第21話愛華vsラニーニ


「ホールショットを奪え!」

 

 それがエレーナの指示だ。誰よりも早く、最初のコーナーに飛び込まなくてはならない。二列目スタート。おまけにパワーで上回るマシンを出し抜かないて。

 いくら愛華がスタートを得意でも、簡単に出来る事ではない。しかしエレーナは「愛華なら出来る」と言った。


 エレーナさんが言うのだから出来るはずだ。やらなくちゃならない。



 愛華はその指示を実行するため、短距離走者のような集中力でスタートに挑んだ。勝負は一瞬で決まる。スタートからヘヤピンに飛び込んでいくまでのイメージを完璧に描いた。他のライダーの事は考えない。エレーナやスターシアのことすら頭から追い出す。


 余計なことを考えれば必ずミスをする。体操と同じ。

 愛華はスタートだけに集中した。



 スタートのシグナルと同時に愛華のスミホーイが動いた。ジャンプスタートではない。フロントタイヤを僅かに浮かせたまま、あっという間に二列目から前列のブルーストライプス勢の間に割り込んだ。


 絶妙なタイミングとクラッチワークはパワー差を覆し、小柄な身体を目一杯小さくカウルに押し込んで風を切り裂いて行く。


 GP一小さい愛華を載せたスミホーイはシフトアップの度、小さなウィリーを繰返し更に加速し続け、左に緩くカーブしたメインストレートを駆けていく。



 テレビカメラが切り替わるとモニターには、最初のヘヤピン(正確には第2コーナーにあたる)を抜けてきた一団の先頭に、ブルーストライプスのラニーニが映った。愛華はそのすぐ後ろにいる。 


「オーチン、ハラショー!」


 ストロベリーナイツのピットで歓声があがる。ニコライも両腕でガッツポーズをした。


「さすがエレーナさんがぞっこんのアイカだ。ホールショットこそ逃したものの、予選上位を独占したジュリエッタ勢に風穴を空けたぞ。あのバレンティーナが、後方グリッドから飛び出したルーキーに先を越されて慌てている」


 バレンティーナに油断があったのは事実だ。一列目を抑えており、パワーで勝るマシンに乗っている。余裕で自分たちがリード出来るはずであった。愛華が単独でとび出すとは予想してなかった。


 トップこそラニーニが抑えてるものの、面倒なのに割り込まれた。

 バレンティーナはドイツGPの一件以来、愛華を苦手としていた。



 完璧とはいかないまでも、作戦は巧くいっている。スタートでブルーストライプスの連中を慌てさせられた。しかしニコライの心中はプレッシャーで潰されそうだった。


 もしも自分の推測が間違っていれば、愛華を孤立無援の状況に陥れた事になる。


 エレーナからの信頼を裏切り、エレーナを純粋に尊敬する愛華を、ドイツGPの時のような苛酷な状況へと陥れたのかも知れない。しかもその場合、エレーナもスターシアも追いつく事は出来ない。まさに愛華を見殺しにする他ない。


 自分の推測に自信はある。だが、もし間違っていたら、愛華を生け贄に捧げたも同然だ。自分の責任である。この期に於いて彼は不安に襲われる。



 ホールショットには届かなかったが、愛華はすでに頭を切り換えていた。失敗を引き摺らないのも体操時代に学んだ。それに愛華は失敗はしていない。ラニーニが愛華と同じくらいスタートが上手かっただけだ。次にすべきはラニーニをパスすることだ。


 そしてコークスクリューで愛華はついにラニーニを捉える。愛華はニコライから言われた通り、後ろを気にせず、疑うこともなく全力で走った。


 最終コーナーで再びラニーニが抜き返した。両チームの若い二人がコーナー毎に順位を入れ替え、時にはコーナーの進入で前に、立ち上がりで再び抜き返すと言う激しいバトルを繰り広げながら、チームの主力集団から徐々に突出していった。



