第26話 サドンデス...1

 仮にもリゾートの風情が残っていた白い砂浜とは真逆に島の中央を挟んだ反対側は完全に港湾として整備されていた。上部に有刺鉄線の返しがついたフェンス。その向こうには埠頭のゲート。貨物の積み下ろし用と思われるクレーンからはフックが取り外されている。停泊中の船は一隻も見当たらない。


 西側入り口から港に入ったところでナビゲーターが言った。『ミスター、通信が入ってます』

「ようやくかよ」


 呼び出されて港湾までやってきたはいいが、時刻はすでにPM07:00を回っている。日はとっくに落ちて、辺りはすっかり暗くなっていた。


『いえ、ミス・ユアンではなく、ミスター・クローニンから』


 用件が思い当たらなかった亮司は怪訝に思いながらも通信に応じた。


「なんだよ?」

≪おっ? その声の様子だとまだ始めちゃいないみたいだな≫

「これから、のはずだ」

≪そいつは何より。俺の努力が無駄にならなくて済む。で、だ、客が来てるぜ。いま港の方に……3人か? 向かってきてる≫

「どこからか見てるのか?」


 亮司は首を左右に振った。消灯した建物ばかりで人が潜んでいるかどうかについては一見して分からない。


≪少し外れた民家っぽいところだ。多分、そっちからじゃ見えない。俺の方からも見えないしな。それで、棚ぼた狙いだか暇人だか知らんが、お邪魔虫連中はどうする? ちょうど狙える位置だが≫


 クローニンが小声で言った。窓から銃口を突き出している姿が容易に想像できる。これからここで決闘──よりにもよって自分がそんな時代錯誤な真似をするはめになるとは──をやることについてはニコルがSNSで事前に告知している。人払いのためだったが、それを知ってあえてやって来たというのは──連中がどういう意図を持っているのかは想像するのに難くない。


 亮司は少し考えて、言った。ギミックは多い方がいい。「そのまま素通りさせてくれ。どっちから来てる?」

≪いいのか? ま、そっちがいいなら俺としちゃ構わないが。いま北ゲートをくぐってる≫

「なあ、この情報は──」

≪あっちにはまだ伝えてない≫

「別に伝えてくれても構わない」

 クローニンが口笛を吹いた。≪それじゃあな──≫


 亮司はゼリーの栄養補助食品のパックに吸い付きながらぼんやりと海を眺める。真っ黒な海面は蠢く泥のようだ。港の施設は完全に死んではいないようで、ところどころ夜間作業用の明かりがついているが、それでも足元が心もとない。


『ミスター』ナビゲーターが言った。先ほどのものより緊迫した、覚悟を促す声。

「つないでくれ」

≪いやー、ごめんごめん≫東側の入り口にいるはずのニコルから直接通信が入る。≪お昼食べて日陰で少し横になってたらついうとうとしてさ。もしかして心配かけた?≫

「いいや」


 肩に担いだリュックから手のひら大の煤の塊を取り出した。焼き殺した3人のインナーの一部。情報送受信用のチップに熱で変形した化学繊維がこびりついたもの──元の機能は損なわれていない。亮司が触れることでシステムがダイアログを表示する。


【レーダー:5分間のみミニマップの表示範囲を10倍にすることができる。1日に5回の使用制限あり】

【収奪しますか? YES/NO】


 各プレイヤーの着ていたインナー、もっといえば、そこに仕込まれている発信機と触覚センサーに触れるだけで【スカベンジャー】は発動した。わざわざ死体である必要はなかった。分かってしまえば納得の仕組みだ。


 【YES】を選択してカモフラージュから変更、早速スキルを発動する。視界の端に位置していたワイヤー構造のミニマップがゴーグルに表示されたゲーム画面を覆いつくすほどに広がる。


 さすがに港湾全体とまではいかないものの、倉庫や灯台、貯木場など目に見える範囲は全ての建物の内部構造までが明らかになる。表示されたプレイヤーは自分だけで、いまのところ第三者の影は見当たらない。まずは大きなアドバンテージを得た。ただ、このスキルにはひとつだけ大きな問題がある。


