狂気と矜持

 サクラは登場と同時に空間斬りでヴァンパイアを一掃してから、悠々とした足取りで三人の元に歩いてきた。

「……遅いわよ」

 安堵と怒りが混ざった複雑な思いを溜め息にして吐き出すシルビア。サクラは遅れた事について悪びれる様子も無く、いつものようにくすくすと笑ってみせる。

「すみませんね。ちょっと外せない用事がありまして」

「それはエヴァ達の目論見を阻止する事よりも大切な用事だったのかしら?」

「えぇまぁ、根本的には同じ問題だった――と言いますか、決して下らぬ用事ではありませんよ?」

「……よくわからないけど、まぁいいわ。遅れた分、しっかり働いてもらうわよ」

「ふふ……期待に応えられますよう、尽力させて頂きます」

 サクラはそう言って辺りを見回し、ラメールの姿を見つける。そして、彼女を見据えながらシルビアに訊いた。

「それで、どのような状況なのです?」

「御覧の通り――って説明には、ちょっと難がありそうね」

「たった今到着した者にもわかるように説明して頂けると助かりますわ」

「わかってるわよ……。今、屋上にエヴァが居るわ。それで向かおうとしたら、あの狂気を具現化したみたいな奴に阻まれて困っていた――と言った所よ」

「ふむ……簡潔ですね」

「無駄な説明を省いてやったのよ。寧ろ感謝してほしいものだわ」

「それはそれは……恐縮です」

 シルビアからの説明を受け終えたサクラは、「そういう事でしたら――」と切り出し、三人にこう言った。

「あなた方はエヴァの元へ向かって下さい。ここはわたくしが請け負います」

「え? ひ、一人で……?」

 耳を疑い、きょとんとした顔をサクラに向けるソフィア。サクラは手首に嵌めていたゴム紐で後ろ髪を縛りながら答える。

「えぇ。確かに数は多いようですが、所詮は雑魚の集まり――赤子の手を捻るようなものです」

「は、はぁ……?」

 冗談としか思えぬ事を涼しい表情で語るサクラに、ソフィアは思わず頓狂な声が出てしまう。また、シャルロットも苦笑を漏らし、

「正気の沙汰とは思えないわね……まぁ、元々ちょっとおかしい奴だとは思ってたけど……」

 と、呟く。彼女の隣に居るシルビアも、サクラの大胆不敵な発言には苦笑を浮かべざるを得なかった。

「冗談で言ってるワケでは無さそうだけど……一応訊いておくわ。本気なの?」

「わたくし、人様に嘘をついた事は一度もありません」

「嘘おっしゃい」

「いいえ、天地神明に誓って、一度も」

「……いいわ、そういう事にしておきましょう」

 一歩も譲らぬサクラとのやり取りが面倒になったシルビアは半ば強制的に打ち切り、踵を返して屋敷へと向かって歩き始めた。

「それじゃあ頼むわよ。負けたら承知しないからね」

「お任せ下さい。――さぁ、お二人も」

 サクラは未だ半信半疑のシャルロットとソフィアにも移動を促す。

「あなたの腕は知ってるつもりだけど……あっさりやられたりしないでよね?」

 戸惑いは隠せなかったものの、その催促でシャルロットもシルビアに続いた。そして一人残ったソフィアは、サクラの顔を心配そうに見つめていた。

「何か策があるの……?」

「策……ですか。そうですね、まぁ、“無理をしないで頑張る”といったものなら」

「いや、えーと……」

 更に不安を募らせるソフィアであったが、そんな彼女の困惑している表情を見て、サクラはくすくすと小さく笑って彼女の頭を優しく撫でながら言った。

「大丈夫ですよ。わたくしにもあなたと同じ、人ならざる力がありますから」

「……」

 サクラが挙げた“人ならざる力”がどれ程強力なものかは自身も使うのでよくわかっている。してやサクラのそれは自分のものとは比べ物にならないという事は容易に想像がつく。

