第6話はじめてのグランプリ

 木曜日。


 愛華は、苺騎士団ストロベリーナイツの三人目のライダーとして、ドイツGPの開催されるザクセンリンクにいた。愛華にとって初めてのGPであり、国内選手権とは規模の違う熱気に圧倒されそうになる。


 愛華の知らないところでも、ストロベリーナイツのルーキーは、パドックの至るところで話題になっていた。


 パドックのチームエリアには、プレスが詰めかけ、愛華に向けてフラッシュの集中砲火が浴びせられた。パドックを歩いていても、いろいろな人から声をかけられる。


 テレビでしか見たことない人から声をかけられるのは不思議な気持ちだったが、憧れていたエレーナたちと出会った時ほどの緊張はない。


 愛華に対する人々の反応は、概ね良好だった。中には、小学生のようにも見える愛華が、本当に女王エレーナの認めた実力があるのか、疑いの態度を露にする者や、シンデレラガールに嫉妬を隠せない者もいたが、多くは好意的であった。



「キミかい、カルロタの代わりって言うのは?」

(シャルロッタはカルロタのロシア語読み)


 いきなりディフェンディングチャンピオンのバレンティーナ・マッシに声をかけられて愛華は驚いた。


「わっ!バレンティーナさんだ」


 バレンティーナの所属するブルーストライプスは、愛華たちストロベリーナイツの最大のライバルである。今シーズンもここまで彼女がポイントリーダーで、首位争いをしていたシャルロッタの負傷による長期欠場が公表されると、早くも今年のタイトルも手堅いと言われている。


「ボクのことは知っているよね?カルとは同じ町の出身で、小さい頃からライバルだったんだ。だから彼女が今シーズンは絶望的だって聞いて、がっかりしてたんだよ。でも今回エレーナが凄い新人連れてきたって聞いて、すごく楽しみにしているんだ」


 バレンティーナはボクっコだった。スペインにあるGPアカデミーで一年以上生活している愛華は、日常会話ならスペイン語を話せるようになっていたし、イタリア語もだいたい聞き取るぐらいはできる。イタリア語のボクっコ表現まではわからなったが、なんとなく口振りが男のコっぽいと感じた。


(テレビで見るより、本物は背高いんだぁ。スターシアさんと同じくらいかな?それにしても手足長いなぁ、羨ましいなぁ。どうして日本人とこんなに違うんだろう?)


 愛華が初対面のGP界のスーパースターについて一人であれこれ考えていると、バレンティーナが心配そうに尋ねてくる。


「あれ?イタリア語わからない?アカデミーにいたって聞いてるんだけど?」


「あっ、すみません。簡単な会話らならわかります。はじめまして、アイカ・カワイです」


 愛華はペコリと頭を下げた。


「キミは、あのエレーナ女王の隠し球なんでしょ?聞いてるよ。カルロタ以上の才能なんでしょ?楽しみだなあ。早く一緒に走りたいな。きっと凄いんだろうなぁ。評判倒れでがっかりさせないでね。期待してるよ」


「だあっ!一生懸命がんばりますのでよろしくお願いします!」


「……?」


 愛華の「だあっ」はイタリア人にも通じなかった。当たり前である。その上、ライバルチームのライダーによろしくお願いされて、バレンティーナは不覚にも戸惑ってしまった。


(このコはカルロタと同じでバカなの?それとも大物なの?とにかくあのエレーナのお気に入りだっていうんだから、気をつけるに越したことはないみたいだ)


 愛華は早くもバレンティーナの要注意リストに登録されてしまった。



「さっそくプレッシャーをかけにきたか?」


 バレンティーナが立ち去るのを見計らって、エレーナが愛華に声をかける。


「あっ、エレーナさん。わたし、バレンティーナさんに期待されちゃいました」


「バカ、あれはアイカにプレッシャーを与えていたんだ。気づかなかったのか?」


「え〜っ?どうしてわたしなんかにプレッシャーかける必要があるんですか?」


「アイカがうちのチームの新人だからだ。あのボクっ子、いかにも天真爛漫って顔してるが、なかなかの策士だぞ。さっそく心理的な揺さぶりがてら様子を探りに来たんだろう。走りのセンスではシャルロッタの方が上だが、そういう駆け引きにかけては、あのボクっ子の方が上だ。彼女だけじゃないぞ。すべてのライダーがストロベリーナイツの新入りに注目している。もうレースは始まってると思え。優しくされても気を許すな。挑発されてもクールでいろ」


