赤髪のヴァンパイア

 煙草を咥えて火を点け、シルビアはバーの脇にある裏路地へと入っていく。

 そこは日中でも日が当たる事の無い不気味な暗闇に支配された空間であり、その先に何があるのかを知っている者以外は立ち入ろうとすら思えない場所であった。

 そんな中、この空間の事を知悉ちしつしているシルビアは、恐怖心など一切感じさせない軽快な足取りで進んでいく。

 しばらくすると、前方に小さな鉄扉が見えてきた。

 シルビアは携帯灰皿を取り出して吸っていた煙草を始末してから、その扉をノックし始める。

 辺りの静寂をはばかった小さな音のノックであったが、反応が無い事を確認するなり、彼女はすぐにやかましいものに切り替えた。

 すると扉の向こうから、「うるせぇよ!」という口調に似つかわしくない少女の声が聞こえてきた。シルビアは手を下ろし、けろっとした様子で呼び掛ける。

「開けて頂戴。急用があるのよ」

 その言葉に、機嫌の悪さが表れた刺々しい声が返ってくる。

「急用だぁ? 今何時だと思ってんだ、馬鹿野郎。私はもう寝ようとしてた所なんだぞ」

「それは悪かったわね。さっさと開けなさい」

 今一度扉をドンドンと叩くシルビア。

「わかったから叩くのやめろ……! 今開けるから……!」

 扉の向こうに居た人物は少しだけ扉を開け、そこから顔を出してシルビアを睨み付けた。

「畜生、迷惑な奴だな……」

 現れたのは、乱暴な口調とは裏腹に幼い顔立ちをしている短い茶髪の少女、エマ・ルフェーヴルであった。

 ――ルフェーヴル家は古くから銀の銃弾を製作し、代々アルベール家を影から支えてきた鍛冶屋の一族である。

 先代の一人娘であるエマは十六歳という年齢で代を受け継ぎ、一人でその役割を果たしていた。

 一月前までは二人と共にロコン村で鍛冶屋を営み生活していたが、件の騒動で家を失い、紆余曲折うよきょくせつを経て今はヴェロニクの自警団の一人という形で、この場所で鍛冶の仕事に勤しんでいた。

