第21話 3日目...3

『開始時間になりました』


 ナビゲーターの一声で体温が下がり集中力が増す。クラッチとクローニンも既にビル内に入っている。彼らを追っている敵も。亮司は囲まれそうなクラッチの救援に向かうべくA棟へと向かった。


「……今日の光景は一段と頭が痛くなってくる」


 マップには自分を中心として周囲の建物の構造が白い枠線で表示されている。チームメンバーの位置がそれぞれ青い点で、各メンバーの視界、あるいは一定距離に入ったチーム外の人間は赤い点によってその存在がマップ上に表されている。


 現実の視界に重なって半透明状に表示されるゲーム情報が1分1秒ごとに目まぐるしく変わる。亮司は廊下の先にある階段を上るのに邪魔になったマップ表示を指で引っ張って左下に移動させた。


『私は実際にプレイしたことはありませんけど、意外と面白いって評判みたいですよ。生き残ったひとの弁ですが』

「命がかかってなければそうかもしれないな。普通に市場に売り出したりはしないのか?」

『まずプレイ環境を整えるのが無理だと思いますよ。ついでに言うなら、体を動かす関係上、怪我人も出ちゃうでしょうし』

「ああ……そうなったら炎上どころじゃないよな」


 足を動かせばシンクロしてマップが動く。点が動けば足音が聞こえる。マップ上の一本道から赤い点がこちらに近づけば、突き当りの廊下を曲がった先から薄手のミリタリーベストとベージュのキャップを身に着けた男が姿を現す。自分が現実の中を走っているのか映像の中を移動しているのか感覚があやふやになってきた。


 亮司はしゃがみながら弾を撃ちまくってキャップの男を下がらせた。そのまま元来た道を戻ろうとしたが、背後から足音が近づいてくる。


『部屋の中へ入ってください』


 言われるまま左手にある部屋に入る。引っ越し直後のようにがらんとして中途半端に物が散らかったオフィス。亮司は長年の癖のようにゴーグルをずらして肉眼でも確認──完全に、誰もいない。


 オフィスにはベランダがあった。亮司は迷わずベランダに出てフェンスを乗り越え、そのまま隣の部屋のベランダへと飛び移る。地上5階だか6階であるため眼下に見えるエアコンの室外機は1cmにも満たない大きさしかない。


 足の裏のざわつきを無視して外側から部屋を4つ移動。型の古いPCが放置された室内に入ろうとしたところで、亮司を追ってベランダに出てきたベージュのキャップの発射した弾が背中をかする。


 亮司は相手を見ずに撃ち返しながら急いで部屋の中へ入った。ライフが200と少し減少。まともに食らえば1000程度はあっさり持っていかれそうだ。


「1000万を体力に換えてくれ」

『残金3600万円です』


 ライフが3771に。亮司はタコ足ケーブルの放置されたテーブルの上を走って部屋を横切って廊下に戻った。


 敵の数が増える。いったんはやり過ごした二人が背後から、前からはさらに赤い点がゆっくりとこちらへやってきている。このまま行けば突き当りのT字廊下で鉢合わせることになる。