「そうだったんですか……。いい人だと思ったのに。言われてみれば、なんか失礼なこと言われた気がする〜ぅ!」


「今頃挑発にのるな!」


 愛華は早くもGPの厳しさに触れた気がした。しかし、これはまだ序の口にも立っていない事をレース本番で思い知る事になる。


 それはさておき、まったくの無名の自分が、苺騎士団の新人というだけで、すべての人が注目しているんだと改めて感じた。プレッシャーに圧し潰されないように気を引き締めなければならない。


「エレーナさんがプレッシャーかけてどうするんですか?やはり氷の魔女ですわ」


 愛華の気合いをすかすように、スターシアがいつもの如く加わってきた。


「誰が氷の魔女だ!」


「それにしてもバレンティーナさんのプレッシャーを『だあっ!』で弾き返すとは、アイカちゃんは凄いです」


 いつものようにエレーナの反論を軽くスルーして、スターシアは愛華の肩に優しく手をかけて言った。


「てへへ……そんなことないですよ」


「誰も褒めておらんわ!だいたいスターシアが甘やかすからアイカのロシア語が上達しないんだぞ」


「あら、ロシア語は関係ありませんことでして?それに私だけに責任を押しつけるのですか?」



「相変わらず仲のよろしい事ですね。こうして見ると子供の教育について揉めてるご夫婦のようです」


 エレーナの背後からの声に、三人とも振り向いた。


「何の用だ?スベトラーナ」


 エレーナの雰囲気が変わった。スターシアと言い合っている時とは明らかに違う。スターシアの表情からも、三人でいる時のいつもの弛さが消えている。


「そんなに怖い顔しないで下さい。昔はいつも一緒に走っていた仲じゃないですか?」


「私や仲間を裏切っていたとも知らずにな!」


「私は祖国に忠実だっただけです。偉大なる祖国USSRにね」


 エレーナと同じくらいの年齢のその女性は、言い訳がましく言ったが、どこかバックのある人間特有の嫌な自信を感じさせていた。


「ものは言いようだな。今でも亡霊に尻尾を振っているんだろ?」


「昔のよしみで聞かなかった事にしますよ、エレーナさん」


 愛華には、二人の会話がまったくわからなかったが、エレーナの表情から、かなり険悪な雰囲気がひしひしと感じられる。


「この子が、例の新入りさんね。可愛いわね」


 どんなバックが控えていようと、間近からのエレーナの氷の視線に耐えられる者はそう多くはいない。視線を逸らすように、愛華に向かって英語で話しかけてきた。


 しかし、愛華もエレーナに倣って精一杯の冷酷さをこめてスベトラーナを睨んでやった。正直怖かったがスターシアが肩に手を触れてくれていたおかげで震えないで済んだ。


「あなたまでそんなに怖い顔しないで。プリンセスキャットのチーム監督をしているスベトラーナ・カラニコワよ。はじめまして」


「まわりからはプッシーキャットと呼ばれてるようですけど?」


 愛華の代ってスターシアが横槍を入れた。スベトラーナは一瞬眉を吊り上げたが、すぐに何事をもなかったように愛華に話し続けた。


「女としての本当の愉しみを知りたくなったら、うちのチームにいらっしゃい。女同士でいちゃついてなくても、あなたなら可愛いから、すぐ素敵な男性紹介してあげられるわよ」


「スベタもそろそろ、ハニートラップを使うには厳しくなったんじゃないのか?」


 エレーナが吐き捨てた蔑みの言葉に、スベトラーナから笑みが失せていた。


「昔のよしみも無制限に寛容ではありませんよ。今でもロシアを動かしているのが誰なのかご存知でしょ?エレーナ・チェグノワ同志」


「黙れ、カーゲーべーサバーカ(KGBの犬め)!貴様のような老いぼた雌犬が一人消えたところで、飼い主は気にもしないだろう。貴様こそ、私が元ソビエト防空軍大佐であるという事は、ご存知であろう?」


