第7話 籠月

「じゃあ、PCどれでもいいから使って。ベッドのある部屋は2つあるから、好きな方を交代で。冷蔵庫には食料品がつまってるからご自由にどうぞ。ただし、前も言ったけど携帯は使用禁止で宜しく」と千石は言った。



 千石から依頼を受けた次の日、遼と江上は昼休みが終わってすぐにこの快適な作業場(千石曰く)に連れてこられていた。

 会社から車で10分ほどの場所にあるファミリー向けマンションの5階に異様な空間が広がっている。

 ハイスペックなPC3台がリビングダイニングの広い空間の中央にどんと持ち込まれている。高度な計算をする研究施設にしかないものだ。カーテンは昼間なのにびっちり閉まっているが、もともとインドアな二人には問題なさそうだった。

 マシンの横にはトレーニングマシンが2台ある。千石の趣味で持ち込まれたのだろう、遼と江上に使われることはなさそうだ。


「すっげー、これ最新のマシンじゃん!どれどれ…早いっ、めっちゃサクサク動くよ、先輩っ」


 やたら嬉しそうな江上と金曜日の午後から月曜日の朝までここに缶詰めになる予定だ。続くようなら平日昼間は交代で会社に出勤する。

 もちろんここにいることは誰にも言ってない。多分ミカにさえも千石は場所を言ってない。


「先輩、睡眠スケジュール作りましょう!あと、御飯当番ねっ」


 合宿のノリで騒ぐ江上に救われる。

 彼を見ながら、遼は昨夜朱音に電話して怒らせたことを思い出していた。




「おまえはなんで電話出ねーんだよ!」と初めから雲行きが怪しかった。


「ミカさんとご飯食べてた」


「江上もかよ?」とまた変に勘の鋭い所を見せる。


「うん」


「…また変な仕事させられてねーだろな?」


「少しだけ変、だけど、前みたいに危なくはないから…」


 遼が歯切れ悪く答えると、


「やっぱそうなのか!そんなの断れよ」と朱音は電話越しに怒鳴った。


「ちょっと事情があって、断れない。それに、臨時ボーナスが貰えるから助かる」


 前回の九州支社の件では太っ腹のボーナスを上乗せしてもらったとこだ。今回のと合わせて弟たちの結婚資金にてるのだ。

 朱音は呆れたようで、少し黙ってから聞いた。


「おい、今どこにいるんだ」


「駅」


「今からおまえんち行くから待ってろ」


 もう9時を回っている、忠が黙っていないだろう。それに明日から泊まり込みだから、荷物をまとめないといけない。


「…今夜は困る」と遼が言うと、朱音は一瞬黙ってから、


「じゃあ、明日」と辛抱強く聞いた。


 明日の昼から遼たちは用意された作業場に詰めることになっていた。


「明日もダメだ、ごめん」


「…なあ、週末にゆっくり二人で会えないか?遼と出かけたい」


 朱音の声がかなり弱気になっていた。


「ごめん…仕事が読めなくて…」


 しばらくの沈黙のあと、


「オレのこと嫌いになったのか?」と朱音がぼそりと言った。


 何と答えていいかわからない遼にしびれを切らしたのか怒ったのか、電話がプツッと切れた。


(なんで会えないだけで嫌いって…意味がわからない)


 遼は駅で大きくため息をついていた。




「先輩と喧嘩でもしたんですか?」と江上が職場では見せたことのない速さでキーボードを叩きながら聞いた。


「タイミング悪い。会いたいって言うんだけど、丁度この仕事でしょ?予定が読めないから断ったら、怒ってるみたい」


 遼は早すぎて見えないくらいの手の動きをしている。


「いいんすか?」


「…仕方ないよね、仕事だし」


 集中してる遼の無表情の奥に寂しさを感じ取り、江上は心配になってきたようだ。


「でも…先輩辛いんでしょ?あとの作業は僕がやっておきます。もし早めに動きが出たら呼ぶから、ご飯でも澤井先輩と行ったらどうですか?ここ会社から近いんだし」と遼の為に提案したが、


「…いい。会ったら…また怒らせそうだ。ありがと」ときっぱり断られた。


「そんなこと…」


『ない』とは澤井の性格を考えると言えなくて江上は黙った。それに、二人で考えたこの計画は完璧な準備と二人の協力が一番のキモだった。彼だけではやや心もとないのは確かだ。


「最近朱音を怒らせてばかりな気がする…」と遼がぽそりと江上に聞こえないようにつぶやいた。


(この季節はどうしても弱気になってしまう…仕事は平気なんだけどな…)


 遼は超高速で手を動かしながら、作業に没頭していった。




「ふーん、二人で別任務、っすか。嫌な感じですね、今度は遼に何やらせてるんですか?それもオレに秘密で」


 朱音は会社でミカに詰め寄っていた。彼女は大きくため息をついた。


「はあ…朱音…おまえは山田の事になるとカッカし過ぎだ。仕事だぞ?こっちに来い」


 二人は隣の個室に入った。


「先に言っとくが、今回の仕事は機密事項が多い。私も知らないことがある。例えば今どこにいるのかも知らない。電話も通じない場所にいる」


「は?そんなの…」


『危ないじゃないですか』と言おうとしたが、ミカに上からかぶせられた。


「NISCを知ってるか?内閣サイバーセキュリティセンター。おかみの仕事だ、はっきり言うとうちには断る権利がないと思っておけ。その上で、質問があるなら言ってみろ」


「…江上と二人きりでずっとその場所にいるってことですか?」


「知らん。次」


「…いつ終わるんですか?」


「知らん。次」


 ミカは彼の質問を一刀両断していく。朱音は深呼吸をしてから質問を変えた。


「じゃあミカさんが知ってる事を教えて下さい」


「日本の主要な企業が人質になってるようなものだ。先日M電機のウェブシステムから情報流出の記事が出たのを覚えているか?あれは見せしめだ。そのクラッカー集団が日本の有名企業をターゲットにして、M電機のような目にあいたくないなら金を寄越せと水面下で個別に要求してきている。もちろん最上化成うちもだ。その代わりに外国からの脅威から守ると言ってるが、信用は出来ない。新手のヤクザみたいなもんだな。しかし、M電機のようなセキュリティーが最高レベルの企業がやられたことで、どこの経営陣にも迷いが生じてる」


「なっ…」


 あまりの話のでかさに朱音はぶっ飛んで声が出なかった。やっと出た言葉は、


「なんで遼なんですか…?」だった。


「彼女は情報処理のスペシャリストだから目を付けられた。あとは山田に聞け」


「うっ…」


 遼が教えてくれるだろうか?以前彼女が教えようとしてくれた時、あまりに言うのが辛そうで朱音は遮ってしまった。いや、朱音自身聞くのが怖かったのもある。聞いたら二人の関係性が大きく変わってしまいそうで怖かった。

 朱音は黙り込んだ。

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