第50話最速を賭けて

 最終コーナーへ先にアプローチしたのはエレーナだった。マシンを寝かせ、クリップへ向かうエレーナのサイドに、シャルロッタが明らかなオーバースピードで飛び込んでいく。エレーナはシャルロッタのラインに気づいているが動じない。


 後方から見ていた愛華が、「ぶつかる!」と思った瞬間、シャルロッタはマシンの向きを変え、エレーナの鼻先を掠めた。エレーナはシャルロッタがすぐ目の前に飛びだしても、一瞬足りともスロットルを弛めずクリップを通過する。シャルロッタはコーナー半ばでアウトに膨らんでいたが、最小限の減速でマシンをストレートへと向けた。


 エレーナより僅かに先行している。しかしスピードは無理のないラインにいるエレーナの方が乗っている。シャルロッタの目論みでは、もう少しエレーナが減速してくれるのを期待していた。やはりエレーナにブラフは通じない。それも想定内だ。シャルロッタはマシンを起こしきらないまま、彼女しか通れないラインで目一杯スロットルを捻った。



 最終コーナーからストレートに向けての立ち上がりは、レース中ほとんどのライダーがほぼ同じラインを通っていた。トップスピードまで効率的に加速出来るラインだ。エレーナは正当なラインで加速しようとしている。


 トップスピードまで加速する必要はない。フィニッシュラインまで先行出来ればいい。エレーナの加速ライン上に先に立ちはだかればいいのだ。


 しかし、シャルロッタが最後に選んだライン上には、レースを通じてほぼすべてのライダーがフル加速する際に撒き散らしたタイヤのゴム屑が溜まっていた。


 細いのMotoミニモのリアタイヤが、タイヤカスに乗って空転する。路面を思ったより掴んでくれない。一瞬リアをスライドさせながらも、素早く立て直す。


 僅か一瞬のホイルスピンであったが、極限レベルの競り合いでは致命的となる。その出足の遅れがエレーナとの位置的アドバンテージを帳消しにしていた。


 スピードに乗ったエレーナは、既にシャルロッタに並び、更に前へと進んでいく。ようやくシャルロッタのマシンがスピードに乗った時には、完全に先行されていた。



「敗けた……」


 エレーナの背中を追いながら、シャルロッタは敗北を認めるしかなかった。言い訳は出来ない。コース状況を見落としていたのは自分のミスだ……。


 そう思ったその時、反射的にブレーキレバーに指をかけ、マシンを振った。



 最終コーナーを抜けきったところで、エレーナが急にスローダウンしたのだ。


 すぐ後ろにいたシャルロッタが沫や接触というところで、ぎりぎりに避けエレーナの前で速度を落とし振り返っている。ゴールはもう見えている。




 愛華は惰性で走るエレーナに近づき速度を合わせた。


「どうしたんですか、エレーナさん!」


「ガス欠だ。まさかこんなところでチャンピオンを逃すとはな。エース失格だ」


「ええっ!そんなっ……」


 思わぬ幕切れに愛華も言葉が浮かばない。


「せめてシャルロッタとワン・ツーで飾ってくれ。バレンティーナにそこまで譲るのは癪だからな」


 エレーナは、自分のライダーとしての終焉を悟った。リーダーでありながら、自ら同じチームの者同士の熾烈なバトルを演じたあげ句、ガス欠でタイトルを棒に振るとは情けないにも程がある。


 が、止まりかけていたバイクが、再び動きはじめる。エンジンは停止したままだ。


 驚いて後ろを振り返ると、愛華がバイクに跨がったまま左手で懸命にエレーナのシートカウルを押していた。しかし、低速トルクのほとんどない80ccレーサーの上、体重の軽い愛華に合わせたセッティングを組んだマシンでは、ノッキングしかかって思うように進まない。これ以上速度が落ちれば愛華のマシンもエンストする。


「もういい、やめろアイカ!後続が来るぞ。このレースの優勝まで奴らにくれてやることはない」


 最終コーナーの方から、エンジン音が近づいて来ている。しかし愛華はエレーナを押し続けた。



 こんな終わり方は嫌だ。愛華はこのレースでなに一つ役割を果たしていない。


「最後まであきらめちゃダメです!エレーナさんを守る、ってシャルロッタさんに約束したんです。スターシアさんにも誓いました」


 そのシャルロッタも15メートルほど先でマシンを停めて振り返っている。あそこまで行けば、シャルロッタも力を貸してくれるはずだ。愛華はそう信じて小さな腕で懸命に押した。




 なんとかシャルロッタの真横まで進んだ。しかしシャルロッタは動かない。愛華と目が合った。


「シャルロッタさん!なにしてるんですか、手伝ってください!」


「私にかまうな、早くゴールラインを越えろ!」


 エレーナが二人に怒鳴る。


 シャルロッタは最終コーナーを振り返った。バレンティーナたちが今まさに立ち上がって来ようとしている。




「エレーナ様!あたしの肩に掴まってください」


 エレーナの左側にマシンを並べるとシャルロッタが叫んだ。


「かまうなと言ってる!おまえが勝者だ。トップでチェッカーを受けろ!」


「早く掴まってください!お小言はあとでアイカがまとめて聞きます。とにかく早く!」


 ええっ!なんでわたし?


 どさくさ紛れのシャルロッタの言葉に異議を唱えたかったが、そんな暇はない。


「もうなんでもいいから、シャルロッタさんの肩に掴まってください!」


 愛華の声にようやくエレーナは左手を伸ばした。



 両手の使えるシャルロッタは、半クラッチでアクセルを煽りながらエレーナを引き始めた。先ほどまでとは比べものにならない勢いで進み始める。愛華は自分も最初からああすれば良かったと気づいたが、今さらである。


 ある程度スピードに達すれば、半クラッチなしでもパワーバンドに入り、二台分の推力で更に加速する。それでもジュリエッタのエンジン音はどんどん迫って来る。ゴールラインは目前だ。


「エレーナ様、『せえの』でゴールに飛び込んでください!アイカもいい!?」


「だあっ!」


「いくわよ!」


「「「せぇーの!」」」


 ぐっと力を込めて上体を固めたシャルロッタの肩を、エレーナはおもいっきり引き寄せる。同時に愛華もエレーナのリアを力いっぱい押し出した。


 その直後、ジュリエッタのリミットを超えた高周波のエンジン音が、愛華の鼓膜を震わせた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る