第5話 修行

 まるで私が最初から強かったかのように思われることがあるのだが、決してそんなことはなかった。師匠に何度も挑んではこてんぱんにされ、口の中が切れてご飯もまともに食べられない時など数知れず。しかし、それでも私は諦めるわけにはいかなかった。短期間で皇帝の近衛兵にまで成りあがり、その寝首をかく必要があったのだ。早朝に起きて、瞑想し、家中の掃除から修行は始まった。それが終われば師匠と私の分の朝食を用意し、武術及び剣術の学科を学んだ。師匠は武道と呼んでいた。私が今でも印象に残っている言葉がある。それは弓を学んでいた時のことだ。「骨を射よ」とあったのだ。弓は的を射るものとばかり思っていたが、実際はそうではないのだ。正しい姿勢、正しい呼吸で骨を射れば、自ずと的中する。そういう教えなのだ。そこで、私がなぜ師匠に何度挑戦しても勝てなかったのか、その理由を知った。私はあまりにも師匠という敵に集中しすぎていたのだ。山賊にやられた経験や恐怖からいつの間にか敵ばかりを気にするようになっていた。それでは紛れで勝てても、継続して勝ち続けることはできない。そう気付いてからは、私は正しい姿勢や呼吸に意識を置くようになった。心を落ち着け、空気の流れに身を委ねる。すると、体が自然と無理のない動きをするようになった。そして、見る見るうちに師匠と互角、それ以上にまで上り詰めるようになった。

 師匠のもとで修行をして、二年が経ったある日のこと。戦をこの山の麓で行うらしいという話を師匠の家の前を通った旅人から聞きつけた。早速師匠のもとへ行き、その話をすると戦に出てこいと言われた。

「なぜ私が関係ない戦に首突っ込むんですか」

「関係ないって言っても一応はお前の祖国だろう。まあ、でも、あまり関係がないからいいのさ。人を殺したこと、まだないだろう?」

 そう言われてドキリとした。皇帝を討つということは皇帝という肩書を持った人間を殺すということだ。頭では理解していても、実際に人を殺すのとでは訳が違う。私は頷いていた。

 セントリア帝国の領地を狙って北東の国が攻めてきたのだ。所謂防衛戦だ。当然、私は帝国側の志願兵となり、前線で戦った。初めて人を自分の剣で貫いた感覚は今でも覚えている。豆腐に刺すように柔らかかった。ぐにゃりとした何かが切っ先から伝わってきて、思わずそれが何かを想像して吐きそうになった。しかし、なんとか堪えて一気に剣を引き抜いた。そこには屍がただただ転がっていた。それからは無心で剣を振るった。気付いた時には何もかもが終わっていた。百人は斬ったということで、功績を讃えられ褒美を貰った。だが、私は必要最低限だけそこから引き抜くと、残りは隣の兵士に渡してその場を去った。それ以来、様々な戦場から声がかかるようになり、助っ人として戦神として、人を殺して回った。なんだか、自分がさらに死んでいくような感覚がした。それと同時に、相反する気持ち、感覚が研ぎ澄まされるような気持ちもした。

「戻ったぞ」

 かれこれ一年ほど戦を渡り歩き、周辺ではかなり有名人になったところで、師匠の家へと戻ってきた。名声も殺傷能力も十分に高めた。あとは半年後に控える近衛兵募集試験を受ければ十分だ。そう判断したのだ。

「おお、しぶとく生き抜きおったわい」

「残念だったな、師匠。俺は二歳から死んでるんだ。生きるってのは死んでない奴に言うもんだ。だから、生き抜くも糞もない」

 私はすっかり庶民の男たちと変わらない話し方をするようになっていた。師匠は黙ってじっと私を見つめていたが、「来い」と今まで私が足を踏み入れることを許されなかった部屋へと誘った。私は、ドキッとした。養父母に真相を告げられたあの晩を思い出した。

「何を突っ立っておる」

 私は慌てて部屋に入った。

「座れ」

 師匠が既に床に胡座をかいていたため、私もそれに倣った。

「三年前、お前が突如としてわしの家の前で弟子入りを乞うた日、わしはお前からただならぬ決意を感じた。まあ、そのまま三日間放っておいたのは真偽を確かめるためだったんだが、それでもお前は変わらずそこにいた。だから、ここ数十年も取っていなかった弟子を取ることにした。お前は本当に坊ちゃんで何もできなかったなあ」

 師匠は懐かしむように白い顎髭を撫でながら明後日の方向を見た。私は何も言えず、ただ俯くばかりだった。

「しかし、日に日にわしが教えたことをこなせるようになって、口調も悪くなって……もう教えることは残っておらん。たった一つを除いて」

 私はハッとして顔をあげた。そこには慈しむ目で私を見る師匠の顔があった。

「死んで生きよ。それだけじゃ。それを胸に抱いてお前の目標を達成せよ。決して、違えるな。目標と目的は違う。お前のその胸のうちにあるものは人生の目標であり、目的であってはならん。詳しい事情は敢えて聞かんでおったが、わかるもんじゃ。いいな?この忠告、わしの弟子なら受け入れるな?」

 辛うじて頷いた私はしずしずと退出した。「死んで生きよ」の意味はわからないまま、師匠に門出を祝われ、その家を去った。

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