≪リョージ、立ち止まらずそのまま真っすぐでいい≫クラッチからの通信。

「前には敵がいる」

≪そいつは私だ≫


 言葉通り、細長い廊下の向こうで待ち構えていたのはクラッチだった。だが、マップ上での表示は赤い点だ。


「彼らのチームに偽装している。そのまま向こうへ行ってくれ」


 クラッチが自分とは反対方向を指さした。亮司は言われるままT字廊下を右折してしばらく走った。クラッチが偽装のために何発かを亮司には当たらないように撃つ。


 やがて仲間がいると思って無警戒にやってきた二人の足元にクラッチがグレネードを転がした。爆発。マップから赤い点が二つ消え、クラッチの表示が青に戻る。


 息を整えながら戻ると、ライフの赤くなった男女が茹でられた海老のような恰好で折り重なっていた。


「……えげつないスキルだ」

「あまり乱発はできないがね。これで私のカウントは3、ようやく一安心というわけだ。分けてやれなくてすまなかったな」

「自分でなんとかするよ」


 亮司は敵二人のインナーに触れた。【リモート・コントロール・ボム:遠隔操作で起爆できる爆弾を同時に1つだけ設置できる。一日の使用回数は3回】。【スモーク:180秒間チーム外のプレイヤーのマップ表示に映らなくなる】。どちらも乱戦において有用なスキルのように思える──いまは自分も撃破数が必要だと考え、亮司は【ノイズメーカー】を【リモート・コントロール・ボム】で上書きした。


≪なんかざわついてきた感じ。そっちの棟に人が集まりそうだからこっちに来てくれる?≫


 ニコルから通信が入る。同じ通信を聞いていたクラッチが頷いた。階段を上って連絡路のある8Fへ直行する。空調が効いていないため空気は暑く、ねばりつくような重さを感じる。亮司はペットボトルの水を口に含んだ。ペース配分を間違えないように動かなければならない。


≪リョージくん何人殺した?≫連絡路の向こう側で待っているだろうニコルが言った。≪私はさっきので4人目≫

「これからやるところだ」

≪えー、ほんとに? まだまだたくさん来てるからいいとは思うんだけどさー、あんまりのんびりしてるのもまずいと思うよ。そろそろどこかで暴発が起こってもおかしくないし≫


 ニコルの言う通りビル内には亮司たちを追ってきた連中がひしめき合っている。だが、その全員が同じ目的の上で動いているわけではないことは、ビルに入る前の動きから明らかだ。クリアに必要なカウントが足りない状態で目の前に無防備な背中を見つければ、つい撃ちたくなりもするだろう。


 話している最中におっかなびっくり近づいてくる新しい敵影が表示された。すかさずクローニンから注文が入る。


≪リョージ、いまお前を追ってる奴ら、ちょっと引き付けながら通路を渡ってきてくれ。うまく油断させろよ、ガラスの靴が脱げてうまく走れない、今にも追いつかれそうなシンデレラって感じで頼む≫

「なんだその指定は」

≪怪しまれないように引っ張ってくるのは難しいってことさ≫


 目線で先に行くようクラッチに伝え、亮司は歩幅を短くしながら速度を落とす。立ち止まって膝に手をつき、肩で息をするふりをしながら背後を振り返る。


 反転した視界に新たな人影がやってくる。クルーカットとバンドカラーシャツの二人。亮司はわざと角形スチールのゴミ箱を蹴倒して走り出した。


 腕を振り回してときおり背後を必死の形相で振り返る。半分、演技ではない。背後から撃たれてライフがまた少し削れる。


「おい、くそ、俺だけ消耗がひどくないか?」

≪後で振り込んどくって≫


 階段を上って踊り場から廊下に走り抜けようとした瞬間、何か硬く分厚いものにぶつかった。予想だにしていなかった衝撃を食らって鼻の奥が痺れ、息が詰まって無様に床を転がった。


 痛みのあまり声が出ない。足音は階下から迫ってくる。


『ゴーグルを外してください!』


 亮司は痙攣する左腕でゴーグルを持ち上げて唖然とした。開けた通路だと思っていたところにあったのは──クリーム色のペイントがされたコンクリート壁。これに全力で体当たりをしたのだ。


 視界を描き変えられた。追ってきているどちらかのスキル──ご丁寧に、マップに表示された建物の構造までがそこを通路だと言っている。


 痛みと、併発する吐き気でまだ起き上がることができない。亮司は悶絶するように床の上を這いまわって階段まで戻り、下に銃口を向けた。引き金を引きっぱなしで、残弾が空になるまで撃ちまくる。