「何の用だ。また酔っ払って帰れなくなったから泊めろってんのか? だったら今すぐにこの扉を閉めさせてもらうぞ」

「残念ながら違うわ。どうしても泊まってほしいなら考えてあげてもいいけど」

「ふざけろ」

「――冗談はさておき、用件ってのはこの事よ」

 シルビアはジャケットの内側のショルダーホルスターから祓魔銃を抜き、それを見せつけた。

「――マジかよ?」

 エマの表情がすっと真剣なものに変わる。

「マジよ。とりあえず十個――いえ、二十個程貰えるかしら」

「……」

 エマは苦々しい表情になって、一つ溜め息を漏らす。それから、半開きにしていた扉を押し開けてシルビアを招き入れた。

「――わかった。とりあえず上がれよ」

「どうも」


 建物の中に入ったシルビアは散らかっている部屋に案内され、そこでエマが戻ってくるのを待つ事に。

 待っている最中、シルビアは机の上に一丁のライフル銃が置いてあるのを見つけた。

「(へぇ、思ったよりもしっかりできてるわね)」

 手に取り、照準を合わせたり、レバーを引いて動作の確認などをしていると、エマが銀色の箱を手に戻ってきた。

「待たせたな――って、勝手に触るなよ……!」

「触られてまずいものなら、机の上に堂々と置いておかない事ね。――それはそうと、中々良い出来じゃない」

 シルビアの手からライフルを奪おうとしていたエマであったが、褒められた途端にころりと態度を変える。

「当たり前だろ、私を誰だと思ってやがる。銃を作ったのは初めてだったが、まぁ私にかかりゃこんなモンだ」

「使用する弾薬は私のものと同じ?」

「なワケあるか。拳銃とライフル銃だぞ。専用のものだよ」

「ふーん……。装填数は?」

 それを聞かれた途端、エマは急に大人しくなった。どうしたものかとシルビアが視線を移すと、エマは申し訳なさそうにぼそりと答えた。

「……一発」

「……はい?」

「し、仕方ねぇだろ……。弾倉とかそういうのを付けるとなれば、また複雑になるんだよ……」

「あっそ……」

 シルビアは鼻で笑い、ライフルを机の上に戻した。それから、エマが持ってきた銀の箱を受け取り、机の上に置いて中身を確認し始める。

 箱の中には祓魔銃の弾倉が所狭しと詰められていた。

「それで、またヴァンパイアが出たってのか?」

 シルビアが弾倉を腰のポーチに詰めている様子を流し見ながら、話を切り出すエマ。

「えぇ。前回とは別口の連中よ」

「別口?」

「ヴァンパイアの母から生まれた双子の姉妹が居てね。死んだ母親を蘇らせようとしている姉と、それを阻止しようとしてる妹が喧嘩してんのよ」

「はぁ……? 喧嘩だぁ……?」

「ただの姉妹喧嘩なら私が動く事は無いわ。ただ、その喧嘩の結末によっては、一月前の騒動の二の舞になるのよ」

「――そいつは穏やかじゃねぇな……」

「それと、姉側にはヴァンパイアがついているらしいわ。もしかしたら、そいつにシャルがやられたかもしれないの」

 それを聞いた途端、エマは思わず身を乗り出してシルビアに詰め寄った。

「シャルがやられただと!? 嘘だろ!?」

 シルビアは目の前まで迫ってきたエマをゆっくりと押して遠ざけてから、溜め息混じりに答える。

「――真偽の程は今から確かめに行くわ。グランシャリオの麓で目撃情報があったのよ」

「お、お前……今からあんな場所に行くってのかよ……?」

「あんたも行く?」

 シルビアが冗談のつもりでそう訊くと、エマの表情に怯えの光が走った。

「いや、私は……その……」

「――冗談よ」

 シルビアはくすくすと笑いながら銀の箱をエマに返し、続ける。

「怖がりなあんたを連れていったって、足手纏いになるだけだもの。私一人で行くわ」

「そ、そうか……。まぁ、気を付けろよ……」

 エマはほっと胸を撫で下ろし、安堵の苦笑を漏らした。


「それじゃあ行ってくるわ。邪魔したわね」

「あ、あぁ……。ホントに気を付けろよ……?」

「わかってるわよ」

 部屋を出て、玄関へと向かうシルビア。エマも見送る為についていく。

「なぁ、シルビア……」

 シルビアが扉を開けて外に出ようとした所で、エマが遠慮気味に呼び止めた。

「何よ」

「いや、その……なんか実感湧かねぇんだけどさ……。本当にまた一月前みたいな事が起こるってのか……?」

 エマの不安に満ちた表情を見て、シルビアはふっと小さく鼻で笑う。それから、エマの頭をがさつな手付きで撫で回した。

「それを起こさない為に、私は動いてんのよ。安心しなさい、絶対に止めてみせるわ」

「……信じるぞ?」

「信じなさい」

 シルビアの涼しい笑みを見て、エマは安心したのか破顔しながら言った。

「――わかった。そういう事なら、私もサポートはさせて貰うぜ。弾が切れたらいつでも来てくれ」

「助かるわ。――でも、届けに来たりはしないで頂戴ね。危なっかしくて余計心配する羽目になるから」

「わ、わかってらぁ……!」

「ふふ……。じゃあね」

 シルビアは最後にエマの頭をぽんぽんと二回叩き、その場を後にした。


 弾薬の調達を済ませたシルビアは、ユーティアスを出てグランシャリオへと向かう。

 街灯や月明かりによって視界は確保できていたものの、町を離れていくにつれそれらが無くなり、徐々に暗闇の世界になっていく。

 グランシャリオに続く森に入った時には、唯一の頼りであった月明かりすらも木々に遮られてしまった。

 シルビアはヴェロニクから借りたハンドライトを取り出し、その明かり一つのみで森の中へと入っていく。

 時折吹き抜ける風が木々を揺らし、侵入者を威嚇するかのように葉擦れの音を出させる。

 しかし、シルビアはその不気味な雰囲気に一切呑まれる事なく、異常が無いかを常に警戒しながら奥へ奥へと進んでいく。

 しばらくした所で、シルビアは不意に立ち止まり、祓魔銃を取り出した。

 そして、側にそびえ立っている大木に身体を向け、

「出てきなさい。バレてないとでも思ってるのかしら」

 と、声を発した。

 すると、大木の陰から一人の少女が現れた。

「――ちっ、気付いてたのかよ」

 少女はシルビアを鋭く睨み付けながら、彼女の元に歩いていく。

 シルビアは怪訝そうに目を細め、銃を構えた。

「――見た事無い顔ね」

 ハンドライトの明かりを受け、綺麗に輝いて見える鮮やかな赤紅色の髪。

 その色を少し暗くしたような深紅色のマントを羽織っており、その中は白い髑髏どくろが大きく描かれている黒いシャツと、太ももが隠れない程に短いズボンという組み合わせの服装。