「……」


 スベトラーナが悔し気な顔で、ストロベリーナイツの三人を睨んだが、何も言わず立ち去っていった。



 あまり知られてないが、かつてエレーナたちレッドオクトーバーは、旧体制下では防空軍の特殊戦術研究科の所属となっていた。勿論、彼女たちが一般の軍務に着いた事はない。


 エレーナが二度めのタイトルを獲得した時、クレムリンは彼女に英雄章を与え、特例で彼女を大佐に昇進させた。国民の不満を逸らしたい指導者がよくやる行事だ。


 エレーナは軍の顔として、いろいろな部隊に訪問し、そこで彼女は将来有望な士官たちと顔見知りになっていった。


 現在でも、エレーナはロシア軍に太いパイプを持っている。当時の士官たちの多くは、今や軍幹部の要職にある。そうでなくては、現在表向きは民間企業とはいえ、スミホーイの軍用機開発施設に外国人まで伴って立ち入るなど、余程のコネがなくてはあり得ない。



 愛華は、スベトラーナがエレーナと同じレッドオクトーバー最初の頃のメンバーだったのを思い出した。確かソ連崩壊後、一番最初にチームを離れたライダーと記憶している。エレーナの様子から、表に出ない事情があるのかも?と想像した。スターシアも事情を知っている様子だ。



 スベトラーナは、レッドオクトーバーを離れた後、いくつかのチームでそれなりの活躍し、引退後は現在のチームで監督をしている。チームのレベルは中だが、ゴシップ紙への話題提供ではトップクラスにある。自称プリンセスキャットの名が、スポーツ新聞に載る時はプッシーキャットと書き換えられるのが常だった。愛華にとっては、たとえエースにしてくれると言われても入りたくないチームだ。




 チームのトレーラーに戻った三人は、このあと行われるMotoミニモクラスのフリー走行の準備をしていた。愛華は、スベトラーナに会ってからの二人の様子が気になっていた。



「エレーナさん、わたしにはバレンティーナさんの心理的揺さぶりに気をつけろ、って言ってたのに、さっきは凄く怖い顔してました。あの人となにかあったんですか?」


 着替えをしながら、思いきって二人に尋ねてみた。


「アイカが知る必要はない!」


 エレーナからきつい口調が返ってきた。この事には立ち入るなという警告してるようだった。


「だぁ……。すいません」


 萎縮する愛華の手を、スターシアが無言で握ってくれる。しかし、スターシアの表情も、いつもと違って暗く雲っていた。エレーナもその事に気づいて、気持ちを取り直したようだった。


「すまない。アイカの言う通り、私は少し冷静さを失っていたようだ」


 愛華にと言うより、スターシアに語るようにエレーナが謝った。


「私は大丈夫です。それより、これから新しい苺の騎士のお披露目です。華々しくデビューさせてあげましょう」


 スターシアも明るい表情を取り戻し、スポーツブラとスパッツだけになっていた愛華に視線を向けた。エレーナも少しの間愛華を見つめ、おもむろに質問した。


「アイカ、おまえその胸でブラ、必要なのか?」


「っ!ひどいです〜ぅ。それにエレーナさんには言われたくないですぅ!」


 皮下脂肪をすべて削ぎ落としたようなボディを、恥ずかしげもなく晒して着替えるエレーナに言い返した。エレーナもしっかりスポーツブラはしている。


「必要ないなら、取っちゃいましょう」


 愛華の反抗も虚しく、スターシアが愛華のスポーツブラを脱がそうとし始めた。愛華は涙目でフラットな胸を必死に守り、


「な、なにするんですか!スターシアさんまで!ヒロいです、ヒロいです」


 懸命に抗議するも、酷いと言おうして噛んだ。しかも二回も。



 少し恥ずかしかったが、自分だけが知らないことへの疎外感は消えていた。愛華がきゃっきゃっとはしゃぐのが落ちついたところで、エレーナが二人に真剣な顔を向けた。


「昔の事は、いずれアイカに話す事もあるかも知れないが、今はレースに集中してくれ。さあ、これから世界中にアイカの実力を見せつけてやろうじゃないか」


「「だあっ!」」


 愛華とスターシアが、声を揃えて答える。いつの間にか、スターシアまで「Да(da)」でなく、「だあっ!」になっていたが、エレーナは文句を言わなかった。










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