『前、見えてます?』


 ナビゲーターの忠告もむなしく、亮司は足元の木箱に引っかかってつまづきかけた。


 ミニマップが拡大されたせいで視界不良を起こしている。現実の光景の上に半透明の絵が重ねて表示されているようなもので、ゲーム情報のウィンドウは透明度が高めに設定されているとはいえ、いまは夜で暗いこともあって歩くことすらおっつかないのは流石に想定外だった。暗視機能のないゴーグルを時おり外して余闇の中を慎重に進む。


 余った時間を使って準備はしてきた。亮司はリュックをまさぐって、そこに他プレイヤーのインナーが詰め込まれていることを神経質なまでに何度も確認する。クローニンにも手伝わせて今日見かけた死体から手当たり次第に剥ぎ取ったものだ。


 これらを組み合わせていくつか勝ちのパターンはいくつか模索してきた。だが、考えれば考えるほど本当にうまくいくのかという疑念が募る。


 【スカベンジャー】の欠点──使用条件のせいで軽々に付け替えることができないため、スキルの説明文から想像するイメージと実際の使用感が異なる。そのことに使用する段階まで気づくことができない。


 手のひらが汗で冷える。埠頭に押し寄せる波の音までもが不安を煽りたててくる。しかし結局のところ、迷わず実行に移す、それ以外の選択肢が無い。目の前にある現実と、自分ができることにだけ焦点を絞って、一つずつ不安をすり潰す。


 亮司が緊張と戦っている間、ニコルはしゃべり続ける。


≪海ねー、海はあんまりいい思い出がないんだよねー。家族で旅行に行ったことがあるんだけど──あ、もちろん海の話ね。そこは初めて来るはずの場所だったのに、パパだけがどうもそんな感じじゃなかったんだよね。勝手知ったる、っていうの? 喉が乾いたって言ったらちょっと探してるふりをしながら結局は冷蔵庫の場所まで一直線に歩いて行ったし、壁の一部になってて取っ手が分かりにくくなってるクローゼットなんかもすぐに見つけたし。で、それをレストランで指摘したら、パパは平静を装いながらすごく焦ってた。ママはそれがどういう意味なのかすぐに感づいて、でも静かに笑ってるだけだったんだ。ホテルに帰っても、夜が来ても、家に帰っても。そのうち怒りだすんだろうなってなんとなく思ってたんだけど、結局はそのまま、何にもなかった。何年も。でも、いったんできた軋轢はどうしようもなくて、表情はいろいろ弄ってごまかせても、目だけはそうもいかなかった。よくホームパーティやってるご近所さんとかスクールの友達なんかはステキなご両親だねって言ってくれるんだけど、心の中で思ってることと口から出る言葉が全然違うのが私には本当に違和感があって──≫


「あんたはそれを聞かせて俺に何を言ってほしいんだ?」


≪あ、つまんなかった? ごめんごめん、別に自分語りとかじゃなくて、単なる世間話のつもりだったんだけど。ようやくゆっくり話せる機会ができたんだし。えー、それじゃあ何の話をしようかな。あ、そうだ、リョージくんって剥製の作り方知ってる? けっこう奥が深くてね、面白いんだ。まず皮をはがして、なめして、それから樹脂やウレタンで作った模型にかぶせるんだけど、この時に結構自由にポーズをとらせることもできるんだよ。人間一人を丸ごとってうのは大変だろうし、さすがにやったことがないけど。リョージくんの場合、怒ったり睨んだりしてる顔が一番素敵だと思うんだよね。うまく再現できるといいんだけど≫


 レーダーに赤い点が映った。ニコルは無数の倉庫が密集して立ち並ぶ入り組んだ区画をふらついている──好都合だ。亮司はマップを見ながら誘い込むコースを選定、相手のレーダー範囲を推し量るように左右に動く。縮尺でちょうど30mのあたりでニコルが反応する。移動に目的意識が現れた。亮司のいる位置へと方向転換する。