 過去に様々なヴァンパイアを見てきたシルビアであるが、彼女の容姿は一際印象に残るものであった。

「お前がシルビア・アルベールだな」

 その少女がシルビアの前までやってきてそう訊く。

「――いかにも。あんたは?」

 少し面倒臭そうにシルビアが訊き返すと、少女は腕を組んで得意気に答えた。

「オレは歴史に名を残す最強のヴァンパイア、フランだ」

「――は?」

「お前がシルビア・アルベールだな」

「さっきそうだって言ったでしょう」

「知るか。オレが訊いてるんだ。黙って答えやがれ」

「黙ったら答えられないでしょうが」

「うるさい黙れ!」

「……」

 面倒臭い奴が現れたな――と、シルビアは深い溜め息をついた。フランと名乗った少女は何事も無かったかのように話を再開させる。

「お前が何をしようとしているのかはわかってんだぞ。だから今すぐに引き返せば命だけは見逃してやる」

「引き返さなかったら?」

「ぶっ殺す」

「――それは困ったわ」

 シルビアは苦笑を浮かべる。そして突然、フランの眉間に銃口を突き付けた。

「だったら戦うしかなさそうね」

「オレと戦う? 正気か、お前」

「少し酒が残ってるかもね」

「今なら許してやってもいいんだぞ。銃を下ろしな、馬鹿野郎」

「やなこった」

「――わかった。もういい」

 フランはふうっと一つ溜め息をつき、突き付けられた銃を右手で掴むと、そのまま背後にある大木に向かってシルビアを投げ飛ばした。

 銃を手放せば投げられる事は無かったが、シルビアはえてそうせずにわざと投げられ、空中で瞬時に体勢を整える。そして大木を蹴って宙返りを決め、華麗に着地をしてみせた。

「――いきなりのご挨拶ね」

「何言ってんだ。先に銃を突き付けたのはそっちじゃねぇか」

 二人は再び対峙する。

 先制したのはシルビアであった。彼女はフランの胸元に狙いを付け、引き金を引く。

 飛んできた銃弾を、フランは右手で容易く受け止めた。

「――変わってねぇなぁ。相変わらずお前達ヴァンパイアハンターは、こんなものに頼って戦ってんのかよ」

 銃弾をまじまじと見ながら、フランはつまらなさそうにそう言った。

「相変わらず? まるで昔から知ってるような物言いね」

「当たり前だ。オレは三百年前の戦いで活躍した最強のヴァンパイアだからな」

「へぇ。という事は、その最強のあんたを破った私の祖先は、それ以上という事になるわね」

「――その目で確かめな」

 フランは不気味にニヤリと笑い、風のような速さでシルビアの懐に潜り込んだ。そして右手を突き出し、シルビアの胸部を貫こうとする。

 その攻撃には反応が間に合い横にステップをして避ける事ができたが、再び向き直ってフランの右手を見たシルビアは、思わず目を疑った。

「――不思議な力をお持ちのようね」

 フランの右手は轟々と燃え盛る炎に包まれていた。

「安心しろ。オレの炎は熱さを感じる前にお前の身体を焼き尽くす事ができるんだ。だから苦しまずに死ねるぞ」

「お気遣いどうもありがとう」

 シルビアは再び銃を構え、フランに銃弾を撃ち込む。

 フランは右手をかざし、銃弾を受け止めると同時に炎で溶かし、無力化した。

「(厄介な魔法ね……)」

 舌打ちをして、今度は連射攻撃を仕掛ける。

 合計で五発の銃弾が射出されたが、今度は俊敏な身のこなしで全て回避され、更に接近を許してしまう事になった。そして、フランは炎を纏った右腕による攻撃を始める。