 ソフィアは小さく頷き、承諾の意を示した。

「負けないでね……」

「ふふ……約束しますよ」

 最後に表情を綻ばせ、ソフィアは先に歩き出したアルベール姉妹の元へ走っていった。


「ずるいなぁ……不意打ちするなんて……。そんな人だとは思ってなかったんだけどな……」

 空間斬りに巻き込まれ、ぼろぼろになっているラメールがゆっくりと立ち上がった。その表情には怒りが明確に見て取れる。

「誤解ですよ。わたくしは不意打ちなどという姑息な手は使いません」

「じゃあさっきのは何なの?」

「わたくしは普通に技を放っただけです。それにあなたが気付かなかったというだけの事」

「そういうのを不意打ちって言うんじゃないのかな」

「解釈は人それぞれですね」

「調子いいなぁ……」

 捻くれた返答をしてくるサクラに、ラメールは思わず苦笑を浮かべた。

 そこで、空間斬りに巻き込まれたヴァンパイアの内、比較的軽傷で済んだ個体が立ち上がり、ラメールの周囲に集まり始めた。尚、中には四股が無くなっているものや、もはや原型を留めていない程のダメージを負った個体も居り、それらは立ち上がる気配すら無かった。

「さっきは随分と格好いい事言ってくれちゃってたけど、本当にあたし達を倒せると思ってるの?」

「さてね。彼女達を安心させる為に強がっていたのかも」

「あはは、本当にそうだとしたらあなたは大馬鹿だね。今更謝ったってもう許してあげないよ?」

「ふふ……それは困りましたね」

 ヴァンパイアを並べて見せても、ラメールがいくら脅しても、サクラは悠々とした態度を崩す事が無い。恐怖に支配された人間の表情を見る事が好きなラメールにとって、その態度は面白くないものである。

 徐々に表情から笑みが消えていき、ついにはこんな事を口にした。

「どうしていつも笑ってるの? 怒ったり、怖がったり、あたしは人間のそういう乱れた姿を見るのが好きなのに……あなたはいつも涼しい顔をしてる」

「あなたの趣味に付き合うつもりはありませんよ。どうしてもわたくしの感情を引き出したいというのであれば、力づくでもなんでもお好きな方法でどうぞ?」

「……嫌だな。同じ無愛想でもシルビアはまだ可愛げがあるけど、あなたは本当に嫌い」

「そうですか? わたくしは逆に、あなたに興味がありましてね」

「……興味?」

「その狂気は似非か本物か――是非確かめてみたいものです」

 ラメールを見定めるように、すっと目を細めるサクラ。その瞬間、ラメールの中で何かがぷつんと切れた。彼女の表情が一瞬にして、狂気に満ちた笑みに変わる。

「いいよ、教えてあげる……あたしの狂気を味合わせてあげるよ……!」

 ラメールは狂ったように笑いながら、サクラとの距離を急速に詰めていく。

 しかし、それを見たサクラがふっと小さく笑い、目を閉じた瞬間、ラメールの足はぴたりと止まった。

「自分自身を狂わせる――それは容易な事ではありません。どうしても理性というものが間に入ろうとしてしまう」

 サクラはゆっくりと目を開け、深紅に染まった瞳でラメールを捉えながら、微かに口元を歪めた。

「果たして、あなたの狂気は本物かしら……?」



 一方――

 ラメール達をサクラに任せ、屋敷の屋上へと急ぐソフィアとアルベール姉妹の三人。

 しかし、三人は出端から足を止める事になった。

「う、嘘でしょ……? さっき全滅させたばかりなのに……!」

 屋敷の入口であるホールにて、リナとルナが大量のヴァンパイアと交戦していた。

 二人はすぐに三人の登場に気付いて目配せをしたが、背後にある扉の前から離れようとせず、その場で戦い続ける。

「あの扉……確か、あの二人の部屋に繋がる扉だったわよね? 一月前の事だから、あんまり覚えてないけど……」

 記憶の中の情報を曖昧な口調で呟くシャルロット。それに、ソフィアが反応する。

「多分、あの先にアリスが居る。だから二人はあそこから離れられないんだと思う」

「アリスが?」

「私、さっきまで一緒に戦ってたの。その時、力を使い過ぎたらしくて」

「なるほど……ちょっとしたピンチみたいね」

 シャルロットは腕を組み、困ったようにふうっと息をつく。彼女の言葉通り、二人に対してヴァンパイアの数が非常に多く、今にも押し込まれてしまいそうな状況であった。

 その時、ヴァンパイアの群れの一角が三人に気付き、狙いを変えて向かってきた。それらはアルベール姉妹が祓魔銃による銃撃で迎え撃つ。

「よし、こうしましょう。私はしばらくここに残るわ」

 一掃し終えた所で、シャルロットがそう言った。それを聞き、シルビアは一瞬だけ怪訝そうな顔を見せたものの、すぐに意図を理解して承諾する。

「……ま、アリスの為なら仕方ないわね。終わったらすぐに来なさいよ」

「わかってるわよ。それじゃ、また後でね!」

 シャルロットは二人にウィンクをしてみせてから、ヴァンパイアの群れの中に飛び込んでいった。

「行くわよ、ソフィア。シャルがついていれば、ここは大丈夫でしょう」

「……そうだね」

 二人もその場から移動を始め、リナ達に向かって流れていくヴァンパイアの激流の中を横切っていく。目標である階段につくまでにソフィアが何度か掴まれてしまうといった事態はあったものの、シルビアが上手く援護して切り抜ける事ができた。

「大丈夫?」

「うん……なんとか」

 乱れた服装を軽く整え、ソフィアはシルビアと共に階段を上がっていった。

 ――一方で、リナ達に加勢する為にホールに残ったシャルロット。

「全く嫌になっちゃう程の数ね。よくもまぁここまで集めたものだわ」

 彼女も、二人の元に到着するまでに艱難辛苦を乗り越えていた。

「シャルロット……?」

「どうして来たの……?」

 てっきり三人共二階に行くと思っていた二人は、ヴァンパイアの集団の中からひょいっと出てきた彼女を見て目を丸くする。シャルロットは銃撃を始めながら、二人の疑問に答える。

