第4話苺騎士団と愛華の潜在能力

 エレーナのチームの正式な名称は、シベリウスガス・スミホーイ・チェグノワレーシングという。シベリウスガスは、現在のメインスポンサーであるロシアの石油天然ガスを扱うロシア最大のエネルギー企業で、スミホーイはチームにマシンを供給し、活動を全面的にサポートしているバイクメーカーだ。


 MotoGPに限らず、モータースポーツに参加するチームのエントリー名は、通常メインスポンサーと供給を受けるマシン、或はエンジンメーカーが表記されるのが一般的だ。


 Motoミニモの場合、これとは別にチームの愛称で呼ばれる事が多い。

 野球やサッカーなどのプロチームに愛称があるように、チーム色の強いMotoミニモでは『レッドオクトーバー』以来の慣習になっていた。自ら名乗り宣伝する事もあれば、ファンやマスコミなどから自然と呼ばれるようになる場合もある。チェグノワレーシングは後者のケースだった。



 5年前に氷の女王エレーナは一度引退し、チェグノワレーシングを立ち上げた。その時、エレーナが自らの後継者としてデビューさせたのが、当時16歳のアナスタシア・オゴロワだった。


 デビュー戦から三戦続けてポールポジションを獲得し、まさに女王の後を継ぐ『皇女』と言われたが、決勝での成績にはなかなか結びつけられなかった。


 できたばかりのチームで、アシストとのコミュニケーションも十分でなく、チーム体制が整っていなかったのが主因であったが、スターシア自身も問題を抱えていた。


 スターシアは当時から既に身長が164センチあり、モトミニモのライダーとしてはかなりの長身であった。


 16歳という年齢は、身長の伸びはほぼ終えようとしていたが、女性としての身体の成長は最盛期を迎えていた。


 Motoミニモライダー最大のライバルは、自身の体重とも言われている。長身というこのクラスにとって不利な要素を背負いながら、少女から女へと成長過程のバストとヒップはまだまだ質量を増そうとしていた。


 決して太っている訳ではない。むしろモデルのようなスリムなプロポーションだった。多くの女性から見れば、羨まい限りの悩みであっても、Motoミニモのライダーにとって、ボリュームある胸も女性らしい丸みあるお尻も、『重り』でしかない。


 厳しい食事制限によって体重は維持されていたが、スターシアも若い女の子の例に洩れず、否、普通以上の、無類の甘いスイーツ好きだった。



 何も載ってない皿を前に、ひたすらフォークを口に運び、想像上のケーキを味わっているスターシアの姿に、エレーナは彼女が勝てない理由を見た。現在の彼女にそこまで自分を追いこむ必要はない。むしろ好きなスイーツを我慢している事の方がマイナスは大きい。


「優勝したら好きなものを食べさせてやる。今のままで勝てるなら、そこまで無理してダイエットする必要ない。体重が増えて勝てなければ、大好きなスイーツもお預けだ。スターシアの実力なら、自分を追い込むほど無理しなくとも勝てる。優勝したら私がチーム全員に好きなケーキを奢ってやる」


 レース前日のチームミーティングで、みんなの前で宣言した。


 スターシアのリクエストは苺のショートケーキだった。



 そして翌日のレースで、スターシアはチームメイトの献身的なサポートもあり、見事初優勝を果たした。


 レース後、ライダーは勿論、メカニックやスタッフ全員に、苺のショートケーキが振る舞われた。以来、エレーナのチームでは、優勝した日はエレーナが苺のスイーツを奢るのが慣わしとなった。



 女王から賜る苺のスイーツのために戦う騎士たち。


 いつしか『苺騎士団ストロベリーナイツ』と呼ばれるようになった。



 ─────


 エレーナとスターシアは、広大な滑走路の端に立っていた。かん高いエンジン音が、風にのって聞こえている。


「彼女は本当にカーボンフレームは初めてなのか?」


「そのはずです。GPアカデミーのマシンは、すべてジュリエッタが提供していますから。少なくとも一体成形のフルカーボンフレームのスミホーイsu-31は、私たちにしかまだ供給されていませんので、アイカさんが乗ったことあるとは思えません」


 ジュリエッタとは、イタリア製の市販競技車両ジュリエッタRS80の事である。従来からのアルミ製モノコックフレームは基本設計こそ古いが、それだけに信頼性は高く、現在最も広く使用されているマシンである。


 対してスミホーイsu-31は、メインフレームからシートレールまで一体のフルカーボンで製造されており、しかもメインフレームがカウルの一部を兼ねるという斬新なマシンだ。複雑な形状をすべて炭素繊維を織り込んで一体形成する技術は、航空機開発から生まれたスミホーイ独自の技術で、高い剛性と軽量化を実現したとされている。


 難点は整備性が悪く、調整幅が少ないために製造段階からライダーに合わせなくてはならず、コストも非常に掛かる。またセッティングが極めてシビアで、タイヤの接地感もアルミフレームとはかなりフィーリングが異なる。


 それらの理由からsu-31は現在、エレーナのチームにしか供給されてない。



 二本の滑走路だった路面に、青と白のペンキでゼブラパターンで描かれたコースを、思い切りよく疾走する愛華が近づいてくる。


「去年の終わりに、私が初めてあのカーボンフレームに乗った時は、どうにも不安で、寝かし込むのが怖かったのだがな」


「あの頃は、まだ問題が多くありましたから」


「改良されたとはいえ、アルミフレームとカーボンでは特性がまったく違う」


「そうですね。なまじ身体に染みついているより、経験が浅い方が違和感なく乗れるのかも知れませんね。シャルロッタさんも私たちより早く順応しましたから」


 エレーナは、愛華が目の前を通過する瞬間に合わせ、腕時計のストップウォッチ機能を止めた。


「アカデミー生がはじめてのコース、はじめてのマシンで私のベストより2秒遅いだけだ」


 スターシアもエレーナの腕時計を覗き込んだ。


「そこからの2秒をつめるのが、とても大変なんです」


「精一杯で走っているのなら……な」


「彼女は本気じゃないと?」


「そうじゃない。彼女なりに真剣に走ってるさ。現時点では精一杯の走りだろうな。しかし、教科書通りのライディングだ。おそらくそれしか知らないのだろう」


 愛華が本気で走っているのは間違いない。初めてのコースなのもあるが、基本通りのラインどりしかしていない。基本に忠実な走りと最速の走りは違う。タイムを詰めようとすれば、タイヤや車体に無理を強いる事も必要となる。複合コーナーへの進入やシケインでの切り返しなど、リスクは伴うがライダーのバランス感覚に依存する事でタイムは大きく縮められる。愛華の身体能力にはまだまだ余裕がある。だがそれを使えていない事がエレーナは逆に気に入っていた。


「上手なライディングとは言い難いが、基本には忠実だ。馬鹿に限って、無謀と高等テクニックとの区別がつかない。下手な奴ほどそういう部分からタイムを詰めたがる」


「シャルロッタさんが聞いたら、反論するでしょうね」


「あういうのがいるから、馬鹿が真似するんだ」


 怪我で欠場を余儀なくされているシャルロッタは紛れもなく天才だ。しかし天才ゆえに、時にあり得ないマシン操作をする。それが並外れたバランスと超越したライディングセンスによってのみ可能だということに気づかず、凡人が安易に真似すれば必ず痛い目をみる。


 それにどんなに才能があろうと、人間の反射神経などたかが知れている。人類は誕生以来、自分の身体で移動出来る速度にしか対応して来なかった。人類進化の歴史から見れば馬に乗るようになったのも、つい最近の出来事である。


 時速100キロ以上のスピードで移動するには、本来無理が伴うのだ。培われてきたモーターサイクルの理論によって、かろうじてバランスがとれているにすぎない。


 近年のバイクの進化は素晴らしく、乗り手の無理をかなりのところまで補ってくれる。しかし、やはり理論上の限界はある。理屈を越えれば、如何に天才とて痛い目をみる。


 運と小手先だけのテクニックでバイクの設計理論を越えた領域で走れば、いつか選手生命を縮める結果になるだろう。

 ライディングの基本をしっかりと身につけ、どこまでが限界かを探る能力を身につけなければ、才能を開花させる以前にサーキットを去らねばならなくなる。

 下手に変な癖などついていると、かえって厄介だ。


 エレーナにとって、現役で走れる時間はそれほど多くは残されていない。自分がまともに走れるうちにすべてを誰かに伝えたかった。スターシアもシャルロッタも才能溢れるライダーだ。しかしエレーナとはタイプが違う。愛華なら自分の磨きあげた技術を受け継ぐ事ができるかも知れない。それだけのポテンシャルを実際の走りを観て感じた。


 ライダーとしての終わりに近い今、託せる逸材にめぐり合わせてくれた友人に感謝した。




「楽しそうですね」


「アイカはバイクに乗るのが楽しくて仕方ないようだな」


「エレーナさんのことですよ。まるで探し求めていた愛しい人に出逢えたみたいな顔してます」


 スターシアが少し拗ねたような口調で言うが、エレーナの横顔はクールさを装っていた。


「スターシアが言った通り、アイカはダイヤの原石だ。下手なカットもされず、素の良さを削り出しただけのダイヤモンドだ」


 そう、これから眩しく輝くように細かくカットし、研いていく。


「彼女もエレーナさんと同じ器械体操をしていたんでしたね。 足の怪我で諦めたそうですけど、エレーナさんがそこまで惚れる才能でしたら、きっといい選手だったんでしょうね」


「怪我がなければ、我が国のナショナルチームにとっても強敵になっていたかもな。優秀な指導者につけば、メダルも夢じゃなかっただろう。体操で叶えられなかった夢を、ロードレースの世界で私が叶えさせてやるさ」


「随分な入れ込みようですね。少し妬けますわ」


「それはもういいと言ってるだろ」


「いえ、エレーナさんにだけアイカちゃんを独り占めにはさせません。私にもお手伝いさせてもらいますから」


 どこまで真面目に言っているのか、エレーナには解らなかった。こういう誤解を招く言動がなければ、いい女なのに。


「好きにしろ」



 愛華が再び二人の前を通過した時、ピット(滑走路脇の格納庫なのだが)に戻るように、腕を回して合図した。






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