 一撃でも貰えば敗北を喫する事になると悟り、反撃の意思は捨てて回避に専念するシルビア。

 すぐに接近戦は不利だと判断し、距離を離そうと試みるが、フランは執拗に追い掛けてくる。

「(どうしたもんか……)」

 シルビアは攻撃を避け続けながら、状況を打破する手段を考える。

 しかし、手段を思い付く前に、シルビアは突如危機に見舞われた。

「ッ――!」

 背後に大木がある事に気付かずに勢い良く下がり、身体を強くぶつけてしまう。その結果、彼女に一瞬の隙が生じた。

「馬鹿め! 死ね!」

 その隙を見逃さず、フランはシルビアの身体に拳を打ち付けようとする。

 喰らえば身体に穴が開き、死は免れないであろう攻撃。

 しかし、シルビアは寸前で身体をずらし、難を逃れる事ができた。それでも完全に避けきったワケではなく、右手に炎がかすって軽い火傷を負ってしまう。

 ひりつくような痛みに、シルビアは思わず苦笑を浮かべた。

「なるほど……確かに良い威力だわ」

「今の攻撃を避けた事は褒めてやる。だが、逃げ回っているだけじゃ勝負には勝てねぇぞ」

「わかってる――つもりよ」

 渋面のまま、再び銃を構えるシルビア。

 その時、先程シルビアの背後にあった大木が、フランに殴り付けられた事によって燃え上がり、ゆっくりと倒れ始めた。

 倒れる先にはフランが居り、彼女は慌ててその場から退避する。

「(逃げるなら今しか無さそうね……)」

 シルビアはフランの視線が自分から外れている事を見逃さずに、茂みの中に飛び込んで姿を消した。

「――やべぇな。思えばこうなる事は当然か」

 フランは彼女が居なくなった事には気付かず、燃え広がっていく火の海を呆然と見つめている。

 その時――

「わぁ、綺麗な光景。一体何してるの?」

 緊張感の無い楽しそうな声が、フランの背後から聞こえてきた。

 フランは振り返り、無邪気にニコニコと笑っているラメールを見て舌打ちをする。

「おい、笑ってねぇでさっさと消せ。このままだと山火事になっちまうぞ」

「火を点けたのはあなたでしょう?」

「うるせぇな! さっさと消せ!」

「――しょうがないなぁ」

 ラメールは渋々といった様子で火の海に向かって歩いていき、両手を前にかざして小さな声で呪文を詠唱する。

 すると、火の海の真上に大きな魔方陣が現れ、そこから大量の水が降り出した。燃え盛っていた火はあっという間に消え、その場に再び暗闇が蘇る。

「――よかった。偉大なる自然が失われちまう所だったな」

 ほっと胸を撫で下ろし、安堵の溜め息を漏らすフラン。

 一仕事終えたラメールは、恍惚とした笑みを浮かべながら彼女の元に戻ってくる。

「愛する自然を燃やすだなんて、素敵な愛情表現だね」

「勘違いするな馬鹿野郎、今のは事故だよ。それより、例のヤツはどうなった」

「もう完璧だよ。――今頃二人は感動の再会をしてるハズだよ……」

 妖しい笑いと共にそう答えるラメール。フランはその笑みを見て、苦笑を漏らす。

「――趣味の悪い奴だ」

「ふふ……あの二人が綺麗なのが悪いんだよ……。誰だって自分のものにしたくなっちゃうよ……」

「やめろ、気色悪い。――行くぞ」

「はーい……」

 二人は森の更に奥深く――グランシャリオがある方向へと消えていった。


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