人なのだということは分かった。
それでも無茶苦茶な人だということも理解出来た。
ブッブッブッ
マナーモードにしているスマホが揺れているのに気付き、亜子は寝間着に着替えている手を止めて画面を見る。
『柊人を誘惑するなら甘い声を出して胸を強調すれば釣れるはずよ』
初っ端からとんでもない文面に亜子の頬が引き摺る。
『何かあったら連絡なさい。お姉さんは妹の面倒だって見るものだからね』
だけど最後まで読んで、亜子は小さく笑って着替えの途中なままでベッドに飛び込んだ。
初めて得た"姉"という存在が嬉しくなったのだ。
ぐっすり眠って目覚めたら18時だった。
ベッドを這い出て半裸の状態であることに気づき、急いで服に着替え直す。
部屋を出ると、これまた半裸の柊人がソファーベッドで横になっていた。
「柊人さん?」
「……」
呼びかけに反応が無い。
慌てて駆け寄ると、彼は高温を宿し目を閉じていた。
「柊人さん!」
「……ああ。すまん」
「良かった」
ペタンと床に座り亜子は彼を見る。
全身もそうだが彼の顔も真っ赤だ。
「何があったんですか?」
「ああ。温泉に浸かってたら意識が飛びかけて、必死に這い出て今に至る」
「……寝たんですか?」
「異世界に拉致されかけただけです」
「寝たんですね?」
「黙秘します」
「もうっ!」
頬を膨らまして亜子は立ち上がるとミニキッチンに向かい冷蔵庫から冷えているペットボトルの飲み物を手にする。氷は生憎と作っていない。
「これを飲んで下さい」
「ああ」
フラフラとした彼の手に不安を感じ、亜子はキャップを外して飲み口を柊人の口元へと動かす。
「ゆっくりですからね」
「いつもすまないね」
「お爺さんの振りをしてもダメです」
ちゃんと怒って相手の口に冷えた液体を流し込む。
半分ほどが一気に消え、亜子は急いでタオルを濡らすとそれを彼の脇の下や首周りに巻いた。
「ああ冷える」
「熱中症の対応ですけどね」
少しずつ体の赤みが薄れていくので一安心し、亜子はそれから数回タオルを濡らしては冷まし続けた。
「もう! 体調が悪いんですから、1人で温泉に入らないで下さい」
「そこまで年寄りでは無かったんだけどね」
「笑って誤魔化さないで下さい。無茶をするなら一緒に入りますからね!」
「あはは……なら一緒に入る?」
「えっ?」
つい口にしてしまった言葉の揚げ足を取られ、亜子は見る見る顔を真っ赤にする。
「……柊人さんが望むんだったら」
「だから追い詰められたら大胆に開き直る癖を直せって」
「……」
増々顔を紅くして亜子はその身を小さくする。
柊人は深く息を吐きながら体を起こし、濡れたタオルで上半身を拭きだす。
「その傷って皆さんを救うために無理したんですよね?」
「クリスに聞いたのか?」
「はい」
「ならそうだよ」
笑って柊人は自身の脇腹に手をやる。
はっきりと齧られた跡が見え、生々しく変形した様子が痛々しい。
「クリスをヘリで拾って貰ったら横からガブッてね。その時あのサメが俺を咥えたまま大暴れして飛行機の残骸に両足をガツン。その衝撃で脇腹が千切れて吹き飛んで……別のサメがガブッて来た所にマイクが落ちて来てな。本当にあの時だけはあの筋肉ダルマが天使に見えたな」
「……そうですか」
そっと柊人が持つタオルを受け取ると亜子は彼の背中を拭く。
背中にもはっきりと傷跡が見えた。
彼は最後まで自身を盾にし、家族を守り抜いたという。
本当に不思議な人だ。そしてとても強い人だ。
「柊人さん」
「ん?」
「わたしも柊人さんのように強くなれるでしょうか?」
「どうかな……そればかりは分からないよ」
「ですよね」
その通りだ。自分が頑張らなければ強くなどなれない。
「それに亜子はこんな風にならなくて良いと思うよ」
「えっ?」
「別の方向で強くなれば良い。自分がやりたいことを見つけて、それに向かって慢心すれば良い。クリスだってそんな風にして今の地位を得たんだから」
「ですか」
「です」
相手の言葉に亜子は笑い、そっと心の中で呟いた。
『ありがとうございます』と。
4泊5日の温泉旅行を過ごし、柊人たちは自宅から見て最寄り駅に戻って来た。
今回のGWは飛び石連休なのだが、ちゃんと学校には『風邪の為』と言い訳をして休みを取っている。それに宅急便で校長がマスターを務めるロックカフェには、新潟名物の笹団子を山のように送り付けた。
姉の来襲というイベントがあったが、平穏無事に帰宅のはずだった。
「柊人さん?」
「ヤバい。強制イベント発生だ」
「はい?」
自宅マンションの前に止まる長い車体の車を見るなり彼は額に手を当てた。
助手席からビシッとしたスーツ姿の……まるで執事のような出で立ちの男性が降り立ちこちらへと来る。
「お待ちしていました。シュウト様」
「久しぶりだな」
やれやれと手を挙げ彼は執事に問う。
「それで母さんは何処に?」
(C) 甲斐八雲
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます