王の森と銀の坑道

立木斤二

第1話 老執事の長話

「ようこそ遠いところからおいで下さいました。今日は太陽も出て、いい天気でしたな。どうぞソファにお腰を掛けて、楽にして下さいまし。」


十字型に大きく両手を広げて歓迎の気持ちを表し、老人は輝くような笑顔で客を部屋に招き入れた。




「そらどっこいしょっと。


お客人の前で失礼ですが、わたくしも歳には勝てませんでな。楽な姿勢をとらせてもらいますよ。」


老人は深々とソファに腰を沈めた。


やせこけた顔には、人生経験という名のシワが刻まれ、見る者に安心感を与える。




「みなさま、お飲物はウイスキーでよろしいでしょうかな?


お酒を飲まれない方にはコーヒーもありますぞ。


それではマリーや。わたしの分も合わせて運んできておくれ。


なにか軽く胃袋が喜ぶものもお願いしますよ。夕食まで、まだ時間があるからね。」


窓ひとつない部屋で、大きな掛け時計が静かに時を刻んでいる。




「主人は夕食までには帰ってきますでしょう。それまで、みなさまに時間を有効に過ごしていただくことが、わたくしのつとめでございます。」


早速マリーと呼ばれた若い女中が、不愛想にウイスキーやコーヒーと一緒にナッツやチーズを運んできた。


薄いアゴ髭を生やした男は、興味がなさそうな目で、ウイスキーをじっと見つめている。


老人は氷の上に琥珀色の液体を注ぎ、それで唇を湿らせると、話を続けた。




まずは何からお話いたしましょうかな。


そうですね、礼儀としまして、わたくしの自己紹介から始めましょう。


この老いぼれは執事をしております。しかし、ここの屋敷は小さすぎるし、執事も必要ないのではとお思いでしょう。まぁ、このお屋敷には一時的におるだけですので。


この地の領主、グレイ家にお仕えしておると言った方が正確かもしれませんな。今の主人のお爺さまの代から、ありがたいことに、そばに置いて頂き、身の回りのお世話や、微力ながらお仕事などお助けをしてまいりました。


そのお爺さま、ビルトネル・グレイ様がこの辺りの鉱山で銀を採掘する事業を始めまして、その時に建てられたのがこのお屋敷でございます。


そういうわけでして、領内の都市に領主グレイ家のお城がございますが、そこが本来わたくしのお仕えしておりますところとなります。


それがどうして、このような山奥へと・・・いえ、不平を言っているのではないのですが、歳をとればいけませんな。自分でも無意識のうちに不平不満を口に出している時があります。これでは執事失格ですな。


しかしこんな愚かな執事でも、グレイ家の代々の主人にはかわいがって頂きました。商才に秀でたお爺さまの代から、勇敢に戦死されましたお父様の代、そして若くして領主という重責の任に就かれました今の主人に至るまで、辛抱強く使って下さいました。


おかげさまで、グレイ家に対する感謝の気持ちだけは、どなたにも負けないものを持っておりますし、それがわたくしの誇りでもあります。


ですので、今の主人がしばらくこの山奥へ住むと申された時には、わたくしも嘆願し、やっと同行することを許して頂きました。




老人はグラスを手に取る。静かな部屋に、グラスと氷のぶつかる音がカラカラと響く。




明日には主人もわたくしも、ここを離れる予定です。そもそも、わたくしたちは、ここにはいないことになっておりますからな。本来いるべき場所へと、こっそりと移動します。


そしてご承知の通り、あなたがたもこの屋敷へ招待された客人ではないことになっています。よその国で知り合った悪党同士が、宝を求めてグレイ様の鉱山へと侵入したという筋書きですな。




あなた方は酒場で、ここの鉱山の元採掘責任者と名乗る男から、情報を買いました。その情報というのは、鉱山の奥深くから、銀ではなく金が採れる場所がある。しかもそのことを鉱山主に知らせず、一部の採掘者のみで採れた金を分かち合い、それぞれが、坑道の中の自分しか知らない秘密の場所に保管していた。しかしさきの戦争で、採掘労働者は徴兵されて、大半は戦死。彼らの金がまだ坑に隠されている・・・という偽の情報ですな。


実物の金塊をちらつかせながら語る元採掘責任者と名乗る男の話をあなた方は信じ、密かにこの鉱山に侵入してきた、という筋書きになっております。


まぁ、そのあたりのことは、使者からお聞きになっている通りでございます。


本当の目的については、わたくしの口から申し上げるよりも、グレイ様が直接話した方が良いでしょうな。




そこで、あなたがたがこれから潜る、この鉱山の話でもしましょうかの。


さきほどお話しましたように、今の領主ガネル・グレイ様のお爺さま、ビルトネル・グレイ様が、ここの鉱山で銀の採掘事業を始められました。


ここで銀が採れることは代々知られていたのですが、採掘には人手がかかりますからな。それまで割に合わないと考えておられたようです。


しかし、今から55年ほど前に、ジーランド国王様が資金繰りに困り新たな貨幣制度を導入すると、新貨幣への不安からか、金と銀が高騰しました。


そこで当時の領主、ビルトネル・グレイ様が、銀を採掘しようと考えたのですな。それまで落ち込んでおられましたから、何か新しいことをしようと考えられたのでしょう。


というのも、奥様が謎の失踪をして、4年ほど経っておったのです。ジーランド国王様の娘であり、国の宝石と呼ばれるほどの大変美しいお方でした。


当時のジーランド国王様は、結婚に大反対でしたが、娘エレナス様のご意思が固かったのです。ビルトネル様も、エレナス様の深い愛とやさしい美貌に心底惚れ込んでおりましたから、障壁をもろともせず結婚されたのです。