 後方では、バレンティーナを中心としたブルーストライプスの残り四人が集団を形勢していた。各車の間隔は通常より気持ち広い。


 その真後ろにスターシアがつけ、間もなくエレーナも合流した。



 ニコライはピット前を通過する愛華にそのまま全力で走るようサインボードで伝え、エレーナたちには愛華とラニーニがトップ争いをしてる事を知らせた。


 ここまでは、ニコライの推測を裏付ける展開であり、エレーナの作戦通り進んでいる。


 彼はもう一度見落としがないか、冷静に振り返った。ジュリエッタに欠陥があって欲しいという願望が作り出した思い込みに過ぎない可能性は、まだ完全には否定出来ない。


 大丈夫だ。バレンティーナたちが二人に離されているのに動かないのが、その証拠だ。予選の勢いなら簡単に追いつけるはずなのに。


 ほぼ確信しながらも、最悪の場合にも備える。


 いざとなったら自分の判断でアイカちゃんをリタイヤさせる。




 愛華は持てる力のすべてを出して走った。5周目に入る頃には、ラニーニと競り合いながらも後ろが気になり、一瞬振り返るがエレーナはおろかバレンティーナたちすら見えなかった。本当にこのまま走り続けていいのか不安になる。だがピットからのサインは相変わらず『ぶっちぎれ!』だけだった。


(ニコライさんからのサインは、エレーナさんの命令なんだ。とにかく、わたしはエレーナさんの指示通りに走るしかないんだから、後ろを気にしないで前だけに集中。でもラニーニちゃん、巧いなぁ。あの子もチームから同じ指示されてんのかなぁ?)


 愛華とラニーニのトップ争いは、新人同士らしい若さと闘志溢れるものだった。


 エレーナとスターシアのアドバイスから自分の乗り方を見つけた愛華が、コークスクリューではラニーニをリードする。しかし最終コーナーで再びパスされる。それでも立ち上がりでジュリエッタのパワーが上回っていても、スリップに入ってしまえばヘヤピン手前で前に出られた。



 きっとセルゲイおじさんが一生懸命仕上げてくれたんだ。わたしも自分の仕事を精一杯頑張って応えなきゃ。



 昨夜遅く、メカニックたちがベアリングの一つ一つまで磨きあげ、丁重に組み直していたのを思い出す。愛華も手伝おうとしたが、かえって邪魔だから早く寝ろと言われた。実際どの程度効果があるのかわからないが、その苦労を無駄には出来ない。



 ラニーニは低速コーナーが得意だ。ブレーキングがとにかく上手い。立ち上がりのワイドフルオープン(スロットルを早くから全開にする事)のおもいっきりよさでは、愛華に歩がある。


 二人とも一歩も譲らない。


 愛華はデビューから三戦すべてラニーニと競り合っている。ドイツではバレンティーナのアシストとしてのラニーニに、ずいぶん酷いことされた。そのおかげで友達になれた訳ではあるが。


 前回のチェコでは、愛華にはエレーナとスターシアが一緒だった。ラニーニはストロベリーナイツの三人を相手に、ずっと一人で粘っていた。最後はエースバレンティーナのために自ら順位を落としたが、エレーナとスターシアからその奮闘を称えられた。もちろん愛華も凄いと思った。もっと一緒に走りたかった。優先すべき事は解っている。チームの一員である自覚はあるし誇りもある。それでもラニーニとはいつか競い合いたいと思った。


 計らずも三戦目にしてその機会が巡ってきた。


 

 ラニーニはエレーナやスターシア、或はバレンティーナたちと比べればロスも多く、得手不得手もはっきりしていて、隙だらけだ。だが得意とする区間では、トップ3のライダーに迫る速さがある。


 それは愛華にも言える事で、二人はお互いの得意とする技術を魅せつけ合うように抜きつ抜かれつを繰り返した。



 怖いもの知らずの若い二人のトップ争いは、ある意味エース同士の競り合いよりおもしろい。勢いに任せ、転倒をも恐れないアタックとがむしゃらに一生懸命走る姿は、どちらも応援したくさせる。未熟さも逆にスリリングで、深い読みと高度な戦術を知らなくても楽しめる。Motoミニモのレースを見慣れていないアメリカの観客も、いつの間にか二人に熱い声援を送っていた。


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