≪リョージくんってお父さんのために参加したんだよね? お父さんのこと、好き?≫

「親父のためじゃない。好きかどうかは、考えたこともなかった。多分、嫌いじゃあないんだろうな」

≪お母さんの方は?≫

「嫌いだな」

≪うーん、悲しいけどそういうこともあるよね≫


 立ち並ぶ倉庫の間、路地の十字の中央に差し掛かる。リュックの中をまさぐって【レーダー】から【スモーク】に変更。呼吸を整える。まるで早打ちに挑むガンマンの心持ち。


 亮司とニコルが同時に路地を抜け、同じ道路に踏み出す。お互いがお互いを視認した瞬間、示し合わせたように同時に撃った。


 トリガーを引きっぱなしで倉庫と倉庫を区分けするトラック一台分の狭い道路を横切る。ニコルが横っ飛びで弾丸を躱す。身を屈めながら走っていた亮司は地面の亀裂に足をとられ、アスファルトの上を無様に転がる。


 肩と背中を打った痛みで肺から空気が抜け出る。焦ってヘタをうった──そういう演技。だからこそ、手を抜くわけにはいかない。咳き込みながら転がって、這うようにして脇道に逃げ込む。


 亮司の醜態を見て、ニコルはすぐさま突っ込んできた。なんのてらいもなく真正面から。


 【スモーク】を発動。周囲に白煙の映像が発生して亮司は自分の姿を一時的に隠す。


 跳ね起きてスキルを【スモーク】から【ショットガン】に切り替える。効果──【銃の射程が3分の1になる代わりに発射する弾丸が散弾になる】。相手の命中精度を下げてこちらの打点を上げる。あとは単純な足し引きの問題。


 亮司が半ば玉砕するつもりで突進しながら銃を構えた。その瞬間、マップに表示されたニコルを表す赤点が地上を離れて真上に移動した。


 白煙越しに映る影を追うように銃口を上に向けて撃つ。扇状に広がった弾丸のシャワーは、倉庫の壁と屋根の返しに阻まれてニコルまで届かない。


 煙が薄れる。道路の脇に廃棄されたドラム缶が見えた。これを踏み台にして跳んだのだ。こちらに向けて走り出したときにはすでにそうするつもりだったとしか思えない。


 ニコルが倉庫の屋根を走りながら弾を撃つ。上から雨のように光の弾が降ってくる。亮司は闇雲に【ショットガン】をぶっ放しながら角を曲がった。


「……見透かしやがって」

『落ち着いて下さいよ。敵の攻撃が掠りましたが、ライフはまだ400ポイントの減少です』


 亮司は苛立ち紛れに吐き捨てながら次のプランに移る。割れた種を使い続けて裏をかけるほどぬるい相手だとは思えない。


≪なんかぞわっと来るんだよねー、首から背中のあたりが。直感ってやつ? それにしてもリョージくんズルくない? ほんと色んなスキル使ってくるよね? でもちょっと気づいちゃった、前に使ったスキルをもう一回使ったことないよね? もしかして、使い切り? もう煙は出せないんじゃない? どう? 当たってる?≫


 亮司は相手をせずに距離をとりながら無言でリュックを漁る。手札をひた隠しにしたつもりだったが、ニコルは楽しそうに笑った。


≪あっは、当たってるんだ? じゃあじゃあ、もう今の変な射撃から切り替えた? 教えて?≫


 亮司は焦りからとっさに通信を切った。この狂人にことごとく考えていることを見抜かれる。何か確証があるはずはないのに。頭の中を覗かれているというよりは、あの女の妄想にこちらの現実が上から塗りつぶされているような気色の悪さを感じる。


≪えー、通信切らないでよー≫ブロードキャストで一方的にニコルの発言が届けられる。≪じゃあ今度はこっちの番ね。何か聞こえてこない?≫


 無視をするべきだと頭では分かっていても、そうしようと思えば思うほど意識がそちらに向く。いったい何が聞こえる?


 いち早く気づいたナビゲーターが声を張り上げた。『火災です!』

「はあ?」


 背後から伸びてきたオレンジの光が亮司を追い越した。思わず振り返った先、少し離れた倉庫の窓から黒煙と炎が噴出している。すでに火の手はその隣の倉庫へと移って延焼を始めていた。

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