すぐにワーリヒト様をお産みになりましたが、その子に乳を飲ませてやることもなく、エレナス様は神隠しにあわれました。消えてしまったのです。


当然、領内上げての大捜索がなされました。


実は、ジーランドによって誘拐されてしまったのではないかという噂が有力でした。それというのも、当時ジーランドからの出産祝いに遣わされた者が来ておったのですが、その者も一緒に消えてしまったのですから。


ビルトネル様は、遠まわしに国王様に問うてみましたところ、国王様は知らぬと突き放しました。


そのような事件がありましたから、ビルトネル様はしばらく落ち込んでおられたのです。唯一のなぐさめは、産まれたワーリヒト様だけでした。


母親を知らぬ赤ん坊でしたが、その分ビルトネル様が愛情を注いで、大切に育てられました。


結婚から5年経ったところで、ビルトネル様はエレナス様を探すことをあきらめて、新たな奥様を貰い、そして新しい事業である銀鉱山の発掘を始められたのですな。




喜ばしいことに、銀は下へ掘り進めば進むほど、予想を超える含有量になっていったのです。


それならばと、さらに数百人という人を雇い、さらに下へ下へと堀り、採れた銀は評判の悪い新貨幣へ用いるため、国王様が買い取りました。


しかし、相場よりもはるかに安い価格で強引に買い取られましたがな。


それで銀の含有量が増えたため、ようやく新貨幣が国民にも信頼されるようになりました。




やがて、引退されたビルトネル・グレイ様を継いで、領主にエレナス様との愛の結晶であるワーリヒト・グレイ様がお就きになった時も、下へ下へと掘り進めました。


ところで、このグレイ様の領地のすぐ隣には、断崖絶壁と1本の川を挟んで、ジーランド国王様の保有地があります。王家の伝統として、その土地は厳重に守られ、王族以外の者が入ることは許されておらぬ土地であります。


さて話は戻りますが、ワーリヒト様の頃にも銀は値打ちが十分にありました。採掘の坑道は領境にある川よりも、さらに下にまで堀り進んでいましたし、川の真下まで、或いはひょっとすると、国王様の保有地の真下まで、横坑が延びておったかもしれません。


さきの大きな戦争が近づいておりましたので、国王様は、金や銀をあらゆる所から借りてもまだ足りない、という状況だったようです。もちろん、ワーリヒト・グレイ様も大量の銀をお貸ししておりましたし、さらなる銀を発掘するようにと、ジーランド国王様はご要望されておりました。


そのようなわけでありましたので、この鉱山のてっぺんから、下へ下へ、或いは横へと、アリの巣のように無数の坑道が延びていったのです。


そして数カ国が参加した大戦争に入りました。ワーリヒト・グレイ様も、領兵を率いジーランド王国の援軍として参戦いたしました。ジーランド連合軍は勝利し、敵国から賠償金を勝ち取りました。そのおかげで、国王様も多くの金銭的な借りを返すことが出来たようです。グレイ家にも大量に貸してあった銀が戻って来ましたが、戦争が終わるとともに、銀の価値は暴落しました。


そればかりか、戦争で勝利に大きく貢献したワーリヒト・グレイ様は、帰路の途中で、どこに隠れていたのか敵残兵の一団の矢に討たれ、領地を再び踏むことが叶わぬことになりました。


良くないことは続くもので、その知らせを受けたビルトネル様も、悲しみのうちに老衰でお亡くなりになったのです。




老人は目をつむり、深いため息をはいた。




「すみませんな。何度思い出しても辛いことでしてな。」


ゆっくりとウイスキーを喉に流し、老人はなおも話を続ける。




戦争の後、ビルトネル様とワーリヒト様のご葬儀に、ジーランド国王様はお越しになりませんでした。来られぬ緊急の事情があったのでしょうな。


代わりに参謀様が来られ、参戦のお礼とお悔やみのお言葉を、若きガネルお坊ちゃん、いや、ガネル・グレイ様にかけられました。ガネル様は気高く、涙を見せませんでした。




葬儀の後、ワーリヒト様の後を継がれたガネル・グレイ様は、若くして領主となられました。お父様にそっくりで、うそのない眼をしておられます。


お姉さまがおられるのですが、南の小さな国の国王様にめとられました。


ゴルラン王国といい、今ではとても小さいのですが、かつては歴史ある大国だったという噂です。技術は大変優れたものを持っておりましてな、さきの戦争でワーリヒト様は、その技術の恩恵を存分に受けました。


というのも、「望遠鏡」という、遠くまで見通せることの出来る、なんとも不思議な機械がありまして、ワーリヒト様はその望遠鏡をうまく使い、多くの手柄を立てられたという話です。


この望遠鏡というものは、ガネル様のお姉さまの結婚式のとき、ゴルラン王国の国王様からワーリヒト様に贈られたもので、その国の法律では、国外に出してはならないという大変貴重なものなのです。


ワーリヒト様が敵の矢に倒れたと、共に戦っていた領兵たちが、涙ながらに城にいる私へ訃報を知らせに来てくれたのですが、その時、剣と一緒に形見として大切に持ってきてくれたのが望遠鏡です。


残念ながらワーリヒト様のお体は、敵の一団に襲われたとき、ああ!無惨にも略奪されました。なんと残酷な連中でしょう!