「あなた達だけじゃこの扉を守り切れないんじゃないかと思ってね。この先にはアリスが居るんでしょう? 彼女の為よ。勘違いしないでね?」

 その返答を聞いた二人は周囲のヴァンパイアを一掃してから、きょとんと顔を見合わせる。

 それからシャルロットに向き直り、それぞれ言った。

「礼は言っとく」

「ありがとう」

「え、えぇ……どう致しまして」

 どこかぎこちない様子のシャルロット。

「(アリスはまだしも、この子達にお礼を言われるのはどうもこそばゆいわね……)」

 心中では、そんな事を考えていた。


 ホールを抜け、二階へとやってきたソフィアとシルビアの前に、またしても障害が現れた。

「……随分派手にやり合ってるわね」

 行く先ではノアとフランが激戦を繰り広げている最中であり、とてもすんなりと通れるような雰囲気ではなかった。

 シルビアが声を掛けようと思ったその時、フランの突き刺すような蹴りがノアの腹部に命中する。蹴り飛ばされたノアは、二人の元まで転がってきた。

「ぼろぼろじゃない。よく生きてるわね」

「……それが取り柄なもんでね」

 ノアはふらつきながらも立ち上がる。また、満身創痍なのは彼女の相手も同じであった。フランは口に溜まった血を地面に吐き捨てた後、嘲笑を浮かべる。

「なんだよ、やっぱり一対一じゃ勝てねぇと踏んで、そいつらに助けて貰うってか?」

「お前なんぞに他人の力を借りる必要は無い。――続けよう」

 ノアは戦闘を再開しようとしたが、シルビアが彼女の肩を掴んで引き止めた。

「待ちなさい。頭に血が上ってるってのは何となくわかるけど、状況はわかってるの?」

「……状況?」

 ノアは億劫そうに顔だけ向けて訊き返す。

「今、外ではサクラがラメールとやり合ってる。ホールではあんたの仲間の双子とシャルが、ヴァンパイア共を相手にしてるわ」

「アリス様は?」

「力を使い過ぎたとかで、休んでるらしいわよ。ホールの一角にある部屋の奥でね」

 それを聞いた途端に、ノアの表情に不安の色が差した。

「……下は三人で大丈夫なのか?」

「恐らくね。ヴァンパイアと言っても、居たのは雑魚ばかりだったから」

「そうか……」

「そして、今から私達が行こうと思っている屋上には、エヴァが居るわ」

 その発言にはノアだけでなく、フランも反応を見せた。彼女は忌々しそうに舌打ちをして呟く。

「やっと来やがったか……。ったく、おせーんだよ……」

 すると、シルビアが思い付いたようにフランにこう訊いた。

「そういえば、あんたは奴が何を企んでるかを知ってるのかしら? 青い方は知ってるみたいだったけど」

「おいおい、オレが知ってたとして、てめぇに教えると思うか? 寝言は寝てから言いやがれ」

「……口の悪さは随一ね」

「そりゃどーも。んな事より、行くならさっさと行けよ。戦いの邪魔だ」

 フランはそう言って、背後を後ろ指で差して見せた。シルビアは意外そうに答える。

「あら、随分とあっさり通してくれるのね。主様に怒られないのかしら?」

「オレはこいつとケリをつけてぇんだ。――正直どうでもよくてな。闇の扉を開くだの、そんな事はよ」

「……闇の扉?」

 初めて聞くその単語に、眉をひそめるシルビア。フランは「やべっ」という声を漏らし、慌てた様子で口元を手で押さえて見せたが、既に手遅れだという事は本人も痛感していた。すぐに諦めた様子で溜め息をつく。

「……まぁ、行けばわかるさ。ほら、とっとと行きやがれ」

「そうさせて貰うわ」

 シルビアは通り過ぎる際にノアの肩をぽんと叩き、そのままフランの横を平然と通って階段へと向かった。

「――ほら、ソフィア。キミも行きな。ボクはこいつを片付けて、アリス様の様子を見てから行くとするよ」

「わ、わかった……頑張ってね……」

 ノアを心配する気持ちから後ろ髪を引かれる思いはあったが、シルビアが先に進んでいる事に焦りを感じ、ソフィアは駆け足でノアの元を離れていく。そして、フランの横を通り過ぎた所で――

「……あ、あのさ」

 ソフィアは不意に足を止めて振り返り、フランの背中に呼び掛けた。

「……なんだよ?」

 呼ばれるとは思っていなかったフランは、怪訝そうな表情でソフィアを見返す。

 ソフィアは、先程のフランとシルビアの会話を聞いて以降、フランに不思議な気持ちを抱いていた。

 敵である事は間違いないが、ラメールやエヴァからは明確に感じる強い悪意のようなものを、彼女からは感じないのである。ひょっとしたら、しっかりと話せば彼女とは争わずに済むのかもしれない――しかしそう思う反面、彼女はやはり説得で丸め込めるような性格では無いだろうという背反した憶測も頭の隅に存在していた。

 そして、しばらく迷った末――

「……ごめん、やっぱりなんでもない」

 ソフィアはついに言い出す事ができなかった。

「……さっさと行きな」

 怪訝に思いながらも、フランは追及せずにソフィアから視線を外し、正面に居るノアに向き直る。ソフィアはもやもやした気持ちを振り切るように、シルビアの元へと駆け出した。


 ――ソフィアとシルビアが居なくなった後、戦闘を再開させる前にノアとフランはこんな会話を交わした。

「やっぱり人間ってのはよくわからねぇ、不思議な生き物だな。あいつはオレに何を言おうとしてたんだ?」

「気になるのかい?」

「そりゃ、あんな風に言われりゃな。――なんだ、お前わかんのかよ?」

「さぁね。ボクは読心術なんて気の利いたマネはできない。真相は彼女のみが知る事さ」

「そうかい……まぁいいや。続けようぜ。オレかお前か、どっちが死ぬかの戦いをよ」

「……そうだな」

 小さく頷いた後、ノアはフランには聞こえない声量でぼそりと呟いた。

「人間は不思議な生き物……か。その意見には同意するよ」

 ノアの心中には、憎悪しながらも共闘している不思議な関係であるアルベール姉妹の事が浮かんでいた。

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