 そのあいだ、肩や腕を僅かずつ動かし、関節の具合を確かめる。骨折や脱臼まではいっていないように思えるが、動いてみなければ分からない。


 撃てなくなった銃を左手に持ちかえてグレネードを階段の下へ転がす。爆発と同時に後転して起き上がり、その場に【リモート・コントロール・ボム】を設置した。走り出すと、壁にぶつかったときに捻ったのか足首に嫌な痛みを感じた。


 外したゴーグルを縦にして片目にだけ当てる。現実世界と仮想世界が横に並ぶ。ゴーグル越しの光景には窓とその向こうにある青い空が、肉眼には両端が黒ずんだ蛍光灯がずらりと並ぶ廊下が映っている。


 頃合いをみて仕掛けた爆弾に着火。敵の足が止まる。その間にほうほうのていで目的の連絡通路までやってきた。


≪迫真の演技だな≫クローニンが言った。≪そのまま真っすぐだ。俺が合図したら頭を下げてくれ≫


 悪態をつく余裕すらなかった。右に左にふらつきながら腕を振り回して走る。時折ダメージが入っているらしく、ダメージ伝達のインナーが肌に外付けされた心臓のように何度も体を叩いて急かしてくる。


≪今だ≫


 低く静かな一声。クローニンの合図。亮司は日光を照り返して白くなった廊下の上をヘッドスライディングで滑った。


 連絡路の突き当りの曲がり角──その先から光弾が飛んでくる。軌道が直角に変化して廊下を左折し、伏せた亮司の上を通過。


 予想外の攻撃。追ってきた二人はそれをもろに食らう。単純明快で強力なクローニンの【サイドワインダー】。


『いま弾を補充しました。勝手にやってすいませんが──』


 手に持ったヘッドセットからナビゲーターが叫んでいるのが聞こえた。亮司は床の上で反転。今度も撃ちきるつもりで引き金を絞る。敵は泡を食って逃げだそうとしたが、背中に二人がかりの銃撃を食らってまずバンドカラーシャツが、次にクルーカットのライフが尽きる。


 亮司は安堵から大きく息を吐いた。ヘッドセットのマイクを口元に寄せて言った。


「助かった」

『おめでとうございます、片方はミスターの方にカウントされてますよ。これで残すところ後ひとりってわけですが、調子に乗ると足元を──』


 いつもの調子に戻ったナビゲーターの挑発を聞き流して亮司はよたよたと起き上がった。肩と首を回して具合を診る。むちうちにはなっていないが、衝撃の際に全身が強張ったせいで筋がまだ痛む。


「あー、くそ……マジでいってえ……」

「Ceart go leor?」クローニンが油断なく銃を構えながらやってきた。


 日本語はもちろん、英語ともまた違う響き──何を言っているのか分からない。亮司は外していたゴーグルを装着した。今度ははっきりと日本語で聞こえる。


「おいおい、どうしたんだ?」

「ゴーグルに映ってる光景が描き換えられた。本物にしか見えなくて、そのせいで思いっきり壁に体当たりをかますはめになった」

「ちょっと貸してみな」


 背後に回ったクローニンがゆっくりと亮司の腕を持ち上げる。ひどい痛みはないことを伝えると、クローニンはひとつ、ふたつ頷いた。


「少し安静にすればすぐ治るだろうよ。つっても、そんな悠長にはいかないよな」

「ゲームが終わるまで我慢する」


 まだむかつくが、掛け値なしのいいスキルだ。あんなもの初見で対応できるはずがない。亮司はクルーカットから【カモフラージュ】を奪いながらジャージの裏地で鼻をかんだ。鼻根のあたりにあった違和感が消え、代わりにジャージには鼻血混じりの鼻水がべっとりと付着していた。