かろうじて、剣と望遠鏡だけを持ち帰ることが出来たという次第です。


ガネル・グレイ様は今も、その剣と望遠鏡は肌身離さず持っておいでです。




鉱山に話を戻しますと、採算の合わない銀を採掘し続ける理由もなかったのですが、戦争で生き残ったかつての採掘人が10人ばかり、安い給料でもいいから仕事をさせてくれと頼んできました。


しばらくは働いていたのですが、やがて街の景気が良くなり、彼らもそちらへ移りました。そして、ここはもはや、巨大な地下迷路だけが取り残された地となったのです。


ただ、どこかのならず者がこのお屋敷に居着かないよう、ピートという男に、月に一度見張りに来させておりました。当然、山里からでも1日はかかるこの山奥に、好んで来る者などおらず、実際はお屋敷の掃除と暇つぶしが仕事でしたのじゃ。




今から2年ほど前のことですが、ピートはここから足を延ばしてジーランド国王様の保有地の領境まで散歩をしました。誰も話し相手がおらぬところで、断崖絶壁に近づくというのは、あまり素敵なこととは言えませんが、ピートはそうしたかったのでしょうな。


はるか下に糸のように流れる川や、その川を挟んで相対する側の断崖絶壁と、その上に生える誰も入ることの許されない広大な森を遠くに眺めていたのです。ピートは数時間もそうやって物思いにふけっていました。昔、禁断の土地の下にまで、坑道を掘ったことでも思い出していたのでしょう。


この男も若い頃は、銀採掘の責任ある立場だったのです。日も傾き、そろそろ屋敷に戻ろうとしたとき、ピートの眼が見慣れないものを発見しました。遠くに見える国王保有地の森の中から、人のような姿の群れが、木々の間に見えたように思ったのです。それは、まるで行進していたようだと。


わたくしもその場所には行ったことがあります。当然、森は見えますが、樹木1本1本は見えませんな。二つの崖の間には、たとえどのような橋であろうとも、架けられぬほどの距離があるのです。


ですので、ピートがこの話をした時、わたしはヤギの群れだろうと答えました。ピートも確かにそうかもしれないとうなずきましたが、完全に納得している感じではありませんでした。




それから少しの時が経ち、ピートがまた見たと言ってきました。今度は巨人のような姿を木々の間から見たと言うのです。わたしは、熊ではないのかね、と言ったところ頭をかしげて無言を続けます。


その晩、ガネル・グレイ様と無駄話などする時間がございましたので、ちょっとそのことを口に出してしまいました。これがわたくしの過ちでした。


それならば、とグレイ様は身を乗り出し、自分が行って望遠鏡で確かめてみようとおっしゃるのです。もちろん、わたくしはお止めしましたが、1日近くかかる山登りも、領主としての任務も、グレイ様の足を重くすることは出来ませんでした。


「広く知られた伝説では、あの土地の中心部には墓があり、太古の昔から今の代まで続く王家の御霊が眠っていると聞く。その広大な土地の端っこを見るだけならば、バチも当たるまい。」そう言うや、次の日にはピートを呼び出して、鉱山へと出発したのです。老いぼれのわたくしは人手や食料の手配をしているうちに、置いて行かれました。




老人が壁時計に目をやる。


「そろそろグレイ様がお戻りになる頃ですな。グレイ様もあなた方とお会いすることを、楽しみにしてらっしゃいますよ。」 




あなた方のような、百戦錬磨の戦士を集めようと、グレイ様が構想を練っていたのは、今思えば、あの時の帰り道かもしれません。


グレイ様とピートは予定通り、4日後にはお城へ戻ってきました。帰ってくるなり開口一番、鉱山へ行ったことを誰かに告げたかと、わたくしに質問なさいました。


わたくしは正直に、長年の従事者2名の名を言いましたところ、鉱山に行ったということは決して口外せぬように、と命令を受けました。わたくしもさきの従事者を呼び、同じことを尋ねたところ、誰にも言ってないとのことでしたので、同じ命令を下しました。


どのような秘密が隠されているかは存じませんでしたが、グレイ様の表情からはただならぬものを感じました。


頭の良いお方ですので、その時には、おおまかな計画が頭の中に浮かんでいたのでしょう。


あれから2年経ちました。誰にも気付かれず、グレイ様の計画はついに最終段階に入りました。おや、物音が聞こえますな。どうやら主人が戻って来たようですな。


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