信用とエロティシズムの倫理

太融寺智代

プロローグ(1/20)

元始、女性は実に太陽であった!

では、男性はシリウスである!

あらまあ!貴方は自らを犬と申すのですか!何と滑稽な!

誰がバター犬だ!女性など!男性のバーターにしか過ぎないではないか!


ああ言えばこう言う。そんな虚無にも等しい口論が続く。

驚くべきは、これが2085年の国会の一部始終であるという点である。

テレビの電源を消す素振り、実際には網膜に貼ったマイクロチップにより、映像が直に視覚情報として伝達される為、その行為自体に意味など無いが、僕の視界を遮ろうという意図は理解できた。

視線誘導で映像をシャットアウトし、僕は祖父、いや、祖母の方を見た。

「馬鹿馬鹿しい。ジェンダー論というものはとうに退廃したというのに、男女差別の罵り合いが国会議員の仕事と言うのかい。」

そう言う祖母は、80歳とは思えない、まるで20代も半ばのような若々しさを放っていた。というのに、ババ臭いお説教を受けるというのは違和感を覚えた。


「…大体、希が性風俗に関わりたい、と言ったのが間違いだったんだ。」

またこの話だ。祖母は収めきれない怒りをなんとか消化させようとする時、決まってこの話をする。

「僕の望んだ道だよ。現に稼ぎもあるし、文句言う資格なんて無い。」

「そうじゃない。代々医者の家系であった花散里家にとっての恥だと言うのだ。お前は成績こそ良くなかったが頭の切れる奴だった。多少放任しても真っ当に進むべき道を探して歩むことが分かっていた。にも関わらずだ!…」

話が終わる前には、家を飛び出していた。

第一、医者なんてものは人工知能の発達でほぼ機械化されている。ヒューマンが関わるのなんて、手術の決定に対する責任の部分だけだ。

慣れないヒールを履いたせいか、足が痛むので、電車に乗る前にファストファッションの店でローファーを買った。安いのに機能的で足に馴染む。

少し揺られて、兎我野町に向かった。

ホテル街に辿り着くと、電子広告とキャッチのDMが視界に降り注ぐ。電子端末を手に持たない時代、瞬き一つで通報できるようになって、キャッチという概念は消失した。

それでも僕が、一般的にうざったく感じるであろう情報を遮断しないのは、それがひとえに人間の源泉的な欲求であるからに違いなかった。

一昔前はやれゾーニングがどうとか、表現規制がどうとか、性的なものを何としても排除しようという試みがあった。性の解放といえば、こういったホテル街やクラブ、ゲイバーなどのエロティックでエキゾティックな場に足を運ぶ必要があったのだ。

だが、医療技術が発展し、ホルモン注射を継続的に打たなくても、性転換を容易に出来る時代になって、心の性というのはオープンになった、というより、オープンにせざるを得なくなった。


LGBTを始めとしたセクシャルマイノリティの問題は、2010年代から平行線のまま議論が続けられていた。性自認と性的嗜好を相互理解する働きは、SNSを中心に広がりつつあったが、少数派を腫れ物扱いする者、政争の為のツールとする左派政党の台頭もあり、結局の所、医療技術の向上による性転換手術の低リスク・低コスト化を待つことになった。

2060年代初頭には、AR技術の向上により、自らの性自認と性対象を可視化する試みが行われ、セクシャルマイノリティ、という言葉は2085年現在、死語となりつつある。

性自認と性対象の可視化は当初こそ非常に大きな批判を生んだが、そこのサラリーマンは性自認が男で、あちらの女子高生はレズビアンである事が分かる程には浸透してしまった。

性犯罪の根絶を謳う世論は、サディストであるとかロリータコンプレックスであるとか、性的嗜好に関しても可視化を訴えているが、本人の思想信条の自由の観点から、そこまでオープンにされることは少ない。ただ、それらの自己開示が引け目を感じる、という風潮は風化して、社会へのアプローチや法整備が順調に進んでいることは事実である。


僕は、酒と煙草と男と女に訴えかける広告軍を抜け、ビルの一室に足を運んだ。

兎我野町では1980年代に多くの雑居ビルを建造されたが、老朽化もあり2030年代に建て替えが行われ、それも改造が進み、現在は要塞のような歪な建物が乱立している。

「レリーズ」の看板の前で足を止め、中の様子を伺った。来店による受付をしている人は居ないようだ。


花散里希は、ホテヘルで受付をしている。

2085年10月、夜風は少し冷たかった。

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