『うわ、いたそー』

「冗談抜きで痛い」

≪痛いって、どこか怪我したの?≫


 チームチャットをONにしていたせいでニコルが割って入ってきた。


「ちょっとな」

≪目は大丈夫?≫

「大丈夫だが……俺の目は俺のもんだ。あんたに心配される謂れはない。一応こっちは何とか一息ついたが、そっちは?」

≪てきとーに人数削りながら逃げ回ってるけど、急に人の気配が減ってきたね。そろそろ潮目が変わりそうな感じ?≫

「あー、つまり、どういうことだ?」

『ミスター、これを見てください』


 ナビゲーターからSNSに貼りつけられたスクリーンショットが回ってくる。人差し指と小指を立てたコルナサインを掲げ、大きく舌を出して馬鹿を装った見覚えのある男の大写し。今日はヘアバンドをしていない。


 付随のコメント──ここにいる連中は全員皆殺し。背景に映っているのは、まさしくいま戦っている二棟のビル。発言のタイムスタンプはたった今だ。目にしたものをチーム内で共有する。


「ようやくお出ましってわけだ。どうするんだ?」クローニンが訊いた。

≪向こうは三人組っぽい。正面の入り口と、裏口と、非常口に分かれたみたい。そこから誰か狙える?≫


 廊下の窓を開けた。向かいのビル壁の外壁にある非常階段を、髪をツーブロックにした若い男が駆け上がっている。ヘアバンドの男ではなかったが──おそらくは一味。階段や手すりが邪魔で射線が通らないため亮司では狙えない。


「どいてろ」


 クローニンが窓から上半身を半分出して撃った。その弾丸は男の真横まで飛んだあと直角に軌道を変え、見事に眉間に命中する。


 ライフは──減らない。ヘアバンドの男と同じだ。クローニンがお手上げだとばかりに苦笑する。


「あー、駄目だなこりゃ。リョージのナビゲーターが言ってた通りかもな」

≪うーん、そっかー。流石に正面から戦うのはまずいよねえ?≫


 ニコルのその台詞はどうやって逃げようかという意味だ。正門、裏門、非常口はじきに押さえられる。


≪とりあえず合流してからどこか1方面を無理やり抜ける?≫

 亮司がひとつ提案した。「B棟の外側に向いた方の壁なんだが、ベランダとベランダの間に太くてしっかりしたグレーパイプがある。たぶん、雨水を捨てるためのものなんじゃないかと思う。さっき逃げてる最中に見かけた」

≪ちょっと待っててね……あった。A棟の方にもある。ナーイス≫

≪これか。そうか、これを使うのか≫


 嬉しそうなニコルとは反対にクラッチの声は明らかに気後れしていた。あと10歳若ければとぶつくさ言っている。亮司たちも手近な部屋に入ってベランダに出て位置につく。


≪まだ下りないでね。この感じだとちょっと距離があるっぽいから、私が合図してからで。ビルから脱出したらとりあえずバラバラに逃げて、後で合流ってことでいい?≫

「合流したあとは?」

≪まー、逃げ続けるしかないね。向こうが追いかけっこに飽きるか、ゲーム終了までこっちが粘るかして──≫

「なあ、それなんだが」


 亮司は言いかけて、やめた。自分でも馬鹿げた提案だと思ったからだ。


≪うん? なに?≫

「いや、何でもない」

≪えー、気になる。遠慮しなくていいって。私たちって、こう、結構親密になってきたじゃない?≫

「なってないが、あれだ、気の迷いってやつだ」


 クローニンに背中を叩かれて笑われる。


「そこまで勿体ぶられると余計に気になるだろ。さっさと言えよ」

 亮司は叩かれたところをさすりながらしぶしぶ口を開いた。「もしかするとの話だよ。もしかすると、あの連中、どうにかできるかもしれない」


 へえ、とニコルが言った。宝物を見つけたような声。笑っていない明るい声。


「すぐどうにかできるってわけじゃなくて、うまいこと釣りださなきゃならない。もちろん、やるとなったら言い出しっぺの俺がその役をやる。ただ──」

≪ただ?≫

「結構距離があるから、引っ張るとなるとライフが心もとない」


 ニコルが笑った。


≪いいよ。貸してあげる。でも、あとでちゃんと返してね?≫

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